独日修交150周年記念の展示にあったオウレンブルク卿の写真集が出ている。1860年に合衆国などの諸国に遅れないと、開港の不平等条約を締結するために1860年九月にプロシアから送られた外交団である。
その時、合衆国のペリー使節団が僅か一つのカメラによって長い鎖国を1854年に抉じ開けたとき記録すべき写真が十分に撮られなかったのを補うかのように、六つのカメラや様々なレンズ2500枚の代償の硝子盤や化学薬品、携帯暗室などが、16個のカビネットに収められて、遠征の装備として予算化された。〆て2500定刻ターラーと計上されている。
その資料をベルリンの秘密資料として見つけて、ロンドンのブリティッシュライブラリーでのプロシア使節団日本遠征の記録を確かめ、あるはずべきな写真の数々への捜査と相成った。
ドイツ語と2003年の暑い夏と戦いながらのオウレンブルク卿の旅日記を発見したセバスッチァン・ドブソンの成果であった。それがここに収められているようだ。江戸では、ペリー提督に同行した記録画家のヴィルヘルム・ハイネがオウレンブルク体においても協力したことで可也多くの撮影が可能になったとされていて、米国人と同じ轍を踏まなかったとされる。
その理由には、写真への信頼と言うような技術的なものではなく、自らの嫡出の息子への仕事を与えるためのものだったとされて、今でもどこぞの首長がやっているようなことである。
そして2007年に秘密文書の山の中から見つけたのが200枚に及ぶ写真の数々であり、長崎までその撮影地は日本中を動いているのは周知のことである。それでも当時ベルリンへと届けられたオウレンブルクの報告書の一つの封筒には250枚の写真が含まれていた筈で、更に合わせて千枚以上が撮影されている筈だとしている。
それでは、その写真の数々は何処に行ってしまったか?1870年のベルリンにその痕跡はベリリンの写真家レオポルト・アーレントに途絶える。そこで、写真が百枚単位で焼付けされて売られている。1861年にハイネやアルバート・ベルクが戻ってきたときにはそのネガは既に無くなっていたと言う。
写真:オウレンブルク卿の江戸幕府との修好条約書日本語版原文。徳川慶喜は関連文書に源氏慶喜と署名している。
参照:
Die Jungs von der Thetis im Teehaus, Carsten Germis, FAZ vom 10.05.2012 - Unter den Augen des Preußen Adlers, Sebastian Dobson, Indicium Verlag, München
創造する首が無ければ 2012-01-31 | 文化一般
上を向いて歩こうよ 2012-02-03 | 生活
その時、合衆国のペリー使節団が僅か一つのカメラによって長い鎖国を1854年に抉じ開けたとき記録すべき写真が十分に撮られなかったのを補うかのように、六つのカメラや様々なレンズ2500枚の代償の硝子盤や化学薬品、携帯暗室などが、16個のカビネットに収められて、遠征の装備として予算化された。〆て2500定刻ターラーと計上されている。
その資料をベルリンの秘密資料として見つけて、ロンドンのブリティッシュライブラリーでのプロシア使節団日本遠征の記録を確かめ、あるはずべきな写真の数々への捜査と相成った。
ドイツ語と2003年の暑い夏と戦いながらのオウレンブルク卿の旅日記を発見したセバスッチァン・ドブソンの成果であった。それがここに収められているようだ。江戸では、ペリー提督に同行した記録画家のヴィルヘルム・ハイネがオウレンブルク体においても協力したことで可也多くの撮影が可能になったとされていて、米国人と同じ轍を踏まなかったとされる。
その理由には、写真への信頼と言うような技術的なものではなく、自らの嫡出の息子への仕事を与えるためのものだったとされて、今でもどこぞの首長がやっているようなことである。
そして2007年に秘密文書の山の中から見つけたのが200枚に及ぶ写真の数々であり、長崎までその撮影地は日本中を動いているのは周知のことである。それでも当時ベルリンへと届けられたオウレンブルクの報告書の一つの封筒には250枚の写真が含まれていた筈で、更に合わせて千枚以上が撮影されている筈だとしている。
それでは、その写真の数々は何処に行ってしまったか?1870年のベルリンにその痕跡はベリリンの写真家レオポルト・アーレントに途絶える。そこで、写真が百枚単位で焼付けされて売られている。1861年にハイネやアルバート・ベルクが戻ってきたときにはそのネガは既に無くなっていたと言う。
写真:オウレンブルク卿の江戸幕府との修好条約書日本語版原文。徳川慶喜は関連文書に源氏慶喜と署名している。
参照:
Die Jungs von der Thetis im Teehaus, Carsten Germis, FAZ vom 10.05.2012 - Unter den Augen des Preußen Adlers, Sebastian Dobson, Indicium Verlag, München
創造する首が無ければ 2012-01-31 | 文化一般
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