Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

音楽が先か、詩が先か?の回答

2012-05-24 | 
ベルリンの国立歌劇場の監督ダニエル・バレンボイムが大歌手フィッシャー・ディスカウの逝去に際して追悼文章を投稿している。短い文章ながら読み甲斐があるので紹介する。

歴史上多くの素晴らしい作曲家が存在して、その作品が音楽の歴史的発展にそれほどの影響を与えていなくとも私たちが大切にしている創作がある。幾人かの作曲家、バッハやシェーンベルク、ヴァーグナー、ベートーヴェンなどは、過去のものを集約して尚且つ同じように将来への道を指し示した作曲家で、そうした革命的な精神の秀でた例なのである。

全く同じようにクラシック音楽の演奏家においてもそうなのだ。例えばパブロ・カザルスは、一般的にチェロは綺麗なイントネーションを奏でられない楽器と見做されていたが、少なくともバッハの組曲を以ってこうした見解を変えてしまった。そして、コンサートの世界で永続性のある新機軸を創造したのである。ディートリッヒ・フィッシャーディスカウは、そうした一人の革命的な演奏家であった。24歳にて最初のリーダーアーベントを行った。それは当時としては決して普通のことではなかった。当時は、現在よりも遥かに多くの引き出しが用意されていて、歌手はオペラを歌うか、歌曲を歌うかであって、双方と言うことは珍しいことだった。フィシャーディスカウは、先ずその業界においてそうした強固な考え方を打ち破り、多くの分野において秀逸した技量を出せることを示したのである。

彼の芸術家としての最も大きな功績は、恐らくあの質問に一つの回答を与えたことだろう:「音楽が先か、詩が先か?」つまり、彼が示したのは、これは誤った質問であったということだ。フィッシャーディスカウは、彼以前にも以後にも殆ど為されていないように詩と音楽の統一を成し遂げた演奏家なのである。彼は、詩のアーティクレーションにおける新たな基準を与えたのみならず、言葉に準拠した音の響きを変えることで、その言葉を浮き出させた。そのように言葉の意味を明白化させたのみならず、其々の音節や音を合成して響かせ、ハーモニーと音色の合一化を可能とした。例えば、言葉「死」にアーティキュレーションの中で別な色合いを加味して、非日常性を意識したのみならず、この「死」と言う言葉が歌われる時、どのような音色であるべきかを意識していた。これによって、詩の理解と分別の新たな地平線を開いた。

25年間ともに音楽をしてきたフィッシャーディスカウは、ドイツ人芸術家として最初にイスラエルの地を踏み、そこで最初にドイツ語でコンサートで歌ったことはひょっとするとそれ以上に画期的なことかもしれない。なぜならば、それまでは彼の地ではベートヴェンの第九も英語で歌われていたからである。彼の特別な芸で以って、ドイツ系ユダヤ人はイスラエルで再び音楽の中でドイツ語を戴けるようになったのである。

ダニエル・バレンボイム



参照:
Gefärbte Töne, Daniel Barenboim, FAZ vom 22.05.2012
連邦共和国文化大使の死 2012-05-21 | 文化一般
週末のストレス解消次第 2012-05-09 | 生活
感受性に依存する認知 2009-01-03 | 文化一般
セクシャルな「福島」文化の本質 2011-07-24 | 文化一般
コメント (2)
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