吉田秀和の訃報に接した。第一報は聖霊降臨祭初日起床直後のBLOG「庭は夏の日ざかり」だった。さて、今まで散々貶してきたのでその範囲内で最後にもう一度この機会に批評を書こうかと思い、金曜日の疲れが残っているもののパンを取りに行く序に体の様子を見ながら森を歩き出した。吉田秀和について何を語ろうか書こうかと考えながら、故人の幾つかの文章などを思い出していた。欧州旅行記でも兼常清佐などの高度な文化批評とは比較にはならないなどと考えていた。
暫くすると心臓のところがむかむかして重くなるのである。これは完全に調子が悪いと思って走らないで山道を歩き出すとそれでも息が上がる。そうして足が潜る落葉で足元の悪い前半を歩いた後、その後走って峠まで出るとまだ22分しか経っていなかった。2650歩。全然遅くないペースなのである。
そして帰ってきて汗を流して幾つかの同じ訃報の記事を見た後に、夜のバーデン・バーデンでの鈴木のロ短調ミサ曲に備えて早めに食事をして、ワインを少し飲んだ。それでも食事の用意をしながら、吉田氏と言葉は交わしたことは無いのだが何度も遭遇していて、ヴァイツゼッカー元大統領のような特別な出会いでは無く、そこに平凡で凡庸な人間性を感じていただけなのを思い起こした。
食後の昼寝のベットに這入り、BLOG「TARO'S CAFE」で訃報の中に、吉田氏夫妻を見かけた丁度同じときのことがそこに記されていた。不覚にも嗚咽してしまった。朝からの胸の痞えを一気に嘔吐するかのように。予想だにしていなかったことである。
なるほどミドルティーンの一時期は吉田のエッセイーを熱心に読んでいた。ハイティーンになる頃にはもはやその内容を批判していたが、その後ドイツに移り住み最初に日本へと飛んだ節に、幾つかの山の本などと一緒に全集などは出ていない頃の吉田の単行本を全て廃棄した、一冊を除いて。手垢にも汚れていないような綺麗な本を二束三文で購入したのは専門書で有名な古本屋であった。それでも廃棄したことで凄く心が休まった気がしたのだった。
その吉田の単行本で一冊だけ手元においてあるものは新潮社「現代音楽を考える」初版でその中に「ヴァーレーズの解放したもの」がある。これは、作曲家本人のニューヨークのアパートメントを訪ねた印象などがちりばめられていて、音楽ジャーナリストとして一級の仕事で、物書きを自称するこの作家を熟知している者としても唯一無二の翻訳しても世界に通じる文章であったに違いないと確信する。
要するに吉田は禄でもない文章ばかりで生計を立てていた物書きでしかなく、団鬼六にも及ばないスノビズムの作家で、その通り後に体制・翼賛新聞朝日新聞を飾っていた俗物でしかなかったのである。日本の文化どころかエロにも貢献していない物書きであったのだ。
そうしたことにミドルティーンのときに気がついて、丸山真男のフルトヴェングラーの書は知っていてもまだまだ氏の本業の論文を読むほどの知力も無く、この禄でもない文章を書く吉田は丁度反面教師のような存在であり続けていたのを思い掛けない嗚咽と胸の痛みで初めて思い知ったのだった。
九十八歳での大往生と聞く。とんでもない、それまでなにかを書いたりしながらの生活が自分に出来るのかどうか、そもそもそのような健康などは到底考えられないのである。つまらないものを散々読ませてもらったこの作家が、自分にとってこれほど大きな存在であったとは嗚咽が起こるまで気がつかなかったのだ。
参照:
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | BLOG研究
自己確立無き利己主義 2008-04-28 | 歴史・時事
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
読者層に合わせた興奮度合い 2011-11-22 | 暦
蜉蝣のような心情文化 2008-05-14 | 文学・思想
決して民衆的でない音楽 2008-12-09 | 歴史・時事
暫くすると心臓のところがむかむかして重くなるのである。これは完全に調子が悪いと思って走らないで山道を歩き出すとそれでも息が上がる。そうして足が潜る落葉で足元の悪い前半を歩いた後、その後走って峠まで出るとまだ22分しか経っていなかった。2650歩。全然遅くないペースなのである。
そして帰ってきて汗を流して幾つかの同じ訃報の記事を見た後に、夜のバーデン・バーデンでの鈴木のロ短調ミサ曲に備えて早めに食事をして、ワインを少し飲んだ。それでも食事の用意をしながら、吉田氏と言葉は交わしたことは無いのだが何度も遭遇していて、ヴァイツゼッカー元大統領のような特別な出会いでは無く、そこに平凡で凡庸な人間性を感じていただけなのを思い起こした。
食後の昼寝のベットに這入り、BLOG「TARO'S CAFE」で訃報の中に、吉田氏夫妻を見かけた丁度同じときのことがそこに記されていた。不覚にも嗚咽してしまった。朝からの胸の痞えを一気に嘔吐するかのように。予想だにしていなかったことである。
なるほどミドルティーンの一時期は吉田のエッセイーを熱心に読んでいた。ハイティーンになる頃にはもはやその内容を批判していたが、その後ドイツに移り住み最初に日本へと飛んだ節に、幾つかの山の本などと一緒に全集などは出ていない頃の吉田の単行本を全て廃棄した、一冊を除いて。手垢にも汚れていないような綺麗な本を二束三文で購入したのは専門書で有名な古本屋であった。それでも廃棄したことで凄く心が休まった気がしたのだった。
その吉田の単行本で一冊だけ手元においてあるものは新潮社「現代音楽を考える」初版でその中に「ヴァーレーズの解放したもの」がある。これは、作曲家本人のニューヨークのアパートメントを訪ねた印象などがちりばめられていて、音楽ジャーナリストとして一級の仕事で、物書きを自称するこの作家を熟知している者としても唯一無二の翻訳しても世界に通じる文章であったに違いないと確信する。
要するに吉田は禄でもない文章ばかりで生計を立てていた物書きでしかなく、団鬼六にも及ばないスノビズムの作家で、その通り後に体制・翼賛新聞朝日新聞を飾っていた俗物でしかなかったのである。日本の文化どころかエロにも貢献していない物書きであったのだ。
そうしたことにミドルティーンのときに気がついて、丸山真男のフルトヴェングラーの書は知っていてもまだまだ氏の本業の論文を読むほどの知力も無く、この禄でもない文章を書く吉田は丁度反面教師のような存在であり続けていたのを思い掛けない嗚咽と胸の痛みで初めて思い知ったのだった。
九十八歳での大往生と聞く。とんでもない、それまでなにかを書いたりしながらの生活が自分に出来るのかどうか、そもそもそのような健康などは到底考えられないのである。つまらないものを散々読ませてもらったこの作家が、自分にとってこれほど大きな存在であったとは嗚咽が起こるまで気がつかなかったのだ。
参照:
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | BLOG研究
自己確立無き利己主義 2008-04-28 | 歴史・時事
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
読者層に合わせた興奮度合い 2011-11-22 | 暦
蜉蝣のような心情文化 2008-05-14 | 文学・思想
決して民衆的でない音楽 2008-12-09 | 歴史・時事