ネットで見ると東京をワイン女王が公式訪問しているらしい。評判がよいようだ。市の広報を見ると、五月の初めに彼女が率いるワインハイキングが案内されている - 実際はプリンセスで、女王はもう少し先の町の人だった。同じ市の人らしく彼女の地元を案内するとなっている。農協関係の人らしいので、リースリング種以外のブドウ栽培地所が殆どのオフワイン街道の町である。だから殆ど興味はない。
リースリング土壌とそれ以外のオフ地域の何が違うかというと、水捌けと土壌の質である。要するにレースとか黄土とか呼ばれるような土壌はただの畑なのである。畑とワイン地所の違いは、ドイツ語でもアッカーとヴァインベルクの違いがあるように山かどうかの違いは大きい。基本的にはワインは、農作物が育てにくいような山肌などの荒地などで栽培される。その傾向はローマ人の時代にはそれほどではなかったようだが、農作物と水気の供給元となるワインの地所との差がそこにある。
ロベルト・ヴァイル醸造所のお知らせでは、2014年は雨と水捌けがキーワードとなっていて、春がよかったので開花と実りは順調に行ったが、夏の雨量はただものではなかったので、肥料などで収穫拡大を狙っている醸造所は軒並み水浸しになったようだ。ラインガウの地所のニュルニュルした土壌だから、平野部のそれは殆ど根腐りしただろう。
さて、ヴァイルの出来は、勿論素晴らしいヴァインベルクがあり、肥料を入れてないことから、また出水溝が上手く機能して根腐りにならずに済んだというのだ。そして、もともと葡萄の粒が小さいことから腐りも避けられたのだろう。要するにこれがワインの質ということである。この質が保証されないことには、幾ら高級の培養酵母で、最新の施設と木樽を使ってもよいワインなどは出来ないのである。その「よい」というのがそのもの質なのである。
そもそも雨が多かったのは、どこでも同じで、乾いた土地のプファルツでも普段以上に水を吸っているので、果実風味が厚くなっているに違いない。だからレープホルツ醸造所の果実風味も確り乗っていた。その点で2004年などに近いのだろうか?
買い物途上のラディオは、過剰医療の話題であった。過少と同じく危険な過剰医療の研究者が電話で答えていた。我々が誰でも知っている健康診断の無意味だけでなく、過剰な薬品の投与や手当てなどの幾つかの分野に分かれていて、その例を挙げていた。「背中が痛いといってレントゲンを撮る」のもほとんど半年もすれば痛みがなくなるとして過剰医療として挙げていた。更に血管のスタント挿入手術や、ワクチンの抗癌治療など、通常の医療としているものも学術的に治療効果等がないとして過剰医療に当たるようだ。
日本のネットを見ていて面白いと思ったのは、今まで気がつかなかったのだが、どうも日本中で牛肉が消費されるようになっていることである。私が知っている限り関東での牛肉消費量はドイツにおけるそれとあまり変わらないとの印象を持っていた。豚肉主体の食生活で、一年に一度消費するかどうかぐらいの家庭が一般的で、関西から来た者にとっては驚いたものだった。なにもそれにあわせたつもりはないのだがワイン街道に住むうちに豚食文化を学んで、自宅で牛肉を食するのは旗日よりも少なくなった。外食でも倍ほどの価格になるので、どうしても遠のくのは経済の力である。
なるほど日本では牛丼のチェーン店などを訪問したこともあるが、その後のBSE騒動の時も話題になっていて、結局は工業化された合衆国等からのホルモン入りの牛肉が、旗日ところかホームレスのような人々の食事を牛肉で支えていたとは気がつかなかったのである。豚よりも生産コスト的にどうなのかは分からないが、安く供給できることがそれを実証している。専門書には、野菜よりも肉類の方が安く飢えた人類に食料を必要量供給できることは書いてあるが、ハムバーガーなどと同じようにファストフードとしてそうしたものが機能しているようである。同じようにそれよりは少し価格がはっても、薬付けされて養殖された鰻も土用の牛だけでなく食せる様になってきているらしく、それも食品の工業化の表れなのだろう。
要するにそこに日本経済のデフラシオンの原因があって、連邦共和国では金融緩和政策で直ぐにインフレ傾向が生活の中で感じられるのとは大違いである。スーパーでも値札は上がって行き、特に野菜などは天候の変化が例えばキュウリ一本を60セントから150セントへと跳ね上げたりする。そのように高価になると手が出ないので安いときに購入する。ユーロが下がると、燃料費も上がる。それでも、わけの分からない食材などは、規制などだけでなく、その流通機構もあり入ってくることはないから、結局物価が上がることになる。地元の野菜市場では近隣のものが主体となるのでこれまた天候等によって、なかなか手が出ない材料が増える。
こうした食材だけでなくワインなどもある程度選択が可能なので、経済的に余裕があれば、それなりに質のよいものだけを購入すればよいのである。それなりの市場があることが基本ではあるが、我々が質に拘るというのは当然のことであって、それはスローフードの哲学の原点でもある。
参照:
自由選択の無い社会への警告 2014-10-14 | アウトドーア・環境
被曝が不健康な医療保険 2012-06-20 | 生活
スローフードの塩辛さ 2015-03-09 | 試飲百景
瑞西の交通規制行動 2006-02-09 | アウトドーア・環境
黒い森の新旧エコシステム 2012-02-15 | 料理
リースリング土壌とそれ以外のオフ地域の何が違うかというと、水捌けと土壌の質である。要するにレースとか黄土とか呼ばれるような土壌はただの畑なのである。畑とワイン地所の違いは、ドイツ語でもアッカーとヴァインベルクの違いがあるように山かどうかの違いは大きい。基本的にはワインは、農作物が育てにくいような山肌などの荒地などで栽培される。その傾向はローマ人の時代にはそれほどではなかったようだが、農作物と水気の供給元となるワインの地所との差がそこにある。
ロベルト・ヴァイル醸造所のお知らせでは、2014年は雨と水捌けがキーワードとなっていて、春がよかったので開花と実りは順調に行ったが、夏の雨量はただものではなかったので、肥料などで収穫拡大を狙っている醸造所は軒並み水浸しになったようだ。ラインガウの地所のニュルニュルした土壌だから、平野部のそれは殆ど根腐りしただろう。
さて、ヴァイルの出来は、勿論素晴らしいヴァインベルクがあり、肥料を入れてないことから、また出水溝が上手く機能して根腐りにならずに済んだというのだ。そして、もともと葡萄の粒が小さいことから腐りも避けられたのだろう。要するにこれがワインの質ということである。この質が保証されないことには、幾ら高級の培養酵母で、最新の施設と木樽を使ってもよいワインなどは出来ないのである。その「よい」というのがそのもの質なのである。
そもそも雨が多かったのは、どこでも同じで、乾いた土地のプファルツでも普段以上に水を吸っているので、果実風味が厚くなっているに違いない。だからレープホルツ醸造所の果実風味も確り乗っていた。その点で2004年などに近いのだろうか?
買い物途上のラディオは、過剰医療の話題であった。過少と同じく危険な過剰医療の研究者が電話で答えていた。我々が誰でも知っている健康診断の無意味だけでなく、過剰な薬品の投与や手当てなどの幾つかの分野に分かれていて、その例を挙げていた。「背中が痛いといってレントゲンを撮る」のもほとんど半年もすれば痛みがなくなるとして過剰医療として挙げていた。更に血管のスタント挿入手術や、ワクチンの抗癌治療など、通常の医療としているものも学術的に治療効果等がないとして過剰医療に当たるようだ。
日本のネットを見ていて面白いと思ったのは、今まで気がつかなかったのだが、どうも日本中で牛肉が消費されるようになっていることである。私が知っている限り関東での牛肉消費量はドイツにおけるそれとあまり変わらないとの印象を持っていた。豚肉主体の食生活で、一年に一度消費するかどうかぐらいの家庭が一般的で、関西から来た者にとっては驚いたものだった。なにもそれにあわせたつもりはないのだがワイン街道に住むうちに豚食文化を学んで、自宅で牛肉を食するのは旗日よりも少なくなった。外食でも倍ほどの価格になるので、どうしても遠のくのは経済の力である。
なるほど日本では牛丼のチェーン店などを訪問したこともあるが、その後のBSE騒動の時も話題になっていて、結局は工業化された合衆国等からのホルモン入りの牛肉が、旗日ところかホームレスのような人々の食事を牛肉で支えていたとは気がつかなかったのである。豚よりも生産コスト的にどうなのかは分からないが、安く供給できることがそれを実証している。専門書には、野菜よりも肉類の方が安く飢えた人類に食料を必要量供給できることは書いてあるが、ハムバーガーなどと同じようにファストフードとしてそうしたものが機能しているようである。同じようにそれよりは少し価格がはっても、薬付けされて養殖された鰻も土用の牛だけでなく食せる様になってきているらしく、それも食品の工業化の表れなのだろう。
要するにそこに日本経済のデフラシオンの原因があって、連邦共和国では金融緩和政策で直ぐにインフレ傾向が生活の中で感じられるのとは大違いである。スーパーでも値札は上がって行き、特に野菜などは天候の変化が例えばキュウリ一本を60セントから150セントへと跳ね上げたりする。そのように高価になると手が出ないので安いときに購入する。ユーロが下がると、燃料費も上がる。それでも、わけの分からない食材などは、規制などだけでなく、その流通機構もあり入ってくることはないから、結局物価が上がることになる。地元の野菜市場では近隣のものが主体となるのでこれまた天候等によって、なかなか手が出ない材料が増える。
こうした食材だけでなくワインなどもある程度選択が可能なので、経済的に余裕があれば、それなりに質のよいものだけを購入すればよいのである。それなりの市場があることが基本ではあるが、我々が質に拘るというのは当然のことであって、それはスローフードの哲学の原点でもある。
参照:
自由選択の無い社会への警告 2014-10-14 | アウトドーア・環境
被曝が不健康な医療保険 2012-06-20 | 生活
スローフードの塩辛さ 2015-03-09 | 試飲百景
瑞西の交通規制行動 2006-02-09 | アウトドーア・環境
黒い森の新旧エコシステム 2012-02-15 | 料理