同軸ケーブルが届いた。発注してから周辺の掃除などをしていた。コンヴァーターやフォノケーブルが届くまではあまり役に立たないのだが、先ずはCDプレ―ヤ―を繋ぐケーブルを取り換える。2mの同軸のものを入手した。同軸が良かった訳でも、ケーブル交換で音質が良くなるとも思っていないのだが、現在の延長コードよりは悪くならないということで交換した。そしてコンヴァーターを繋ぐターミナルの方のRCAプラグのオスの差し込み穴の中まで綿棒で掃除しておいた。先ずは掃除をしておいて、現在の最高の状況にしておかないと交換しても対照比較が難しくなるからだ。
フォノケーブルと違ってライン出力では短いケーブルの音質差などは殆ど無い筈だが、先ずは同軸によってノイズが減りSN比が下がったかどうかをチェックしてみる。もともとそれらしいノイズは無かったのだが、比較してみると高域は涼しくなっただけだが、低域のサブウファーが出す低域ノイズが変わった。予想に反して、ノイズ域の周波数が上がって下が無くなっていた。理由は定かではないが50Hz電源による誘導由来のものだろうか。それが消えて、逆に上のものが残っているのは分かった。これはサブウファーアムプ由来なのだが、少なくともノイズは減った。それよりも何よりも延長ケーブルを止めたことでの安心感というか心理的なものが大きい。これだけで十分な価値があった。結論からすると、ライン出力のケーブルの差は間違いなくあるが、少なくともMP3を素材に云々するような程度ものではなく、最低CD音質以上の差異での話である。その意味からは音付けとか何とかいうのもスピーカーケーブル程でもないのではないか。
2mの75オームRCAラインケーブルで10ユーロであるから、充分に許容できる買い物であろう。要は全体のバランスであって、同じように完璧ではないターンテーブルに高級のフォノケーブルを取り付けても意味がない。フォノアムプにバランス出力も付いているのだが、これもライン出力と同じで余程長いケーブルでも引き回さない限り効果はないであろう。なぜ入力がバランス接続になっていないのかが理解できないのだが。
実際にお勉強中の楽劇「マイスタージンガー」のCDを流してみると、トュティの分離がよくなり、音場感が大分ゆったりしてきて、ホルンの息遣いなどがよく分かるようになった。今までは良質録音の筈なのに団子気味になっていたので、管楽器や内声部が大分聞き取れるようになって演奏の印象が大分変わった。
それにしてもこの曲がこれだけ難しいとは気がつかなかった。「トリスタン」はもっと梃子摺るかと思っていたが、この曲に比較すると「ジークフリート」や「神々の黄昏」などはお茶の子さいさいである。日本の解説にあるような指示動機のおさらいぐらいでは到底理解できない動機間の関連を抑えていくと徹底的なアナリーゼをするまでもなく頭を悩ませることになる。解説されているような指示動機を頼りに楽劇を聞いているだけでは、「ジークフリート」の後半から「神々の黄昏」、それ以降の創作はいつまでも把握できないに違いない。そうした作業を見込んで揶揄するかのような楽匠のユ-モア溢れるその筆捌きを見ていると、自らの修羅場を芸術に変えてしまう強かな人間性に触れる想いがする。
寧ろ今回問題に感じたのは、この録音が可成りの製作費を掛けて可成り限界域での仕事をしていることで、折角劇場から出てマイクロフォンをセットしているに拘わらずマルティマイクロフォンの位相合わせがもう一つ詰められていないことだろうか。演奏水準に合わせたとするとその通りかもしれない。
参照:
同軸ケーブルを物色する 2016-04-26 | テクニック
思わず感動するお勉強 2016-04-29 | 音
フォノケーブルと違ってライン出力では短いケーブルの音質差などは殆ど無い筈だが、先ずは同軸によってノイズが減りSN比が下がったかどうかをチェックしてみる。もともとそれらしいノイズは無かったのだが、比較してみると高域は涼しくなっただけだが、低域のサブウファーが出す低域ノイズが変わった。予想に反して、ノイズ域の周波数が上がって下が無くなっていた。理由は定かではないが50Hz電源による誘導由来のものだろうか。それが消えて、逆に上のものが残っているのは分かった。これはサブウファーアムプ由来なのだが、少なくともノイズは減った。それよりも何よりも延長ケーブルを止めたことでの安心感というか心理的なものが大きい。これだけで十分な価値があった。結論からすると、ライン出力のケーブルの差は間違いなくあるが、少なくともMP3を素材に云々するような程度ものではなく、最低CD音質以上の差異での話である。その意味からは音付けとか何とかいうのもスピーカーケーブル程でもないのではないか。
2mの75オームRCAラインケーブルで10ユーロであるから、充分に許容できる買い物であろう。要は全体のバランスであって、同じように完璧ではないターンテーブルに高級のフォノケーブルを取り付けても意味がない。フォノアムプにバランス出力も付いているのだが、これもライン出力と同じで余程長いケーブルでも引き回さない限り効果はないであろう。なぜ入力がバランス接続になっていないのかが理解できないのだが。
実際にお勉強中の楽劇「マイスタージンガー」のCDを流してみると、トュティの分離がよくなり、音場感が大分ゆったりしてきて、ホルンの息遣いなどがよく分かるようになった。今までは良質録音の筈なのに団子気味になっていたので、管楽器や内声部が大分聞き取れるようになって演奏の印象が大分変わった。
それにしてもこの曲がこれだけ難しいとは気がつかなかった。「トリスタン」はもっと梃子摺るかと思っていたが、この曲に比較すると「ジークフリート」や「神々の黄昏」などはお茶の子さいさいである。日本の解説にあるような指示動機のおさらいぐらいでは到底理解できない動機間の関連を抑えていくと徹底的なアナリーゼをするまでもなく頭を悩ませることになる。解説されているような指示動機を頼りに楽劇を聞いているだけでは、「ジークフリート」の後半から「神々の黄昏」、それ以降の創作はいつまでも把握できないに違いない。そうした作業を見込んで揶揄するかのような楽匠のユ-モア溢れるその筆捌きを見ていると、自らの修羅場を芸術に変えてしまう強かな人間性に触れる想いがする。
寧ろ今回問題に感じたのは、この録音が可成りの製作費を掛けて可成り限界域での仕事をしていることで、折角劇場から出てマイクロフォンをセットしているに拘わらずマルティマイクロフォンの位相合わせがもう一つ詰められていないことだろうか。演奏水準に合わせたとするとその通りかもしれない。
参照:
同軸ケーブルを物色する 2016-04-26 | テクニック
思わず感動するお勉強 2016-04-29 | 音