ヘッセン州やバイエルン州では前のあるイスラム過激派に無線足環を義務付けるようだ。性犯罪者に使われているものは仕方がないと思うが、これで事件を起こさないようになるのかどうか、その効果が問われる。両者に似ているところは、通常の理性ではどのようにしても矯正できない犯罪傾向があることだろう。欧米の無差別爆撃などがイスラミストを過激にしていることは間違いないだろうが、性犯罪者は政治犯ではないにしてもイスラミストは政治犯ではないのだろうか?それとも狂人なのかは分からないということか?二重国籍を持った者は、軍事行動準備をしたことで、国籍を剥奪するとすることは構わないだろう。
こうしたAfDの主張にも応じた政策がとられる一方、マンハイムなどではモスクではドイツ語が説教等に使われているとラディオは伝えていた。マンハイムはドイツのイスタンブールとしても有名であるが、そのモスクは古く最大規模といわれる。ドイツ語しか喋れない者が多く、トルコ語もアラブ語も出来なければ当然のことだろう。ドイツ社会との融合が進められていて、モスクへの招待や隣人との交流などが盛んに勧められているという。それどころかAfDの政治家などを招聘しての意見交換会なども企画されているというから本格的である。なるほどマンハイムのダイムラー社の支店に出かけてもトルコ系のマイスターも活躍しているのは当然といえば当然である。まさか彼らが過激な思想に染まるなどは考えられないのである。
先週は寒さに拘わらず三回は何とか走ることが出来た。距離はいつもと同じだったが、スピードは比較的出た方ではないだろうか。理由は分からないがショーツで走り切っていることが大きいだろう。日曜日は峠登りで、登りで20分を切っただけだが、なぜか駐車場に戻って33分24秒は感覚よりも大分早かった。降りがけに考え事をしていると足を取られて痛めた左足首を捩じったが、今のところ大事には至らなかった。
日本のネットを見ていると面白い。日本テトラポットが蓋付きの入物を開発したとか書いてある。私の記憶する限りスーパーで購入するミルクの蓋付き以外には記憶が無い。それ以前は蓋がついていなかったことなど記憶にないほど昔からある。一体どこが違うのだろうか?どうも日本のニュースは国内外ともの内容に眉唾物が多い。因みに私の購入している生ミルクは油脂3.5%と贅沢品で、リッター70セントぐらいである。
フォノケーブルを交換するのでその前に点検調整をした。トーレンス社の中級品レコードプレーヤーの最大の問題点は、回転系の雑音である。ネットを見るとモーターを外してばらして調整しているが、時間が無いと難しいので、先ずはターンテーブル周辺を審査する。気がついたのはレコード盤に沿って針先が上下する周期が悪いようで、先ずはシートを薄くして、出来るだけ高さを減らすようにする。それ以上にターンテーブルがベルトに引かれるように若干動いているのがいけない。これを矯正するために、ベルトの掛かっているモーター軸に固定されているプーリーを外して、付け直す。今まではプーリーが軸受に触れないように十分な高さを取っていたのだが、出来る限り低く固定する。そしてジョン・ケージの弦楽四重奏曲を流すと、感じていたMCカートリッジのか細さが補強された感じで力強く響いた。ベルトの位置が下がったことで、ターンテーブルの振動の抑えが効くようになってSN比が向上したのだろう。問題の雑音も目立たなくなってきた。更にターンテーブルの受けを掃除して脂を塗り替える。
今度は武満徹が1970年代にアンサムブル「タッシ」のために作曲した曲集を流す。静音も多く、テストには都合が良い。気がつくのは当時の録音もサーノイズが多いものと、ノイズリダクションが掛かっているような二種類があって、ノイズが少ないものは余計に低いところでの回転音が目立つ。録音空間の暗雑音か、ターンテーブル上の振動かが分からなくなるぐらいに抑えられれば満足としなければいけないだろう。先日もdbxについて触れたときも同じような感じを抱いたのだが、デジタル録音に慣れるとノイズ成分が気になるようになってきていて、如何にそれから沸き立つ音楽信号を捉えるかにアナログ再生の真骨頂があるようだ。様々な雑音が聴空間を含めて音楽再生には隠されていることは確かなのであるが、何をその楽音に求めるかの相違である。武満のこれらの曲は当時のネオロマンティズムのジョージ・クラムあたりの作品よりもよいのかもしれない。
参照:
取るに足らないAfDの自由 2016-04-25 | マスメディア批評
同軸RCAラインケーブル 2016-05-02 | 音
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活
こうしたAfDの主張にも応じた政策がとられる一方、マンハイムなどではモスクではドイツ語が説教等に使われているとラディオは伝えていた。マンハイムはドイツのイスタンブールとしても有名であるが、そのモスクは古く最大規模といわれる。ドイツ語しか喋れない者が多く、トルコ語もアラブ語も出来なければ当然のことだろう。ドイツ社会との融合が進められていて、モスクへの招待や隣人との交流などが盛んに勧められているという。それどころかAfDの政治家などを招聘しての意見交換会なども企画されているというから本格的である。なるほどマンハイムのダイムラー社の支店に出かけてもトルコ系のマイスターも活躍しているのは当然といえば当然である。まさか彼らが過激な思想に染まるなどは考えられないのである。
先週は寒さに拘わらず三回は何とか走ることが出来た。距離はいつもと同じだったが、スピードは比較的出た方ではないだろうか。理由は分からないがショーツで走り切っていることが大きいだろう。日曜日は峠登りで、登りで20分を切っただけだが、なぜか駐車場に戻って33分24秒は感覚よりも大分早かった。降りがけに考え事をしていると足を取られて痛めた左足首を捩じったが、今のところ大事には至らなかった。
日本のネットを見ていると面白い。日本テトラポットが蓋付きの入物を開発したとか書いてある。私の記憶する限りスーパーで購入するミルクの蓋付き以外には記憶が無い。それ以前は蓋がついていなかったことなど記憶にないほど昔からある。一体どこが違うのだろうか?どうも日本のニュースは国内外ともの内容に眉唾物が多い。因みに私の購入している生ミルクは油脂3.5%と贅沢品で、リッター70セントぐらいである。
フォノケーブルを交換するのでその前に点検調整をした。トーレンス社の中級品レコードプレーヤーの最大の問題点は、回転系の雑音である。ネットを見るとモーターを外してばらして調整しているが、時間が無いと難しいので、先ずはターンテーブル周辺を審査する。気がついたのはレコード盤に沿って針先が上下する周期が悪いようで、先ずはシートを薄くして、出来るだけ高さを減らすようにする。それ以上にターンテーブルがベルトに引かれるように若干動いているのがいけない。これを矯正するために、ベルトの掛かっているモーター軸に固定されているプーリーを外して、付け直す。今まではプーリーが軸受に触れないように十分な高さを取っていたのだが、出来る限り低く固定する。そしてジョン・ケージの弦楽四重奏曲を流すと、感じていたMCカートリッジのか細さが補強された感じで力強く響いた。ベルトの位置が下がったことで、ターンテーブルの振動の抑えが効くようになってSN比が向上したのだろう。問題の雑音も目立たなくなってきた。更にターンテーブルの受けを掃除して脂を塗り替える。
今度は武満徹が1970年代にアンサムブル「タッシ」のために作曲した曲集を流す。静音も多く、テストには都合が良い。気がつくのは当時の録音もサーノイズが多いものと、ノイズリダクションが掛かっているような二種類があって、ノイズが少ないものは余計に低いところでの回転音が目立つ。録音空間の暗雑音か、ターンテーブル上の振動かが分からなくなるぐらいに抑えられれば満足としなければいけないだろう。先日もdbxについて触れたときも同じような感じを抱いたのだが、デジタル録音に慣れるとノイズ成分が気になるようになってきていて、如何にそれから沸き立つ音楽信号を捉えるかにアナログ再生の真骨頂があるようだ。様々な雑音が聴空間を含めて音楽再生には隠されていることは確かなのであるが、何をその楽音に求めるかの相違である。武満のこれらの曲は当時のネオロマンティズムのジョージ・クラムあたりの作品よりもよいのかもしれない。
参照:
取るに足らないAfDの自由 2016-04-25 | マスメディア批評
同軸RCAラインケーブル 2016-05-02 | 音
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活