眠かった。零時半頃に帰宅して、軽く食事をして、ビールとワインを飲んで就寝した。金曜日も試飲会で、木曜日のボールダーから週末まで続いた。天気が良いから活動的でないとおかしいが、朝のランニングも体を解すためにも無理をしてでもゆっくりと走った。途中から擦れ違うジョッガ―などと挨拶しているうちにスイッチが入った。復路では競歩かランニングかわからない人に擦れ違った。あの速さで競歩だとすると本格的だ。もしかすると追い付かれるかもしれないと思うとひやひやした。流石に競歩に負けると心が折れる。しかし世界記録などを見ているととんでもない早さなのである。日曜日の予定を考えながら走り出したのだが、途中で忘れてしまった。先ずは、楽劇「マイスタージンガー」二幕のお勉強を終わらせたい。先ず最初にハーヴティをたっぷり作っておこう。
ベルトドライヴターンテーブルのハードチューニングで覚書をしておかないといけない。終了宣言のつもりだ。限が無いからである。既にテーブルの軸受けの掃除はしたのだが、どうもまだテーブルを乗せるプラスティックの小テーブルの回転がもう一つ安定性が無いように感じた。引き抜くときに抵抗があるサイドがあって、どこかにささくれのようなものがあるのかも知れない。理由は分からないのだが、製造行程での個体差があるのだろう。そこでもう一度綿棒とアルコールでグリスを綺麗に拭ってみる。更に小テーブルの方を水洗いして、特にベルトが掛かる部分を油気がつかないように綺麗に拭る。グリスをつけて差し込むとささくれはあっても以前よりは摩擦抵抗が少なくなっている。そしてなによりもベルトが掛かる小テーブルのこばの抵抗が強くなっていることに気がついた。これは駆動部であり想像以上に重要な部分であることに気がついた。ゴムの方は耐久性を考えて精々埃を拭うぐらいにしておく。
結果、予想以上にターテーブルの回転が見た目にも落ち着いて来た。要するに独楽のように動かなくなってきた。それは音質においても更にゴロ音が隠されて、針音とテープヒスの差異が薄らいでいく。しかし同時にCDに比較すると接近マイクロフォンならばまだまだ演奏上の奏者の動きまでは浮かび上がらなく、無指向性のマイクロフォンならばまだまだ録音会場の近くの交差点などの暗雑音が充分に分離して聞こえない。日本に長岡鉄男というオーディオ評論家が居て、試聴の経験からかB級録音として暗雑音の沢山入っている録音などを推薦していた。なるほどデジタル時代になってからは容易であるが、LP時代においては遮音性の高い大ホールを使った録音などでは最寄りの交差点の信号の変わり目まで認識するのは至難の業であったろう。レコードプレーヤーとしてのチューニングが行き届いていないと難しい。
もう一度ピューリーを外して、清掃後その回転精度を見る。ピューリーを綺麗につけたいのだが、その高さや締め具合などなかなか職人的な感覚が必要だ。モーターシャフト自体がどうしても動くのでピューリーの回転を綺麗にするのも難しい。出来る限りシャフトの根元の方で綺麗に固定するしかないのである。45回転レコードもまともに鳴るようになったところで終了。これで新ケーブルでSN比が向上すると嬉しい。それが叶わないと、音が音楽がしっかりと前に出てこないのである。なにも今更アナログプレーヤーに精を出す必要などは毛頭ないのだが、大分CDとLPの差異が縮まって来て面白いと思った。新しく入手したCDの内田光子のピアノソナタを流していると、LPかと勘違いするようになってきた。
参照:
打ち消すコリオリの力 2016-05-04 | 雑感
今こそターンテーブルの時 2016-05-03 | マスメディア批評
ベルトドライヴターンテーブルのハードチューニングで覚書をしておかないといけない。終了宣言のつもりだ。限が無いからである。既にテーブルの軸受けの掃除はしたのだが、どうもまだテーブルを乗せるプラスティックの小テーブルの回転がもう一つ安定性が無いように感じた。引き抜くときに抵抗があるサイドがあって、どこかにささくれのようなものがあるのかも知れない。理由は分からないのだが、製造行程での個体差があるのだろう。そこでもう一度綿棒とアルコールでグリスを綺麗に拭ってみる。更に小テーブルの方を水洗いして、特にベルトが掛かる部分を油気がつかないように綺麗に拭る。グリスをつけて差し込むとささくれはあっても以前よりは摩擦抵抗が少なくなっている。そしてなによりもベルトが掛かる小テーブルのこばの抵抗が強くなっていることに気がついた。これは駆動部であり想像以上に重要な部分であることに気がついた。ゴムの方は耐久性を考えて精々埃を拭うぐらいにしておく。
結果、予想以上にターテーブルの回転が見た目にも落ち着いて来た。要するに独楽のように動かなくなってきた。それは音質においても更にゴロ音が隠されて、針音とテープヒスの差異が薄らいでいく。しかし同時にCDに比較すると接近マイクロフォンならばまだまだ演奏上の奏者の動きまでは浮かび上がらなく、無指向性のマイクロフォンならばまだまだ録音会場の近くの交差点などの暗雑音が充分に分離して聞こえない。日本に長岡鉄男というオーディオ評論家が居て、試聴の経験からかB級録音として暗雑音の沢山入っている録音などを推薦していた。なるほどデジタル時代になってからは容易であるが、LP時代においては遮音性の高い大ホールを使った録音などでは最寄りの交差点の信号の変わり目まで認識するのは至難の業であったろう。レコードプレーヤーとしてのチューニングが行き届いていないと難しい。
もう一度ピューリーを外して、清掃後その回転精度を見る。ピューリーを綺麗につけたいのだが、その高さや締め具合などなかなか職人的な感覚が必要だ。モーターシャフト自体がどうしても動くのでピューリーの回転を綺麗にするのも難しい。出来る限りシャフトの根元の方で綺麗に固定するしかないのである。45回転レコードもまともに鳴るようになったところで終了。これで新ケーブルでSN比が向上すると嬉しい。それが叶わないと、音が音楽がしっかりと前に出てこないのである。なにも今更アナログプレーヤーに精を出す必要などは毛頭ないのだが、大分CDとLPの差異が縮まって来て面白いと思った。新しく入手したCDの内田光子のピアノソナタを流していると、LPかと勘違いするようになってきた。
参照:
打ち消すコリオリの力 2016-05-04 | 雑感
今こそターンテーブルの時 2016-05-03 | マスメディア批評