Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

碧眼に気づくとき

2016-09-28 | 
視線を絡ませたとか書いた。それがどうだろうか、なにも見ていなかったのかもしれない。そんなことがあるのだろうか?一体何を見ていたのだろう。ユリアの眼が碧眼だとは気がつかなかった。まさか着色コンタクトレンズを入れているとは思わないのだが、なんとなく茶系と思ったのは何故なのか。光の加減で若干変わるのかもしれない。

所謂虹彩の色はつまりアイリスの色は、瞳孔が開くことで目立たなくなるという事が分かった。交感神経・副交感神経が、其々瞳孔を開け、またそれを縮めることにアドレナミン作動性とコリン作動性がホルモン分泌で調整されているので、虹彩が目立たなかったり目立ったりとなるようだ。

なるほど今までは瞳孔開かれっぱなしの興奮状態で視線を絡ましていたことになるのだが、偶々その時は閉じられる方向にあったという事で、どのような神経が働いていたのかは分からない。しかし、こちらの方は開かれっぱなしだった筈だ。無意識にこのようなときは女性の警戒心のようなものを感じるのだが、最終的に相対するときには再び虹彩が目立たなかったのを記憶している。

なるほど、彼女のそぶりに以前より落ち着きのようなものがそこにあったのは事実で、関係がこれから深まっていくのかどうか、とても興味深いところである。これまでがあまりにお互いに興奮状態だったので、これは男女関係としてもあり得ない。

碧眼というのは当然寒色であるから熱気よりも冷静さを感じさせる眼の色である。今まで口説く対象となった女性を考えてみる。意外に多くはない。背後に色々な血が混ざっているとなると更に様々な色合いがあるので容易に色が特定できなこともある。寧ろマジャール系などの複雑な色の眼の方が印象に残っている。但しその色が熱を帯びていたからといってもただそれだけのことで、こちらが勝手に誤解するのに近いのだ。

そもそもドイツ女性といってもブロンド碧眼というのは北ドイツのスカンジナヴィアなどに近いところを除くとそれ程の多数ではなく、本当のブロンドも多数ではなく、この辺りでは一般的には茶色と答える。そのようなことから碧眼の印象というのも実はそれほど多くはないのである。そして今回のようになるほど印象が残っていないとはこういうことだったのかと分かった。

アングロサクソン系のスパイ小説などのベットシーンで男の碧眼のその虹彩の深さに落ちていくというような記述が良くあるが、なるほど弛緩とその時の虹彩の拡張を表現しているのである。その前後は逆に目立たないという事を語っていることにもなる。

碧眼という言葉が、比較的使われる背景には、他の複雑な色彩に比べて単純でそして普段は見落としてしまうことが多いので、そこに特別な色彩を見出すとなればそれはそれで表現になるという事のようだ。一般的には深い海だとかいう表現になるのだろう。



参照:
視線が絡むということ 2016-08-02 | 女
生への懐疑の反照 2005-11-15 | 雑感
コメント
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