Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

とても峻別し難いロマン派歌劇

2017-05-27 | 文化一般
ミュンヘンの新制作「タンホイザー」二日目を体験した。今後まだ四回の公演があり、最後のオペラフェスでのものは野外中継且つネット中継されるので、また初日の録音等が存在するので、演出面を加えて音楽面では初日との差異などを中心に先ずはメモ代わりに書き留めておこう。しかし、この作品の本質若しくはヴァークナーにおけるこの創作の意味合い否ドイツェロマンティックにおけるこの創作の意味合いについては触れざるを得ない。

演出面を加えてと書いたが、音楽面とこれを峻別するのは難しい。それは、声楽と奈落にある管弦楽を峻別するのにも似ている。今回の立見席は視覚的には悪くはなかったが、音響的には決して良くはなかった。だから序曲から、その演奏の細かなところも十二分には聞き分け難く、そのテムポも初日よりも遅く感じた。そのような控えめな座付き管弦楽の響きを耳にすると同時に、おっぱい丸出しのバレー団が次から次へと登場するので、我々のような百銭練磨の強者でも、折角の音楽に心が中々回らない。

この演出を観ていると、バイロイトの音楽を邪魔にすると言われたカストロフ演出を思い出さずにはいられなかった。しかしそれに比べると情報量は少ないので、批評にもあったように目を瞑っておけばよいかと言えば、なかなかそうはいかない。何といってもエロスである。

そうこうすると今度はまた誰もが触れなければいられないエレーナ・パントラコーヴァが歌うヴィーヌスの丘の場面で、中々難しい歌を歌うのだが、それ以上に奈落の弦と木管の掛け合いなどが驚くべきバランスで吹いているのを聞いて、初日の放送事故の中継では聞こえていなかったものを確認する。そしてラディオでこそ聞けなかったのは、舞台裏のブラスバンドであり、当然ながらのその位置感でありその音響効果なのだが、愈々巡礼での合唱でのそれは圧倒的で、ここにきて漸く管弦楽団がそれ相応の大きさであり、ロマンティシェオパーとしてのバランスが示されているのを認識する ― 正直そこまではNHKホールの方が綺麗に鳴るのかもしれないが、東京では一幕後に高額席を捨てて立ち去る人も出るのではないかと思ったぐらいである。

しかし、この公演はそれだけでは到底済まなかった。つまり二幕になると管弦楽を抑えた効果が明白になってきて、二場のヴォルフラムの「静かに」の指定のある叙唱の効果などまるで彼のストラ―ラー演出の紗の中で演じられる「シモンボッカネグラ」を思い起こさせる遠近効果が甚だしかった。勿論そのスーパーオパーの歌唱技術が際立つということでもある ― FAZなどではリーダー風に口を開けずと揶揄されている。 

そしてゼンガークリークの場面から二幕のフィナーレへと進むのだが、そこだけについて言及するだけで、論文を二つ三つ書くに充分なほどの内容が示されていた。それは圧巻だった。(続く



参照:
昇天祭のミュンヘン行 2017-05-26 | 暦
先ずは週末までを準備する 2017-05-25 | 生活
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