Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ずぶ濡れの野良犬の様

2018-09-03 | 
水曜日のことを、どのように思い出したらよいのかわからないのであるが、僕のルツェルン訪問の最初の夜だった。演奏会が引けて雨の街へと足を向けると、突然雨脚が強くなった。私はずぶ濡れの腹を空かした野良犬のように駅の近くをさ迷い歩いた。雨脚が弱くなって横道を覗いていると、すると後ろから二人連れの男が傘もささずに歩いて来た。後ろを振り返ると、フィルハーモニカーの第一コンツェルトマイスターで当晩は二番を弾いていたベンディックスバルグリーとその右にとっちゃん坊やのようなヴェンツェル・フックスだった。直ぐに誰かは分かったが、「ヴェンツェル」しか浮かばなかった。それも苗字か名前かも分っていなかった。フックスはソロを吹いていたので声を掛けても良かったのだが、アルブレヒト・マイヤーのような係わりが無い。マイヤーだったら共通の知人などの話をしていたと思う。

野良犬のように街をうろつくなど十代の頃か精々二十歳代の頃にしか記憶が無い。そもそも俄か雨で歩道に水が溜まっていて、雨の日には履かないようにしている一張羅の靴が水に浸かりそうだった。僕は一体どうなってしまったのだろうか。僕がその時なにを考えていたか忘れた。いずれ、今晩の夜食にありつけるだろうかとか、そう言う自分でも意味の分からぬようなやくざな思いで頭を満たしていたのだろう。それほど動揺していた。放送で見聞きしていて納得していたその演奏の想定を遥かに超えていたからだ。そして僕は道頓堀の小林秀雄ではない。幻聴を聞くことも無い。

一曲目の「ドンファン」から度肝の抜かれた。否、演奏前の入念なコントラバスの試奏が音程も正確に腹に響いて来て、その座席に迫真をもって響いていた。だから、その殆ど喧しいほどの音響はルツェルンの小さな会場には大き過ぎるほどで十二分に鋭かった。なるほど最初の立ち上がりのホルンなどは安定性に欠けていたが、その後の上ずったような朝顔を上に振っての奏法でリスクを厭わなかったステファン・ドールのエロ表現はあまりにも直截だった。このメムバーで「ばらの騎士」を演奏するとどうなるのだろう。驚きとスリル満載だ。別けられた弦楽の音響も芯があり、如何に正確に弾いているかが分る。そして金管の凝縮した響きは復活祭のラトル指揮からは聞かれなかったものだ。指揮が異なるだけでなくて、響きの芸術的な格が全く違う。昨年のミュンヘンの劇場との日本デビュー公演において、「ペトレンコは強音を出さない指揮者」だとかとんでもないことを書いていた音楽ジャ-ナリストがいたが、音楽のアンサムブルと音量の関係も理論どころか経験的にさえ把握していないような人物が日刊紙に書いている日本の不思議を思う。日本ほどそうした理論が巷で流通している国は無い筈だからだ。それどころかミュンヘンの座付き楽団が身の丈に合っているというような言いぐさをしたジャーナリストには新べルリナーフィルハーモニカー初日本公演については一切書かせるなといいたい。どうせ何も分らないのだから、豚に真珠である。

二曲目の「死と変容」も鋼の高弦の響きが今までの様々な指揮者から聞いたどれよりも明白で、まさに音響の芸術化していたのは事実で、ある意味フォンカラヤンのリヒャルト・シュトラウスを完全に凌駕していた。勿論、それはフランソワ―ザビエー・ロートのシュトラウス解釈と同方向でありながら、あのショルティーが幾ら分析的に鳴らしても無しえなかった音楽的な意味を明白にしたという点で、決定的な演奏解釈だと思う。そして、フィラデルフィアでのように前の曲ではオルガンの響きは聞かれなかったが、ここで本当にそれが聞かれた。基本ピッチと管と弦の合わせ方の問題があるにしても鳴る時には鳴った。楽譜を分析してみなければいけない。

全奏からのゲネラルパウゼ、益々凄みを増してきた。間である。ルツェルンの1600席ほどの小さなホールが嫌というほど鳴るのはタッパが高く一人当たりの容積が充分に大きいからだろうが、地元の新聞がこのホールの為に作曲されて、演奏されたようだという気持ちはよく分かった。それは、休憩後の七番イ長調が、それまでの大編成から小さくなって完全に鳴り切るのを称した言葉である。

後半により刈られた編成の曲を持ってきたその自信にはそれだけの音響的な根拠があったのだろう。二日目にも決して喧しくは響かなかった鋭いEの響きが冒頭にあって、cを挟む経過からAの収まりは放送では全く感じなかったものだ。そして二日目にはCへと落ち着く。この構成はプロムスで壊されたのはワンのスケデュールではないかと思うが、少なくとも土曜日のプロムでのプロコフィエフは一番優れていた。さて日曜日はどのような展開になるか。

ルツェルンにおいてはあり得ないほどの雄弁な管弦楽が、新聞にもあったように解放弦も鳴らしながらの中庸な演奏実践と、その柔軟な指揮で、現代のべートヴェン交響曲演奏から想定もしなかったような音響だった。新聞の言葉を借りると「革命的」な強烈な響きで、その和声のぶつかりは殆どプロコフィエフと比するようで、同時に後期のピアノソナタの深い佇まいを漂わせつつ、本番四日目となるとリスクを厭わないアッチェランドを掛けて来るのは劇場でもお馴染みの僅かづつの楽員との信頼関係がなせるものだった。あの二楽章の独特の境地は、葬送などという俗なものではなかろう。弦楽四重奏曲やソナタなどでお馴染みの完全に狂った楽聖の姿がここにある。僕はフルトヴェングラーの戦中戦後の録音でしかこれほどまでに革新的な交響曲を今まで聞いたことが無かった。放送では肝心のところが掴めていなかったことが僕は悔して悔しくて仕方が無かったのである。そしてずぶ濡れになりながら野良犬のようにルツェルンの夜の街を彷徨したのだった。



参照:
職人魂に火をつける人 2018-08-27 | 文化一般
芸術を感じる管弦楽の響き 2018-09-02 | 音
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