Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

カメラに譲った座席

2018-09-26 | 生活
ミュンヘンの劇場から電話があった。先日からあの辺りからの番号で電話が掛かったので不思議に思っていた。携帯電話と両方鳴る場合は関係者だ。そのまま放っておいたら再び二回鳴ったので出た。要するにレジデンスとかの場所であるから公館からの電話だと分かっていたが、なにもバイエルン州で悪いことをした覚えが無いと考えていたのだ。小心者であるからどうしてもまた訴訟とか金でも請求されるのかとびくびくする。

劇場がフォークトが歌う歌わないで電話を寄こすことは無いと思った。そもそもメールが分っているのだから予定変更などはそれで連絡が来る。だから不思議に思っていた。見学にも申し込んでいるので何か特別な用件があるのかなとも一瞬思ったが、カメラが入るという事で、なるほどカメラに映るから注意しろということかなと早合点していると、どうも私が邪魔になるという事だった。それぐらいいい席を与えてくれていたのである。つまりそのカメラから映るのは私が観る筈だった光景だ。これは仕方が無い。向こうが選んでくれた席であり、最上の席を選んで呉れていたのだが、カメラに譲れと言われれば、記念映像が残ることであり私が独り占めするよりも公共的な歴史的な芸術価値が高い。私には観た光景を文章にする力も無い。そこで代替は、どこがいいかとなったので勿論そのままバルコンである。方向が少し変わり、フォークトの表情は見難くなるがコッホの表情は指揮者と同じように観れるようになる。そして音響的にはよくなる筈だ。「他にも電話しなければいけないから」と言っていたから、大分大掛かりな撮影になるようだ。兎に角、まだここ二三年は集中的なお付き合いが続くので、幾らかは貸しを作っておくぐらいでいたい。まだまだ、ここぞという時が訪れる筈だ。

こうして日曜日の公演のことを具体的に頭に描くと興奮して来た。仕事が手に付かなくなる。それでも楽譜を見て行く時間も無いので、先ずは木曜日のベアヴァルトの交響曲を開いた。思っていたよりもへんてこな交響曲だった。60回も指揮しているブロムシュテットはシューマンとは違うと比較しているが、あの如何にも素人臭い綴り方はブルックナーとシューベルトの間のようでもあるが、しかしその素朴の中に耳を傾けるものもある。これはどうも生演奏を聴かなければ始まらない。後半のドヴォルジャークの方はバーデンバーデンのYouTubeに既にガイダンスが流れていた。ブラームスが珍しく賞賛していた作曲家であり、その三楽章の旋回の動機を扱っていて、そのブラームスの三番にもあるそれは糸を紡ぐの歯車ということだ。勿論動機をそのメカニックな動きと対置することは良いのだが、そこには和声のシステムがあることを無視してしまえない。この辺りが造形美術の分析と異なる音響の物理現象だ。
Antonín Dvořák Sinfonie Nr. 7 d-Moll op. 70 - Klassik in drei Minuten


中秋の名月という事で窓を開けて例年のように撮影した。早めの時は雲の後ろで見えなかったが、上空は晴れていた。今年はとりわけ寒い。翌朝も森の中を走っていると日陰が続いて凍りそうになった。まだまだ外気温は摂氏数度あるが、今年は寒い。九月は私が知る限り最も暖かい九月となった。この夏は乾燥していて陽射しを避けている限りとても過ごしやすかった。この乾燥が続くととんでもなく冷えるかもしれない。アイスヴァイン収穫も早いと思う。

木曜日から週末への服装を考える。折角洗濯を急がせた夏用のピピンのシャツは要らなさそうだ。冬のシャツを考えていなかったので、慌てている。これは新しいシャツを下ろすべきかと思う。週末はカメラも入るのでおかしなように目立ちたくはないので少し考えている。とは言っても初日でもないので黒蝶タイをするまでの必要も無い。まだ冬服という訳ではなく、本来ならば最も融通が利く筈なのだが、この夏一番の薄着で出掛けたのが先週だから、衣替えが必要になった。



参照:
予想を裏切って呉れる 2018-07-12 | 文化一般
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
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