Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

少しだけでも良い明日に!

2018-09-16 | 文化一般
ヘルベルト・ブロムシュテットのご講話である。

本来ならばアンコールだろうが、「エグモント」序曲の音とはどうだろうと始める。その力と対比。最初のこの音を聞いただけで、楽団が分るだろう。トスカニーニとNBCならと、フルトヴェングラーとベルリンならと唸る。何時ものこの人の講話が始まり、好きな人には堪らない。それを受ける慈悲のヴァイオリンがと続く。そしてべートヴェンの音楽の性格へと進む。

それとは打って変わって次に演奏するベルリオーズへと移り、如何に異なるか。メンデルスゾーンとはローマで知り合い、全く異なる音楽ながら、ライプチッヒへと招聘される経緯が当夜のプログラムに記載されている。これだけ大きな編成になるとどのように合わせられるのか60年間指揮者をやっていても分からぬと、お互いに聞き合うことの重要性を話す。そこにまたザクセン人の特徴があって、練習の十時の十分前には既に集まっていて、三分前にはイ音が鳴らされていると話す。

ここでモットー。そして如何にベルリオーズとメンデルスゾーンの世界が異なっていて、方や麻薬と自殺の世界であり、所詮外国の趣味だからと理解できる筈もなかったのだった。しかしベルリオーズは、ライプチッヒの楽団やホールだけでなくそこの定期にも敬服していく。そして再びモットーである。

ここにいる人たちは一つのポストを勝ち得たエキスパートの一人一人で、その人達が更に美しく演奏しようとして飽くなき向上心をもって演奏することがモットーであるという。つまり今日よりも明日の方が少しでも良くなるというモットー。

ザクセンに関しては、13歳の時に祖父の農家で聞いた有線からの調べが忘れられなくなったという。カール・ベーム指揮シュターツカペレが演奏したレーガーのモーツァルト変奏曲だ ― まさにこれはペトレンコ指揮に関して指摘されたコムパクトそのものの独墺音楽の核だ。そしてコムニスト政権下のシュターツカペレに招聘された時もとても躊躇したという。それでも引き受けて、最初のライプチッヒ訪問は、楽譜商ボード・ベッカーを訪ねた1970年である。それで西側で散々探し求めた楽譜がそこの天井まで積み上げられた束から取り出されるのを見て、ここは文化の国だと確信したという。

そして最後に四度、なぜロスフィルがサンフランシスコよりも全てに恵まれているのにも拘わらずの答えとして、我々の共通の目標である今日よりも良くなる明日への意識の有無だと結論する。

要するに、ブロムシュテットの講話の核心は、私が今年になってからミュンヘン座付き楽団とベルリンの楽団に関して何度も述べたことでしかない。啓蒙思想的な考え方に他ならないが、飽くなき向上心以外に芸術などは、美などはそこに存在しない。当然のことである。

ゲヴァントハウス管弦楽団とシュターツカペレドレスデンの合同演奏は、ブロムシュテットの指揮のもと別途に演奏するほどしっくりしていなかったかもしれない。余計にブロムシュテットの指揮の締まらなさが如実に出ていて、実際にザクセンの演奏は拍を細かく数える必要も無く感覚だと放言する、その実力通りだが、それをここで批判する気持ちなどは毛頭起こらない。なるほどゲヴァントハウスよりも艶のある音が鳴る反面、しっくりこない結果になっていた。如何にシュターツカペレが座付き管弦楽団という事も良く分かる。

しかし最後にはスタンディンオヴェーションとなった。同僚のベルナルト・ハイティンクのように杖も突いていない。この指揮者がどのような指揮者であったか、この特別な演奏会だけでも十二分に記録されると思う。ここにこの指揮者の全てがあったように思わせる演奏会だった。



参照:
職人魂に火をつける人 2018-08-27 | 文化一般
「白鳥の歌」は常動曲の主旨 2017-05-11 | 音
シーズン前に総括される 2016-09-25 | 文化一般
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事
平和、寛容への合同演奏 2018-09-11 | 歴史・時事
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飛んで火にいる夏の虫

2018-09-16 | 雑感
「オテロ」のティケットが届いた。そしてサイトを覗いた。なぜならば私の購入した10日分が簡単に売り切れになっていなかったからだ。それがどうだろう。一挙に最後の分まで売り切れになっている。つまり、一般発売以外の配券申し込みは時期を繰り上げて終えている。初めてのことだと思う。理由は全く分からないが、通常は第二第三希望分を入れると最後までの数がもう余っていないことになる。全く分からないのは、印象としては高価になった分、またヴェルディであるゆえに、申し込みが殺到していない印象を得ていたからだ。それがどうだろう。個人的に通常は最初の方から申し込むのだが日程的に難しいために今回は後半から申し込んだ。幸運にも配券されたとなる。通常は初日も捨てていたが、これからは初日も狙った方が安全かもしれないとも思った。それでも来年の7月分まで外してあるので、なにか間違いなのかもしれない。その一方23日の「マイスタージンガー」がまだ残っているのが不思議だ。

その「マイスタージンガー」もそろそろもう一度通しておかないと駄目だ。その前に週末にブルックナーの七番とモーツァルト変ホK482もお勉強しなければいけない。前者は昨年ブルムシュテット指揮ゲヴァントハウスで名演を聴いたので、記憶もあるので助かる。

マンハイム散歩で10キロほど歩いた。靴と塗装路の関係で足の裏が痛くなった。腰にも少し来た。最後にネッカーの河原まで出た。途中にハイデルベルクへのちんちん電車の線路が走っているので中々向こう側に行けなかった。河原の上は自転車で走り易いようになっているので、好きな人は簡単にハイデルベルクまで走れる。水際は砂利道でこちらはジョギングに良い。シュヴァルツヴァルトを源泉とするこのネッカーも全長362㎞の最後の1㎞も行けばラインに合流してしまう。

マンハイムの高級住宅街に居を構えていたら週一ほどでハイデルベルクへと走っているのだろうと思った。中々いい瀟洒な住宅街なのだが、何か狭苦しい。私好みではない。そもそもマンハイム市内に住む利点など一切見つからない。

もう一つ良かったのは乗馬のパドックで、丁度ティーンエイジャーのブロンドの娘さんが練習していたのを柵外から盗写した。一枚は指導のお姉さんがこちらに気が付いて見ていたようなのが写っていた。望遠なので肉眼では分からなかった。中々いい写真なのだが、12倍望遠なので月の写真を撮るようでブレもあってピントが暈ける。しかしよく考えてみれば、街の中のパドックだからなにかよさげに見えるが、ワイン街道のパドックではそこまで感じない。会費もこちらとは違って高いのだろう。

先日ナーへでワインを回収して来た。あまり急がずに車庫から地下へとワインを運ぶ。急がないのは、懸案のナメクジにやられたくないからだ。そして何本か収めると初めてやつを見つけた。不思議なことに板に乗っていたのが、飛んで火にいる夏の虫である。怒りは抑えられなかった、靴で転がして、釣り竿で外へと出して、さらにごろごろする。今までは塩を撒いて欲してやったのだが、怒りが収まらなかった。無駄に殺傷はしたくは無いのだが、これで完全にリンチ状態だ。そして更に転がしているうちに身が割けて気持ち悪い足の心地を感じた。これが嫌だから塩を撒いたのだが、それでは到底怒りが収まりそうになかった。恐らくこやつだけだったと思うが、意外にも巨大ではなかった。あの食欲といいその活動範囲が信じられない。そして動いた後もぬめりであまり光らなかった。これで先ず安心だ。それにしてもなんて化け物だったのだ。来週末はまた試飲会である。



参照:
末恐ろしい顛末 2018-09-15 | 雑感
マーラー作プフェルツァー流 2017-10-15 | 音
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