まだまだ完全復活とならない。週明けに寒さの中で走れるものかどうか。微熱があったようで、膝が痛んだりするので不安だ。日差しがあるので気持ち良いと思ったが、差し込む光の中の椅子の上にあるミニノートブックが気になると同時にその後ろに隠してあるTV受信機が許せなくなった。年に一度しか使わないのに大きな場所を占領している。そして年明けのヴィーナーフィルハーモニカーのノイヤーズコンツェルトでも点ける気もしない。撤収する決心をした。完動品で調べると2004年に購入している。価格は300ユーロ少しだったようだ。従来通りのアナログのブラウン管である。ここまでの15年ほどで総計50時間ほどしか使っていないと思う。オリジナル箱を探して倉庫に片づけてしまうつもりだ。事実上電気荒ゴミだ。
もはやいい格好でTV廃止、完全卒業を宣言する時代でもなくなった。数年前まではまだまだ臨時ニュースなどでCNNを見るつもりでいた。しかしその時代も過ぎた。一体もう何の目的でTV受信機を点ける必要があろう。必要があればネットで観て、必要ならば録画する。それが全てで、そもそも特別なプログラムすら殆どなくなってきている。よほどコムピューター操作が厄介な人以外にはTV受信機の価値は全くなくなってきている。なぜならば画質や音質、その他全ての意味においてネット配信の方が有利になってきているからである。なにも急いで4Kにしようとも思わない。1Kでも十分であり、ブルーレイ映像にも困らない。
「オテロ」を一幕から二幕までざっと楽譜を通した。印象としては幾つかの主題が読み込めて、最初から最後への繋がりも何となく掴めた。参考にしたLPはやはり可成り演奏の質が悪く、正直驚いている。整理して行くほど、どのようにこうした指揮と演奏が可能なのかが分からなくなってくる。指揮者の仕事とは、その際の正しいテムピとリズムを刻めることでしかなくそれ以上は楽譜を様々な資料を辿りながら読み解くことでしかない。だからこのオペラ界の大指揮者だったレヴァインは、少なくとも棒を振ることが可能で、それ以上でも無かったことがよく分かる。限られた時間の中で寄せ集めの楽団でやれることはこれぐらいのことでしかないのが今は分かるようになった。
要するに、先日のマンハイムでの「マイスタージンガー」の摘み聞きではないが、LPを鳴らしながら楽譜を見てここがこう鳴らなければいけないところだという気持ちでしか聞けない。なるほど制作録音としての外れた音とかの傷はチェックして録り直してあるわけだが、その以上でもそれ以下でも無い演奏がそこで繰り広げられていて、我々が期待するようなヴェルディの創作の本質的なところも如何に歌手が幾ら頑張っても限界があると思った。それ以前に管弦楽団が綺麗に鳴らないことだけでもお話しにならない。こうした大掛かりなオペラはこの程度のもので、綺麗に録音しているのはカラヤン指揮のベルリナーやヴィーナーフィルハーモニカーだということになってしまったのだろう。LP時代にも如何にも無駄な録音のようなものが市場を占有していたかというとても良い傍証でもある。
これからクリーヴランドからの放送が楽しみだ。ピエール・ブレーズが振った「ダフニスとクロエ」全曲が1970年の実況録音、「ファイアーバード」全曲が2005年である。先日デジタル録音の箱モノを安く購入したが、そこには「春の祭典」と「ペトロ―シュカ」しか入っていない。これは聞き逃せない放送だ。
参照:
希望も未来も無いTV放送 2006-12-03 | マスメディア批評
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境
もはやいい格好でTV廃止、完全卒業を宣言する時代でもなくなった。数年前まではまだまだ臨時ニュースなどでCNNを見るつもりでいた。しかしその時代も過ぎた。一体もう何の目的でTV受信機を点ける必要があろう。必要があればネットで観て、必要ならば録画する。それが全てで、そもそも特別なプログラムすら殆どなくなってきている。よほどコムピューター操作が厄介な人以外にはTV受信機の価値は全くなくなってきている。なぜならば画質や音質、その他全ての意味においてネット配信の方が有利になってきているからである。なにも急いで4Kにしようとも思わない。1Kでも十分であり、ブルーレイ映像にも困らない。
「オテロ」を一幕から二幕までざっと楽譜を通した。印象としては幾つかの主題が読み込めて、最初から最後への繋がりも何となく掴めた。参考にしたLPはやはり可成り演奏の質が悪く、正直驚いている。整理して行くほど、どのようにこうした指揮と演奏が可能なのかが分からなくなってくる。指揮者の仕事とは、その際の正しいテムピとリズムを刻めることでしかなくそれ以上は楽譜を様々な資料を辿りながら読み解くことでしかない。だからこのオペラ界の大指揮者だったレヴァインは、少なくとも棒を振ることが可能で、それ以上でも無かったことがよく分かる。限られた時間の中で寄せ集めの楽団でやれることはこれぐらいのことでしかないのが今は分かるようになった。
要するに、先日のマンハイムでの「マイスタージンガー」の摘み聞きではないが、LPを鳴らしながら楽譜を見てここがこう鳴らなければいけないところだという気持ちでしか聞けない。なるほど制作録音としての外れた音とかの傷はチェックして録り直してあるわけだが、その以上でもそれ以下でも無い演奏がそこで繰り広げられていて、我々が期待するようなヴェルディの創作の本質的なところも如何に歌手が幾ら頑張っても限界があると思った。それ以前に管弦楽団が綺麗に鳴らないことだけでもお話しにならない。こうした大掛かりなオペラはこの程度のもので、綺麗に録音しているのはカラヤン指揮のベルリナーやヴィーナーフィルハーモニカーだということになってしまったのだろう。LP時代にも如何にも無駄な録音のようなものが市場を占有していたかというとても良い傍証でもある。
これからクリーヴランドからの放送が楽しみだ。ピエール・ブレーズが振った「ダフニスとクロエ」全曲が1970年の実況録音、「ファイアーバード」全曲が2005年である。先日デジタル録音の箱モノを安く購入したが、そこには「春の祭典」と「ペトロ―シュカ」しか入っていない。これは聞き逃せない放送だ。
参照:
希望も未来も無いTV放送 2006-12-03 | マスメディア批評
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境