Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

指揮者アバドの思い出

2018-11-26 | 文化一般
今更ながら「オテロ」の音資料を調べている。ネットから適当に三種類の全曲盤を落とした。その内一つはゼッフィレッリの演出の映画で昔から有名なものだったが、マゼールの指揮なので先ずは要らない。同じドミンゴのオテロで私が聞いたころのクライバー指揮のものである。これは存在を知らなかったが、なぜか映像も悪く、演奏も生のごたごた感が強い。後年のこの指揮者のいい加減さもあるのだが、やはり棒がしっかりしていて、当時の印象がそれほど間違っていなかったことを確認したい。その前に一番聞きたかったのがアバド指揮の復活祭上演のもので、これは出張公演をピエモントでやっていてオープンエアーでベルリナーフィルハーモニカーが演奏している。

先ず一幕を流す。演出は何とも言えないが、若いホセ・クーラがまともに歌っていて、その後のようなおかしなことにはなっていない - まさしくザルツブルクでティーレマン不要になったのは急遽これを歌ったこの歌手の出来の悪さも影響しているかもしれない。ライモンディのイアーゴもとても良い感じだ。しかし何といっても最初の一拍からアバドの譜読みがとても冴え渡っている。当時の印象からしてアバド時代のフィルハーモニカーは低迷期だったことは間違いないのだが、これだけしっかりとフレージングをさせて、歌手の細かなアーティキュレーションを定められると崩れようがない。オープンエアーの悪い録音画質で期待していなかったが、どんどんと吸い込まれるように一幕を見終えてしまった。

言葉の端々のアクセントの付け方などはイタリア人ならばムーティでも出来そうだが、やはりその音楽性が大分異なる。想定していたように立派なもので、どうしてこのような録音しか残っていないのか不可思議である。最後まで聞いてみないと分からないが、よほど指揮者自身が満足いくような演奏にはなっていないのだろうか。最初はドミンゴが歌っていたようだから、指揮者との間に齟齬があったのだろうか。とにかく拍打ちも明確で、とても自然な音楽になっていて、ベルリナーフィルハーモニカーが重々しくない - 恐らくカラヤン指揮のそれとは正反対にいるものなのだろう。

アバドといえばネットに上がったインタヴューでツェッチマン支配人が、故人をよく知っている立場から思い出を語っていて、「記憶の中では理想化されているが世間的には中々難しいところがあった」としている。特に「若い管弦楽団に対しても厳しくて、その印象を引き摺っている」と語るが、私が聞いている話では「そこらのおっさんのように慕われていた」となる。どうも彼女が創立したマーラー楽団の時とそれ以前のユース管弦楽団の時とでは雰囲気が違っていたのかもしれない。

そのインタヴューに、栄誉指揮者を称号をという話で、ヤンソンスが「あんたがたがクラシック界の牽引車だから、みんな注目しているよ」と語ったとされる。その文字通りの意味だけでなくて、真意を考えると「中々、分かっているじゃないか」と思った。

個人的にはこの指揮者の演奏会もオペラもそれほど強い印象は残っていない。それどころか先日まで完全に忘れていたルツェルンでの演奏会もあったぐらいだ。「理髪師」、「ヴォツェック」も「グレリーダー」も聞いているのだが、細部まで思い出すものは限られて、結局当時失望にも近かった「シモンボッカネグラ」とやはり怒り心頭の「エグモント全曲」ぐらいが一番印象に残っている。



参照:
ドライさとかカンタービレが 2018-11-25 | 音
ルツェルンの想い出?? 2018-05-24 | 雑感
コメント
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