オファーを出したティケットに問い合わせがあった。ミュンヘンの再演「フィデリオ」の二回目の上演のティケットである。一回目の公演に行って、また最終四日目に出かけるので、二回目を売りに出した。劇場のポータルなどで出すのは初めてだったので、どのような感じかと思っていた。丁度木曜日あたりから余り券の捌きに掛かってたので、つまりあらゆる高額券が出てきていたので、それが品切れになった時が売り時だと思った。額面67ユーロで2ユーロの手数料だから、ミュンヘンに一度車を走らす半分ぐらいの額だ。だから捨てる方が安上がりで、また木曜日の一回目と二回目の日曜日を繋ぐように旅行すれば更に金が掛かる。しかしなによりも満席の一席を捨てても誰かがそこに座るだけで、あふれた人の救済とはならない。またその額でいいホテルに一泊可能となる。そうなると換金して旅行費用に充てたい。
一回目の購入はタブレットが上手く操作出来ずに待ち番号34番を逃したので、二回目を安全のために購入した。第一目標の最終四回目狙いで、だから捨ててもよいつもりで、結局待ち番号220番ぐらいのそれほどいい席ではなかった。それを売りに出した。
夜分に反応があるかとも思っていたが、劇場のシステムを通じた連絡は翌日の午後で、「24日にプファルツから出かけるのでその前に渡す」というように書いてあったメールアドレスに書き送った。三十分もしないうちに返事が来た。真面目な購入希望おばさんのようで、どのような理由があったにせよ買い損ねた人なのだろう。受け渡しの具体性も気持ちも伝わったので早速ネットからオファーを下げた。そもそも煩わしいのが嫌だから手渡しにしたのだ。
当日もちょこちょこと高額ティケットが出て見る見るうちに捌けて行く。まだもう少し出ることは初めから想定済みだ。これは劇場の販促のノウハウで何も悪質でもなく、どれがどのように出るかも大体分かって来た。こちらもノウハウを身に着けてきた。一番出るのは最終日だと思うが、私は待ち番号一番だったのだから、それ以上お得なティケットなどは無い。兎に角、再演にしてはキャストを反映してか価格が最高級だというので、安いオファーは直ぐに話が付く。
おばさんには - 勿論まだ比較的若い女性ということもあるが、書いている感じからするとある程度の年齢だろう -、受け渡し日の数日ほど前にメールして貰おう。あとは携帯電話番号を渡しておけば問題は起こらない筈だ。
「春の祭典」のフィナーレのお勉強が漸く何とかなりそうになってきた。しかしまず何よりイントロダクションが気になって仕方がない。練習は始まっただろうが、ティーンエイジャーの木管楽器奏者などは皆それなりに職業音楽家を目指している人が殆であり ー 楽団の八割がプロの卵らしい ー、それなりに腕に自信があるだろう、そして今のティーンならば、参考にする音源はラトル指揮のフィルハーモニカーそしてブーレーズ指揮クリーヴランドが来るかどうかだろう。だからソリスト的にバリバリと吹いて、合わせるコツさえつかめばと思っていたら、いざ合わせると全く予想と違ったということになっていると思う。その合奏の在り方はアマであろうがプロであろうがペトレンコは容赦がないと思う。まさしくそこに彼の楽譜の読みの基本があるからだ。まだ日曜日までに時間があるが、血の気の失せた楽員もいるのではなかろうか?何となく全体像が見えてきた。もう少しだ。
もう一つの「影の無い女」も何とか全三幕を終えた。ここも難しいのは最初の出だしとか特別に書法が細かくなるところで、更にリズム的な精査が要求されるところがある。要するにフレージングだけでは事済まない。その意味から、この楽劇のミュンヘンからの中継録画は、そこの一部分だけでエポックとなるような演奏と評した新聞があったが、こうして今の耳からするとまだまだ二年目の2014年頃の出来で荒く、誤魔化しの上手いヴィーナーやドレスデンを駆逐してしまうまでの音響的説得力はない。しかしどちらの方向が正しいかといえば作曲家の指揮を聞けば分かるように、容赦ないぐらいで厚塗りとは全く異なる方だ。しかし楽譜自体に批判を受ける要素があることはなにもアドルノの批判を待つまでもない。歌手陣も故ボータはそれなりの存在感もあるが、女声陣も全曲を通してはとても厳しくなっているところがある。この楽劇で歌手が皆称賛されるようなものは無いと思う。その意味から、今回のハムブルクも管弦楽に期待するだけでなくて、何回もアンサムブルで歌っているメムバーにも期待したい。
参照:
影を慕ってハムブルク 2018-12-16 | 文化一般
公平な選り取り見取り 2018-12-01 | 雑感
一回目の購入はタブレットが上手く操作出来ずに待ち番号34番を逃したので、二回目を安全のために購入した。第一目標の最終四回目狙いで、だから捨ててもよいつもりで、結局待ち番号220番ぐらいのそれほどいい席ではなかった。それを売りに出した。
夜分に反応があるかとも思っていたが、劇場のシステムを通じた連絡は翌日の午後で、「24日にプファルツから出かけるのでその前に渡す」というように書いてあったメールアドレスに書き送った。三十分もしないうちに返事が来た。真面目な購入希望おばさんのようで、どのような理由があったにせよ買い損ねた人なのだろう。受け渡しの具体性も気持ちも伝わったので早速ネットからオファーを下げた。そもそも煩わしいのが嫌だから手渡しにしたのだ。
当日もちょこちょこと高額ティケットが出て見る見るうちに捌けて行く。まだもう少し出ることは初めから想定済みだ。これは劇場の販促のノウハウで何も悪質でもなく、どれがどのように出るかも大体分かって来た。こちらもノウハウを身に着けてきた。一番出るのは最終日だと思うが、私は待ち番号一番だったのだから、それ以上お得なティケットなどは無い。兎に角、再演にしてはキャストを反映してか価格が最高級だというので、安いオファーは直ぐに話が付く。
おばさんには - 勿論まだ比較的若い女性ということもあるが、書いている感じからするとある程度の年齢だろう -、受け渡し日の数日ほど前にメールして貰おう。あとは携帯電話番号を渡しておけば問題は起こらない筈だ。
「春の祭典」のフィナーレのお勉強が漸く何とかなりそうになってきた。しかしまず何よりイントロダクションが気になって仕方がない。練習は始まっただろうが、ティーンエイジャーの木管楽器奏者などは皆それなりに職業音楽家を目指している人が殆であり ー 楽団の八割がプロの卵らしい ー、それなりに腕に自信があるだろう、そして今のティーンならば、参考にする音源はラトル指揮のフィルハーモニカーそしてブーレーズ指揮クリーヴランドが来るかどうかだろう。だからソリスト的にバリバリと吹いて、合わせるコツさえつかめばと思っていたら、いざ合わせると全く予想と違ったということになっていると思う。その合奏の在り方はアマであろうがプロであろうがペトレンコは容赦がないと思う。まさしくそこに彼の楽譜の読みの基本があるからだ。まだ日曜日までに時間があるが、血の気の失せた楽員もいるのではなかろうか?何となく全体像が見えてきた。もう少しだ。
もう一つの「影の無い女」も何とか全三幕を終えた。ここも難しいのは最初の出だしとか特別に書法が細かくなるところで、更にリズム的な精査が要求されるところがある。要するにフレージングだけでは事済まない。その意味から、この楽劇のミュンヘンからの中継録画は、そこの一部分だけでエポックとなるような演奏と評した新聞があったが、こうして今の耳からするとまだまだ二年目の2014年頃の出来で荒く、誤魔化しの上手いヴィーナーやドレスデンを駆逐してしまうまでの音響的説得力はない。しかしどちらの方向が正しいかといえば作曲家の指揮を聞けば分かるように、容赦ないぐらいで厚塗りとは全く異なる方だ。しかし楽譜自体に批判を受ける要素があることはなにもアドルノの批判を待つまでもない。歌手陣も故ボータはそれなりの存在感もあるが、女声陣も全曲を通してはとても厳しくなっているところがある。この楽劇で歌手が皆称賛されるようなものは無いと思う。その意味から、今回のハムブルクも管弦楽に期待するだけでなくて、何回もアンサムブルで歌っているメムバーにも期待したい。
参照:
影を慕ってハムブルク 2018-12-16 | 文化一般
公平な選り取り見取り 2018-12-01 | 雑感