#好きなオペラ10選の呟きを見ていて面白いと思った。交響曲とかなんとかだとお遊びでしかないのだが、劇場ものとなると関心が広がる。最初はその意味が解らなかったのだが自身で選んで更にそのリストを見ていると気が付くことがあった。あまり恣意的ではなく気ままにリストアップしていくのに、やはり劇場でその作品に満足したという条件を付けるととても容易に選択可能となった。これが決定的条件だったと自身のリストを見た後で気が付いた。
この手のリストを見ていて、その選択根拠とか趣向とかを推測するのが身についてしまっているのだが、その撰者固有のものであったり、それを取り巻く社会的な志向であったりもする。それがまた面白いところである。しかし劇場作品以外の音楽作品の場合はどうしてもその知識や思考が反映するだけで、あまり全人格的もしくは社会環境までを感じさせない。まさしくそこが劇場作品の本質である。
オペラ劇場嫌いを自認する自身のリストを見て、直接は関係ないが選択の前提となるその作品の劇場体験が複数であろうとも、その体験を思い起こしていくと、面白いことに気が付いた。意外にもそれら作品の劇場体験の裏にオペラ指揮の下手なサイモン・ラトル指揮公演が複数にも上る。ラモーの「レボレアーデ」にしても、彼が復興初演者のガーディナーに習ってきた成果だった。そして聴体験として「パルシファル」でさえ、ブーレーズ、ペトレンコと別け合っているというから、これは凄いと思う。今でも盛んにオペラを振りたがっており、今更止めればいいのにと思うのだが、何か小さな室内歌劇団でも任してみたいと思わせる。思い浮かぶ公演の指揮者にクラウディオ・アバドも挙がり、ピエール・ブーレーズと並んでキリル・ペトレンコぐらいだから、如何にペトレンコが劇場指揮者で無いかが分かる。
演出家ではペーター・シュタインとか、意外にムスバッハーが入っていたり、文句しかつけないロバート・ウィルソンが入っていたりするのが不思議だ。それらは全てザルツブルク時代にジェラール・モルティエ支配人が設定したものだった。そしてリストアップした作品の内容を思うと、全くザルツブルク上演とは関係なしに共通点も見つかる。というか、オペラの勃興から恐らく終焉までの歴史の中で音楽劇場のその社会的な意味をそこに見る。詳しくはそれこそモルティエ氏の遺稿集を開きながら纏めたいと思うが、まさしく公的資金を投入する音楽劇場の意味をそこに見出す。やはりあの故人の情熱は特筆すべきものだった。そして当時のハイダー博士勢力に連帯して対抗した自負もある。そして彼の継承者であるであるミュンヘンの後任支配人ドルニーに期待したい。
余談ながら後任音楽監督のユロウスキーのコンサートのティケットを一枚購入しておいた。年末ベルリンに行かなければ先に聞いておく。不都合なのは、一部音楽祭の日程は出ているが、楽団のツアー日程などはまだ発表されていないことで、割高の切符は買い難い。近辺で更に安く同じものをより条件が良い場所で聞ける可能性が高いからだ。30ユーロ近い料金はベルリンの放送交響楽団には高過ぎる。同じ場所でゲヴァントハウスがブルックナーの八番で更に数ユーロ高いので、こちらは一先ず断念した。入場料金だけなら、交通費は全く異なるとしても、ルツェルンと変わらない。1400席未満としても視界が効かないのに高くはないか?
クリーヴランドの「トリスタン」の放送の紹介をしたら、知らない人からコメントが入って、「フロリダのナポリに向かっていて、マーラーの二番を歌って、帰りにこれを聞くんだ」と書いてあってリツイートしてくれた。彼がクリーヴランド合唱団の一員であり、楽団がマイアミツアーに出かけていて、数時間後のコンサートがそのような場所であることが分かるまで、ネットリサーチしなければ分からなかった。その前にいつものように楽団からメンションがあったのは分かったが、一体あの楽団関係者には何か基本ガイドラインがあって、効果的にSNSを使うコンセプトが存在しているかのようだ。合唱団からも入った。そして今回も声楽の人で、器楽の人に比較して練習時間を長くできないので、ソリスツに限らず合唱団までネット活動が盛んなのだろうと思った。ピアニストで盛んなイゴール・レヴィットなどは特殊なのだと思う。
お蔭で私も録音してじっくり聞くことになった。昨年放送の節はシュテムメの声を生で聞いた後だったのであのコンサート舞台などにも抵抗があって熱心に聞かなかったが、改めて聞いてみるとなかなかいい演奏をしている。合唱団員も自身が歌っていなくても名歌手の歌唱となると熱心に聞くのだなと思った。日曜日に午後から就寝まで奇しくもフロリダの現場の空気を感じていた。
参照:
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
ミュージカル指揮の意味 2019-01-27 | マスメディア批評
この手のリストを見ていて、その選択根拠とか趣向とかを推測するのが身についてしまっているのだが、その撰者固有のものであったり、それを取り巻く社会的な志向であったりもする。それがまた面白いところである。しかし劇場作品以外の音楽作品の場合はどうしてもその知識や思考が反映するだけで、あまり全人格的もしくは社会環境までを感じさせない。まさしくそこが劇場作品の本質である。
オペラ劇場嫌いを自認する自身のリストを見て、直接は関係ないが選択の前提となるその作品の劇場体験が複数であろうとも、その体験を思い起こしていくと、面白いことに気が付いた。意外にもそれら作品の劇場体験の裏にオペラ指揮の下手なサイモン・ラトル指揮公演が複数にも上る。ラモーの「レボレアーデ」にしても、彼が復興初演者のガーディナーに習ってきた成果だった。そして聴体験として「パルシファル」でさえ、ブーレーズ、ペトレンコと別け合っているというから、これは凄いと思う。今でも盛んにオペラを振りたがっており、今更止めればいいのにと思うのだが、何か小さな室内歌劇団でも任してみたいと思わせる。思い浮かぶ公演の指揮者にクラウディオ・アバドも挙がり、ピエール・ブーレーズと並んでキリル・ペトレンコぐらいだから、如何にペトレンコが劇場指揮者で無いかが分かる。
演出家ではペーター・シュタインとか、意外にムスバッハーが入っていたり、文句しかつけないロバート・ウィルソンが入っていたりするのが不思議だ。それらは全てザルツブルク時代にジェラール・モルティエ支配人が設定したものだった。そしてリストアップした作品の内容を思うと、全くザルツブルク上演とは関係なしに共通点も見つかる。というか、オペラの勃興から恐らく終焉までの歴史の中で音楽劇場のその社会的な意味をそこに見る。詳しくはそれこそモルティエ氏の遺稿集を開きながら纏めたいと思うが、まさしく公的資金を投入する音楽劇場の意味をそこに見出す。やはりあの故人の情熱は特筆すべきものだった。そして当時のハイダー博士勢力に連帯して対抗した自負もある。そして彼の継承者であるであるミュンヘンの後任支配人ドルニーに期待したい。
余談ながら後任音楽監督のユロウスキーのコンサートのティケットを一枚購入しておいた。年末ベルリンに行かなければ先に聞いておく。不都合なのは、一部音楽祭の日程は出ているが、楽団のツアー日程などはまだ発表されていないことで、割高の切符は買い難い。近辺で更に安く同じものをより条件が良い場所で聞ける可能性が高いからだ。30ユーロ近い料金はベルリンの放送交響楽団には高過ぎる。同じ場所でゲヴァントハウスがブルックナーの八番で更に数ユーロ高いので、こちらは一先ず断念した。入場料金だけなら、交通費は全く異なるとしても、ルツェルンと変わらない。1400席未満としても視界が効かないのに高くはないか?
クリーヴランドの「トリスタン」の放送の紹介をしたら、知らない人からコメントが入って、「フロリダのナポリに向かっていて、マーラーの二番を歌って、帰りにこれを聞くんだ」と書いてあってリツイートしてくれた。彼がクリーヴランド合唱団の一員であり、楽団がマイアミツアーに出かけていて、数時間後のコンサートがそのような場所であることが分かるまで、ネットリサーチしなければ分からなかった。その前にいつものように楽団からメンションがあったのは分かったが、一体あの楽団関係者には何か基本ガイドラインがあって、効果的にSNSを使うコンセプトが存在しているかのようだ。合唱団からも入った。そして今回も声楽の人で、器楽の人に比較して練習時間を長くできないので、ソリスツに限らず合唱団までネット活動が盛んなのだろうと思った。ピアニストで盛んなイゴール・レヴィットなどは特殊なのだと思う。
お蔭で私も録音してじっくり聞くことになった。昨年放送の節はシュテムメの声を生で聞いた後だったのであのコンサート舞台などにも抵抗があって熱心に聞かなかったが、改めて聞いてみるとなかなかいい演奏をしている。合唱団員も自身が歌っていなくても名歌手の歌唱となると熱心に聞くのだなと思った。日曜日に午後から就寝まで奇しくもフロリダの現場の空気を感じていた。
参照:
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
ミュージカル指揮の意味 2019-01-27 | マスメディア批評