安い燃料代が期待できそうだ。夕方の買い物の時に満タンにしよう。雪がついていて肌寒い。陽射しがあった時の放射冷却よりも湿気があるのか寒く感じる。それ以上に血圧のためかもう一つ気分が優れない。手足も冷える。燃料は、一年ぶりぐらいに、125セントで入れれた。一時と比べるとミュンヘン往復で10ユーロほど安い。プログラムを買ってコーヒーが飲める。今回のように再演でプログラムが要らないと、軽食しても何とかなるかもしれない。
幾つか片づけることがある。先ずは三人の女性の携帯電話番号をしっかりメモして、必要ならば自身の携帯にも幾らか金を入れとかないと使えなくなる可能性がある。調べると20ユーロを超えていたので今回は大丈夫だろう。
あとは道中の録音を新たに準備した。YouTubeの様々な演奏で二幕一場の'Gott! welch Dunkel hier!'を比較してみた。楽譜を分析しようと思って、先ずは道中のお供にベーム指揮では駄目だと分かったので探しているうちに聞き比べになってしまった。歴史的に評価の高いクレムペラー指揮のジョンヴィッカースやフルトヴェングラー指揮とかショルティ指揮とか様々な名歌手のも聞き比べたがまともに振れている指揮者がいなくて驚いた。カウフマンの歌につけたメストがましな方だったが、最後におかしなことになって振り切れていなかった。難しさは声の器楽的な扱いをどうしても歌にするためにそれに器楽を合わすか、若しくは大きなアゴーギクとテムピ設定で誤魔化しているものが殆どだ。特に痛かったのはフルトヴェングラーが戦後にザルツブルクで振ったもので、死の直前の耳が聞こえない状態のものかと思ったら1948年のものでどんな楽譜を使っているのだと思った。フルトヴェングラーのオペラは出来不出来があるが、ベートーヴェンはいつものそれが歌と合わなくなっている。制作録音は所持しているがそんなに酷い記憶はない。しかし今更聞き直そうとは思わないのはとても細かな仕事をしないと解決しないことが多いからだ。意外に良かったのがボータが歌った小澤征爾の指揮である。なるほどリズム的な癖が出るが、それでも細かなことを手兵の座付管弦楽団にさせていて、ペトレンコと同じようにそれが天才的な指揮であることの証明を記録している。解釈だ何とか言っている次元の話ではない。
Beethoven - Fidelio - Gott! Welch' Dunkel hier! - Julius Patzak - Furtwängler (1948)
Tenore JON VICKERS - Fidelio "Gott! Welch Dunkel hier..." (1962)
Peter Hofmann; "Gott! welch', Dunkel hier"; FIDELIO Ludwig van Beethoven
Johan Botha; "Gott, welch Dunkel hier!"; Fidelio; Ludwig van Beethoven
そこで意外に上手にクリストフォンドナーニが指揮していたと思った先日聞いたCDをリッピングした。聞き返すと件のところも恐らく歴史上一番成功している様にとても細かで丁寧な指揮をしている。しかしクレッシェンドが同時にアッチェランドになるアゴーギクの扱いは同じで最後はごちゃごちゃとなる。余程実演で繰り返し練習したようで、ヴィーンの座付管弦楽団が上手に弾いている。しかしリズムの難しいところに来ると振り切れていない。しかしなぜこんなに二線級の歌手ばかりで制作録音がなされたのか、たとえ劇場の新制作がこの歌手陣であったとしても、謎である。
もうこうなるとキリル・ペトレンコに振ってもらわないとこの楽曲はまともに演奏が出来ないと思う。こんなに難しいことになっているとは全く気が付かなかった。同じように難しいのはハムマークラヴィーアソナタとか後期の楽曲にもあるが、ある意味単純な技術的な難しさを超えたものだ。勿論攻略法がはっきりしていないことには歌手が歌えない。そもそも私はカウフマンファンでもなんでもないのだが、今までの関係からペトレンコ指揮でこの課題を解決できるのはこの歌手しかいないと確信している。最終日にも再訪するので初日はここだけにでも耳を傾けたい。そこが上手く行けば、私は最後まで拍手し続けなければいけない。また帰りが遅くなるが仕方がない。
Jonas Kaufmann - Beethoven - Fidelio - 'Gott! welch Dunkel hier!'
午前11頃に初日の最後の放出があった。なんと王のロージェの一列目が四つ出た。王家が来ないということで、再演の場合は普通だが、同じ高価な243ユーロを出すなら価値があるだろう。しかし、この制作に対しての価格が法外であり、とても一人で出かけてあそこに座る気はしなかった。三ランク目の183ユーロまで出ていたが、半分ほどは一時間以内に捌けていて、一列目共々後まで残っていた。正直私の21ユーロと243ユーロで肝心のところがどれだけ違って聞こえるかは大変疑問で、視覚と艶やかな感じが異なるだけだ。不思議なことに全く手が出そうにならなかった。
参照:
覚醒させられるところ 2019-01-22 | 文化一般
習っても出来ないこと 2018-01-17 | マスメディア批評
幾つか片づけることがある。先ずは三人の女性の携帯電話番号をしっかりメモして、必要ならば自身の携帯にも幾らか金を入れとかないと使えなくなる可能性がある。調べると20ユーロを超えていたので今回は大丈夫だろう。
あとは道中の録音を新たに準備した。YouTubeの様々な演奏で二幕一場の'Gott! welch Dunkel hier!'を比較してみた。楽譜を分析しようと思って、先ずは道中のお供にベーム指揮では駄目だと分かったので探しているうちに聞き比べになってしまった。歴史的に評価の高いクレムペラー指揮のジョンヴィッカースやフルトヴェングラー指揮とかショルティ指揮とか様々な名歌手のも聞き比べたがまともに振れている指揮者がいなくて驚いた。カウフマンの歌につけたメストがましな方だったが、最後におかしなことになって振り切れていなかった。難しさは声の器楽的な扱いをどうしても歌にするためにそれに器楽を合わすか、若しくは大きなアゴーギクとテムピ設定で誤魔化しているものが殆どだ。特に痛かったのはフルトヴェングラーが戦後にザルツブルクで振ったもので、死の直前の耳が聞こえない状態のものかと思ったら1948年のものでどんな楽譜を使っているのだと思った。フルトヴェングラーのオペラは出来不出来があるが、ベートーヴェンはいつものそれが歌と合わなくなっている。制作録音は所持しているがそんなに酷い記憶はない。しかし今更聞き直そうとは思わないのはとても細かな仕事をしないと解決しないことが多いからだ。意外に良かったのがボータが歌った小澤征爾の指揮である。なるほどリズム的な癖が出るが、それでも細かなことを手兵の座付管弦楽団にさせていて、ペトレンコと同じようにそれが天才的な指揮であることの証明を記録している。解釈だ何とか言っている次元の話ではない。
Beethoven - Fidelio - Gott! Welch' Dunkel hier! - Julius Patzak - Furtwängler (1948)
Tenore JON VICKERS - Fidelio "Gott! Welch Dunkel hier..." (1962)
Peter Hofmann; "Gott! welch', Dunkel hier"; FIDELIO Ludwig van Beethoven
Johan Botha; "Gott, welch Dunkel hier!"; Fidelio; Ludwig van Beethoven
そこで意外に上手にクリストフォンドナーニが指揮していたと思った先日聞いたCDをリッピングした。聞き返すと件のところも恐らく歴史上一番成功している様にとても細かで丁寧な指揮をしている。しかしクレッシェンドが同時にアッチェランドになるアゴーギクの扱いは同じで最後はごちゃごちゃとなる。余程実演で繰り返し練習したようで、ヴィーンの座付管弦楽団が上手に弾いている。しかしリズムの難しいところに来ると振り切れていない。しかしなぜこんなに二線級の歌手ばかりで制作録音がなされたのか、たとえ劇場の新制作がこの歌手陣であったとしても、謎である。
もうこうなるとキリル・ペトレンコに振ってもらわないとこの楽曲はまともに演奏が出来ないと思う。こんなに難しいことになっているとは全く気が付かなかった。同じように難しいのはハムマークラヴィーアソナタとか後期の楽曲にもあるが、ある意味単純な技術的な難しさを超えたものだ。勿論攻略法がはっきりしていないことには歌手が歌えない。そもそも私はカウフマンファンでもなんでもないのだが、今までの関係からペトレンコ指揮でこの課題を解決できるのはこの歌手しかいないと確信している。最終日にも再訪するので初日はここだけにでも耳を傾けたい。そこが上手く行けば、私は最後まで拍手し続けなければいけない。また帰りが遅くなるが仕方がない。
Jonas Kaufmann - Beethoven - Fidelio - 'Gott! welch Dunkel hier!'
午前11頃に初日の最後の放出があった。なんと王のロージェの一列目が四つ出た。王家が来ないということで、再演の場合は普通だが、同じ高価な243ユーロを出すなら価値があるだろう。しかし、この制作に対しての価格が法外であり、とても一人で出かけてあそこに座る気はしなかった。三ランク目の183ユーロまで出ていたが、半分ほどは一時間以内に捌けていて、一列目共々後まで残っていた。正直私の21ユーロと243ユーロで肝心のところがどれだけ違って聞こえるかは大変疑問で、視覚と艶やかな感じが異なるだけだ。不思議なことに全く手が出そうにならなかった。
参照:
覚醒させられるところ 2019-01-22 | 文化一般
習っても出来ないこと 2018-01-17 | マスメディア批評