Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

花火を打ち上げる奴

2019-01-01 | 
毎年のことながら大晦日は花火で明ける。久しぶりにベットに入らずに迎えた。そして花火も見たが例年に比べて少ない。ここ十年ほどの毎年減少傾向にある。理由は、経済や天候かとも思ったが、車中のラディオでの話で合点がいった。花火の環境への影響から一部では禁止も議論されているらしい。SWR2では政治的ではなく科学的な見地がニュースで触れられていたが、そうなると知識層は手を出さない。それどころか情報通の連邦共和国民の広範に嫌疑が広がる。これは典型的なドイツの国民性である。つまり、今でもはしゃいで大枚の金を叩いて花火を打ち上げる人の半数は移民の背景のある市民に違いない。そのような常識になれば尚更暮れの花火は湿るばかりだ。

年始に当たって何を書こうかと思う。週末からのツアーで頭が一杯になりそうだので、素早く年末年始を振り返る。特に重要なのは、ベートーヴェンの作品としての第九の演奏二つで、参考資料としてはとても便利だ。特にユロウスキーの昨年と今年の二種類の録音は、二種類の版で全く異なる演奏をしたことから資料的価値が高い。更に今回は古楽的奏法や楽器などを原典的なテムピに最初から言及しておりこれはこれで表現である - 要するにトリオと終楽章のアラマルシェのテムピの学術的評価を含む。これほど便利な資料はない。ここでペトレンコに続いてユロウスキーフォルダを新設した。
Vladimir Jurowski über das Programm zum Jahresausklang


指揮者としての格は異なっても、ペトレンコから楽譜の読み方をとことん教わっているが、このユロウスキーからはそれらを含むものへの示唆をとても感じる。まさしくオペラ劇場向きの指揮者で、ミュンヘンで成功を重ねるようになれば直ぐに頂点に出てしまうと思う。番付でいえばペトレンコと同年代に係らずそのマネージメントやキャリアーに係らず未だに関脇筆頭なのだが、大関を簡単に通過してしまうかもしれない。今回の第九を聞いてもこれほどセンスのいい指揮者も珍しいと思う。

もう一人の指揮者アンドリス・ネルゾンズこそが、ペトレンコの後任として楽員には最も望まれた指揮者だが、ゲヴァントハウスを選んで最初のシーズンで最初の第九だった。その演奏に対する批判もいつもこの指揮者が響かす細部に関するもので、その為にもテムポを調整してという傾向がある。テムピが遅いと感じられるのは内容がないからだという言に従えば、そこで細々と楽員との間でのコレスポンデンツがあるのでそれは充実する。批評に書かれるように中声部を上に出してというような現象は、楽員の表現意思が出てきたところとも捉えられるので、容易に過剰なマニエーレンとは指摘し難い。そもそもこの指揮者の専売特許は楽譜の音響イメージの正確な想像力であり、特にゲヴァントハウスの伝統などと言及されると指揮者シャイーなどのように失敗しないような解決法となっている。

新聞にも言及されていたように合唱に関しては私が知る限りこれ以上の第九は知らない。更にゲヴァントハウスの管弦楽団としての演奏も成功しており、ソリストの歌い口の不揃いはこのような短期の公演では致し方ないだろう。オペラの新制作でも有名歌手を集める限りはとても難しくなっていることである。総合すると、ネルゾンズは番付で大関を目指さなければいけないことだけはハッキリしていて、オペラを本気でやるかどうかで状況が変わるだろうか。ボストンでの可能性が将来的にもあまり高くないと思うが、さてどうなるか。
#GHOontour: European tour 2018


ノイヤースコンツェルトに登場ということだ。第九を休むのは、全く構わないどころかマンネリ化すればなんら意味もないので、よしとしても、あまりにメディアに振り回されるような仕事ぶりでは何時まで経っても大関に成れない。綱取りにならなくてもゲヴァントハウスのカペルマイスターは大関ぐらいでなければ惜しい。
Pressekonferenz zur Saison 2017/2018



参照:
ジルフェスタ―を祝う 2018-01-02 | 暦
勇気と不信の交響楽 2006-01-06 | 文化一般
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