Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ベーシックな生活信条

2019-01-23 | 生活
「フィデリオ」再演初日が近づいている。準備をしなければいけない。今回は多くの人がそうしたように、四日間の日程の中でいい券が入る日を予備として手を付けた。私などは最終日にまさかあんな席が入ると思っていなかったから、二日目を捨てることになった。初めての公式交換サイトでのオファーをした。そしてその二週間ほど前の経験が直ぐに役に立った。

自身の券を売るにも面倒だと思って顔見知りの劇場のカウンターのオヤジに話していたのだが、一年前に初日買い出しを奨められたように、交換サイト参入にも後押しされた。第三者同士のことで責任がないからと言ってもよくも簡単にとも思った。そして試してみたのだった。

そして今回は不測のことから不要になった他人の切符を捌くことになった。交換サイトでは修羅場にならないように値崩れしないように額面でしか売ってはいけない。つまりオファーはそこでは出せない。安くしないと難しいと感じたのは昨年のクリスマスから出されていた同じ列の平土間のオファーが消えていないからだ。最高額券が必ずしも捌けない訳ではないが、いくつかの条件があって、例えば初日とか最終日の同じ席ならばもう少し捌けたと思う。その次に二席並びも捌けた。理由はハッキリしていて、一人で高額席に出向く人は、全く関心の無い人かよほど関心のある人で、後者はあらゆる手段を駆使してその程度の席は入手している。今回は前者の人にまで伝わらなかった。本当は幾らでも27日の日曜日にミュンヘンに日本からの出張者はいた筈で、見本市や学会の状況は分からないが三ケタに上ると思う。日曜日の夜は出張者にとってはフリーも多い。

そこで様々な方法を考えた。一番確実な一つは交換サイトで券を探している人である。生憎高額券一枚を求めている人は皆無で、二枚は複数いた。理由はハッキリしていて、今回は再演であり、その演出もそれほど評判が良くないからだ。私自身243ユーロはどうしたのだろうと思った。オールスターキャストは認めるとしても誰が欠けるか分かったものではない、音楽監督の肩に重荷が掛かる。自信のほどをのぞかしているとなると、これまたこちらも武者震いである。

さて件の券は結局年金生活者の人の手に行った。なぜ彼が143ユーロと中途半端な座席を求めていたのか。「年金生活者だから金がないよ」というような前提にしては高額であり、少なくとも私にとっては高過ぎる。要するに私よりも金持ちだ。それでもこちらの243ユーロとは100ユーロの差額がある。143ユーロの上は183ユーロである。それどころか下の102ユーロでもよいと書いてある。到底成立しない価格差だ。だからこちらの適当な価格で出してみた。文面も若干ざっくばらんだが、受け渡しなどにも言及しておいた。出してからあの額なら結構いい買い物だと思った。そして自分も、十日ほど待つだけなら、今度やってみたいと思ったぐらいだ。疑心暗鬼でそのニックネームもなにか騙しでよほどの交換のプロかとも思った。だから、価格交渉には乗らないぐらいのつもりだったが、反対にプロなら一度会ってみてその人物像によって色々と手解きを受けてみたいとも思った。場合によっては値引きしてもよいぐらいにも思った。

しかし現実は違って、親爺が昼前に回答して来たメールには婆さんの写真までついていた。そして、「私は身体が不自由だから嫁さんに取りに行かす、お見知りおきを」と書いてあるのだ。なにも婆さんの写真などは見たくはなかったが、仕方がないので開けると、背景は教会なのである。笑ってしまった。彼、彼女らの生活信条というか、少なくとも他人に「私たちはこういう人ですよ」と語っている。彼らの信条告白だ。なにもそれに付け加える言葉が出ない、少なくとも私の住んでいる地域ではありえない風情だ。これがバイエルンの片田舎でなくて、都市部の恐らく電車で簡単に劇場を行き来できるところに住んでいる人たちだろう。

こういう人たちがあのミュンヘンの劇場のベースになっている人たちで、その芝居からオペラからいつも最新のモードやハイブローな思考にも触れているのだとも分かった。これこそが生涯教育の公的劇場の使命なのだ。その割に、上の二組とも私のように一時間も早く出かけてガイダンスを受けに行くという人でもなさそうなのだ。私もその価値があったのは一度のみで、あまり良くはないと思っているのだが、これまた只で何か参考になるものがあるとなるとどうしても貪欲になってしまうのである。彼らからみると「これまたなんと熱心な真面目な人だ」と思われているに違いない。

謎解きを忘れていた。彼が143ユーロを求めていたのは、足が不自由だから平土間に座れるそれが最低の価格だったのだ。しかしその席の割り当て48席が四つの車椅子席の間にあるだけだ。殆ど可能性はなかったと思う。それが前から四列目に思いがけずに座れる。上階にもエレヴェーターはあるのだが、座席までには階段がある。こうした需要があるとは考えたこともなかった。



参照:
覚醒させられるところ 2019-01-22 | 文化一般
ドレスデンの先導者 2018-08-29 | 歴史・時事
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