Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

危険地域ヴィーン

2020-09-17 | マスメディア批評
承前)ヴィーンの楽友協会の機関誌にあるキリル・ペトレンコの記事の更なる注目点。2006年2月10日のベルリナーフィルハーモニカーデビュー時の詳細がある。先ずはバルトークの第二ヴァイオリン協奏曲をテツラフの伴奏で指揮している。後年、次の2016年9月にミュンヘンの座付楽団との再訪の欧州ツアーではバルトークの一番の協奏曲でツィムマーマンの伴奏指揮をしている。リゲティ作「ロンターノ」に続いて、休憩後の後半はチャイコフスキーの運命交響曲のプログラムである。

そしてこの時のベルリンでは後半はラフマニノフ作曲交響曲二番であった。それからいつもベルリナーに招待されて成功した ― この文章が書かれた時はベルリナーフィルハーモニーの後任に選ばれる未だ一月前である。後のインタヴューでペトレンコは答えている。

「このようなトップ管弦楽団を前にする時は、ベストを尽くそうと思いますが、私がはっきり示したかったのは、私の音楽的世界から現れるものでした。」

このような頂点にある特別な管弦楽団の練習は直ぐに高度なところから始めるのでしょうか?

ペトレンコは少し考えてから、「そうとも言えるが、そうでもないとも言える。勿論ある決まったスタンダードがあって、そこから始めるというのはあります。それが高い。しかし、指揮者として管弦楽団の前に立って最初から分かっている訳ではないのです。何処でも同じように始めます。― 音色、質、正確さ、バランス ― 特に管弦楽団内のバランスということからです。その楽曲にある難しい箇所を特別に克服しないといけないのはどこの管弦楽団でも同じです。」

就任までそして就任後のペトレンコと楽団がやってきたことはまさしくこのバランスであり、より正確に、上質にそして失われた音色への意識であっただろう。まだその終着点までは見えないが方向性は定まっている。就任に伴う宣伝ヴィデオに言及されている通りである。まさしく客演では絶対不可能なことが出来るようになってくるのだ。

2009年6月11日にフランクフルトの公演直後楽屋裏を探しても見つからず、隠れた通用口からひそひそとリュックサックを背負って現れたのはキリル・ペトレンコだったという ― その後に新制作「トスカ」を振った時にも駅へと向かうシュツワーデスバックを引いた姿で日本から来た人に交差点で声を掛けられている。

記者は声を掛けると、親しみを込めて微笑みながら、「ああ、一体ここで何をしているんですか?」と尋ねられた。そこで一気に考えていたことを解き放つと、ペトレンコは殆ど照れたような顔をして、「パレスティーナ、いい作品ですよね」と答える。その繋がりをと問えば、故郷でのラフマニノフへの心酔へと遡る。

そして、ヴィーンの国立歌劇場でこの曲を聴いて、そのラフマニノフとの共通性に目覚めたという。そしてそれから十年ほど経って新制作として指揮台に立つことになったと綴られる。(続く)

そのヴィーンが水曜日にロベルト・コッホ研究所で危険地域にリストアップされた。通常の観光旅行などは出来なくなる。幸いなことに同様に危険なインスブルックなどは除かれていて、その街の規模とか見通しの良さ、国境線から近いことも関係するだろう。そのお蔭で峠の北側のガルミッシュパルテンキルヘンは感染が広がっている。先ずはフォアアールベルクなどが除かれていて、オーストリア政府や各州が適切な対応を取れば10月のコンサートは開かれる可能性がある。オーストリアはヴィーンなどの流通交通量を抑えない事には感染も抑えられない。

五月のヴィーナーフィルハーモニー活動再開の時から第二波到来、そして首都が危険地域になるであろうことは想定していた。その通りの展開になった。想定外だったのはザルツブルクが持ちこたえたことで、これは賞賛に値する。



参照:
怪しくなる10月の予定 2020-09-13 | 生活
壊滅に向かうか墺音楽界 2020-07-14 | 文化一般
コメント
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