Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

無意識下の文化的支配

2024-04-04 | 文化一般
承前)ドラマテュルーギに関して琴線に触れる音楽と言及した。作曲家シュトラウスがフィナーレのクライマックスでヴィーナーヴァルツァーを使ったことに矛盾しないか。ヴァルツァーはエレクトラの死に至って聴者の琴線に触れるのか?

シュトラウスはミュンヘンの音楽家であって、ヴィーンの作曲家でもない。若い時の作品は赴任地のベルリンなどで初演されている。今回の新制作のプログラムには、それでも南ドイツとヴィーンの間には政治的に思われる様な境界はなかったとなる。つまり、メンデルスゾーンからシューマン、ヴァ―クナーへの北ドイツのプロテスタンティズムにおける新ドイツではなくて、伝統的な庶民的に変遷された文化として、ボヘミヤ風やヴァルツァーなどが18世紀三分二経過時において ― 即ち三月革命後となる ―、南ドイツの朴訥とした芸術として特徴化したとなる。その典型にブルックナーの交響曲などがあって、作曲家自らが「ハーモニーレーレ」としてその意固地な古典的な形式に拘ったことが冗談めかせて語られる。

当然のことながらたとえ南ドイツのカトリック圏であろうとも高度な芸術が琴線に触れるように単純には創作されない。このホフマンスタールのギリシャ劇の舞台はフロイトが出てきたヴィーンであるとあったが、ミュンヘンの作曲家ゆえにその巷のヴァルツァーがヴィーン文化の意匠として、そしてアルペンホルンがオーストリア帝国アルプスのその谷の意匠として使われたとなる。

改めてこの楽劇の設定を考えてみよう。ギリシャを舞台にした古代劇である。フロイトの時代のヴィーンで、そうした社会の深層を、人々の無意識下を描くための設定を1900年にヴィーンで学位をそれによって認めたホフマンスタールが定めた。そこにその文化圏で日常意識されていない深層の文化が描かれるとなれば、ミュンヘンのリヒャルト・シュトラウスが試みた様な音楽的なアイデアがその帰結となる。つまり作家との協調作業でのその主題は決まった。そこで初めて如何にどのような音楽的な素材でどのような書法で描くかが定まる。

因みに今回の上演でペトレンコ指揮ではヴァルツァーの意匠はとても限定的で示唆的にさえ響いた。そもそもこの楽劇においては、後年の楽劇「影のない女」同様に最初のアコードから最後まで登場しない殺された王アガメノーンが劇場空間を超自然に支配する ― 「影のない女」のカイコバートに相当。

その存在は、舞台上に現れないだけでなく、自我を支配する。フロイトの分析の通りである。そのニ短調の動機がどのような支配をしているかである。既にエレクトラの動機を支配している。そのような支配が必ずしも意志として働いているばかりではないので、嘗てのアリアオペラのように、そうした心情が歌い込まれるわけではないのである。つまり聴者がそこで共感したりするものではない。

一般的にこの楽劇がシュトラウスの作品の中でも最も感情移入の叶わぬものでそこが上演回数も甚だ少ない原因となっているのかもしれない ― 作曲家自身が創作の頂点であったと認めるところでもある。(続く)



参照:
ヴィーン風北独逸音楽 2024-04-03 | 音
浪漫的水準化の民族音楽 2024-03-30 | 音
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