Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

とんだプログラム間違い

2024-04-11 | 文化一般
とんだ間違いをしていた。お勉強していた曲は演奏されなかった。チケットを購入した時には四重奏曲でないことは気が付いていたのだが。いつの間にかおかしな想像プログラムに変わっていた。そもそもなぜその二曲かを勝手に考えていたぐらいで、もう一つ納得してなかった。調性は見ていたと思うのだが、レクチャーで作品番号を聞いて意味が分からなかった。

19ユーロの安席を購入したのもその理由からで、それでそのパヴロハース四重奏団を聴いてみようという魂胆だったのだ。演奏家への結論からすると原稿の面子で、少なくとも技術的な精緻さではスメタナとヤナーチェックの四重奏団を凌駕していて、その奏法や音楽性も継承していた。より精緻という事は逆にそこまでの出来上がり方はしておらず、それでも音楽的な自由度でもブラームスや独墺系での問題点はあった。そこまで反発しなければ伝統を継承できないのかとも不思議である。

放送で聴いていてマイク乗りが悪い点も確認して、正しくそこ迄出来上がっていないからである。しかしアンサムブルととしては独墺系でこの水準に至っているのもあまりないのは当時のスメタナ四重奏団の出来上がり方とも理由は同じである。

お陰でヴィオラ二本の五重奏曲、それも晩年の作品111ト長調を聴けたのは良かった。興味深かったのは以前のヴィオラ奏者が合流していて現行のヴィオラ奏者とキャラクターが異なることである。

バイエルルにも習ったと書いてあるが、現行第二ヴァイオリン奏者も得難く、四人とも同じぐらいに音が出せるのも得難い。フランスのエベーヌ四重奏団のように四人ともその織物に編み込まれているのとは違うが、決して突出しない。その点では往路にも聴いていたピヒラー率いるアルバンベルク四重奏団のバイエルルが辞めた後の四人は可也で凸凹していて、ブラームスではその動機の扱い方などが、例えばペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーのように浮き上がって来ない。とても定評があるのだが、現在ではその演奏は最早取れないと思う。

そして最初に演奏されたカプラロ―ヴァの弦楽四重奏曲作品8の演奏は見事であった。どれだけ演奏しているのかは知らないが、ヤナーチェック筋のブルーノの女性作曲家で、その音楽語法や発音がそのものなのだが、それを演奏するのを聴いて本場ものであり、やはり独墺の作品を演奏する場合とは決まり方が全く違うと感心した。

嘗ての四重奏団の演奏ではヤナーチェックの四重奏団はそこまでの魅力はなかったがこの人たちが演奏するのは聴いてみたい。スメタナ四重奏団のスカムパの薫陶を受けているようで、なるほどチェロが決して目立たないでもアンサムブルの要になっていて、第二ヴァイオリンとヴィオラの繋がり、ヴィオラとチェロの繋がりなど、これまた決して突出させない第一ヴァイオリンを下からがっちりと支えていた。

中低音が強かった四重奏団にはガルネリなどもあったのだが、此処ではヴィオラもソリスティックに小さめの楽器を鳴らしているようで、決して胴声にならないのも素晴らしい。その意味からもブラームスの弦楽曲にとてもいいのだが、仮に彼らによって四重奏曲が弾いていても同じ問題点が浮きより浮かび上がっていたの違いない。



参照:
ドギマギで水浸し 2024-04-10 | 雑感
流しに網を掛ける 2024-04-09 | 雑感
コメント
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