Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

舞台に合わせた音楽演奏

2024-04-07 | 
週末に発注したニールセン作曲「マスカラーデ」のブルーレイが届いた。ミュンヘンのペトレンコ体制での最も成功した制作「死の都」以来二枚目のディスクである。それ以外の初日を観た「ルル」などもネットに落ちていたコピーしか持っていない・

ざっと流してみての印象は映像も綺麗でフランクフルトの劇場制作映像としては秀逸かもしれない。録音もハイレゾでしっかりとあの新しい劇場のドライで余り美感の無い音が綺麗にとらえられている。

その公演は初日と楽日に出かけていて、最後の時にはカメラが入っていた。だから終演後の拍手などがチグハグデいま一つ分からなかった。一番空いていそうな夜のそれが入っている感じがする。楽日迄撮っておいて何故もう少し盛り上がりのあるものが編集されて繋がれていないのか。廉く仕上げただけならナクソスクワリティーだ。

映像で初めて気が付いたのは二幕で、HiFi装置から流す時にはブルーレイ無料ソフトの関係でウィンドーズPCからキャストで飛ばすので映像がずれる。殆ど音だけを聴きながら作業していると、今一つ指揮の音楽の出方が冴えない。それを時差の無い映像をモニターし乍ら聴くと、その差が明らかだった。つまり指揮者のエンゲルはこちらが考えていたよりも遥かに舞台と音楽をシンクロさせていることが分かった。無声映画に合わせるのと殆ど変わりがない。それと違うのは舞台を練習の間に音楽にも完璧に合わせてきている事だろう。

なるほどペトレンコと賞を別けた「ボリス」において、舞台がなかったら引用したネヴスキーの新曲を全然違うように振るといったのはこれだと分かった。なるほどペトレンコも演出に合わせて指揮を変えると話していたが、飽く迄もその音楽を守る為に事故があっても処理してくる。

つまりエンゲルにおいては舞台に合わせることから映像が合わないと違和感があるような音楽になることもあるのがよく分かった。ペトレンコは事故処理でどこ迄も音楽の価値を失わない手当てをする。

一幕、三幕は本人が語っていたようにリズミックなドライヴで進行するので、どんな指揮者でも動きとのちぐはぐはあり得ない。しかし二回も観ておきながらそこまでは認知できなかったのは、エンゲル指揮を二十年ぶり以上で観ることで判断する要素があまりの多すぎたからだと思う。

当然のことながらどのような音楽作品をどのようなコンセプトでどのように演出するかで演技と音楽のシンクロの細かさも全く異なる。演出に口を出さないというが、実際に稽古となると音楽的に合わない所は議論で合意を得るのだろう。抑々あまり音楽的な配慮の無い演出家ではとんでもないことになるか、音楽に合わせて舞台進行演技指導を修正出来ない事にはお話しにならない。

その点、このクラッツァーの演出はコンセプトととしてもとても立派であり、昨年のテムペルホーフの「メデューサの筏」に指揮者との協調作業として成功に導いたのは間違いない。
Trailer zu »Maskerade« von Carl Nielsen | Oper Frankfurt

Teaser zu »Maskerade« von Carl Nielsen | Oper Frankfurt




参照:
言葉不要の高度な表現 2021-11-16 | 音
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