隣に座ったおばさんが真央ちゃんのことを褒めた。小さな手でという称賛だった。恐らくとても感嘆を受けたのだろう。その時の優勝がカントロフだったんだというので知っているよと答えた。
カントロフは、勿論手も大きいだろう、そしてトリフォノフのように自由自在に弾ける人でもない、だからみっちりとレパートリーを作っていく人のようでその点ではブレンデルなどにも似て本格派である。そのピアニズムは全く違うのだが、その時にリサイタルで弾いてくる作品から十分に創作者の意思は伝わる。
先ず冒頭にヴァイヴのような棒を持って現れたのでなにかと思うとそのマイクを握って独語で出来ないからと断ってから英語でちょっとしたプログラム変更を伝えた。先ずこれで少し驚いた。その態度や喋り方がとても率直でそしてとても自然な感じで好感を皆に与えただろう。中ホールのインティームな感じも功を奏しているのかも知れないが、やはりその人の実物大の人間性だろう。芸術家というよりも職人的な誠実さがそこにはあった。
ブラームスの「ラプソディ―」の二曲目の代わりにリストの「オーバーマンの谷」ということで勿論三曲目に演奏する予定だった「雪かき」に続けた。するとそれにバルト―クの「ラプソディ―」作品一番が続くことになる。とても興味深い。聴者によっては様々な把握となるのだろうが、少なくともジャーナルを書く人にはとても多くの材料を与える。
可也拘りを見せる演奏でもあるのだが、自由自在に演奏する代わりに如何に本道を示すかの演奏で、そのピアニズムの基礎にはやはり中域の安定があって、そこから上下にずらして音を作っていくという事はしない。それによっての歌の安定感は抜群で、なるほどチャイコフスキーのコンクールなどではこういう演奏が尊ばれるのだろう。
それによって何がなされるかというとやはり楽器が満遍なく鳴ることで、まさしく今回最短距離で聴いた理由はそこにあった。色々なピアニストの身近で聴くことはあっても今回のような頂点に立つ人が弾く楽器が大振動するのを眼で身体で感じたのは初めてだった ― 要するにその当たりの世界的著名コンクールの優勝者程度とは意味が違う。それに一番近い振動では嘗てのブルーノレオナルドゲルバーというブラームス演奏でドイツで持て囃されたピアニストは小児麻痺の足でペダルを踏みっぱなしにするその時以来だ。それを殆ど使わないピアノで為していた。そして振動のストップが常時が決まっていた。
そのフォルテシモの入り方もペダルを踏む代わりにシークレットブーツの足踏みでがっつり入り、そしてしなやかに右手は被せたりとどこまでも透明感を失わずに一方中域部の歌の波が絶えないだけでなくて、リズム的な弛緩もない。そして後半は印刷されたプログラムの順番を入れ替えて、ブラームスのソナタ一番ハ長調を前に出して、「シャコンヌ」を待っていた耳を驚かせるのだが、彼の父親のヴァイオリンの様にとても骨子のある音がとても中庸で良い。祖父の代にロシアから南仏へと渡ったユダヤ人家庭だということなのだが、その音楽は全然悪くはない。リヒテルが演奏したブラームスが如何にも一面的な演奏実践であったことを考えると、独墺圏で拒絶される質のものでは全くなく、これ以上に二楽章のドイツ語の歌を弾ける独墺圏ピアニストがいるのだろうか?三楽章の若い息吹に終楽章の歌に魅了されるファンは少なくない筈だ。(続く)
ブラームスの作品一番ハ長調
И. Брамс, Соната для фортепиано №1 – Александр Канторов (Париж, 2023)
参照:
何ごとにも事始め 2024-04-12 | 文化一般
流しに網を掛ける 2024-04-09 | 雑感
カントロフは、勿論手も大きいだろう、そしてトリフォノフのように自由自在に弾ける人でもない、だからみっちりとレパートリーを作っていく人のようでその点ではブレンデルなどにも似て本格派である。そのピアニズムは全く違うのだが、その時にリサイタルで弾いてくる作品から十分に創作者の意思は伝わる。
先ず冒頭にヴァイヴのような棒を持って現れたのでなにかと思うとそのマイクを握って独語で出来ないからと断ってから英語でちょっとしたプログラム変更を伝えた。先ずこれで少し驚いた。その態度や喋り方がとても率直でそしてとても自然な感じで好感を皆に与えただろう。中ホールのインティームな感じも功を奏しているのかも知れないが、やはりその人の実物大の人間性だろう。芸術家というよりも職人的な誠実さがそこにはあった。
ブラームスの「ラプソディ―」の二曲目の代わりにリストの「オーバーマンの谷」ということで勿論三曲目に演奏する予定だった「雪かき」に続けた。するとそれにバルト―クの「ラプソディ―」作品一番が続くことになる。とても興味深い。聴者によっては様々な把握となるのだろうが、少なくともジャーナルを書く人にはとても多くの材料を与える。
可也拘りを見せる演奏でもあるのだが、自由自在に演奏する代わりに如何に本道を示すかの演奏で、そのピアニズムの基礎にはやはり中域の安定があって、そこから上下にずらして音を作っていくという事はしない。それによっての歌の安定感は抜群で、なるほどチャイコフスキーのコンクールなどではこういう演奏が尊ばれるのだろう。
それによって何がなされるかというとやはり楽器が満遍なく鳴ることで、まさしく今回最短距離で聴いた理由はそこにあった。色々なピアニストの身近で聴くことはあっても今回のような頂点に立つ人が弾く楽器が大振動するのを眼で身体で感じたのは初めてだった ― 要するにその当たりの世界的著名コンクールの優勝者程度とは意味が違う。それに一番近い振動では嘗てのブルーノレオナルドゲルバーというブラームス演奏でドイツで持て囃されたピアニストは小児麻痺の足でペダルを踏みっぱなしにするその時以来だ。それを殆ど使わないピアノで為していた。そして振動のストップが常時が決まっていた。
そのフォルテシモの入り方もペダルを踏む代わりにシークレットブーツの足踏みでがっつり入り、そしてしなやかに右手は被せたりとどこまでも透明感を失わずに一方中域部の歌の波が絶えないだけでなくて、リズム的な弛緩もない。そして後半は印刷されたプログラムの順番を入れ替えて、ブラームスのソナタ一番ハ長調を前に出して、「シャコンヌ」を待っていた耳を驚かせるのだが、彼の父親のヴァイオリンの様にとても骨子のある音がとても中庸で良い。祖父の代にロシアから南仏へと渡ったユダヤ人家庭だということなのだが、その音楽は全然悪くはない。リヒテルが演奏したブラームスが如何にも一面的な演奏実践であったことを考えると、独墺圏で拒絶される質のものでは全くなく、これ以上に二楽章のドイツ語の歌を弾ける独墺圏ピアニストがいるのだろうか?三楽章の若い息吹に終楽章の歌に魅了されるファンは少なくない筈だ。(続く)
ブラームスの作品一番ハ長調
И. Брамс, Соната для фортепиано №1 – Александр Канторов (Париж, 2023)
参照:
何ごとにも事始め 2024-04-12 | 文化一般
流しに網を掛ける 2024-04-09 | 雑感