Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

マイスターのための葬送行進曲

2005-04-15 | 
ドイツの食生活において、最も素晴らしいものは小さなパン、ブロットヘェンである。わが町のパン屋の親父が亡くなってからどれぐらいが経つだろうか。脳腫瘍を患って、日々の焼き方にバラツキが出て来たのに気がついてから、一年位であったろうか。死の三ヶ月程前にも、店にしばしば顔を出していた。当時は既に奥さんが見よう見まねで焼き続けていた。その少し前には、パン焼き機の吹き付けをするノズルが詰まったとかで部品の交換をしなければならないと奥さんが嘆いていた。

様々な種類のパンやケーキ類を自分で焼いて少量販売していたのだが、そのブロットヘェンは心持塩気が効いていたものの、今後とも出会えないだろう質の高さであった。香ばしさやそのこんがりと焼けた外皮のカリカリ感や皮の中の絶妙な生地感は、殆んど本質的な体験であった。それが、その時々の気圧や温度や湿気によって微妙に変わるのである。だから毎朝五時半には開く店に、六時前に取りに行こうが十時前に残りを分け与えてもらおうが、飽きる事はなかった。パン屋の休暇中を除いて毎朝取りに行った年月は、後となってはあまりにも短すぎた。

何気無しにベットの中で聞いた、あの晩春の日の葬送のトロンボーン吹奏の音が耳に残る。教会前の家並みに囲まれた、朝の清々しさの残る青い空の下の小さな広場に、その音が厳かに響いた。この教会でその後にも前にもこのような葬送行進曲が奏された記憶はないので、特別な意味合いがあった事が計り知れる。

グスタフ・マーラーの九番目の番号無しの交響曲「大地の歌」には七種類の漢詩が使われてセンチメンタリズムと異国趣味に満ち溢れているが、なかなかどうしてそれだけでは終わらない。例えば終楽章の第一部の終わりへと係り、作曲家自身が書き直して付け加えたという、“O Schönheit, o ewigen Liebens, Lebens trunk'ne Welt!“ の永遠の生命満ち溢れる美を嘆美する感極まった節なども、その後に続く第二部への歩みを確りと決定つけている。そこまでの漢詩は以下の様で、ハンス・ベトゲ(1876-1946)の独訳も「銀の船のように蒼い天空の月」と出てきたりするので、やはりユーゲント・シュティルなのだろうが、冒頭の銅鑼の深い響きも含めて、少なくとも否定的な上の二つの要素から逃れている。そして“Ich sehne mich, o Freund, an deiner Seite“と黄泉の国の友を待ち焦がれる節から急に劇的な展開になって上記の節へと続いていく。


「宿業師山房待丁公不至」


孤之煙樵風松群夕    
琴子鳥人泉月壑陽          
候期栖歸滿生倏度  孟      
蘿宿初欲清夜已西  浩     
徑來定盡聽涼瞑嶺  然           



そして、二部へと歩みを進めていくのだが、この曲に触発されて、マーラーの後継者でもあるアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871-1942)が自己の「叙情交響曲」を1922年に完成している。ここでは、ノーベル文学賞受賞者のインドのラビンドラナース・タゴール(1861-1941)の詩を土台に、モットーとしても使った先輩作曲家の「リュッケルトの詩による歌曲集」の音楽的素材を織り交ぜる。そしてそのモットー楽想を回帰させて、開かれた自作品の世界のと同時にその基となった世界の「記憶」を表示する。グスタフ・マーラー(1860-1911)とジクムント・フロイト(1856-1939)の接触は有名であるが、ツェムリンスキーにおいても記憶の喚起が形式として図られている。叙情交響曲がアルバン・ベルク(1885-1935)によって叙情組曲として引き継がれている事も周知だが、妹婿で弟子のアーノルド・シェーンベルク(1874-1951)等の「ミーム継承作品」がグスタフ・マーラ-の「夢の世界」を記憶として喚起する。

ベッカー・マイスターの棺を墓地へと惜別する葬送行進曲の音の記憶から、いつしか「大地の歌」終楽章の束の間の夢の話になってしまった。
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お得意さん向けの壁

2005-04-14 | 雑感
観光客向けにパッケージされたベルリンの壁ではない。自動車運転絡みの自動車保険の壁である。自動車運転のための強制保険も全て民間保険会社との契約となる。数多くのオファーの中から選択出来る一方、そこから必ず一つを選び出さなければならない。当然の様でもあるが、ここに強制保険の自由競争の問題があった。

ドイツ国内におけるトルコ人労働者の問題と東からの難民流入が毎日のように扱われていた当時である。自動車保険は、免許歴によってその危険性が測られて掛け金が計算される。つまり、乗車歴を証明出来ない限りは割り増しの掛け金が徴収される。これだけならば公平なのだが、当時は「対トルコ人の壁」というのが存在していて、明らかな外国人差別が存在した。

ある名門のドイツの総合保険会社は、自動車保険の契約件数でも五傑に入っていたと思う。だがこの会社は、外国人に対しては一種類のオファーしか用意していなかった。つまり、事故の際の賠償限度額が制限されていた。一人当たりの死亡者に対する補償額は、どの保険でも制限がある。しかしここでは、複数人を死亡させた場合もそれ以上の総額が支払われない。もしそのような事故が起これば、複数の被害者が保障を十分に受けられないことになったのだろう。もちろん保険会社にとっては、大きな損失となる。そのような制限を設けることによって、この保険会社の一般向きへの条件は若干有利になっていた。

自由競争の中で、独自の商品の開発と販売が試みられる。有利なオファーや商品には、対象を絞って販売効率を上げたりする物が多い。上の例でも一般の被保険者は、差別によって利益を貪っていたことになる。予期していた通り、この条項は数年後に憲法判断に諮られて全て無効となりその過去は謝罪された。差別の根拠とその経済効果が不明確であった。その後、その保険会社の一般の被保険者の掛け金が幾分高くなったかどうかは知らない。

最近の差別は、モスリム教徒に向けられたものが多い。その差別からどこかで利益が生じているような様子があれば、その経済的不公平に厳しい目を向ける必要がある。差別による不公平に対しては、憲法で謳われる公平を求め是正すべきである。しかし自己の権利を獲得するためには自らの手で壁を叩き壊さねばならない。憲法の理念の中で、自動的に与えられるものはない。
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失効した終身運転免許証

2005-04-13 | 生活
本日、EUの新しい運転免許証に取り替えた。事情があって一年前から預けて置いたのだが、流石に所轄の役所も邪魔になって二回目の催促状が来た。今度は文面が些か高圧的になっていて、書き手の女性責任者の顔が浮かんだ。これ以上伸ばす口実もないので、新しい免許書を受け取り、失効となった古い免許書をお土産に持って返った。運転免許証は生涯有効なので、有料で新しいものに変える理由は国際免許証取得などに限られ、別段不便も無いので好んで古いものを使っていた。

古いドイツの免許証には、郷愁の様なものが付きまとう。この免許証に書き換える時には、国際免許証の期限に関わらず日本の本免許証が既に失効していた。だからその本免許証は公的証明書ではなかったので日本領事館では翻訳して貰えなかった。そこで特別に翻訳文を用意して、国際免許証とともに書き換えた。そして一寸した手違いで二輪車の運転免許が無視されていたので、口頭で改めて二輪免許も付け加えて貰った。

新しい免許証は、1999年1月1日を以て改正された法律に基づき交付された。同一形式によって、新しくEU内で統一された。センターのデーターベースによって何処からでも容易に照会出来るのだろう。管理が強まる反面、確実な身分証明も出来るようになる。

古い免許証を携帯して、この間三台の車で450.000KM程を走破、外出中は肌身離さず持ち歩いた。終身なので人に見せてもらった免許証には、50年ほど前の若い顔をした写真が貼ってあり本人の特定が難しいものや、東ドイツ製のものなどがある。ドイツを離れてからもこれを大切に所持している友人もいる。
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綾織の言葉の響き

2005-04-12 | 
ここ数ヶ月で、最も議論されているドイツ音楽界の話題は放送局所属の二つの団体の解消であろう。一つ目はバイエルン放送オーケストラで、二つ目はシュトッツガルトの南西放送合唱団である。特に後者は、前世紀後半の主要な合唱曲を依頼ならびに初演して録音等でも有名なスコラ・カントルムの母体である。母体自体も、世界を代表するプロフェッショナルなアカペラ合唱団である。

1946年に当時の南ドイツ放送局によって、幅広い分野での合唱を受け持つために設立された。同じ所属の交響楽団と同じように、放送局が音楽文化を継承して提供するのが目的であった。今放送局は、経済の民営化の大きな流れの中で視聴料による予算の財政健全化を図るために歳出削減が急がれている。会長のフォス教授に言わせると、「戦後のような音楽文化の媒体の役目は終わり、そもそも開発の任務は無い。」となる。CD等の商業制作を素材として使うことで用が足りるということらしい。

以前に審理されている憲法判断では、「公共放送局は営利を目的としない(出来ない)プログラムを提供しなければならない。」とある。これは、特定の少数の視聴者をターゲットとしても高度な要求に応えるだけの文化の質の供給である。これを当時の憲法裁判官の言葉を借りると、「自由社会は、各々の自由な特性を示す文化を提供しなければならない。そしてそれが公共放送の義務である。」と明白に定義している。ここでいう文化的特性は、伝統的、地域的、少数民族のものであり、副次的なも含めて社会を有りの儘に写し出す鏡である。そのような文化を聴視者に紹介して、理解を深める事に助力する。只ファス教授に言わせれば、公共放送はパトロンではないので、それらの文化の振興を目的としない。これは、放送局の自己制作縮小の論拠となる。

しかしパトロンが存在しないからこそ、組織を今まで維持した価値がある。パトロンの付きそうな商業的価値を持つ組織こそ削減の対象になるのではないか。この間、この団体やその姉妹団体に依る嘱託や初演が、20世紀のドイツ音楽文化を代表するものであったことは間違いない。そしてその存在価値は、21世紀へも引き継がれている。同様の交響楽団の商業性に較べるまでも無く、このような団体が存続する経済的土台は小さいが、その文化的価値は他と比較して大きい。しかし、このような団体が、十分に広く社会に語りかける努力を怠っていたのではないか。つまり、団体所有者でもある公共放送局の義務の遂行にも疑問が向けられる。

市場を逸脱する価値については容易には語れない。それでもこの時点でなさなければいけないのは、必要とするもの、またはしないものを十分に議論して説明することである。逆説的だが黒字経営が不可能な限りは、公的文化的援助はその削除が絶えず検討されて当然である。だからこそその判定基準と優先付けが不明確なのが解せない。


参照:
伝統文化と将来展望 [ 文化一般 ] / 2004-11-13
文化の「博物館化」[ 文化一般 ] / 2004-11-13
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人のためになる経済

2005-04-11 | 文学・思想
独高級紙FAZの署名つき記事は、大変刺激的であった。ヨハン・パウロ二世の資本主義への挑戦を評価している。これは、EUのグローバリズムへの基本理念となるようなもので興味深い。ここでは彼が哲学、人類、人道神学教授として著した書物などを扱う。それらは、法王としては100年ぶりに著した経済書でもあったようだ。

自由資本主義と階級闘争の神学の狭間で戦う法王として、その思想と政策が紹介されている。つまり、ポーランド人としての故郷でのマルキズムスとの闘争、そしてそのイデオロギーからの東欧開放を経て、自由資本主義へと矛先が向った事が記される。

「純粋な利の追求は、経済の最高目標ではない。それは、人類の真の需要に向けられるべきである。- 人の営みにおける経済秩序の最優先は、社会的公平を保障しない。それどころか公共福祉の真の等級付けによって得られる人の自由をも保障しない。」。

これは、アダム・スミスによる個人の生産による富の蓄積や経済成長への自由競争は強欲や奪略を生み、人類の精神の本分や、超越的なものや恒常性に寄与しないという見解である。これを示すために、多くの新旧訳聖書の例が挙げられている。「黄金の子牛の踊り」(出エジプト記/モーゼの書二巻、32.7-32.14)他「金持ちとラザロス」(ルカスによる福音16.19)、「重ねて言っておくが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがやさしい」(マタイオスによる福音19.24)などである。

つまり、其々の 全 く 同 じ で な い 社会的公平の尊重が最重要課題として、それは同一の社会においてまたは南北問題へとも導かれる。其々の富の所有は連帯のもとに、キリスト教的同情、哀れみをもって社会へと他者へと差し出されるものであるという。このような慈悲の美徳は、「善いサマリア人」(ルカスによる福音10.25-10.37)に書いてある通りである。

そして南アメリカでの実際に触れる。1979年の南米訪問とそこでの会議で、「開放へのために」マルキストと協調していた修道会や会派、人物などを「君たちは政治的指導者ではない。」と諌めた。階級闘争と開放への神学を進めていた一部の宗教会がセクト化して分裂し、当地の教会が現実の人々の生活を脅かそうとしていたのを、こうして防ぐ事が出来たという。

南アメリカ大陸への硬直した学問的援助については嘗て批判したが、このように西欧や東欧とは違う方法で対処していく事が肝要なのである。また目を欧州大陸に戻して世界を眺望すれば、EUの進む方向が分かる。東欧の新EU加盟国などは、自由市場競争では将来が無い事は明らかである。つまりこれらの採決権を持つ諸国が独仏を中心に反完全自由主義経済を旗印に理想世界を求めて行くのだろう。こうして次期法王には欧州以外の特にアメリカ大陸の人材が強く請われている。

「経済のために人があるのではなくて、人のために経済がある。」とヨハン・パウロ二世は語っている。



参照:グローバリズムの領域侵犯の危険 [ 歴史・時事 ] / 2004-12-10
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黒タイツの女子行員

2005-04-10 | 
 2004 03/15 編集

ダイデスハイマー・ノンネンエッケ(修道女の拝領地)のQBA辛口リースリングと子豚の丸焼き肉にヌードルを付け合わせた料理を、カトリック信徒大多数の隣町で楽しむ。ワイン畑を歩いて30分、車で7分足らずの距離だ。ここのヴィンツャーレストランは、サーヴィスに従事する若い娘の教育機関として認知されている。フランクフルトの超一流ホテルの感謝状は、「貴公での教育と躾は、模範であり大きな敬意に値する」と彼女たちの質の高さを保証する。

未だ若いこの店の親父も、町の教区で教育係として認められているに違いない。職業専門学校を出てインターンとしてこの店で研鑚をして、キャリアーを積む女性たちも多いようだ。ここで推薦状を貰う娘たちは、プロ給仕としてのみならず誠実な人間性も保証される。決して高級なレストランではないが、「ミニスカートの店」と我々が呼ぶ「健康的な身作り」や「無為自然」な「清潔感」は親父の「個人的趣味」を越えて爽やかさを表出する。親父の年増の奥さんもこれを身をもって率先する。

料理の味も濃いが、年増になるほど彼女たちも味が濃くなる。十代から働く八年近く顔見知りのブロンドの彼女もその一人だ。近郊大都市の銀行に勤めながら未だに日曜日の昼はここで給仕をする。月曜日から金曜日まで銀行員の彼女は、最近は冷えを防ぐタイツを履いて給仕をする。もちろん公務員ではないので契約上問題は無いのだが、決して「水商売好き風」ではない彼女は、家族つれや親父連中が主体の客層から報酬を越えて何を得ようというのだろうか? 彼女のヴォランティーア精神を軽じてはなるまい。
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どこから来てどこへ行くの

2005-04-09 | 文学・思想
バイエルン放送協会のニュースチャンネルでは、朝5時過ぎからサンピエトロ広場の様子が写され続けた。8時過ぎにスタジオからの前放送が始まり10時まで神学者とケルンドーム放送局の編集長が解説した。

大伽藍に柔らかな陽が当たる静かな朝の風景とは打って変わり、人の波で埋まる広場で死者のためのミサが執り行われた。恐らく誰もが意外に感じたのは、大変質素な木のお棺であろう。こうして巨大な権力の座から開放される。そしてそこに開かれて乗せられた聖書は、折からの突風に靡いて福音の頁が繰り返し捲られる。まるでラマ教の廻す教文のようである。ここに生前の活躍を多くの人が連想したように、風の助けを借りて最後まで強い印象を与えた。


「あなたたちは新たに生まれなければならない」とわたしが言ったからといって、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのかを知らない。霊から生まれたものもその通りである。(ヨハネスによる福音3.7-3.8)


お棺の横には復活祭の蝋燭が立てられていた。これは復活祭に、教会の前で点火されて暗い教会へと導かれて、「光と温もり」を象徴する蝋燭らしい。アルファからオメガへと書かれた蝋燭はキリストが世界の始めから終わりであることを意味する。故人の身近な存在であったミュンヘンで活躍したラッチィンガー枢機卿長が式を執り行った。彼が冒頭に、「彼は今日、主の窓際にいる」と語ったように復活を表す。

そしてミサ式典の終わりにサント・スビドのシュプッレヒ・コールが巻き起こる。それは次から次へと大きな波となって広がっていく。若い信者たちは、早期の聖人推挙への要求を繰り返す。その訴えに呼応して今度はジョヴァンニ・パオロを呼ぶ掛け声が繰り返される。

実際、居並ぶ世界の権力者達はスターリンの悪い冗談「法王は何個師団を有しているのか?」を思い起こしたのではないだろうか。東方教会の祈りや来賓のイランのハメイニ師や合衆国要人が居並ぶ姿は改めて故人の世俗での業績を思い起こさせる。

そしてお棺が担がれ、それが改めて信者に向けられて最後のお別れをする。再びサントとジョバンニの応答が沸き起こり、手が大きく振られて送られる。お棺の聖水の雫が瑞々しかった。



参照:
神の器官の痛みを分けて [ 女 ] / 2005-04-06
鍵の架けられた法王執務室 [ 生活・暦 ] / 2005-04-04

後記:
その後発行された記念切手にも、故人が望んだお棺の通りに、十字架横にマリア信仰を表すMが記されている。
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エクスポートビーア/Das Exportbier

2005-04-08 | その他アルコール
2004 04/13 編集

南西ドイツで愛飲されているエクスポートビーアは、ホップ苦みも薄くアルコール度もピルツナーに比べて低い。通常は室温で、場合によっては暖めて飲まれるビールである。この地方では、ヴァイツェン、ピルツナーと並ぶ三大ビールの種類である。

ベルナーオーバーランド観光で有名なスイスのインテルラーケンには、リュゥゲンという地場ビールがある。山麓の地元のスーパーで其の瓶パックを見付けた。そこには日本語で「輸出用ビール」と書いてあった。免税品のように響いた。よく見ると他の言語ではエクスポートビーアとなっていた。下面発酵のため上面発酵に比べ発酵させる時間が長く、寝かせる事から名が付いたのがラガー(倉庫)ビールである。実はエクスポートビーアというのはこのラガーをさらに発酵を長く仕上げて輸出にも耐えるようにしたという。

ラガーを「倉庫ビール」とは言わないように、「輸出用ビール」は翻訳としては誤りである。この谷の奥の町グリンデルヴァルトは、槙有恒氏がアイガーの東山綾を初登(1921)して以来日本との繋がりが深い。誰が訳したのかは知らないが、計らずしも真実を伝えて妙である。
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困った時の時計職人の技

2005-04-07 | 雑感
昨年の5月だったが、初めて鍵の掛かった車に締め出されてしまった。四輪車歴はそれ程長くは無いが初めてのことだった。旅行を控えて、チューリッヒで幾つかの数珠繋ぎのアポイントメンツをこなしている中で起きた。次の待ち合わせの時刻を見ながら、陽が強く照るオペラ座のテラスで気持ちよく対談していた。時間も経ったので席を立ち、話し相手と一緒に車のところへ行き、渡し物をトランクルームから取り出し、挨拶をして別れた。そして、急いでトランクの蓋をばたんと閉めた時、トランクの中に残されている鍵に気付いた。

それからが大変だった。携帯電話は車のコンソールに戻すために手に持っているが、財布はトランクのアタッシュケースの中だ。幸い携帯電話のROMから助けを求める事が出来た。しかしプリペイドカードなので高価なローミングがどれぐらい使えるか分からない。何度も掛け直させたりして、結局半時間ほど待つ事になった。折からの帰宅ラッシュ時が始まり、道は込んでくる。ズルヒャー・ゼェーの湖面から気持ちの良い風が吹く。為す術も無く交差点で人待ちをしながら、この美しい光景に染まっていた。

こうして40分ほど経った時、スイスの自動車クラブの救援がやって来た。サイドの窓から試みたが開かない。彼は合鍵を取りに帰れないかと聞く。その日のうちに戻ってこれる可能性も疑わしい。そして翌々日は飛行機に乗らなければならなかった。如何しても無理である。幸運にもサンルーフが斜めに開けてある。ここから試みて貰った。そしてドアが開いた。

集中制御なので、今度はそこからトランクルームにあるアタッシュケースを開けなければいけない。幸いにもスキースルーを取り外せた。その穴から彼はアタッシュケースの蓋を開け、鍵を探らさせた。おぼろげな記憶を頼りに鍵を救出出来たのは殆んど奇跡あった。感心したのは、彼が「傷をつけるならなんでもないが、それでは意味が無い。」と言うような仕事振りであった。スイスの高級機械時計職人の精妙な仕事を絶賛して、一時間半以上遅れて次の面会を果たした。
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神の器官の痛みを分けて

2005-04-06 | 
ポーランド女性と話す機会があったので、先週からの流れを辿ってみた。確かに彼女は、先週の水曜日には法王の健康状態が悪い事を何気なく語っていたが、こちらは高齢者の健康状態でありXデェイを考える気もないので聞き流していた。そう言えば、その時点で彼女は法王の事を家族のように考えて、気を揉んでいたのだ。独放送で、「ポーランド人は少し違う」というナレーターの言い種に腹を立てている。この少し違うと言うのは至極当然であって、この心理が想像出来ない鈍感な人間は先ず居なかろう。恐らく、これは若い男性によってなされた作為的な発言であろう。この発言が言わんとする事は良く理解出来る。しかし、これは世界中至る所にあるような矮小な人間、安物のプロテスタンティズムの典型のような気がする。

ポーランド人の民族性を言うならば、当然の事ながら紛れもなく存在する。地理的、歴史的、文化的、民族的...と挙げて行くと、同じカトリック教国イタリアとの差も顕著になる。イタリア人の個性も承知の通りである。敢えて言えば、死去したヤン・パウヴェ二世にも色濃くポーランド人気質が滲み出る。飾り気がないというか、飾れないというのが気質である。確りと地に両足を付けた何処か厚かましささえある。

法王の苦悩、最後の10年間の病を圧しての行動に側近も疑問を投げかけていた。そして今我々でさえそれが理解出来る。キリストの受難そのものを自らの体を持って示していた。あれ程までにメディアに登場した法王であったから、見せる事の意味に無意識であった筈がない。膨大な映像が残っている。そしてそこに残されたメッセージは、今後も間違いなく全ての病み悩める人々に多くを語りかける。このような事が業とらしくなく出来るのが、法王の個性であり彼の宗教であった。サンピエトロ広場で、枢機卿が詰掛けた信者に対して、「法王と同時代に生きた事を、何よりも喜びましょう。」と語った。些か大げさに聞こえたが、こうして見てくるとその言わんとする事が分かる。

彼女は、その後土曜日の22時には住んでいる町の教会の鐘が四半時打ち続けられるのを聞いた。ポーランドに居る彼女の姉が電話で話すには、MTVなどの娯楽放送局は電波を打ち切って黒い画面となっている。全ポーランドが喪に服しているという。一週間程は続くという。法王の世俗名は独放送でもしばしば紹介されるのだが、彼女に言わせると唯の一度だけ正しく発音されたという。ポーランド語のその文字だけでなく二重母音や子音は個性的で厄介だ。

法王の苦悩や祈りの表情とポーランド人気質の関連性についての推測を、彼女は否定しなかった。ゴシップ話やノストラダムスの予言、ヴァレサ氏の連体の事、暗殺犯恩赦の話などをした。そして、信者以外も含めて世界中の多くの人がこのポーランドのアイドルとの出会いに感嘆を受けた事実を語ると、彼女の大きく開かれた碧眼は満ち潮のように膨らんだ。そして今は、遺体が通常通りサンピエトロに収まるのか、それとも遺言によって故郷へ里帰りするのかが最大の関心事の様である。ポーランドにおける法王の存在とポーランド人気質が幾らかでも文字に表せたろうか。

こうした事は、カトリックの神学とは一切関係がない。しかし、我々はこうした脚色のない大きな人間性なり偉大な精神に心打たれる。実際、このような状況を可能とした現代の旅行の便利さ、情報の流通、それによる人々の交流などに、普遍的な宗教の意義を身をもって体験して認識する事が出来るのである。


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黴の生えた高い民意

2005-04-05 | 歴史・時事
ケルンテナー・ラームライプというのは、オーストリー南部ケルンテン地方のチーズである。硬質のチーズとしては柔らかめで60%脂肪の組成がこれを裏付けている。牛乳から8週間の熟成期間で、周りのカビは強く臭う。明るい黄色味を帯びて、ぶつぶつと細く泡状の小穴が開く。弾力のある柔らかさである。

この地方自治の長は、何を隠そう彼の有名な極右ポプリスト・ハイダー博士である。ヴィーンの中央政権を掻き回し、外交問題まで引き起こした彼は、院政を執って中央政界から引き上げてからその後内部権力闘争などもあったが、そのホームページを見ると地元ではどうして健在である。ハイダー氏の社会での肩書きは、ポプリストとなっている。これは、ポピュラリスムという叙述の手法で語りかける者をいう。手元にある二種類の辞書の定義が良く纏まっている。「反体制で民の近くにあり、劇的に誇張した政治情勢を示して大衆の贔屓を獲得する、しばしば目的を持った扇動的な政治手法。」もしくは「誇張した政治情勢を大げさに扱い大衆に影響を与える事。」とある。文学的書法としては、「民の生活を一介の民に分かるように描く。」もしくは「民の生活を自然で現実的な20世紀初頭の方法で一介の民のために描写。」とある。政治・社会学でも使われているようだが、政治的右左は問わないようである。州は違うがケルンテン近郊出身のシュヴァルツネッガー氏やブッシュ・ジュニアも典型的なポプリストとする意見がある。

ケルンテン地方に戻るとこの地域がスロヴェニアとの国境を有し労働や教育などの多くの問題を抱えている事やどこか中央政府から見放されたような印象のある社会文化基盤がこのような政治状況を生んでいるようだ。だから、ヘリコプターを使ったスピーディーで現代的な印象を与える遊説風景や各種スポーツイヴェントに登場する元気な政治家は地元の有権者を熱狂させた。自己のホームページには「一般的な肩書き」は書かれていないようだが、相変わらず公約や発言は威勢が良い。その発言は絶えず有権者に向けられている。

ハイダー氏がヴィーンの連邦政府に入閣した時、外交官を引き上げたシラク氏に対する歴史的記憶に訴えかけた攻撃を思い起こす。「オーストリーはEUの小国であって、大国フランスの横暴。」であるというような感じで、被害者意識を強調した。反対にベルギーの「子供ポルノ」事件の節は、人々の嫌悪感を利用した。民の常識に問うのが手法であると書いてある通りである。「民意の高さ」を微温湯のような因習に首まで漬かる 常 識 に問う。

同地方には長期滞在した経験はないが温泉などもあり南へと窓の開いた本来は明るい土地柄である。歴史的な地理や経済が幾分閉塞感を齎しているかもしれない。上のチーズも力強い味なので、サイコロ状に切って赤ワインに合わせるとなっている。犬猿の仲のフランスのボルドーをあててみた。94年産の未だにカベルネ・フランの渋みが残るサンテミリオンの赤ワインも流石に角が取れた。このチーズのカビの臭みを丸く、それも巧妙に包みこむ。
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鍵の架けられた法王執務室

2005-04-04 | 生活
昨晩遅く、ローマ法王ヨハンネス・パウロ二世の死が伝えられた。金曜日の最後の塗油の儀式の報道に従って、土曜日は朝から一部の放送が差し替えられていたようだった。TVを点ける習慣がないので報道を追うことは出来なかったが、車の中で付けたラジオの文化放送波では盛んにレクイエムの歴史とミサ典礼の説明がなされていた。しかしこれが予め制作してあったものかどうかは確認出来なかった。平素は如何してもプロテスタントの影響が大きい放送の現場であるが、同波の支局が大司教区マインツに位置してその放送域の半分はカトリック教徒だろうからこれは当然だろう。

事後の報道は未明になってから少し観たが、独TV第一・二放送ならびに第三放送は全て現地中継を含めて、特別番組が放送された。民放報道系も、CNNを含めてヴァチカンからの中継を交えた体制が取られた。フランスの第二放送も同様であった。その反面、民放娯楽番組等は予定通りの通俗番組を流して著しいコントラストを示した。

公共放送の立場からすると、カトリック教徒の視聴者への配慮を十分に示す事になる。街頭インタヴューなどもある程度フィルターがかかっている事は否めないが、概ね基調は変わらなかった。カトリック信者からは仲介者法王への精神的繋がりが吐露される。全世界のカトリック信者の数を考えると、この精神的繋がりから教会権力の構造を超えて、改めてその影響力の大きさが計り知れる。最も印象深かった現地中継は、法王が大司教を勤めたポーランド南部の古都クラコウでの様子であった。ここでは、仲介者としての法王である以上にポーランド人アイドルの法王が偲ばれていた。イタリアでは、特にローマではディスコや商店が閉められて喪に伏した。カトリックの圧倒的多数を改めて印象付ける。

中継の合間に各局で一晩中絶えず放送された映像から法王が偲ばれ、その業績が纏められる。空飛ぶ法王と言われた開かれた内部の宗教的改革と並んで、他宗派や他宗教との宗教交流などが挙げられる。特にアシシでの世界宗教会議の様子は今見ても圧巻である。

東西ドイツの統合に演じた役割は当然の事ながら強調される。特にゴルヴァチョフ氏との会談や共産圏下のポーランドへの里帰り風景は、歴史的なクライマックスであったろう。しかしドイツカトリック教会における法王との確執は、女性聖職者の扱いや避妊、中絶等の問題で大きかった事も指摘される。改革的な法王の飽くまでも護った最後の一線が浮き彫りにされる。二度のドイツ訪問、それも二度目の青年達との席で、現実に即したカトリック教会のあり方を問われると、腰掛けたまま下を向いて目を閉じてしまうのが印象的である。このような意見に対しては、決してその場では答えなかったという。それらは、ローマ教会が宗教的、道徳的権威を保つために決して譲れなかったのだろう。また、トルコ人司祭の起こした暗殺未遂事件での恩赦風景は、今日映像で振り返って見ても重要なエピソードとなっている。

結局録画でしか観れなかったが、最後の復活祭の声の出ない祝福も大宗教の最高聖職者としての面目躍如たるものであった。聖人へ名を連ねるとの噂もあり、その政治的な成果とは別に、青少年への働きかけ、メディアでの露出と合わせ現代における聖職者としての評価は高い。

ドイツ連邦政府は半旗を掲げた。フランクフルトでは直後に鐘が鳴ったというがここでは何も聞いていない。我が町は、カトリックが少数派なので現在のところ半旗は掲げられていない。3キロ先のカトリックの隣町とは幾分違った対応となるのだろうか。これから、27年前のあの日のように、確かヴァチカンの何処からか烽火が昇るまでは法王不在となる。

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骨董化した空間のデザイン

2005-04-03 | 文化一般
さて、イェンセン氏の経歴を見ると不遇な少年時代から家具職人を経て工業デザイナーとして教育を受けている。オーディオ機器が家具へと収束される可能性も忘れてはいけない。南ドイツにおいて一番多い音響装置の設置は、木の骨董の大きな箪笥の中にスピーカー以外の全てを皿や湯飲み等と一緒に収納して隠してしまう例である。こうする事によって、必要悪の機器と比較的隠されたスピーカーはそれ自身を強調する事はない。そのような場合、特にスピーカーを不適当に隠した場合、その再生クオリティーを度外視しても、どれ程音楽を経験させてくれるかというと甚だ心許無い。BGMとして流れてしまう可能性が強い。音が響く「空間」が消滅してしまうからだ。この「空間」とは、決して録音の音場や「仮想」の演奏風景を意味するのではない。ボーズ博士の主張する秀逸したステレオ再生の三角形からの開放を決して否定していない。「経験」には何らかの空間認識が必要ということである。

イェンセン氏がデザインした1980年代のCDプレーヤーを備えた製品を見ていく。当初は代表作のレコードプレーヤーの傍らにカセットデッキとCDプレーヤーが付け加えられる形式を取っている。もしくは代表作が除かれた形で、平たく枠に木をあしらった四角いブラックボックスのようになっている。以前の意匠や商品(日本人も吃驚)を継承したことで、既に時代遅れのデザインのように見えるが如何だろう。実はその後の同社の「CDのレーベル面を見せて立て掛けた製品」のシリーズは、イェンセン氏が袂を分けてからで彼のデザインでは無い。これは高級から廉価製品まで頻繁に採用されているアイデアである。水平から垂直へと位相変換しただけなのだが、こうして一般に水平方向に向って設置されるスピーカーの振動版と同じ平面に全てを収める事が出来た。しかしこの面が落下方向の90度に設置されていなくて、幾分仰角がつけている。これによって取り扱いの向上と、立体感や薄さが強調されているのだろう。何れにせよ、簡素なのは好いが音響上のトリックがない限り、これらのデザインが空間のイメージの認識に寄与するかどうかは疑わしい。

斜陽の音楽、オーディオ産業であるからマルチメディアの家庭シアターが主力分野となのは当然として、それらにおいては依然として高度工業化された生活への執着から抜け出せていない。実際に求められているライフスタイルはシンプルで単純な方へと向いている。ソフトが齎す「架空」のイメージとここでいう「経験する時間・空間の認識」とは異なる事に留意しなければいけない。

再びDVD、SACDの音響部門に目を向けると、マルチメディアのサラウンドシステムを利用する試みもある。しかしこれら新しいメディアには、現在のところCD市場を塗り替えるだけの勢いは無い。音の方向のパラメーターを重視した20世紀の音楽作品は多い。4チャンネルシステムの轍を踏まないためには、空間表現を持って簡素に再生される環境が必要である。しかし従来の美学から開放されて、21世紀の新たなライフスタイルに即した美意識が形成されるのには時を要するだろう。(工業化された時間のデザイン [ 文化一般 ] / 2005-04-02から続く)
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工業化された時間のデザイン

2005-04-02 | 文化一般
ヤコブ・イェンセン氏は、ニューヨーク現代美術館にその作品が展示されている唯一人のスカンジナヴィア人という。デンマークのデザイン家庭電化製品ブランドB&O社のデザイナーといえば分かるだろう。彼が1964年から1989年までここでデザインを担当した商品は100種類を超えるといわれ、その中からオーディオ商品が1978年以降ニューヨークに展示されている。それらは、20世紀のデザインを代表する訳だが、その視覚的効果が与える芸術的感興、特に音楽的な影響を考えてみるのも面白そうだ。

未だに一部で人気のあるアナログLPの魅力として、「その黒い円盤の溝が鈍く光を乱反射させてまさに黒光りするのが良い」というのをしばしば聞く。水平の天秤に重石で釣り合いを取った固い針がその一本の溝の上をなぞる。ゆっくりと一秒半程の時をかけて、黒い円盤は一周する。回りながらその針は、内側へと導かれて30分程の時が流れる。この有限の時間が大切なのである。

これは、コンパクトディスクのリプレー機能や粗最高80分の再生時間とは対称を為す。フィリップス社とソニー社が協議の上で定めた規格は、最終的にベートーヴェンの第九交響曲のCD一枚への収録時間から導かれたという。手元にあるCDで最長時間収録されているのはマーラーの第七交響曲のようである。これらのCDを席を立たずに聞き通す人や機会は稀であろう。CDのエンドレス性やそのプログラム可能なアクセスの良さや利便性は、ある種の有限の美学にはあまり馴染まない。

イェンセン氏のデザインで最も記憶に残るのは、1972年に発売されたレコードプレーヤーBeogram 4000ではないだろうか。それは、従来の針を支えるアームの構造上の弊害を取り除き短い腕が横にスライドする事によって、内周と外周の特性を揃える構造となっていた。これは、レコードの溝切りのカッターの構造を模していて、技術的にも評判になり、類似商品の発売を誘発した。このような技術的新味を、その合理性をデザインするのが工業デザインだろう。しかし、改めて写真を見ると北欧家具のような木をあしらって素材も厳選して美しく新しいが、更にボタンによってマニャアルに進めたり戻したり出来るようだが、非常に使い難そうにみえる。LPの着脱も厄介そうだ。なるほど、1974年度の製造元のカタログにはLPの丁寧な扱い方が記されていて、購買前から注意深い取り扱いを意識させている。「素材を切り詰めて、アイデアをふんだんに」とのモットーをイェンセン氏は語っているが、製品自体が総合的に見てシンプルだとは決して思われない。上述の時間の芸術としての美学から見ると、この製品が音楽的であったかどうかも疑問が残る。(骨董化した空間のデザイン [ 文化一般 ] / 2005-04-03へ続く)
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熊が出没!?

2005-04-01 | 
隣町へ向かうワイン畑の小川の畔の草叢に、と言えばエープリール・フ-ルとなる。

ベーア・ラウフ(ベアー・ガーリック)が市場に出ている。春を告げる山菜、第一弾である。これからアスパラガスが出るまでが春と言う感じがする。


Allium ursinum/Baerlauch
2004 03/26 編集

ベアー・ガーリックという野生植物は、熊笹状の葉っぱを食べる。味は、ニンニクより弱くニラに近い。中欧の特に西欧の水気のある野原や中州地帯に植生する。熊の出そうな場所で、蜂蜜の時期には早い、冬眠から起きた熊の食べそうな植物である。

これを初めて意識して食したのは五年以上前である。やはり熊の紋章のスイスの首都ベルンからインテルラーケン方面へ30分ほどのベルナーオーバーランドの山麓だった。ガラス張りのレストランの大きな窓には、テューン湖を囲む未だ白い峰々の中に、黒く影を作るアイガーの北壁と真っ白に輝くユングフラウ峰、その間に挟まるメンヒ峰がクッキリと納まっていた。同行の二人の女性とも、一人はワルシャワ出身で仕方がないが、もう一人はバイエルンの山の懐で育ったにもかかわらず、これを知らなかった。当時は知る人ぞ知る山菜だった。

それが今や流行の自然食品として近所で売っている。三月終りから五月までがシーズンである。八百屋で纏めた束を物色していると「貸し」のあるイタリア料理屋の親父がこれでペストを作れと教えてくれた。99セントでなかなか食べきれない量だが、ソースにして保存することも出来る。味が強く魚の臭みも消すことが出来るので、生で添えて食してもよい。ワインは、よって繊細さを楽しむリースリングなどより、イタリアのシャドネーやピノ・グリッチョ等の味が確りした白ワインが薦められる。ニンニク味は硫黄化合物ということなので、これもワイン選択のポイントになる。

熊という言葉は、ゲルマン民族にとってタブーだったようだ。野蛮な狩猟民族であったゲルマンの民も人力を越えた熊やオオカミを恐れていたことが分かる。双方とも中欧から絶滅してかなりの年月が経つ。


そう言えば、復活祭の土曜日の夜中の2時が3時に進められて、夏時間になっていた。以前は春分の次の週末に行われていたが、EUになってから3月と10月の最終週に統一された。しかし今年は偶々春分が土曜日だったので、以前の決まりがフィードバックした。

四月一日をキーワードに各国語のWIKIを見ると、フランスのシャルル九世(1550-1575)の暦改正への試みがこの祝祭の起源となっている。そこではドイツ語のアープリル・シェルツの過去の例が幾つか挙げられている。その中でヘッセンのラジオ局第三波と地元民放局が共同で企てたデマの流布が有名である。「前日の夏時間変更は誤りでした。」と出勤時間の放送番組で誤りの時報を流した。月曜日朝の寝惚け眼のお勤め人が当惑したのは想像に難くない。
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