Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

将来への都合の良い感覚

2009-11-16 | アウトドーア・環境
殆ど二月振りに白樺の林に戻ってきた。最後に来た時は、そこを走ったか、それともハイキングコース全コース走破などと言っていた時である。最近四週間ほどは、初冬の天候もあったが生活に余裕がなくてあまり歩いていなかった。偶々冷蔵庫にバンビの肝臓のレバーのパテがあったので、パンが必要になった。日曜七時半を目指してパン屋へ行くと、明かりは灯っていなくて、外で親仁さんがトラックにものをつめていた。車を降りて張り紙を確かめると、親仁が「新しく焼かん」というのである。なるほど十一月から四月までは日曜日休みとなっている。それでもいつもの習慣で起きてしまうのが職人なのだ。

仕方ないので、次ぎの店で買おうと思うが開店までに三十分も時間がある。それならといつもの森の中の駐車場まで車を走らせる。車一つない。足元は濡れて良くないが、紅葉見学しながら往復三十分程歩いた。帰りには二台三台と車が入って来て、犬の散歩やジョッガーが集まって来ていた。

歩きながら考えていたのは前回考えていたことの内容である。つまり過去からみた未来つまり今日のことである。あの時は十一月を免許停止期間にして自転車でパンを買いに来ようと考えていたのだった。その時の未来像と今日の現実は大分異なっている。なによりも道が湿っていて、自転車がかなり泥はねしそうで、流石に乗っている人も少ないのである。そしてなによりも日曜日にはパン屋が閉っているとは思わなかった。その状況を想像しただけで脱力感が生じる。

将来を予測する方法は存在するが、一般的に日常生活の将来像は如何に感覚的なものでなりたっているかがこれで知れるのである。つまり、自転車で谷を詰めてきて汗を掻いて、新鮮なパンを買って幸せな日曜日の朝を愉しむ空想は、都合の良い想像でしかなかったのである。



参照:
秋のはじめの想いの数々 2009-09-05 | 暦
時間を掛ける楽しみを踏破 2009-08-28 | アウトドーア・環境
初夏の朝の森の散策 2009-05-09 | アウトドーア・環境
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気象温暖化の具体的な影響

2009-11-15 | アウトドーア・環境
今年は違う。なにが違うのだろう。少なくとも、今年は一月近く紅葉が続いている。異常である。それだけ夜間の温度が低かったと言うことだろうが、2010年も特別な年になりそうである。なにも2012年を待つまでもない。

各地の醸造所から例年に無く続々と送られてくる案内や、売り物の2008年産と2009年産の状況も少し趣が違う。一つは2008年産のリースリングの売れ行きが特別悪かったということではあるまいか。自身、現在までの購入本数は限られて、その殆どが保存用である。おそらく海外にも2008年産リースリングは流れるであろう。しかし心配は不要である。その倦厭された酸が素晴らしい落ち着きを見せるのが海外市場で売り出されるときだからである。そこから大胆予想をすれば、2008年ドイツ産リースリングは海外でブレークする可能性があるだろう。つまり、最初の山が丁度瓶詰め後一年ぐらいに来る可能性があるからだ。そうなればドイツワイン法改正へと大きな弾みがつきそうだ。

秋から冬に掛けて受け取った醸造所からの便りはどれもこれもそうした背景の状況を映し出していているのだが、本日受け取ったラインガウのロバート・ヴァイル醸造所のヴァイル氏のインタヴュー記事はなかなか面白かった。シャトー・ラトュールのバリックが表紙となっているドイツ語圏向けの「ファイン誌」で語っている内容は、気象温暖化の具体的な影響と今後に向けた考え方である。次世代の2050年を見据えた経営戦略や、百年前の世代へと戻るワインのカテゴリー別けへの復帰に、現在の取り組みが詳しく述べられている。耕作地高度を高い方へとテリトリーを広げることに将来への可能性を残すことと、それだけの土壌を確保している自負とともに、一時は栽培したワインを発泡酒用に売らなければいけなかった「寒冷期」の想い出も綴られている。

具体的に表現するならば嘗ては寒い晩秋・初冬まで果実の熟成を待たなければいけなかったのが、今は気温が高い秋に如何に長く葡萄を摘み取らずにおいて、紅葉に見られる如く糖の林檎酸を介した葡萄の木のエネルギー節制への、葡萄ジュースの深み至る過程こそがそこで求められる。もし糖分や酸濃度が十分だからと言って早めに葡萄が摘み取りされたならば、昨今のその後の気温の高い状況下での腐りや黴の危険を避ける事は出来るが、それでは決して偉大なワインとはならないと言うのである。例えば今年の冬は長かったのだが、暖かくなるや否や開花して仕舞い、結局例年に比べて二週間も早い開花となったのである。80年代のように長い春は無くなったと言う。そうなると、全ては二週間早くなり、嘗ては冷蔵庫に仕舞っておいたかのような外気の中で熟成する葡萄を待った様には今は放っておけないのだ。つまり数日間のうちに沢山の葡萄を一斉に摘み取らなければいけない緊迫した摘み取り作業となっている。如何に人手を手配出来るかという、既にここでもその能力の弱小な醸造所については触れた通りなのである。これ以上はワイン醸造所経営講座になるので触れない。

我々ワインを多少なりとも嗜む者にとって関心があるのは、その嗜み方であるかも知れない。誰もが思うのは、出来る限りそうした事情を先取りして美味いワインを安く入手して、出来るならば先行投資して、来る時に素晴らしい機会に素晴らしいワインを皆で愉しみたいという希望なのである。それはなにもワインという少なからず刹那的な愉しみだけでなくて芸術や文芸にも通じる感覚かも知れない。そのためには、なにが起こっているか、なにを人は考えているのか、どのように対処するのかなど、自らの環境に思いを巡らすしかないのである。


以下に醸造所からのお知らせ内容の概要:

バッサーマン・ヨルダン醸造所 ― 期待される最高級のヴィンテージ2009年産、それでも少量。九月初めから十月末までにアイスヴァインまで収穫。新鮮で果実風味豊かなブルグンダーに繊細で印象的なリースリンク。ラインヘーレとイエズイテンガルテンで糖比重205エクスレ、215エクスレのTBA。十二月初めには2009年産ピノグリとブランを提供。一足先のクリスマス挨拶。

フォン・ブール醸造所 ― 寒い冬からの一斉の芽吹き。十年振りの霜も雹の被害のない作柄で生理学的成熟。九月十五日から十月二十二日までの収穫期間に、糖比重166エクスレの葡萄を収穫。赤ワインは、構築的でアロマに富み色も濃い。缶詰ザウマーゲンとヘアゴットザッカー摘み合わせやペリゴーのフォアグラなどの祝祭日パッケージの販売。

ゲオルク・モスバッハー醸造所 ― 2009年収穫非常に早く終える。好天で乾いた晩夏の賜物で健康且つ黄金の完熟葡萄を収穫。醸造中のワインは果実風味と、繊細でバランスの取れた酸が大変期待される。ヴァインプルスサイトで六種のワインが高評価、またファルスタッフ誌にて91点から93点獲得した2008年産は、ジューシーでミネラル風味タップリ、繊細な酸構造と適度なアルコール。化学的アナリーゼなどをHPに掲載。

A・クリストマン醸造所 ― 新醸造蔵改装完成の報告と記念して詰め合わせパッケージの販促。長く続かなかった2009年の冬と春の訪れ、適温で雨にも恵まれた間髪入れずに続いた初夏。特に七月の快晴と恵みの雨を挙げ、暑過ぎない暖かい理想的な夏と晩夏を振り返る。それによる全く健康な熟成と九月に入ってからの落ち過ぎない酸をして、あとは来年の出来上がりがそれに見合うかどうかだけと、VDP会長自らが語る。(十二月一日追記)

ミュラー・カトワール醸造所 ― 試飲会への誘い。ヴァインヴェルト誌で2008年産が最高のリースリングとして表彰される。ビュルガーカルテン・リースリングのみならずマンデルリンク・ショイレーベやリズラーナー・アウスレーゼもフランツェン親方の成果として明るい将来を展望。またヴァインプルスにて、前任者シュヴァルツ氏の陰に隠れて心配をされたフランツェン親方が「少なくとも2007年産からそうしたものを払拭した」と、表彰風景写真と共に告知される。

レープホルツ醸造所 ― 今後は赤はシュペートレーゼに専念すると言明。その試飲会への招待と、ご進物アイデアの披露。2009年を待ちに待った良年として、05、97、92の方向を予想して、08年や07年と全く異なる個性とする。酸濃度も糖比重も理想的範囲にあるので03年のようなことは避けられたと、一部にはある酸の弱さを否定している。現行の08年についてその強調される酸と低いアルコールその成長振りは偉大なワインにならないとする春の予想を越えたとしている。それが、軽くて味の薄くないワインになったと、高いミネラル風味は殆ど海水のスパイシーさを思い起こさせ尚且つ長持ちするとご満悦である。嘗てゾンネンシャインと呼ばれていた1999年産ガンスホルンがベルナルト・ブロイヤー杯で最も長持ちして熟成したリースリングとして選れたと紹介。

フォン・シューベルト醸造所 ― クリスマスに向けての奥さんが商うブルゴーニュなどの赤ワインやギフト商品の紹介。現行のワインリストに、葡萄を好色する猪肉の詰め合わせの紹介。石展示販売会への誘い。

シュロース・ザールシュタイン醸造所 ― 現行リストの送付と、軽さと繊細の優しい香りと新鮮な酸の2008年産の特徴とお試しパックの紹介。2009年産は再び販売の軽めのサマーワインのために地所を貸借したこと、ピノグリを600Lはじめて収穫したこと。冬もテラスでの試飲への誘いと来年八月の試飲会のお知らせ。

ロバート・ヴァイル醸造所 ― 上の本記事の内容を更に説明して、三つの地所を紹介。そして、2008年産グレーフェンベルクのグランクリュがファルスタッフ誌とヴァインプルスにおいて、94点、100点を獲得したことなど数々のプレス評価を披露。現行リストに、趣味で造るピノノワールが冬には良いとお勧め。



参照:
2009モーゼル収穫結果 (モーゼルだより)
同じ過ちを繰り返す危険 2009-10-08 | アウトドーア・環境
婿殿、天晴れで御座います 2009-11-04 | 試飲百景
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醜悪を隠す被り物を取れ

2009-11-14 | 歴史・時事
外国人問題としてある事件を取り上げたが、その事件の判決が下りた。マックスプランク研究所で研究するご主人にエジプトからついて来て東ドイツに住む女性が、ドレスデンの法廷でロシア人に殺傷された事件である。ロシア人は、やはりドイツ系であったようで、既にドイツ国籍を取得している。ファーストネームしかでていないために、ファミリーネームのドイツ名は確認できないが、そのアレックスおそらくアレクサンドル・Wは、2003年からドイツに滞在しているが実際はそれ以前に入国して入ると疑われている。要するに不法入国のまま、民族的な条件ですんなりと国籍を取得したようだ。もちろん五年での国籍取得も可能であるが、その経緯を弁護側は犯行の動機つけとして情状酌量を狙った。

つまり「ドイツ語で喋るということは ― 2009-11-05 | 女」で紹介したようなドイツ系移民がシベリアなどの貧しい地域から、別天地のパラダイスを求めて先祖があとにした土地に移り住む舞い戻り移民に相当するのであろう。しかし、その多くが民族的な優先的扱いによって、十分な移民の根拠を持ち得ていない状況は十分に察せられ、丁度日本へと帰国した中国孤児と同じような状況ではなかろうか。その存在自体が厄介な歴史的存在であることも。

そうした根深い事情を破棄するかのように裁判長女史は断言する。動機は一義的に外国人嫌悪であって、被告の「ドイツでの酷い生活への恨み」は動機としてより低位のものであると。さらに、弁護側の主張する責任能力への懐疑に関してもロシア当局から届いたばかりの報告をもって、「無定義の統合失調症」の過去の診断事実は無く、その情動的な犯行とする弁護を「十分に冷静であり論理的であった」として完全否定した。

逃げ場のないドアの枠内で入廷しようとする被害者を狙い妊婦を母子共に惨殺して、更に止めに入ったご主人を刺している行為を殺人未遂と断定している。そして被害者に関しては当日三歳になる子供を連れてきていることから「全く悪気がなかった」として、その犯行の重大性を鑑みて、終身刑を言い渡した。それに加えて二十年先の釈放の可能性を牽制していることから、考えられる限り最も重い刑の言い渡しとなった。

これらを総合して、ドイツ人が犯人であればこうした自暴自棄行為もあまり無かろうと思われるが、通常はその背景にあるネオナチなどの政治的な傾向を無視すれば、その責任能力が問われる事例に違いない。判決が言い渡された第十一回法廷でも黒頭巾を被るなどの姿勢を見せた被告に対して、「被り物を剥がせることを強制出来たが、そのようなことは些細なことだ」と裁判長は語ったようである。

こうしたどうしようもない人間に対して社会はなすすべがない。裁判費用など全てを支払う義務がこの被告に課されたが、そもそも公園でおそらく被害者の黒い被り物を称して「テロリスティン」と非難した加害者を侮辱罪で訴えるのは仕方ないとして、こうした「不良外人」から金を取ろうとしたのが間違いであろう。被害者のご主人も各種外国人団体も、この判決を歓迎しているが本当のドイツの問題はこれでは解決されていない。寧ろ、汚いものには蓋をしているだけのことなのである。本当の問題である移民法やその他の問題が背後に大きく横たわっているのは繰り返すまでもない。

ついでながら言及すれば、鳩山政権が試みているような特別外国人への参政権などの問題はその歴史的な植民地の意味の再認識や、経済的社会的な理由で植民地時代以降も日本へやってきたもしくは余儀なくされた朝鮮人の真実の姿を顧みることなく、また移民政策を確立することもなく施行されるべきではない。人権を顧みることなく表層的なリベラリズムを標榜するぐらいならば積極的に二重国籍の施行を利用すべきである。



参照:
Lebenslang gegen Alex W. für Mord aus Fremdenhass, Peter Schneider, FAZ vom 12.11.09
帰国した日系ブラジル人の苦悩 (時空を超えて)
ドイツ語で喋るということは 2009-11-05 | 女
あまりふれたくない真実 2009-11-03 | マスメディア批評
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不公平を避ける方へ究極の選択

2009-11-13 | 雑感
明日は出廷の日だったが延期となった。理由は知らないが、技術検査士か誰かが豚インフルエンザにでも掛かったのだろう。直前の延期のためか、私のところには連絡が来ずに弁護士の所に連絡が来た。気になったのでそれを電話で確かめた。最新の判例でスピード測定機の信憑性が薄いとされて無罪となった事例を知った。いずれにしても検挙された例が覆される事例が少しずつ増えているようで、私の場合ももし無罪放免となると重要な判例となりそうである。

此方もはじめ感じていた不幸な不公平感から生じるような気持ちは薄れてきていて、遵法精神を育むための無罪放免を勝ち取らなければいけないと言うような義務感の方が強くなって来ている。そのような心境から、体調万全に挑みたいのだが、現在の風邪気味の思考ではまた支離滅裂になりそうだったので取り直しは願ってもない。

昨晩、めったにないことだが甘いワインを空けた。空けたと言ってもハーフボトルであるが、アルコールはアウスレーゼでも11%と高いからモーゼル流域の辛口と同等である。しかし、葡萄はいつものリースリングではなくてショイレーベである。2001年産であるから決して悪くはないのだが、流石に酸が弱く二年ほど前の安売り放出品だけの値打ちである。熟成が進んでも特別に開花しないショイレーベが悪いのか、微かな熟成香に酸が足りなく新鮮さもないので特別に感動しない。1986年産のシュイレーベのアウスレーゼもフルボトルで放ってある。これも期待せずにいつかなにかのパーティーで余興で開けてみよう。

新聞に2009年産のドイツのワインの概況が載っていた。それによるとこの十年間で2003年に次ぐ少ない収穫量という。つまり乾いた長い残暑から秋への流れが稀にみる健康で熟成した葡萄を凝縮させて収穫量を更に10%落としてしまったようだ。その結果八百五十万五千ヘクトリッターへと下方修正された。つまり冷えた夜になされた酸に恵まれた、土壌を反映した香り豊かな高級ワインの収穫は、質量共に順調のようで、国内供給量も十分にあるので価格上昇は予想されていないと、消費者にとっては喜ばしいが、収穫量が落ちた生産者にとっては厳しい年度となると言うのである。

なぜ価格上昇が予想されないかと言えば、欧州全体が同じような状況にあるので輸入されるワインは増えず、恐らく景気ゆえにドイツワインの消費量の五分の一を占める海外市場も低調と予想されることから、国内供給量は十分に足りていると言うのである。

さらに既に本年度の消費状況を見ると、消費量は落ちているにも拘らず消費の高級志向から売り上げは落ちていないので、来年度も高級ワインを中心に売り上げは堅調と予想されている。その反面、樽売りなどの量産ワインは更に市場淘汰されて行くようで、こうした自然状況の変化による変化は市場を挟んだ自然淘汰としても差し支えない現象であろう。重要なことは、自然の猛威よりも人為的な不公平を避ける方へと ― 神の手が働く方へと ― 政治が引いては社会が対応出来るかという究極の選択しかないのである。



参照:
2009モーゼル収穫結果
収穫の風景 ザール 6 (モーゼルだより)
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アウトバーン利用者負担の議論

2009-11-12 | アウトドーア・環境
アウトバーン関連のニュースが続いている。新連邦交通大臣ペーター・ラムザウワーが震源地である。先日は、東ドイツに対する復興援助の過剰な投資によって西ドイツの整備が滞っていると発言したようだ。それは可也の議論を呼んで、結局首相メルケル女史が ― まだまだ経済格差のある ― 東ドイツに対して社会基盤を整備することで公平を期すと改めて確認しなければいけなかった。

西ドイツの特に西部ドイツの人口過密地域は、嘗ての炭鉱や鉄鋼の時代から栄えたが、人口の過密度は変わらないでもその質は変化してきて必ずしも将来に希望がもてる地域とも言えないであろう。それ故にオランダなどから南へと抜けるこの一体の高速道路網の過剰利用や渋滞は今後の地域経済にも影響すると見られる。

要は道路を整備して拡張する予算がないのである。そうした状況を受けて、大臣の政党であるキリスト教社会同盟や与党第一党キリスト教民主同盟はアウトバーンの利用者負担を求めて来ている。それに対して最大の自動車クラブADACは、税金で賄っている道路網に対してそれに加えて税を徴収することは二重取りになると批判している。同時に高速道路を利用しない近距離交通の自動車が増えて騒音や渋滞による生活環境の悪化を警告している。

実際に実施されたとしても既に施行されている貨物自動車への交通税量と同じように自動カウンターで検問する方式が取られるのだろうが、その機械の設置費に再び多額の費用が掛かることと、そこで徴収される通行税が道路行政に十分に還元されていない実績を疑問視する声が強い。その反面、アウトバーンが徴収を始めると同時に、外国からの徴収で二割かたの増収を見込めると言われる。
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選りすぐった特産品に舌鼓

2009-11-11 | マスメディア批評
今日も気温が下がり、一日中雨空である。熱っぽい。それが分かっていたので昨日買い溜めしておいた。芽キャベツでも焚いて温まりたいところだ。

先週はポーイヤックからサンテミリオンへと二本の赤ワインを開けた。こうした寒い時期となるとピノノワールとかシュペートブルグンダーなどよりもボルドーとかのコッテリした赤い葡萄のワインの方が温まる。週末にはフィレを出してきた肉屋のお母さんに、それよりは遥かに安い焼肉用の肉を二百グラム切って貰った。流石にステーキとして食するには硬く腹を壊したが、なかなか噛み応えもあり、赤ワインソースも旨く行った。せめてもう少し叩いて延ばしておけば良かった。

マルゴーの醸造所で貰った名門シャトー百五十選を見ていると、以前には気がつかなかった栽培や醸造上の情報が載っていてなかなか面白い。現在飲んでいる1998年産は、94年や95年に比べると澱が少なく、これならば飲む前に暫らく立てて置けば敢えてペーパーフィルターに通す必要もないと分かってきた。十分に飲む準備をするだけの熟成に至ったのが少し驚きである。1996年が良いのは分かっていたのだが、南欧のワインとしてはあれだけ酸がたっていたワインがなかなか飲み頃になって来ている。チョコレートケーキにも素晴らしく、今頃になって次回の買い付けまでの十分な在庫を喜んでいる。しかし次ぎは、先ずはブルゴーニュに行ってからだから何年後になるだろうか。あまり飲む機会も少ないと思っていた赤ワインであるが、現金なもので美味いとなるとどうしても手が出るので、今度は在庫が気になるのである。

そのような健康上の理由でTVシリーズ「ヴァインラント」の最終回は、途中トイレに駆け込んだりしてあまり集中して観れなかったが、掻い摘んで記録しておく。最初に何よりも、バッハラッハのトニー・ヨスト醸造所が紹介されて、ミッテルラインの高級ワイン醸造所はこれで決まりだと直感した。親仁さんの態度やコンセプトなどにズレの無さが感じられた。その後にカウプからコブレンツを過ぎてボンの近くまで河を下る。

バート・ヘニンゲンでは、観光行政でのワイン栽培が既に歴史を刻んでジュースと同じように造られている。そして最後に行きつくウンケルでは地質学者が孤立しながら崖でその土壌を活かしながら葡萄を育てる。ミッテルラインのワイン栽培はジリ貧であるようで、産業としての将来性はない。しかし、嘗ては効率のために歴史的なテラスが均されて急斜面に葡萄が植えられるようになった。その急斜面での労働も世界的な競争力を失わせているのはモーゼルを先行している。特別な味のスパイの土壌でワイン作りを営むヴァイガルト醸造所のように高糖比重で高価に海外で捌くというモーゼル式のワイン農業経営となってしまっている。要するに、おかしなワインを生業としている。

そうしたなかで将来に希望がもてるのはプロデューサーが言うようにローテンブルクと同じように日本人を吸い寄せるその谷の光景であり環境である ― その点ではナーへより有利だ。その一つとして昔ながらのテラス栽培が復興してそれなりの地元の特産ぶどう酒が振舞われるようなブドウ栽培こそが将来への可能性であるに違いない。



参照:
Weinland (SWR/MAINZ)
指定されたラインの名物 2007-07-04 | ワイン
ユネスコ文化の土壌 2008-06-03 | アウトドーア・環境
中之島に永く根を生やす 2009-06-28 | ワイン
逢瀬の地、中ノ島へと渡る 2009-06-26 | アウトドーア・環境
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ローマ人の醸造所跡に立つ

2009-11-10 | 雑感
昨日は疲れた。今日一日も力が入らなかった。これで体調を壊して一週間になる。昨日は薄寒かったが、今日は終日雨模様であった。

ローマ人の醸造所跡を撮影に行った。以前誕生日会に使った場所は、完全復元へのプロジェクトの発掘等が進んでいるようで、閉鎖されていた。
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オープンに対応出来るとは

2009-11-09 | 試飲百景
またまた初冬の試飲会である。数年ぶりに一般客に向けの試飲会が開かれたのはミッテルハールトのミュラーカトワールである。HPのVIDEOにあるように業界向けのものと同じように催されていて全般的に好印象を受けた。

ビュルガーガルテングランクリュは細身に造られているが、なにが出て来るかは一寸疑問である。それでも清潔さは抜群で、それは2008年産のワインの全てに当てはまる。完全に方向を変えて来ている。そこで醸造親方に二三質問をした。

「ヘーレンレッテンが面白かったんだけど、全体的にスマートになって来ているよね」

「いや、それはまだ開いていないし、多層的には他ならないんだけど、貴腐を完全に取り除いて、清潔な葡萄を選んでいるからね」

「すると、収穫量は落ちるって言うことだよね」

「規定よりも落としてあるのは当然で、それだけのワインには仕上げっているから」

「ショイレーベも美味く出来上がっているけど、ブルグンダーの樽味は一寸強いよね」

「ああ、あれは樽が新しくて、一年目でこれからなれてくると思うけど」

「ヴァージンを使っているようだけど、バリックではないし、モーゼルのフーダーでもないし」

「古典的な昔から使っている大樽ですよ」

「木は何処から来てるの」

「この近辺の昔からやっているところがあって、注文してから何年もまたないといけないんだけど」

「なるほど、実はビュルガーガルテンのシュペートレーゼを家で飲んだのだけど炭酸が多いよね。今日もそれは感じるし、どうなのかしら?ステンレスで抜けてないっていうのは一寸ね」

「それは、これからブルグンダーで使った後にリースリングに廻していくので、二年ぐらい先にはなんとか」

「そりゃ、グランクリュとかになるとどうしても求められるよね。っていうことはこれから期待していいかな?」

「そうですよ、上昇しなければいけないので、下降っていう訳にはいかないでしょ」

「2009年産は樽を使えるの?」

「まだ分からないけど、もしかすると一部は」

「赤はもうやらないの?」

「それも二年後ぐらいに新たに出せると思いますよ」

こうしてまたまた立ち入ったお話をしてしまった。この界隈のワインの大権威シューマン博士を尻目に。一体、私は何様だ?なにか飲んで官能試験を繰り返し、体験積み重ね、それを研究して現場の色々なお話を聞いているうちに、まるで自分の手を動かして醸造をしているような錯覚に陥るアル中症状になっているらしい。それに疑問などがあると、最新の化学技術研究資料などに目を通すことが増えている。おかしな知識がおかしな形で入れ知恵されて仕舞っているのである。そして飲み手としての経験は若い親方よりも豊富であり、更には幅広く愛飲しているだけでなく、試飲の場数がここの所突出して増えて来ている。更に様々な人のお相手をしているうちにある種の市場の様相というものも見えて来ているので、自らの嗜好とは異なった所でそれらのワインを判定出来るようになりつつある。所謂ワインの質の良さ悪さである。

醸造家は、自分の造ったもののその良し悪しを誰よりも知っている。それでも様々な人の嗜好にどれだけ合うかはあくまでも予想でしかないので、特に一般のエンドユーザーの反応の声は喜ばしいに違いない。だから、上の場合でもビュルガーガルテンのシュペートレーゼは本日の売れ筋だったようだ。それを指して私は言う。「炭酸が抜けると独特の気の抜けたビールのような埃臭さが出ますからね」、要するに多くの顧客はそこまで先を見抜くまでことは出来無いのである ― 私はそれを一本買って自宅で確認しなければならなかったほどであるから当然だろう。

そうした点を指摘して、「それはねこれこれの理由があってね」というお客さん。そりゃー放っておけないよね。そしてそうした批判にはじめてオープンに対応出来た醸造親方をみて、もしかすると期待出来るかなと思った。しかし本当はオーナーが経済的にそうした品質向上への資本投資を出来る状態に経営を司っているかどうかの方が大きいのである。ステンレスの設備の投資はやはり大きかっただろうが、それへの経済的な反動や親方の交代という流れがあったことに、なんとなくその裏側の事情まで見えてきたような気がしたのである。



参照:
キートリッヒ村のワインを飲みましょう!の巻   (Weiβwein Blog)
家で飲む方が美味いこともある (新・緑家のリースリング日記)
コメント (2)
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用心深い行為に隠されたもの

2009-11-08 | 文化一般
レヴィ=ストロース追悼の記事は、一通り目を通したが、殆ど二面の量があった。最後の民俗学者みたいに呼ぶと、それは面白いと思った。偉大な西洋の民俗学者として、未開文化のエキゾティックな魅力に憑かれて、全人類像を描こうとした学者という意味である。そしてそのようなフィールドワークをアマゾンで最初で最後に行なったのが1936年ごろの話と聞いてなるほどと合点が行く。いきなり脱線するがまさにアルピニズムのヒマラヤ探検や鉄の時代に相当するのである。そこでもそのエピゴーネンは長く戦後にも続くが、その後の流れはお子ちゃまの探検ごっこになるのである。

学問的に、所謂文字の無い文化を観察するという行為自体が、西洋の優越感に満ちた視点で未発達な文化を観察して、それをその世界観の中で認識すると言う行為に他ならないのである。その認識の仕方として、二項対立のパラメーターを「用心深く選ぶ」ことで、分析可能となりそこではじめて抽象化・一般化出来るのは当然というしかない。

その視点を築くためには少なくとも見かけ上の三角法の視点を必要とする訳で、だからこの人文学者は出来る限り自らの文化の大気圏から一度飛び出して異なる大陸や島々を観察する ― 少なくともそれを試みるのである。それにも拘らず、その民族学の求める根源が発見できなかったのは、そもそもそうしたエキゾシズム自体がまるで薪の激しく焚かれたマントルピースの前で居睡りする子供の幻想であったと知る失望から、同時にそれが西洋の近代社会の救いへと繋がらないと「覚醒」したと文学的に解釈される。

そしてその三角法の測量のためには、必ずや必要な離れた二点の距離、要するに文化的差異が必要となるのだが、その二点間で交流が始るや否や、そこには社会的な相対的な重力関係が生じるのは周知である。それこそが摂理であるかも知れないが、まさにそこに「用心深い」行為が生じるのも直感出来るだろうか ― それどころか異文化の接触は西洋近代の終焉を加速させ、それが68年革命へとそして脱構造へと転換されたのは、過ぎ去った二十世紀後半の既知の歴史である。

クロード・レヴィ=ストロースのある小論文にそこで関心が向う。有名なマネの絵画「オランピア」を解析している。そこに描かれている幾つかの興味深い点を指摘している。先ずは、豊かだが可愛い胸元を口を開けて観察している我々にはどうしても気になるかもしれない裸女の足元でこちらを見る黒猫の目である。それと同時に、今入ってきたばかりかのような黒人の召使の動きのある姿勢であろうか。すると今度はそれに対照的にまるで静止画のように固まっている主役の女性がまた気になってくる。まるで、猫や召使の存在に気がついていないかのようであると。

黒猫の目を意識しながらもその視線を避けるかのように、その女性を今度は肝を据えてゆっくりと観察すると、首に捲いてある黒いリボンがどうしても気になるのである。なにかのバランスを取るためかとこの人文学者は考える。そして左手で隠してある恥丘と陰毛が気になったようである。彼女はブルネットだけどもそのリボンの結び方などをみて、欠けているのは陰毛と確信するのである。しかし流石に知能の高い人文学者だけのことはある、そこでは終らない。なぜ彼女が固まっているかとどうしても気になって、此方にいる画家との関係に妄想し始めるのだ。

少々端折って書いたが、このあくまでも専門的な批評とは異なる観察者が弁明している文章は、上に呈したこの二十世期の学者の自己を含んだその存在や行為の本質を示唆するような大変旨味のある自画像だと感じた。これを読んで、こちら側は作曲家リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ザロメ」のユダヤ人の場面や楽劇「ローゼンカヴァリエ」の黒人のお小姓の登場場面を中心に、どうしても気になって来た。



参照:
Die Arbeit des Augenblicks, Hennning Ritter, FAZ vom 5.11.2009
旨味へと関心が移る展開 2009-11-07 | 文学・思想
感性の嗜好を認知する行為 2009-11-02 | マスメディア批評
駒落としから3D映像へ 2005-10-19 | 雑感
三角測量的アシストとゴール 2005-07-01 | 歴史・時事
ゴットフリード・W・ライプニッツ 2004-11-18 | 数学・自然科学
衝撃の統計値 (クラシックおっかけ日記)
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旨味へと関心が移る展開

2009-11-07 | 文学・思想
レヴィ・ストロースの追悼記事を読む。書いている記者は同業者だと思われるが、一度目を通しただけではなかなか纏められない。囲み記事になっているご本人の構造的人類学Iの第五章からの引用の方がいやしい我々には分かり易いか?否、そこに構造主義の本質的な考え方を思い浮かべるよりもなによりも、この人類学者の知能の高さと、一種の情容赦無き視点が伺える。

難しいことは措いといて、それを読むと、「ある社会のその料理は、その言語と同じように一定の正反構造に分類できる<ギュステーム>という素材に分解できる」とする。

そこで英国料理を、三つの相反する要素でフランス料理と区別できるかも知れないというのである:
endogen/exdogen(地場と輸入食材)、zentral/peripher(主食と付け合わせ)、旨味溢れると淡白な料理を対比させる。

すると英国料理は、主食は地場の淡白に拵えられたものかからなり、そこに価値の陰影の差がつけられた輸入品(お茶、果物パン、ママレード、ポートワイン)を組み合わせるようになっている。反対にフランス料理は、地場と輸入食材は対照させられずに殆ど認識出来ないばかりか、主食と付け合わせの異なる要素が組み合わされてさえいる。

このように定義して、次に中華料理にこの定義を当て嵌めてみる。その場合は異なる正反が準備される。つまり甘いと酸っぱいであり、この正反が中華とフレンチ・ジャーマンを分け隔てる。フランス料理は通時性があるというのは、つまり同じ正反要素が時間をおいて供されるということがないということである。例えば腸詰と生素材が正反を形作る前菜のあと、同時性を持たせてこの方法が再び齎せることがないという。それに反して、中華料理においては同じ正反要素が全ての菜に一斉に並ぶという。

この章がこの記述のあとどのようにこの定義を抽象化して扱っていくかは知らないが、その理論的展開以上にここでストロース本人が使っている言語の概念の方に関心が向うのは当然だろう。もちろん、そこに旨味がある訳だが。



参照:
Eine Prise Strukturalismus: Lévi-Strauss über die englische und die französische Küche, FAZ vom 5.11.09
感性の嗜好を認知する行為 2009-11-02 | マスメディア批評
ドイツ語で喋るということは 2009-11-05 | 女
あまりふれたくない真実 2009-11-03 | マスメディア批評
啓蒙されたユダヤ人と大俗物 2009-11-01 | 文化一般
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季節の変化に順応する苦労

2009-11-06 | 
本当ならば週の前半に再びフランクフルトに出かける予定だった。準備はしていたのだが、午後になって熱っぽくなって断念した。夜の音楽会はバルターザー楽団とヘンゲルブロック指揮のバロック宗教曲のプログラムであった。特にフランスバロックの作曲家カムプラには興味があったのだが辞めた。フランクフルトまで車を走らせる自信がなかった。演奏の質も分かっていることであり、逆にそれほど期待外れのことはないと考えたからである。おそらく会場はがらがらだったのではないかと推測する。

一般的にこうしたクラシック演奏会は殆ど集客力を無くしたばかりでなく、欧州ではそうした形式の終焉へと加速しているような気がする。古楽の演奏会も若者の姿は稀であって、いつもの常連に混じって、時間を余した老人しか居なくなってきている。劇場も芝居の方はまだ若さがあるだろうが、歌芝居は駄目である。特にリーマン危機以後は浮ついた金が動かなくなってきており、そうした催物を支えていた俗物層が居なくなるとやはりエンターティメントとしての催物の席が売れなくなるのである。

窓掃除の日にバルコンに出してあった植物を室内に入れた。すると急に花も咲き始め、小さな蕾も次々に芽を出して来たが、葉が黄色くなってきた。落葉である。直射日光が綺麗に拭いた窓ガラス越しでも当たらなくなったからだろうか。こうして寒い季節に備えて、葉にあったような糖分が全て根に集められるのだろうか。

自身は、高熱が出る事も無く、心配された豚インフルエンザではなかったようだが、なんとなく熱っぽい日が続いていて、やはり季節の変化に順応するのに苦労しているのである。
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ドイツ語で喋るということは

2009-11-05 | 
プロテスタント会の無料配布誌「クリスモン」に目を通した。大抵は読まないのだが、ロシアからの移民について書いてあるのに気が付いたからである。所謂カタリーナ時代のドイツ系移民の子孫として、戻り移民となった女性が取り上げられている。黒海周辺に移民していたようだが、1940年以降のスターリン政権下で、敵国ナチスドイツの少数民族としてシベリアの強制労働キャンプ送りになった孫の世代である。

シベリアの道が何処までも真っ直ぐと伸びるようなステップ地帯に生まれ育った当年26歳のレーナは、四年前に先に移住している兄弟を頼ってウクライナの国境を越えてやって来た。その家系を意識してかドイツ語の先生として教育を受けて資格を取得していたようだが、そうした語学教師としての資格などは連邦共和国では役立たない。

少女の頃から、夢を大きく膨らませて、まだ見ぬ世界へと憧れていたらしい。そして今は、時々シベリアへ戻る夢を見ると語る。「ドイツも只単に幸せなパラダイスじゃない」と、そしてあの時見ていた夢は既に過ぎ去ったと悟る。概ね読者が想像するような、貧しくても豊かなシベリアの田舎生活と、豊かでも厳しいドイツの都市生活の利点欠点が比較されるのだが、流石にこの冊子は日曜礼拝でのおっ説教に通じるところへと筆が進む。編集者がそうなのだから当然だろう。

それを称して「勝ち、負け」と表現して、最大の獲得は職業養成所で知り合った同棲中のマルコであるとして、その反対にここは複雑な社会や共同体であり、ロボットになったようなドイツでの日常生活を挙げる。そして、「ロシアは楽しかった」と。

更に月並みな話題として、閉鎖的なロシアの人々に慣れていたのが、ドイツに来てあまりにも皆が愛想がよくて簡単に知らない者に声が掛かった不思議さを最も最初の強い印象として挙げる。これはもちろん南ドイツと北ドイツの国民性として表れる街角の解放度の違いでもあるが、西部ドイツにおいてもそのように感じるぐらいであるから南ドイツに来ていたらその解放感にさぞかし驚いたことであろう。

しかし、この記事はそこで終わらないのである。いよいよ核心である。ロシアでは多くの仕事や政治に関しては沈黙があったと、そこがドイツの生活で全く異なり、それがとっても難しいことだと紹介される。つまり、仕事であろうが、なんでもとても些細でつまらないことでも批判精神が要求されると。つまり沈黙や遠慮はここでは許されないことを。誤解を避けるために。これこそがプロテスタント精神である。その言葉自体の危うさは言うまでもないが、そこから全てがはじまるのである。

「どこにも完璧な生活なんてないって分かっている。もし何処か他の所で仕事していたら、きっと幸せだったんだわ、なんて考えてはいけないのね。自分を何とかしなければいけない」、でもその町パーダーボルンには間違いなく彼女は永くいないだろう。ドイツは彼女の故郷ではなくて、シベリアも一寸余所の土地になって仕舞っているのである。



参照:
Endlich was Großes erleben, Christine Holch, „Chrismon – Das evangelische Magazin Heft11.2009“
あまりふれたくない真実 2009-11-03 | マスメディア批評
条件付の理念などとは? 2009-10-30 | マスメディア批評
啓蒙されたユダヤ人と大俗物 2009-11-01 | 文化一般
ケーラー連邦大統領の目 2008-01-02 | マスメディア批評
映画『正義のゆくえ』で共鳴する反人権的な日米 (toxandoria の日記)
ドイツ国内の人種差別(2) (クラシックおっかけ日記)
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婿殿、天晴れで御座います

2009-11-04 | 試飲百景
今年は珍しく秋から初冬に試飲が続いている。通常ならばグランクリュの試飲が九月に終れば、それからクリスマスの買物までの間動きは少なくなるのだが、今年は2007年産に続いて売れ残りが多いのか醸造所の攻勢は続く。なによりもプレスの反応が出揃った所で、初冬のリストを送ってくる。

その中の一つであるフォルストのゲオルク・モスバッハー醸造所は、2007年のグランクリュや春のソーヴィニオンブランを購入していて、スタンダードのグーツリースリングは殆ど購入していなかった。2008年産特有の酸が不味かったからである。

先ずはピノブランからはじめた。酸が新鮮で心地よいワインであるが予想通り若干酵母の雰囲気がある。しかしこれで酵母臭いと言われればどうしようもない程度である。続いてバリック樽でスルリーで醸造してあるそれを試す。これは流石に木の匂いに気が付くが、酵母の感じと美味く合わせてあって若干クリーミーな高級感は上手である。その分価格も10ユーロであるから微妙な価格設定である。プレゼントには安いものを買ったが、予算さえあれば高いものでも一本ぐらいのご進物に間違いだろう。

さてリースリングは、御馴染みのグーツヴァインからはじめる。

「色合いは変わらないのだが、よくなったね」と評価すると、

「どんどん変わるから」。

「皮の苦味のような後味が、レモンのようで、ライムの様で心地よい。以前におかしな酸が感じられたのとは大分違うね」

そうなのである。実は以前に試飲したものとは、あとで調べると、樽も違っていた。このような難しい酸の年は熟成したものの方が美味い。そして次ぎはこれまたスタンダードなリースリング地所ヘアゴットザッカーからのキャビネットである。これもなかなか良かったが、奨められたハーネンビュールは同じ地所の最上部にある二重十字架の建っている区画である。

「あそこのは先日試食したよ。もちろん慎重に選んでだけどね」

「分かってますよ、いいんですよ。」

「フォンブールと並んでいるところだよね。今年の葡萄ははじめは甘かったけど段々とミネラル味の凝縮度が増してね」

それを飲んで納得が行った。

「これは典型的な石灰だよね。丸くなっていて、そして静かなリースリングだよね、もう少ししたら絶対面白いよ」

果実風味が炸裂するここのリースリングとしては、とても大人しく上品で繊細な方向へと深みを見せる。ここ数年のお婿さんの表情の陰影のようなものを見せる深みへの変化である。

「こうなったら直接シュペートレーゼを比べたいね」と要請して、それをのむと流石に味も濃いがクリーミーな変化も予想させる上級のグランクリュに繋がる良さを見せるのだ。

さて、そのグランクリュであるが、先ずはキーゼルベルクである。

「先日、2005年のこれを日本で飲んだと聞いてね。重かったらしいよ、まあ、元々重さがあるワインだけどね」と飲むと、これが意外に酸が強く効いているのである。分析票を見ると糖が4.2Gに対して9.3Gだから突出しているのである。その質は、今年のものに共通しているが刺激性は無く、臭みも無く、量感があっても浮ぶような軽みがある。2008年産リースリングは早く開いてはいたのだが、その酸がこうして熟れてくると嫌味が消えて、殆ど大気のように纏わる浮上感さえ感じるリースリングとなっている。

これには驚いた。何時の間にか弱点を埋める方向へと仕上げをしてきているお婿さんの腕と配慮を評価したい。流石に伸び代があると勝手に見込んでいるだけのことはある。悉く、我々が指摘する欠点を悉く克服して来ている腕は予想以上であり、お婿さんはきっと今後名前が出ると思うのだ。

そしてお待ちかねのフロインドシュトュックは、先のハーネンビュールと似ているのだ。今年は更に繊細に静かなリースリングが出来上がっている。

女の子は言う「今年のはまた私ごのみのになったの」

「なるほど、これは良いや。先日2007年産をシュタインピルツソースでやったら2004年産のクリーミーなものの方があったかなと思って、2007年産が一寸新鮮味が落ちたから、2008年産と比べたかったんだよね」と、料理にちぐはぐな選択しか出来なかったのを恥じる。

そして、ウンゲホイヤー。恐るべき進展。まさに何一つ恥じることのないグランクリュの域にはじめて達したと思った。もしかすると、この土壌に関しては、そのワインの格は違うとは言えフォン・ブールやビュルックリン・ヴォルフと比較出来るようになったかもしれない。流石に後者はまだそれを売り出していないのである。これも2002年グランクリュのように長めの樽熟成で独特な丸みと長寿を約束するリースリングになるのだろうか?それを見極めるには少なくとも五年以上は待たなければいけないが。兎に角、お婿さんのウンゲホイヤーは、重みは違うが一種の透明感で輝いていた嘗てのフォン・バッサーマンのシュペートレーゼに匹敵しているかも知れない。天晴れ ― そうこうしているとご本人が現われたので、いいよ!と一声掛けておいたがお疲れの顔である。樽と格闘しているのだろう。そんな顔をしていても確実に耳にしているいるのが、まるで花道を通る関取のような感じだ。

そのあとに試飲した売れ残りの2006年産シュペートブルグンダーとメルローを引っ掛けて、暗闇の地所をいい心もちで散歩したのはいうまでもない。



参照:
同じ過ちを繰り返す危険 2009-10-08 | アウトドーア・環境
隠されている解放への障壁 2009-07-20 | アウトドーア・環境
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あまりふれたくない真実

2009-11-03 | マスメディア批評
経済の話題だけを書きとめておく。株価に影響する事実かどうかは分からないが、それが分かっているなら書かない。先ずはこっそりと儲けさせて貰う。事実であってもデマでないが、どうでも良いのだ。一つは、ナノテクニックへの法的規制への検討である。どうもラジオで小耳にした話では、グラスファイバーのような健康被害が予想されているようで、ナノテクニックを使った商品への規制が検討されると言うのである。スイスや日本などのそれに特化している企業では株式を上場している限り評価に影響が出るのは当然であろう。一つは限られた情報ながらライアンエアーの一部路線での座席占有率の目に余る低さであって、新型の大型機を発注しているようだが本当に大丈夫なのだろうか。あれだけ安ければ三分の一の占有率なら殆ど無駄に飛ばしているように思うのが普通の考えだろう。株式市場の会社評価などは全く好い加減なもので、常時正しく評価出来ているならば誰も得も損もしない。体の良いルーレット博打である。

そのように報道のあり方は重要なのは改めるまでもないが、興味深い記事「ドイツ国内の人種差別」をBLOG「クラシックおっかけ日記」に見つけた。その事件に対する見解はコメントとして書きとめたので繰り返さないが、WIKIなどでもその報道の温度差が囁かれている。そしてその「些か面倒な気持ち」は私自身も変わらない。要するに外国人問題の煩雑さに繋がる問題であり、尚且つCNNの様にTV族の好奇心を煽って、それを表層的に扱って報道とするジャーナリズムにもヘキヘキなのである。三流大衆新聞を見たくもないのにそれを目の前に黙って置かれる時のようなあの気持ちなのである。

ここでまた連邦共和国の外人問題の歴史的考察までには触れられないが、殆ど嫌悪感を呼ぶようなその心理には深いものがあるだろう。もちろんそうした心理が、外国人嫌悪や締め出し政策として容易に解放された時期は遠い昔の話となってしまったからである。とはいっても、そうした心理が捻くれた形で鬱積している訳でもない。その反面、移民法の法的欠陥が示すような自己矛盾はまさにEU議会におけるチェコへの譲歩案のようなもので、みてくれが悪いだけでなく、理念だけでなく法的にあってはならないものなのである。

そうした苛立ちと共にグローバル化の時代にドイツ企業が政府に圧力を掛けてグリーンカードを導入させてでも即戦力の教育を受けた「人材を輸入」しなければいけない状況は、その昔トルコ人の手が欲しかった状況よりも遥かに売り手市場で具合が悪かったのである。ある意味、移民政策が根本から腰砕けになってしまい、知識人や企業ならずとも、一般国民が外国からの人手がなくては現在の自らの生活水準が護れないと気付いたその時だったのである。それで分かるようにグローバリズム反対論者の主張は、その時点でその基盤を失ったと言えるかも知れない。こうした社会情勢は、右翼とか左翼とかの存在が現実的な意味を失い、中道勢力が支持を伸ばしている背景となっているのだろう。
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感性の嗜好を認知する行為

2009-11-02 | マスメディア批評
TVシリーズ「ヴァインラント」を観た。第四回目はラインヘッセンである。少なくともモーゼルの回よりも厳選されていて、というかあまり話題になる醸造所もないのだろう、各々が十分に紹介されていて良かった。最初のアナウンスにあるように主役は風景であった。それでも幾つかの興味深いワイン作りや地所が紹介されていた。

何といっても冒頭に紹介されたリープフラウエン財団のワインで、最も有名なリープフラウミルヒの商標の元となる歴史的な地所とワイン作りであった。その名声を利用して大量消費品が世界中にばら撒かれてドイツワインのイメージを落としめしたのだった。ヴォルムスの荘園の真ん中のそれとは知らなかった。

そのあとはケラー醸造所のフバッカーの話をいつものように語る息子さんのお話と、そのご近所のビオディナミに狂っているヴィットマン氏の風景である。これらはARDのアーカイヴにもある映像となにも変わらないので特に目新しいものはなかったのだが、シュタイナーの教えに従うオーナーの姿はまたもややや滑稽に映されていた。それでも造るヴァインは前者のケラーのものよりも個性がありそうに思わせるのは造る人のキャラクターの相違だろうか。

ヴィットマン氏がモストの入った桶を手杓で回す情景が映されていたと思うが、これはその信仰の本質を示していたかも知れない。モストの沈殿やフローティングの可能性の最新の論文をネットで拾って読むとまさにこの作業はフローティングそのものなのである。つまりフェノールの酸化によって含有量を減らす効果そのものなのである。そうした行いがノウハウとしてあって継承されているのか、直感的になされるのか、はたまたラボーでの研究データを元に実践されるのか、ここに要点がある。

つまりである、それが似非科学であろうと最新の科学技術的研究成果であろうとも、継承もしくは「よさそうな」行為が合理的に解析されて機械化されるか、それともある世界観の中での「生きる技」として行なわれるかの相違でしかないのである。ヴィットマン氏は更に語る。葡萄だけでなくて人間をも含んだ摂理であると。そこに、人間の認知と行為があからさまに示されて、この放送のハイライトとなっていた。

ハインリッヒ-マンの原作を元に脚本化したのが作家ツックマイヤーの「嘆きの天使」であるが、その地元の作家カール・ツックマイヤーの「楽しきワイン山」に感化されて醸造所をを起こしたのがグンダーロッホ醸造所の先々代らしい。そして現在は、有名なロートリーゲンデ土壌の地所で半分以上を海外向きに甘口のリースリングを販売しているのがその醸造所である。

そして更に北へと向うと薬品工場で有名なインゲルハイムに至る。ブルゴーニュから運ばれたピノノワールを造っているのがヴェルナー醸造所で、地質学の徒としてエコ農業などの専門家として営んでいるようである。特に貴腐への見解などは興味を引いた。

もっとも地所として意外性があったラインヘッセンのスイスと呼ばれる地域でこつこつとワインつくりに励むヴァクナー氏の醸造所であった。冬には土地を乾かさないように藁を撒いていた。しばしば見る風景であるが、それが必要な気候で土地なのだろう。

このシリーズ、アールの回を見逃したほかは、来週予定されているミッテルラインで最後となる。こうしてみてくると、評価本を片手に物色するよりもオーナーやらの働き振りを見ていると買えるワインを造っているのかどうかが実感出来るに違いない。それは直接訪れて試飲するのと同じほどの情報なのである。要するに見る人其々の感性の問題であり、所詮ワインなどはそうしたものだと分かる。



参照:
暑気の隙間に感傷旅行 2005-07-03 | 歴史・時事
ゲゼルシャフトの刻む時 2008-09-27 | 雑感
Weinland: Rheinhessen (SWR-Pfalz)
来た来た、次ぎの鴨が 2009-10-20 | マスメディア批評
八割ほどは、本当かな 2009-10-10 | ワイン
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評
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