Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

万世一系、無窮のいきほひ

2010-01-17 | 歴史・時事
「つぎつぎになりゆくいきほひ」

この短いフレーズを挙げて三つの原基的な範疇として、日本人の歴史意識の「古層」を音楽における持続低音をもじって指摘した論文は丸山真男の文章として特に有名である。そこでは、本居宣長などの国学を素材として、日本書紀の神話から諸行無常の仏教の影響また漢意の扱いや、明治維新へと引き継がれる外来文化の変容を通じて、その歴史観を手短に纏めてある。その結論を端折ると、今中が連続して続く日本人の歴史観として、中華思想のように過去に遡る懐古主義も相容れず、将来のユートピアから逆算してある現在も相容れないとするものである。そしてその「いきほひ」とは、石原慎太郎描く障子に穴を穿つペニスではないが、「葦牙の如く萌え騰れる」エネルギーの無窮性への賛歌を指して、そこから日本人の現実肯定の楽天性を説明する。要するに、懐古主義の天地・陰陽・乾坤の二元的対立が空間に準拠するのに対して、そこでは初動と時間的運動性を持ち ― 癌宣言をした間寛平の芸である ―、仏教的末世への堕落史観に対しては自嘲と風刺を込めて敢えて今の世を享受する態度を打ち出しているとする。

生ける者つひにも死ぬるものにあれば今の世なる間は楽しくをあらな 万葉三百四十九

今の代にし楽しくあらば来む生には虫に鳥にもわれはなりなむ 万葉三百四十八

価無き宝といふとも一杯の濁れる酒にあにまさめやも 万葉三百四十五

大伴旅人

そしてキリシタンへの徹底弾圧と仏教の社会的・思想的威信の低下が儒教を正統教学たらしめる前提となったと同時に、他方では「外来」イデオロギーと「古層」との不協和音を次第に表面化させて、その江戸時代の歴史的なダイナミズムが近代化への一方通行ではなくて、寧ろ近代化と「古層」の隆起との二つの契機が相克しながら相乗するという結果、宋学の蒙った修正の運命に、この多重性が刻印されているとする。

土曜日の未明に眼が覚めたので日本の民主党の党大会の生中継を観た。共同体や社会の組織をその組織の長やまた政治家が非難するのも興味深いが、まさにそこに議会制民主主義至上主義を唱える政治家の驕りが明らかになるのである。その来賓などをみれば明らかなように、嘗ての保守政権と変わったのは利権が誘導される団体などが変わっただけであり、被差別利権や労働利権など、特に特別在住外国人を出汁にした朝鮮やシナでの利権が大写しとなる。

奇しくも自由党党首連邦共和国外務大臣ヴェスターヴェレが中国旅行から帰ってきて、人権問題を激しく追及する反面、中共と巧くやって、シナの市場を征服する事がドイツの雇用を安定させるとラジオで正直に明言していた。当然の事ながらシナの市場で商売をするという事は莫大な賄賂とそのキックバックのようなものが付き纏うのは常識であって、未だにゲルハルト・シュレーダー前首相は告発すらされていないが、シナの盟友ジーメンス社はひっくりかえった。

ついでながら、アンゲラ・メルケル退陣後連邦共和国のキリスト教民主同盟は「保守主義を捨て、キリスト教民主主義をその是と」して、キリスト教社会同盟は緑の党のキュナスト女史が「もはや敵ではなく競争相手」とするようにキリスト教環境政党へと生まれ変わっている。高齢化が進む工業先進国ではもはや基幹労働組合を支持母体とする政党は少数派に落ち込み、必要ならば労働力として出稼ぎに来ている外国人に参政権を与えるしかないであろう。しかし、それによって齎せるものは混乱と疑心暗鬼しかなく、そもそも社会の共同体や構造がそうした出稼ぎ労働力を含めて十分に円熟していなければ致し方ない。国籍法や移民法を含めて明確な方針がない限り必ずや社会不安を齎す。

況してやそうした外国との関係において特定の利権の係わりが疑われるような事が決してあってはならないのである。とにかく、数の力に押し切られず徹底的にこうした法案成立阻止を諮る事が肝要である。現実的に憲法九条改正などよりも外国人参政権の方が国防上重要な意味を持ち得るかもしれないのである。

小沢幹事長の金権・恐喝疑惑については捜査中でありこれ以上のコメントは控えたいが、丸山氏が書くように、「来世」が次ぎの瞬間として、つまり「今の世」の線的な延長のうえに観念されるならば、きわめて淡白に、また突然に死を選ぶ行動が生まれるであろうと、「トリスタンとイゾルテ」の作曲家も顔負けする近松の曽根崎心中「未来成仏疑ひなき恋の手本となりにけり」が例示される。昨年の元財務大臣不祥事に続き、それを言うならば「……政治家系の手本になりにけり」で「四億円」の不動産を遺産としかねない。まさか丸山もそうした「変化の持続」を世界の最先端国の新しい歴史観とは言わないだろう。


追記:マネーラウンダリングの技術面を考えれば大きな資産があればあるほどその上限額が大きくなるので明らかにやりやすくなる。所詮表に出せる金が四億しかない者と二桁三桁とある者では洗濯出来る量が異なる。その意味からも、精々、闘って下さいよ、となるのだろうか?そして金を捲いたら捲いただけそれ以上に回収したくなるのは自明の理なのだ。



参照:
権謀術数議会制民主主義の自覚 2010-01-09 | 歴史・時事
小馬鹿にした弁明の悲惨さ 2009-12-26 | マスメディア批評
醜悪を隠す被り物を取れ 2009-11-14 | 歴史・時事
独・ユダヤ・シナ・日本の愛憎 2009-04-14 | 歴史・時事
情報の洪水を汲み尽くす阿呆 2009-04-12 | マスメディア批評
自由主義者の戦後社会学 2009-05-05 | 文学・思想
夢見心地の見える壁の中の世界 2010-01-13 | 文化一般
ずっとこのまま (庭は夏の日ざかり)
小沢さんの問題について (tak-shonai’s Today’s Crack)
「『戦犯』に思う」  庶民 (関係性)
経済先進国で日本だけがデフレというが (日々雑録 または 魔法の竪琴)
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エコと呼ばれる遺伝子工学食品

2010-01-16 | アウトドーア・環境
これも一つの政治である。一昨日高級紙FAZのマイン版に載っていただろう記事は、エコワインで総称されるエコ農業への弾みがつかないヘッセン州のラインガウ地域での状況を詳しく伝えている。

最大の問題は黴除けである事は既にここでも何度か取り上げたが、その成果が2008年産のワインに顕著に表れたかもしれない。もしくはそれを実施するためには人件費をはじめとする膨大な投資が必要だと言うことで、ラインハルトハウゼン醸造所に続いて州立の醸造所がホッホハイムやマリアネンアウ島でそれを試みたと言うが既に退散したようである。

ヘッセンでは耕地面積にして2.3%、ラインラントプファルツでは5.5%がエコ農業でワインを栽培しているようだ。エコ農業への関心は高い反面将来性があるのは寧ろビオデュナミによるワイン造りだと言われる。土壌を汚染する言われる胴の使用が肝心であり、ヘクターあたり六キロまで使用が許される胴に様々な調合を混ぜる「うどんこ病」と戦うか、もしくはあまり興味をもたれないリースリング以外のこの病気に強い葡萄を植えるしかないらしい。さもなければある日一年分の収穫は御破算となるのである。

寧ろ土壌を汚染するよりも、必要ならばエコ農業家に化学薬品を推奨する専門家もいる。そこでは、廉い化学薬品を使い土壌を護る事で、最終的に小さな投資でそこそこの価格のワインを醸造販売できる市場競争力を重視する。

もちろんそうした葡萄の生育の条件に適当な気候も挙げられていて、スペイン産のエコワインが2,44ユーロしかしないのに対して、ドイツのエコ赤ワインは一瓶3,99ユーロもすると言うのである。要するにスーパーマーケットでのワインとして市場競争力は皆無となる。

それでも販売しようと思えば直売りとなって、ご近所酸向けの特製エコワインとなる。つまり、大規模のブドウ栽培ではこうしたエコワインというのはなかなか商機がないということである。

その意味からもそもそもエコワインの集まり自体が、高級ワイン醸造所でもなく大量生産していた醸造所でもない小さなワイン農家が中心となって発展して来た訳だが、現実にはそれなりの条件を満たす醸造所はそれほど多くない事になる。ハルガルテンのワイン農家ヨゼフ・クライズが苦情するように「顧客はケミカル除虫剤を使わずには無理だと分かっていない」と、伝統的な手法で窒素肥料やその他を極力押さえる方向で十分な成果を挙げてきたと主張する。

バイオ・ダイナミックな考え方は一種の迷信であるが、エコ農業というものよりも現実的なのだ。少なくともピノノワールやリースリング栽培においてはエコ農業には限界があり、遺伝子工学などで品種改良しない限りその限界は既に分かっている。要するに、欧州では遺伝子組み換えによる農産品は禁止されているが、そこ以外ではエコ農産品というのはバイオ商品に近づくというパラドックスが成立しそうである。なるほどエコ食料品は高い筈である。
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森の中の雪中夜間歩行訓練

2010-01-15 | アウトドーア・環境
パンを取りに行くついでに雪の森の中を彷徨った。昼間は久方ぶりに陽も射して暖かくプラスへと気温は転じたようだが、生憎出かける時間は取れなかった。明日はまた時間がなさそうなので夕方を暗さを圧して彷徨った。

ものの三十分ほども歩けば満足出来たのだろうが、足元の雪が鳴って、心地よさに結局一コース五キロ越えを踏破した。

マウンテンバイクのトレースはあるのだがスキーやボードの跡は殆どなかった。丁度樹から落ちた雪が上に乗っていて締ったそれに足も潜らずそれでいて柔らかくて歩き良かったのだが、それでも普通以上に息が上がり、汗を掻いた。

写真を写してからの下りは、闇の森の中の白い反射を期待したのだが、霧が出てきてまた眼鏡が曇って殆ど足裏の感覚で踏み跡を辿った感じになった。通常ならば一時間も掛からないのだが、車に戻ると六時に近かった。

それでもワイン地所のそれとは違って、森の中の雪は新鮮でそれなりに楽しめたのであった。この雪も気温の上がる週末には湿ってその処女性を喪失してしまうだろう。
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レタスに美味しいアヒルの子供

2010-01-14 | ワイン
自宅で初めて2009年産のワインを開ける。否、ボージョレーヌーボーは既に三本空けた。しかし、まともなワインとしては初めてである。クリスマス前に購入したソーヴィニオン・ブランである。

開けた時は試飲のときにはあまり感じなかった酵母臭のようなこの品種の持つケミカルな香りにたじろいたが、飲んで食事に入るととりわけ新鮮な香りが楽しめた。

ある意味培養酵母のその質を感じさせるのだが、2009年産のこの品種はかなり良いと思う。なによりも野生の果実の風味が強いので、他のトロピカルなフル-ツ風味を感じ難いほどである。

印象では、2008年産よりも2007年産により近い。まだ瓶詰めから二月も経っていないこと冬であり、バッサーマン・ヨルダン醸造所が出したこの品種のワインとして最高のものである。これは、2009年産の更に良いものに否応無く期待が高まる。

雪の下での生活で、野菜の値上がりが顕著である。大きな胡瓜は、一本50セントを切って売っていたものが、今は一ユーロ二十ほどで倍額以上している。それは予想済みであったので、まだ八百屋に行かずに頑張っている。

その代わりスーパーで、レタス一頭69セントほどで獲得できた。このお蔭でなんとか、ザウワークラウトなどを青い野菜で補うことが出来ている。

それに食したのがアヒルの足でこれも上のワインに美味かった。
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夢見心地の見える壁の中の世界

2010-01-13 | 文化一般
日本でも活躍したオーストリアの指揮者の死亡が写真付きの比較的小さな記事で載っていた。そのオトマール・ズイットナーは、東ドイツの最上級の同志であり日本放送協会の交響楽団に頻繁に招かれていた事から東ドイツや日本での報道の方がもしかすると大きいかも知れない。

それでも死亡記事を読むとルートヴィヒスハーフェンでのポストを最後に東側へと渡っており、それがこの音楽家の登竜門となっていたようだ。河を渡った三キロも離れていないマンハイムのナチョナルテアターの方はフルトヴェングラーや昨年亡くなったこれまたN饗を指揮したホルスト・シュタインの劇場として有名であるが、ズイットナーもその後招聘されていたのだろうか?それとも壁が開いてから本当は招聘されるべきだったのだろうか?

個人的にはモーツァルトの代表作をトモワ・シントウ、ペーター・シュライヤー、テオ・アダムなどと東ドイツを代表する人民芸術家の日本公演として馴染んだ。新聞に書かれるようにこの指揮者の少しヴィーン風のベルリンの歌劇場引越し公演であった。こうして旧民主共和国の外貨稼ぎに協力させて貰い、今現在も東ドイツ復興のために税金を払い続けている。

この中立性を堅持した祖国オーストリアのインスブルック出身の才能溢れる外国人がドレスデンからのオファーに飛び付いて、その美しい響きで芸術的自由を謳歌したのは理解出来るとされ、その後ベルリンでのその復興には並々ならぬ情熱を注いだと評価されている。

同じオーストリア出身のカール・ベームと分け合ってのバイロイトでの「指輪」上演はその揉み上げの切り口のように記念すべき公演であるのはいうまでも無いが、恐らく歴史的には東ベルリンでの同志演出家ルート・ベルクハウス女史のご主人のパウル・デッサウのオペラ作品の初演の成果などが再認識されるかも知れない。

それともあの解放感溢れるこの指揮者の音楽こそが、壁に閉じ込められた世界での一種の清涼剤となり、反対にそうした世界であるからこそああした芸術が可能だった「社会主義リアリズム」芸術の一例となるのだろうか。そう言えば、日本放送協会がああした芸術家を招聘したというのも、沖縄返還も終わり高度成長期の終焉へと向っていた日本で、外貨を適当に使いその放蕩に酔いしれていた時代を象徴するのかも知れない。それは、所謂「田中金権政治」とかの手法と平行関係にある社会の「文化受容」のひとつであった。そして芸術のその質と需要について音痴であるということは、自らを取り囲むその社会が見えていないということになるのである。

壁の中で外の世界を恐れながら ― 現在で言うところの新自由主義の搾取である ― 自己の社会で充足させていた国民と、見えぬ壁の中で金権体質から生じる利権社会を満喫 ― 現在で言う農産品などを含む保護貿易の閉鎖性である ― している国民と、いったいどちらが幸せなのだろうか?

オトマール・ズイットナー、壁が取り去られたそのベルリンで87歳での逝去であった。



参照:
Ein Anwalt des Schönklangs in Ost und West, Gerhard Rohde, FAZ vom 12.1.2010
Gestorben Dirigent Otmar Suitner (BR4 Klassik)
100 Years At Bayreuth--Otmar Suitner (YouTube)
Nach der Musik - Trailer (YouTube)
Otmar Suitner (YouTube)
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悪質新自由主義と戦う自由主義

2010-01-12 | 雑感
昨日マンハイムに行く途上でラジオはトップニュースを伝えていた。世界一の輸出大国ドイツ連邦共和国が中華人民共和国にその座を譲る事になったと言うのである。前々からこの日が来る事が予想されていて散々報道されていたのだが、それが現実になったのである。

資源もエネルギーもない敗戦国西ドイツ経済の奇跡もこうして幕を閉じようとしているが、将来に向けての基礎作りが必要な所である。その一つに自由党のブリューダーレ経済相は独禁法の効果を高めるために更に権限を強めた法改正を準備している。その最も大きな的はエネルギー業界に定められているが、寡占状態になった企業を十の条件を前提に解体出来る権限を与えるものである。そこで目標とされるのは企業の寡占化によって防ぎようのない経済犯罪の防止であり、自由競争を是とした経済活動の崩壊を防ぐことである。

中国絡みで次に訪れる経済問題として、過剰生産投資による世界市場での供給過剰が待ち受けられているとされるが、その前に中国が日本の国民総生産を抜いて世界第二位の経済大国になるのだろう。

日本航空の整理倒産が記事となっている。その中でデルタ航空やアメリカン航空との合弁の政府の拒否を扱っている。要するに国の中での合弁や大陸の中での合弁は日常茶飯化していても大陸間のそれはどのような問題が付き纏うのかとの疑問である。国際競争上の困難やその運営の難しさなども挙げられているが、もっとも早く大陸間を横断することをなしている業界においてこのようなプロテクショにズムが存在している事が不思議だと結んでいる。

ここにも、韓国や中国の航空会社と逸早く合弁の出来ない環境におかれている日本の航空会社の不利益が突出しているように思われる。



参照:
Kartellamt soll gestaekt werden, FAZ vom 11.01.2010
Japan zuerst, Gerald Braunberger, FAZ vom 11.01.2010
自由システム構築の弁証 2006-12-16 | 雑感
躁状態での酸状態吟味 2007-12-20 | 試飲百景
同じ過ちを繰り返す危険 2009-10-08 | アウトドーア・環境
八割ほどは、本当かな 2009-10-10 | ワイン
ワイン三昧 第五話 2006-11-04 | ワイン
フランスに掛かる強い圧力 2009-11-17 | 雑感
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鹿の角に宿るいらいらさせるDNA

2010-01-11 | 
独日協会の新年会があったので、雪の中をマンハイムに出かけた。そのついでに今回は博物館を訪れた。スキタイ人の金の細工類が二百点以上展示されていた。その詳細は勉強し直して改めて纏めたい。ウクライナからシベリアに面する中国北部までの広い地域で発掘されている遊牧民族の遺産である。

一点につき一分以上の時間を計算していたのだが、美術品といってもやはり絵画程時間が掛からない。だから隣の区画の新年会会場に一時間も早くついてしまった。だからまだ誰も準備に来て居らず、時間を余した。裏側のシラーが一時身を寄せていた家が博物館になっているのだが、そこも閉っていた。それではと思ってイエズイーテンの教会に座って、戻ってくると丁度準備が始まるところだった。

ある女性が入って来て気になるのだが、どこの誰だかなかなか思い出せない。そして大分経ってから、一度大変気になったことのある女性だと思い出した。何時かここに書いているかも知れないが、最初で最後に出会ったのが五年以上前のことなので定かではない。

「あの時お会いしましたよね」というと、

「記憶が良いですね」と仰る。

「美しい女性だけはね」と無難に返しておいたのだが、実はその時点でもその気がかりの理由は十分に自覚していなかった。

あとでゆっくり思い出すと、最初に会った時にとても気になったので、その原因を印象や顔の形や顔の部位について解析したことがあったのをやっと思い出した。

親戚のある女性もしくは父方の従姉妹に似ていたのである。要するに、なにかその見かけや表情や雰囲気が凄く気になるのである。それはある意味自分に最も馴染み深い生理的部分の一つだとは思うのだが、一種の胸騒ぎのようなおかしな気持ちが付き纏うのである。

例えばこれが母方の誰かとかいうことになれば、マザーコンプレックスとして容易に解析出来るのだが、父方のそれとなるととても不思議な感じになるのである。もし、自分に妹というものが存在していたならば同じような気持ちが湧くものかと想像する。

スキタイではないがゲルマンの伝説のジークフリートの伝説も近親相姦がその核エネルギーになっている。狩猟民族スキタイのそれに描かれている鹿も他の動物以上に性的衝動がそこに象徴されているのだろう。

その様に考えて行くと ― 幸か不幸か、何処にでもいるそうした兄弟関係を持ち合わせていないばかりに、皆目分からずただ安易に誤解していたのかも知れないが ― 男女兄弟における近親相姦はマザーコンプレックスでもそれに裏表のように対応しているファザーコムプレックスでもないということになる。

姪とか甥とかに感じる共通のDANと比べると、やはり過去へと遡る時間の上流での出来事が、とても気になる部分であるに違いない。

当のご本人には全く関係が無く、過去での血の繋がりも印欧族として殆どありえない訳で、おかしな苛立ちは申し訳ないのだが、最初の時ほどではなくても今でも独特の胸騒ぎがあるのだ。しかし、早めに全てを思い出していれば詳しい話をするところだったが、この危うさは五年経とうともやはり危ない。それも受け手の受け止め方によるのだが、そのある真面目さが想像出来るだけにやはり話さなかった方が良かっただろう。まるでそこは腹違いの妹想いのフーテンの寅さんの心境なのである。

一般的に男女関係になんらかのスターターが働く場合はこれほど複雑な心理ではないのは周知の通りであって、様々な幼児体験から今までの事を回想するが明快な答えはなかなか得られそうにない。

実は歴史への興味は、こうした生理的に訴えるDANの記憶と呼ばれるようなものに関連していると感じている。その対象となる部族がたとえ自らの先祖とは考えられなくとも、彼らが受けついで来たなにかは、丁度従姉妹兄弟を見るような感じで生理的に訴え掛けるものが少なくないからであろう。
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外は吹雪、暖炉を背にピノノワール

2010-01-10 | 生活
今年になって初めての本格的積雪である。十センチメートルは積もっているだろうか。昨晩は、会合があって、外食もしてきたので、吹雪の中をよろよろと運転した。

乾いた雪が凍りついた路面に乗って風に吹かれている状態であるから良く滑る。その前晩辺りまでは乾いた空気のためか乾燥肌が痒くて、パジャマを捲ったりしていたが、雪が積もると湿気が増えたのか、温度以上に寒さが感じられる。今朝からは頭が重く、低気圧にやられたようである。

昨晩は、美味いシュペートブルグンダーを飲んだ。久しぶりに醸造所と同じ町カールシュタットにあるレストランでケェーラー・ルップレヒトの2004年ものである。レストランの価格で23ユーロであったから、小売り値12ユーロほどのものであろう。久しぶりにカールシュタットで食事をしたら、こんな素晴らしいワインが食卓に上るのを知って驚いた。

開ける前は、2004年産であるから細く酸味が強く、期待半分であったが流石であった。ワインリストには、クニプサーのものも並んでいたが、シュペートブルグンダーが飲みたかったのである。

食事は私が雉の生地包み焼きで、お客さんが小牛のレバーであった。食事は典型的なドイツ料理で綺麗に作ってあったが少々土着的な料理であった。

ワインは黒い葡萄の味の前に少しだけヴァニラ風味が感じられるとても良く出来たもので、2004年の冷たい夏を感じさせるものでは決してなかった。このワインも家で飲みつけるとなると酔い心地やら荒が見えて来るのだろうけど、その価格と言い質と言い十分に満足出来るものであった。

外は折からの雪吹雪、暖炉の横に座って外食も時々はよいものである。二人で、チップを弾んで60ユーロは大変お得であった。また愛顧したい店であるが、予約を取っていなければ普通は入れないと聞いた。なるほど今まで座ったことがなかったのである。
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権謀術数議会制民主主義の自覚

2010-01-09 | 歴史・時事
元旦冒頭に触れたのだが、ケースマン女史の説教は新年の政界の議論の初っ端を切った。 非 戦 論者として活動を続けている宗教家であり、ドイツのプロテスタント教会の長に収まった彼女が放つ言葉は、アフガニスタンに駐留する兵士の士気を削ぐとも非難された。しかしその基調は、即撤退ではなくて、必要悪としての派兵への反対の現実的対応であることから概ね共和国国民の意思とほぼ一致する。それでも、アフガニスタン派兵はナチ親衛隊の派兵とかわらないとする立場は、あまりに素朴過ぎるかも知れないが、彼女は政治家ではなく宗教家であることを思い出せば良い。

その批判の中で「緑の党」に近いベール財団法人代表フュックス氏の「軍事力の行使にキリスト教の基本的価値感から反対する者は、国や神や革命の名に殺害をも厭わない場をも放置するだろう」として「一種の 不 戦 論で民間復興という援助を玩んでいる」と非難する。この見解はとても重要だと考える。

連日のように日本の政治情勢が報道されている。しばしば日本のそれよりも先行して状況を示唆する場合があるのは、日本のそれより合衆国を含む各国記者通しの情報がそこに加味されているからだろう。特に財務大臣の辞任劇は、「影将軍小沢が糸を引いている」とは日本の報道通りであるが、その後の展開を含めて本当の政権抗争がそこに起きている事は十分に感じられる報道である。

小沢何某が宣う民主主義というものは議会制民主主義の信任を得た議席数に比例した権力である事は理解出来るのだが、それ以上にそれを根拠とした首相を筆頭とした政権の行政機関が軍事力を含めた権力を保持していることには他ならない。それ故にか新任の管財務大臣がボトムアップの執行機関としての大臣を標榜している事などがとても面白い。

小沢何某を司法の場に引きづり出すことが出来る権力の行使をじっくりと観察しなければいけないだろう。まさにそこに本来あるべき無名性の官僚機構が存在していて、小沢何某の恫喝で震え上がるような程度の社会機構ではないのは当然である。まさにその機構を開国と共にプロシアの行政法などを参考に構築して来たのが近代日本国であり、そこに核があったのは間違いない。その対象は、裁判員裁判の恨み辛みなどで裁けるものではない筈である。

百年も前のことならば小沢何某は斬首になるところだろうが、今や東欧にもそのような国は徐々に無くなって来ている。この段階まで進めば間違いなく息の根を止めなければいけない。さもなければFAZ新聞が報じるように、「日本の識者は、大変危険な依存状態としている」通りになるであろう。

いずれにしても、中国カードを使った事は日本の政治への国際的関心を一挙に高めたが、今後の政権抗争の行くへと世論のあり方が注目される。小沢何某が「政権交代が出来れば死んでも良い」とか語っていた様に思うが、まさに金や数の力だけでなく、様々な議論や力によって権力者の首を撥ねてしまうことも平和な社会のあるべき基礎構造であろう ― 何某の本望であろう。現実的に、何某がぶち上げた天皇制なども今急いで論じる必要のない機関の問題であって、軍事・警察権力や検察などの上からの行使の仕方のみならず共同体としての下からの意思決定の組織が機能するかどうかは、議会制民主主義が院外から支持されているかどうかの試金石でもある。世論形勢や言論の自由がここで初めて重要になるのは断わるまでもないが、議会制民主主義が議会内活動だけで収束、認知されるものではないのは当然である。

つまらない事をこうして書き綴るよりも、参考になる概念への丸山真男の記述を書き添えて、鳥瞰を得ておこう。1949年に執筆して未完に終った「近代日本思想史における国家理性の問題」の補注として中国語訳に書き加えられた点から、「国家理性」の概念が訳語として熟していないのを補うとして、その歴史的に絶対主義の西欧と深く結びついている事実を挙げ、それを現在も踏襲している国際秩序に言及しつつ以下に続く。

中国古典、とくに「戦国策」の著とか….「権謀術数」は…マキャヴェリスムの訳語としても通用しているように…「国家理性」の政治的実践にかぎりなく近い。けれども、そこには「国家理性」の思想的成熟の盾の反面をなす、主権国家の平等の原則と、それに基づく「国際秩序」のイメージが欠けている。それは「国家理性」のいわば古代的役割に属する、といえよう。

(中略)、批判者は、華夷観念と「冊封」体系とはもともと「礼的秩序」であって、道徳的=文化的レヴェルに位置し、西洋の「権力政治」を前提とした宗主国-属国という国際関係とは本質的に性格が異なっていることを強調した。(後略)…

権力政治に、権力政治としての自己認識があり、国家利益が国家利害の問題として自覚されている限り、そこには同時にそうした権力行使なり利害の意識が伴っている。これに反して、権力行使がそのまま、道徳や倫理の実現であるかのように、道徳的言辞で語られれば語られるほど、そうした「限界」の自覚はうすれて行く。



参照:
美食家が誇るヴァルスの音色 2010-01-01 | 音
小馬鹿にした弁明の悲惨さ 2009-12-26 | マスメディア批評
大きな舵きりの象徴的ご真影 2009-12-17 | マスメディア批評
天皇制廃止も目前の敗北感 2009-12-16 | 歴史・時事
世論形成への言論活動の有意 2009-03-08 | マスメディア批評
民主是個好東西 可平 2007-06-14 | マスメディア批評
石頭野郎にぶつけろ! 2007-06-07 | 生活
遵法的議会外政治行動 2007-05-30 | マスメディア批評
政権交代の究極の目的は 2009-08-16 | マスメディア批評
零八憲章刺す天叢雲剣 2008-12-24 | 歴史・時事
安全保障に反する支援 2008-02-10 | マスメディア批評
ポスト儒教へ極東の品格 2008-01-05 | マスメディア批評
胃が痛むほどに追詰める 2007-06-09 | 女
顔のある人命と匿名 2007-02-01 | 歴史・時事
権力抗争と自浄作用 2005-11-03 | 文学・思想
ボーマルシェの知られざる功績 (壺中山紫庵)
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横流し商品は二度注文される?

2010-01-08 | SNS・BLOG研究
昨日の続きである。今日付けのネット情報に拠れば、ここに書いたことや独自で調査したことと同じこと以外に、倒産の場合31人の従業員が職を失うとある。ネットのフォールムには、既に解雇されたとあるが、常識的に考えて十二月最後の給料が支払えていたなら倒産しない筈である。

いずれにしても先払いで27日に注文したと言う人もぺイパルで支払いを戻したと言いい、個人会社のその社長は失踪しているらしい。

従業員だろうか信頼出来るインサイダー情報として、納入業者が押し寄せた時は既に倉庫は空っぽになっていたと伝えられている。これも未払い分の商品を債権者が強引に回収するのは通常のことなので信憑性がある。

恐らくその中の商品の二つを私が28日に注文して、一度は販売しようかと躊躇したような形跡がある。未支払い分の商品を販売して通常通り配達の手配をしなかったその理由は判らないが、様々な情報を総合すると次ぎのようになる。

クリマス前には信用の低下から消費者保護保険会社の認定が外された。ほぼ半年しかその保険に加盟していなかった事になるが、その直接の理由は納入業者との支払いなどの問題が顕著化して来たからだろう ― 消費者には今だに信用おける会社として惜しまれている。そして一月前まではネット販売での消費者保護を力説していたオーナーであると記されている。

そして、クリスマス前には潜在化していた従業員への給与の支払いや納入業者への支払いがクリスマス明けの28日月曜日に一挙に顕著化して来たに違いない。そして法人は当然の事ながら個人においても税金申告の関係から年末の駆け込み集金並びに需要があり、大晦日に掛けて深刻さが峻烈化して行ったのだろう。

そこでどのような躊躇があったかと想像すると、比較的良い売り上げの商品を信販で売ってもその代金はクレジットカード会社が支払う時点でもし口座が閉鎖されていると回収出来なることに気が付いた。そして、その時初めてその商品を同業者に横流しして現金化しようと考えたのではないか。たとえ小売値段の半額にしかならなくとも商品代未払いの商品を横流しして現金化出来れば、詐欺未遂で0セントよりも少なくとも逃走費用の足しになる。

そうこうしているうちに支払い不能が顕著化して、遅くとも年明けの四日には納入業者などが押し掛けたのだろう。そして、HPは閉鎖された。

本日偶々、どうもクリスマス明けに注文した商品が安く横流しされたようなオファーを見かけた。なるほど卸売り業者が未回収売上金の代わりに現物を倉庫から強引に回収したとすれば今度はその商品を他のディーラーに売るだけであるからそれほど安くはならない。しかし、業者間で叩き売りされて現金で格安に入荷したとしたら一般よりも安く放出されることもあるだろう。しかしそれも直ぐに引っ込められた様子から、債権者から未払いの商品として待ったが掛かったのかも知れない。

90年代から今日まで、最近はそれでも減ったが毎月のように東ドイツの新工場が倒産して、工業プラントから事務用品までの競売会のお知らせが送りつけられた。写真付きで見るそれらの生産機器は古びたものもあったが、まだまだ新品に近いものも良く目に付いた。

今回の会社は未だに倒産を申請していないが、事後の場合はよく見かけたが、取り付けや横流しなどの現場にネットを通じてとは言いながらもオンタイムで自ら体験出来るのは珍しい。
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年末年始の倒産に巻き込まれて

2010-01-07 | マスメディア批評
どうも年頭から倒産にお付き合いしたようである。ネットでの購入がスーパーとパン屋、八百屋、肉屋、醸造所以外では買い物の主力であるが、今回のようなケースは初めてである。十二月の暮れに注文するのも悪かったが、まさかかなり真面目な東独解放後十年以上の中堅クラスの業者が店仕舞いするとは思ってもいなかった。十一月終わりに注文したものは予定通り配送されたが、その時も良質の会社としてあっても良い確認の電話がないなと不思議に思っていたのである。そしてクリスマス前には、「信用して頂いて有難う」と昨年のように挨拶状が入っていた。

そして、クリスマスが終るのを待って注文した時に、断わりを付けて置いたのに確認が遅れているのがおかしいと思い、HPをみると一旦注文を受け付けていたのがそっくりと消去されている。おかしいと思ったが既に連休である。ネット作業に慣れないオーナーなどが誤まって消してしまったのかと思ったのだが、年が明けるとそっくりとHP自体が工事中になっていた。これはサイトが攻撃されて修復に困っていると思ったが、流石に本日までなんら連絡がないので電話した。すると留守録になっていて繋がらない。これは、もしかと思って、支払いのクレジットカード会社に連絡する前にFAXで確認を取ろうとすると、これも受けつけない。夜逃げであろうか。

そして銀行に電話すると、まだカードに落とされていないと言うのである。予めに引き落としを防ぐ方法はなくて、清算時に初めてカード落としの請求を拒絶することが出来ると言うのである。そうなると倒産が確認された時点で債権者はカード信販業者になるのだろうか?もともとこの業者は比較的信用の出来る業者で商品が手配出来るまではクレジットカード会社に計上しない信頼性が良かったのである。更に商品がない場合は、その旨を電話連絡して注文をキャンセルする真面目な商売をしていた。

そして今日を迎えたのであるが、昨年11月中旬付けの南ドイツ新聞の記事を探し当てて驚いた。その時点で、消費者センターのテスト結果を名指しで伝えているではないか。独アマゾンも自己仕入れの出来ていない日本の楽天市場並みの会社なのでどうしようもないのだが、それなりに批判されている。しかし、上の会社への批判は、納期やクレジットカードの手数料などの高さを叩いている。その両批判点はなんらこれらの会社に特別なのでなくて、極一般的なトラブルケースであって、明らかに新聞記事自体が競争相手などに買収されて敵の会社を叩いているとしか思えないのである。

これがどうも上の会社の致命傷になったようで、その企業家の経済状況は判らないものの、クリマス前に広告費まで使いながら止めを刺されたと言う印象がある。今後、当方に被害が及ばない限り、やはり、こうした風評被害というものを思わざるを得ない。これは、このミュンヘンの大新聞の質を如実に示している。これで分かるだろう。その読者層を含む社会層自体の性質が悪いのである。その点でも提携している日本の朝日新聞と良い勝負をしているに違いない。



参照:
南ドイツ新聞の皇室関連記事/事務次官会見記録(平成13年2月) (日本国外務省)
戦争礼賛にはげむ小泉 (田口裕史のウェブサイト)
オバマ米大統領の「平和賞受賞演説」に世界から批判 【続報】 (とだ九条の会blog)
天皇制廃止も目前の敗北感 2009-12-16 | 歴史・時事
必要悪の民主的行動の正統性 2009-12-13 | アウトドーア・環境
本当に一番大切なもの? 2006-02-04 | 文学・思想
民主主義レギムへの抵抗 2007-08-25 | 文化一般
老練の老齢なレトリック 2008-10-22 | 文化一般
世界を見極める知識経験 2008-07-30 | 文学・思想
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
痴漢といふ愛国行為 2007-11-26 | 雑感
自己確立無き利己主義 2008-04-28 | 歴史・時事
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
ネット演奏会の幼児保育 2009-01-15 | 文化一般
蜉蝣のような心情文化 2008-05-14 | 文学・思想
趣味や自尊心を穿つ 2006-02-26 | 生活
半世紀の時の進み方 2006-02-19 | 文化一般
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手蔓を手繰り寄せる経済秩序

2010-01-06 | ワイン
床屋に行って、本日未明町で火事があったと聞いた。二人の七十歳台の夫婦が就寝中に救助されたようだ。延焼の危険から近所の人も避難して、火事と消火作業のために民家は暫らくは住めなくなると言う。一千五百万円ほどの被害総額らしい。

それにしても全く覚えがない。直線距離にして五百メートルから一キロぐらいの所かも知れないが、全くなにも聞いていない。なんとなく明け方うとうとしたような気もするが定かではない。

今朝は散発屋に行くためにも翌朝の朝食の用意などを前日に済ましていて、明らかに朝起きを心得ていた朝なので、前日も早めに床に入ったのは覚えている。それ以外に記憶がないのである。要するにぐっすり眠ったのであろう。

そして本日どうしても行動を起こしたいと思っていたのは、先日飲んで予約もしておいたワインの引き取りもしくは追加注文の可能性を面談することであった。心掛けが良かったからか、三本も所望の商品が手に入った。選択の余地はあったのだが、入手困難なものを優先させて率先して購入しておく事で残りのものも必要なら無理してでも供給して貰えるような形にしておいた。

兎に角ワインは、幾ら金を出しても大量生産品ではないので、本当に良い価値のあるものは手蔓を手繰り寄せてしか入手出来ないものだと改めて知るのである。最近こうした経済構造に興味を持っていて、その価格単価と流通の関係をあれやこれやと観察すると、数学的なまでとはいかないが少なくとも物理的な法則は見つかるのである。上のワインでも、更に金を積むことでそれなりの対抗商品を獲得することは出来なくはないのだが、ますますその価格の設定は需要供給の影響を受けてその実質的な価値観からは遠のいて行くのである。

今日もとても寒かったが陽射しも強かった。そのなかで、ダイデスハイムの上部に横たわる地所ホーヘンモルゲンではバッサーマン・ヨルダン醸造所のために多くの人が一斉に枝の処分をしていた。あれだけの地所からのワインを今のように商品化していて経済性があるのかどうか、注目して観察したい対象でもある。

そして私は月の終わりにまた借金取りに追われるのである。それでも今日一日の予定はこなしてしまったので明日水曜日は少し余裕が出来るだろうか。
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新春に楽しい将来を夢見る

2010-01-05 | 
フランス語に目を通すことが多くなっている。そればかりでなくマコンの山の友人からもメールが入っていた。フランスに移住もしくは別荘があってもいつも良いと思っているが、言葉だけは勉強しておかなければいけない。

電話が掛かってきたと思ったら、クリスマス前に送った手紙が届いていないという。FAXで急いで送ってくれという。クリスマス前からまだ今週一杯ぐらいは物流が不順である。

昨晩の雪は積もらなかったが今日からまた零下二桁に近づいていく。それでも春に一歩一歩近づいていく気配がある。
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仕事初めに際して駆け込み勉強

2010-01-04 | 
仕事初めである。通常ならば二日に始っていたところだが、今年は週末に重なった。嘗てなら休みが伸びると不便であるので連休は嫌だったが、最近は連休の生活に慣れた。それどころかまともな読書すら出来ていない。

しかし、年末以来のバッハ研究は続いて、ルネッサンス音楽の傍ら今やっと初めて平均率クラヴィーア曲集を真面目に勉強している。これまでになんとなく出来なかったのは、自分が指が廻らないと思う悔しさのようなものが、こうした指に馴染みのある曲から遠ざけていたのである。それにも増して関心を持つようになったのは、ゴールテンベルク変装曲の音楽会とロ短調ミサへの関心が、更にこの曲へと興味を拡げた背景があった。その関心のありところは、そのもの勉強成果になるので追々と纏めて行きたい。

いずれにしても冷蔵庫を一杯にしていた食料品は、未だに通常よりは遥かに多いとしても、まさに底をついてきて見通しが付くようになっている。幸い腐らすことが無く、無理せずに全てを消費出来そうである。

それにしてもワインを良く飲んだ。クリスマスから今日まで八種ほどであろうか?グランクリュワインだけでも五種類で2001年二種、2006年二種、2008年一種を飲んだのである。平均購入価格は30ユーロぐらいか。

最後の夜になって、探し物をしていると日本から送ったクセジュ文庫の「ワインの化学」が目に入った。丁度初級フランス語勉強に良いのでこれに目を通すとなかなか面白い。恐らく十代の頃に、ワインをご相伴するに際して、その化学に興味をもって翻訳本を本屋の書架に片目に見て態々フランス語版を購入した覚えがある。しかし、その内容を追えた訳ではなかった。どうもこうしたところに我が学習能力の限界を感じている。中途半端に飲まずに、しっかりと飲んでいれば、もう少しは醸造学にも興味を持っていただろうかと考えるが、生物医学分野には縁遠かったのだから仕方がない。

今こうして目を通して見ると、経験を積んでその実際がある程度「身に付いている」お蔭で、そのフランス語はいつまでも初学者であるにも拘らず内容が充分に理解出来るようになっている。フランスからの視点でもう一度EUのワインを捉え直すのも面白いと思っている。
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よーみよドイツワインガイド拡大版

2010-01-03 | ワイン
歯茎の腫れは治り、クリスマスから引き続き最高級リースリングを空けて、大晦日を過ごした。リースリングニコゴリと焼きジャガと芽キャベツ温野菜と鴨胸肉燻製のスライスに、更に高級のダイデスハイマの一等地所ホーヘンモルゲンの2001年ビュルックリン・ヴォルフのグローセスゲヴェックスを開けた。旧年中はもっとも売り筋のワインであったがその価格41ユーロから手を出す者は本当にその価値を評価するものしかいない。既に試飲で二本ほどただで飲まして貰っているので流石に購入した。それでも開ける機会が見つからず悶々としていたので終に開けられて、本当に空けましておめでとうなのである。

詳しく語る必要もないその質なのであるが、肌理の細やかな酸に殆どラインガウワーを思い起こせさせるようなボディー感が素晴らしい。独特の梨の熟成のような味がややもすれば熟成感を思い起こさせるが ― 木樽の味との声もあるが、まだまだ大丈夫である。過熟成が疑われた1999年のそれは恐らく果実自体に過熟成感があったと想像され、2001年の長寿は揺るがさない。欲しければ金さえ出せばまだ買えるのも嬉しい。兎に角、アルコールを嗜む人間ならば世界中のだれかれを無作為に選んでこれを飲ませても恐らく九割の人間が美味いと頷くに違いない。そうしたワインであるにも拘らず丸く包まれた新鮮な酸も複雑さは十分にあるのが凄いのである。味のどこかが最後に切れ上がる良さは男好きさせるだけでなく、小言を言いたがる評論家をも黙らさせるに違いない。

これほどの愉悦を感じつつ旧年中のワインからリストアップして一望する。権威は無くとも、日頃の弛まぬ精進から恐らく最も忠実に現在のドイツワインの現状を映し込んでいる小さな鏡に他ならないと自負している。


購入した最も高価なワイン:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 2001年産 ホーヘンモルゲン

量を消費したワイン:
ミュラー・カトワール醸造所 2008年産 MCリースリング
レープホルツ醸造所 2008年産 ブントザントシュタイン カビネット 
フォン・ジムメルン醸造所 2008年産 バイケン カビネット
ゲオルク・モスバッハ醸造所 2008年産 グーツリースリング
 
初めて訪問した醸造所:
フォン・シューベルト・グリュンハウス醸造所 (ルーヴァー)
シェーンレーバー醸造所 (ナーへ)

再会して嬉しかった醸造所:
J.J.プリューム醸造所 (中部モーゼル)

最も回数多く試飲した醸造所:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 

この一年間で飲んだ最も素晴らしいワイン:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 2001年産 ペッヒシュタイン

最も素晴らしかった新鮮な2008年産ワイン:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 カルクオーフェン グランクリュ

最もCPに優れた新鮮な2008年産ワイン:
シェーンレーバー醸造所 リースリンク辛口

これから開けるのが楽しみな2008年産ワイン:
フォン・ジムメルン醸造所 バイケン カビネット

印象に残った個性的ワイン:
シェーンレーバー醸造所 2008年産 へレンベルク グローセスゲヴェックス

印象に残った天然酵母醸造ワイン:
グリューンハウス醸造所 2008年産 アプツベルク・アルテレーベン

印象に残った古いヴィンテージ:
レープホルツ醸造所 2004年産 ソヴィニオンブランなど
J.J.プリューム醸造所 2004年産 ゾンネンウーアカビネットなど

購入した最も古いヴィンテージ:
ビュルックリン・ヴォルフ醸造所 1999年産 ランゲンモルゲン

なんとか入手出来たワイン:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 2001年産 ペッヒシュタイン
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 2002年産 ペッヒシュタイン

将来が愉しみで購入したワイン:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 2007年産 ペッヒシュタイン
フォン・ブール醸造所 2008年産 キルヘンシュテュック
フォン・ブール醸造所 2008年産 イェズイーテンガルテン
フォン・ブール醸造所 2008年産 ペッヒシュタイン
バッサーマン・ヨルダン醸造所 2008年産 キルヘンシュテュック 
レープホルツ醸造所 2008年産 ガンツホルン 
クリストマン醸造所 2008年産 マンデルガルテン
シュヴァルツ親方のボルドータイプ
J.J.プリューム醸造所 2007年産 ゾンネンウーア カビネット
バッサーマン・ヨルダン醸造所 2008年産 ホーヘンモルゲン アウスレーゼ

最も将来が楽しみなワイン:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 2007年産 ペッヒシュタイン
                          
飲み頃だったワイン:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 2006年産 ピノノワール
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 2001年産 ホーヘンモルゲン

最も失望したワイン:
バッサーマン・ヨルダン醸造所 2006年産 イェズイーテンガルテン 

飲んで失望した甘口ワイン:
シュロース・ザールシュタイン醸造所 2007年産 ファインヘルプ

開けて楽しんだ甘口ワイン:
J.J.プリューム醸造所 2004年産 ゾンネンウーア カビネット

購入した甘口ワイン:
バッサーマン・ヨルダン蔵相所 2008年産 ホーヘンモルゲン アウスレーゼ
J.J.プリューム醸造所 2004年産 ゾンネンウーア カビネット
J.J.プリューム醸造所 2007年産 ゾンネンウーア カビネット
J.J.プリューム醸造所 2007年産 QbA

熟成の限界を感じたワイン:
ロベルト・ヴァイル醸造所 1995年産 グレーフェンベルク 半辛口
ロベルト・ヴァイル醸造所 2004年産 グレーフェンベルク シュペートレーゼ
ヴェルナー醸造所 1992年産 キルヘンシュトック アウスレーゼ

熟成を楽しめたワイン:
ビュルクリン・ヴォルフ醸造所 1999年産 ランゲンモルゲン

試飲時よりも良くなっていたワイン:
ロベルト・ヴァイル醸造所 2008年産 クロスターベルク

人に強く推薦したワイン:
ビュルックリン・ヴォルフ醸造所 2001年産 ペッヒシュタイン

少し寝かせたいワイン:
シュロース・ザールシュタイン醸造所 2007年産 シュペートレーゼ
J.J.プリューム醸造所 2007年産 リースリング QbA
グリューンハウス醸造所 2008年産 アプツベルク アルテレーベン
クリストマン醸造所 2007年産 ケーニヒスバッハ SC           
レープホルツ醸造所 2007年産 ブントザントシュタイン シュペートレーゼ

試飲して再認識した地所:
ルーヴァー アプツベルク
モンツィック フリューリンクプレッツェン並びにヘレンベルク
ヴェーレン ゾンネンウーア
ヨハニスベルク
シュタインベルク
リューデスハイム シュロースベルク
フォルスト キルヘンシュテュック
ファルスト イエズィーテンガルテン

散策して良くないのを確認した地所:
シュロース・ラインハルトハウゼンからヨハニスベルクへの一帯

散策して可能性を感じた地所:
シュタインベルク

まだまだ熟成を楽しめるヴィンテージ:2001年
恐る恐る手を出すヴィンテージ:2002年
試飲して再認識したヴィンテージ:2003年
残り香を楽しんだヴィンテージ:2004年
我慢して手を出さなかったヴィンテージ:2005年
急いで飲んだヴィンテージ:2006年
我慢して引き続き期待したいヴィンテージ:2007年
大もの買いに徹したヴィンテージ:2008年

最も印象に残ったスレート味:
グリューンハウス醸造所 2007年産 アプツベルク カビネット

最も印象に残った雑食砂岩味:
レープホルツ醸造所 2008年産 ガンスホルン グローセスゲヴェクス

最も印象に残ったロートリーゲンデス味:
シェーンレーバー醸造所 2008年産 リースリング辛口

不味くて印象的だったリースリンク:
ヨハニスホーフ シュペートレーゼ 2007年

典型的なワイン街道ワイン:
フォン・ヴィンニンク醸造所 2008年産 ウンゲホイヤー

典型的なルーヴァーのワイン:
カールスミューレ醸造所 リースリンク

最も太陽を感じなかったワイン:
カルトホイザー醸造所 2007年 カビネット

良く出会った醸造家:
ハンスイェルク・レープホルツ
マルティン・クリストマン

印象に残った醸造家との出会い:
先代プリューム夫妻
フォン・シューベルト氏
カルトホイザーのティーレ親仁
シェーンレーバー親子
ケセラーの親仁さん
クニプサーの親仁さん
シュヴァルツ親方
カトワール氏並びにフランツェン醸造親方
ゲオルク・モスバッハー夫妻
バッサーマン・ヨルダン社長と醸造親方
ビュルクリン・ヴォルフのオーナー並びに社長
               
最も重要だった広報番組:
SWR 「ヴァインラント」

重要だったワイン報道:
「EUワイン法に合わせたドイツ法改正へのクリストマン氏の主張」
「ヒュー・ジョンソンのジャーマンワイン痛烈批判」

印象に残ったインタヴュー記事:
ヴィルヘルム・ヴァイル語る温暖化のラインガウ

この一年間のキーワード:木樽

トレンド:酸化醸造法


一連の年末年始最終にペッヒシュタイン2001年ものを開けられてとても幸せであった。二年前に飲んだ時閉じ気味であったのが、今はまた開いて来ている。つまり六年近くの時と七年を越えた時点でのこの違いは何だろう?そしてこの先も期待出来るのである。そして開けた一本が公式では最後の一本であった。ワインとはいい時に最も良いものを口に出来る事は如何に難しいかという証明なのである。ジョンソン氏はペッヒシュタインを纏めて購入したようだが、毎年無作為に購入していかないとこうした至福は味わえないのである。少なくともこうしたものを飲んではじめてその地所やワインの本当の価値が分かるのだ。食事のテリ-ヌには過不足無く最高で、甲殻類の味と玄武岩のそれのハーモニーに、細かな酸が乗り、小さな可憐な白い花の咲き乱れるカーペットはまさに新春の天国図であった。こうした綺麗な余韻をもつ、これに匹敵する白ワインがフランスに存在するとは思われないのである。



参照:
待降節ストレスを試して流す 2009-12-23 | 試飲百景
今が素晴らしければそれで良い 2009-12-26 | ワイン
今年度の消費とその番付 2008-12-29 | ワイン
懐かしい暴飲暴食の味覚 2008-12-26 | 料理
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