Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

理解出来ないこの世の現実味

2010-10-16 | 
一寸落ち着いた気持ちで、フランカ・ポテンテ作朗読のCD「十」の続きを聞いた。「鍋物もしくはアイントップ」、「沢山の神々」、「モンスター」の三小品である。

やはり、「沢山の神々」はとても完成度が高かった。描かれている母子家庭の新卒の息子の就職面接への光景である。ここでも、吉本バナナの「キッチン」の如く「食事」はとても日本の生活の重要な位置を占めている。カツ丼から落ちた米粒を追ってしまう青年の姿はとてもよく出来ている。面接前の都内での昼食風景である。神々が宿る数多の米粒を巡ってばたばたする情景はまさに都心の昼食時のそれであり、そこから東京を取り巻く日本の日常茶飯の営みがくっきりと浮かび上がる描写とカットは恐るべき短編となっている。

京都の大学で法学を学び優秀な成績で中堅の会社に就職するとなると家庭状況などからして立命館大学とまで想像させてしまう、そのリアリティーは日本人の書いたいい加減な文芸作品とは大いに異なるように思う。兎に角、裏づけと言うか取材の緻密さが中途半端な大衆小説とは一線を隔していることで、この短編を文学に仕上げている腕の確かさとしか思えないのである。

その話の落ちはある程度で想像がつくのだが、これがまたTVドラマのように最後まで手洗いに立つ余裕を与えない劇構成も憎いのだ。それが東芝日曜劇場的な世界にならないところがまさにドイツ女性の描いた日本小景である。同じように、十分過ぎるような余韻を残す作品が、出て行った夫の温もりを鍋の湯気と匂いに満たされた部屋で包まれる高年の主婦の姿を描いた「鍋物」である。

これも、ほとんど川端康成の如くにも描けてしまいそうな現在の日本のまともな作家なら決して書かないようなまるで私小説的なテーマなのであるが、この女流作家に掛かると台所の引き出しの一つ一つを詳しく分析するほどの観察と細やかな筆使いによってまるでエッチングのように精緻に表現される。炊飯器のピープトーンまで描く細やかさは吉本バナナにはなかろう。

そればかりか、「温熱カーペットで寝ると心臓に悪い」と言う娘の警告が、短編のコーダーにも奇麗に効いていて、とても冬らしい味わいの深い文章となっている。そして、育児ノイローゼの全く何処にでもいる平凡過ぎる主婦を描いた文章とあわせて、幼児虐待だけでなく、世界的に話題となった「幻の高齢者」の昨今の日本発のニュースのその背景をここに読み取ることも可能なのである。

決して、そこに社会学的な問題意識やその解決法や日本の特殊性が提示され暴かれているのではないが、上の高年の主婦がどうしようもつまらないTVのバラエティー番組を見ていて、「全く理解出来ないこの世」と嘆くところに、日本の現在の営みが垣間見えたように思うのだが、どうなのだろう。



参照:
Franka Potente "Zehn" Stories, 3CD Osterwold,
- Nabemono oder Der Eintopf,
- Viele Götter,
- Das Monster
「北枕もしくは四十九日」を聞く 2010-09-11 | 文学・思想
ラーメン屋の掘り炬燵での風情 2010-08-17 | 文化一般
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社会人民共和国の銀河鉄道

2010-10-15 | 生活
ウランバートルへと飛んだ。そこから内蒙古社会人民共和国の大統領官邸へ向う。我々はドイツ山岳協会として牧草の向こう側にある大統領府の招待を受けているのである。ウランバートルの空港は社会主義国らしく草原の中に閑散としている。そこで、外貨持込制限だけでなく、高級品は全て没収されて、その代わりに現地のお土産や通貨と交換させられるのである。つまり、外国から持ち込んだ高級品は預けておいて出国時に、交換した現地商品か現地通貨と再び交換して持ち帰るシステムなのである。

ここで、問題が起こった。仲間の夫婦が大統領夫妻に対して高級な敷物を持ち込もうとしたのである。これを一度交換してしまうと出国時には本物は戻ってこないと不信感が募った。そこでお土産として少なくとも一つだけは持込を許可してもらい、もう一つは写真などの証拠を残して預けることにしたのである。

さてそこからが数百キロ離れた大統領官邸へと国内移動である。物資移動のためには鉄道らしきものはあるのだが、飛行場から空路を飛ばなければいけない。もちろん飛行場は先方には無いので、列車に積み込まれたコンテナの上に操縦席や客席が設けてあるような特殊な飛行機なのである。

機内は国会議員用のキャビン兼コックピットと後部の一般席しかないのである。それは車両して分かれているだけでなく、空中でも汽車として引っ張る形になっている。更に客席には椅子も安全ベルトも何も無いのである。要するに汽車の屋根に乗ってつかまって空を飛ぶような按配である。不安は高まるが、皆で手を確りと握って体のバランスを保つしかないのである。

いよいよ離陸である。汽車であるからそのディーゼルの先頭車両が力強く走り出す。流石の牽引力で体が滑り出す。お互いに握る指に力が入りだしたかと思うと、ふわっと離陸した。そして周りに声が飛ぶ。「こんなに低空で飛ぶのだ」と、なるほど後部車両を見ると、未だ完全に離陸していないのである。

兎に角、我々はずり落ちないように必死で体勢を整えるだけで、一度滑り落ちてしまうと元には戻れない。後部車両の空中での流れによるのか、時々加速したり、減速したりして飛行高度が上下するのがまた気持ち悪い。ここで胃中のものを戻してしたりしまうと握っている手を離すことになるので、酔い止めの食料を与えられ、ぐっと我慢するのである。

二十分ほどの飛行距離なので大したことはないのであるが、着陸が大変である。それ以上に後部の車両の若者が体勢維持のためにザイルで引いて欲しいというのでこれを引き受けるのだがまたこれが厄介である。予想通り、汽車が線路に車輪を揃えて着陸しなければいけないので、通常の飛行機の着陸とは比較にならないほどの高度な技術を要するのである。

殆ど着地姿勢になってからも後部の車両を牽引しているので、時々加速してやらなければいけない。加速減速しながら軌道に車輪を合わせて、我々の乗っている最前車両は着地するのだが、後部車両が丁度凧の吹流しのように長く靡いているので、直線で挙動が定まったときに減速をかけて軌道に上手く着地させるのである。もしこれが上手く行かないと脱線するのである。脱線しかねない後部の人間をザイルで引っ張っているのは私である。

祈るような気持ちでいると最後の直線で力強く急加速して、無事に全車両が着地した。皆で手を叩いて歓声を上げたが、そこからトンネルをくぐって、車内が石灰だらけになり、暫くは呼吸が止まるのである。それを抜けてはじめて大統領官邸の地下駅に着いたのである。トンネルの筒状の先には洗面台があって、石灰だらけの鼻の穴を濯ぐことになっている。タオルを受け取り廊下を隔ててその向かい側の部屋が待合室となっていたのである。着物を着たおばさんはここでは着替えが許されていないと別室へと向ったが、私の薄手の紺のウーステッドのズボンを見ると、ウランバートルの河原での活動で糸が食み出して縦に長く裂けていた。


追記:それにしてもこれだけ複雑な夢をよくも克明に見たものである。様々な体験がこの夢物語に凝縮されているのだが、やはり十代の時に体験した朴軍事政権下での金浦空港などの情景が散りばめられている。チリの救出劇の要素も北朝鮮やモンゴルに招聘されている友人の話もここかしこに生きている。
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深まり往く観念連想の秋

2010-10-14 | 雑感
昨晩の石切り場で面白くも真剣な話が交わされていた。薮かどうか分からないが町のスポーツ医師が町の職人に語っていることなのだ。何処からそこへと進んだかは聞いていなかったが、職人が彼は「詩を詠んでいる」と言ったのはその通りだった。

要するに、自信が見掛けに表れるようになり、それが廻りに伝わり、人格として尊重されることで、その人の今度は万物に対しての感謝の気持ちとなり、再びそれが大きな進展となるとするもので、恐らくニッチェ風の思考形態に近い。もちろん、万物を神々と表現したものだから、私はそれを聞いていてへらへらとしてしまった。

「自信を持つことが容易ではないのだが」とふると、そこに「パラドックスがあるのだ」となった。

彼が、必要以上の「筋肉」の運動量でそれ以上に肉を貪るのは如何なものかと指摘しているのだが、彼の人生哲学はなるほどそれなりに納得できる。奥さんとの別れも、自分に落ち度は無かったと言うからそうなんだろう。
 
流石に高等教育を受けているだけの見識は見え隠れしたが、むしろ私は、それを聞いていた職人の態度やその精神のあり方にドイツの伝統的な職人の姿を観た。その彼自身は決して良くあるような親方風を吹かすようなタイプではないので、余計にこうした話題になったのだろう。しかしその部分が全く私には好ましく思われる人物像なのである。

最近も思い出した子供の頃の体験として、丁度現在の私と同じぐらいの年齢だった父親と職人との話を思い出す。その職人が現場で父親がした仕事を顧みてその賢明さ語っていた内容も覚えている。上の話とどこか共通していてとても懐かしい。

それどころか、栗拾いに来ていた子供たちの視線も自らのそのときの体験に繋がるもので、昨晩はおかしなタイムマシンに入り込んでいたかのようだ。こうして、まさに観念連想というものが文化の継承の一つの形態であることを遅まきながら実感するのであった。とても深まり往く秋なのである。
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先が見えてきた黄金の十月

2010-10-13 | 
本日は十三日で、来週の水曜日は二十日となる。水曜日の石切り場も天気が好ければ来週でシーズン終了である。その後は、冬時間に戻るので午後六時には真っ暗であろう。今日も暗くなるまでいたが、食事をして帰ってきても午後九時前であった。

栗拾いも終幕を迎えている。近所の小学校低学年の子供たちが数人弟などを連れて栗拾いに興じていた。あとで石切り場まで登ってきて、登るのか、何処で道具は買えるとか質問してきた。そう言えば、昔そういう人たちの姿を同じように子供の目で見た覚えがある。子供にとってはやはり興味深い出来事なのである。

昨年のことを思い出すと十月初めには天気が愚図ついていて今年ほど黄金の十月を楽しめなかったが、今年はその面では穏やかな晩秋であり、急に冬になるのを予感させるようですらある。来週の金曜日には冬タイヤをつける準備を整えたのもそうした理由がある。

この冬シーズンは月一回の室内でのトレーニングに加えて、昨年並みに二月ごろから再び毎週水曜日のそれが加わるだろうが、年内にどれだけ基礎体力強化が出来るかがポイントであろうか。インターヴァルトレーニングの内容の充実と、動機付けを検討しなければいけない。

昨日から暖房を入れだして、朝晩はこれからは暖房無しでは難しくなりそうだ。
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くしゃみの出そうなゾクゾク感

2010-10-12 | 
とても健康管理が難しい。厚着をすると強い日差しに汗ばみる。昨夜腹を出して窓を拭いていた女の子がダウンした。原因不明の腹痛で寝ている。快晴で陽は気持ち良くても、摂氏一桁を越えた程度の天気では腹も冷えるだろう。

私などは、昨晩は九時を過ぎるとベットに入っていた。その分、本日午前中はマンハイムのスポーツ屋でクレッターシューを試していた。売り子のアドヴァイスも受けてどういったものを今後物色すればよいか分かった。一緒に探してくれる感じだったので、これと言ったものが見つかれば購入していたかもしれないが、「帯に短し、襷に長し」は売り子の彼が良く理解してくれていた。

結局、足が合うことが最も重要なのであるが、やはりイタリアのメーカーのものは比較的足に合いやすくスカルパのヴェロチェの41と、ユニセックスのファイヴテンのアナサージ・ヴェルデのUK7ぐらいが良かったが、後者は踵が深すぎて、前者は踵が広すぎた。中間のものがあれば踵が締まって、確りと踵でバランスを取れるようになる。両者とも底の左右の捻りも良くて、フリークライミングの中上級テクニックには今使っているオールラウンドのものとは大分違うと実感した。要するにその程度の技術をつけようと思えば絶対新しい靴が必要になることを確信した。

脱いだり履いたりで疲れた。町の生活は兎に角疲れる。まさにしんどいのだが、ワイン地所を歩くと、殆どの地所の摘み取りが終わっていた。大部隊で一斉に片付けた感じがある。残っていたのはフォンブールのキルヘンシュトックぐらいで、なるほどクローンも違うのか風通しも良いのか傷んでいるのを殆ど見たことが無い。

今年の傷み方は一部2006年のそれに似ていて、如何に貴腐から腐ったものを除いてよいワインを造るかに掛かっているのだろう。幾つかを試食してもいたが、やはり酸の量感は可也であって、その分健康に収穫できたものは、そうした腐りとは無縁の新鮮さに満ちたリースリングになるだろうと予測できる。逆に、腐りを入れたつまり機械収穫のものは全く期待できない。

つまりまともなワインを造ろうと思えば丁寧に選別しなければどうしようもないだろう。それでも酸の立ったリースリングとなるので、醸造所により差は激しくなるだろう。逆に高級リースリングしか商品化しない超一流醸造所においては、下位の商品も収穫量は少なくそれなりに良いものが出来るに違いない。なんとなく2000年の状況に近いような気もする。

クシャミが出かけて出ないような体調である。ゾクゾクするかと思えば熱く、全くテント生活をしていた初日のような感じでベットで腰も痛み出して、寝返りに一苦労した。どうもインフルエンザをうつされたようだ。難しいものを食する元気は無い。ボロネーズソースを作ってスパゲッティーでも食しようと、2008年産のハイデルベルクのシュペートブルグンダーを開けて温まる。昨日電話すると、2009年産は十一月の中旬までに出ると、醸造作業に忙しそうな醸造蔵から親仁さんの回答が電話の向こうで響いていた。
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時の大きな歯車の慣性運動

2010-10-10 | 生活
晴天が予想されていたので攀じりに行く準備も出来ていた。予定の時刻までにお誘いの電話も無く、天候も晴天ではなかったので取りやめた。後になって素晴らしい天気になったが、鼻がむずむずしだして、ベットに入っても体もぞくぞくし、起きれば節々が痛みだした。軽い風邪である。電話を呉れる筈の男にうつされたかも知れない。いづれにしても出かけていたら、向かえる週にダウンしていただろう。

何とかここは熱いジャガイモスープでも食べ乍、この黄金の十月週に備えたい。クライミングも元気なうちに次から次へと続けてこなしておきたいと思うのが常であるが、そこを我慢して体力や体調を維持しながら次の機会に集中して備える方が難しく、将来的には長期的な成長が期待できるだろう。大抵の者は気が焦りその間に怪我をしたりすることが多いのを何時も見てきている。

明日の朝起きて体調さえ優れていれば、少し走り込みをしてきても良いのであるが、なにも無理をして急いで特別なことなどする必要はないのである。先を急ぐのは青少年に任せておけばよい。我々大人はジックリと構えて対処すれば良いのである。

それにしても週明けからして、野暮用が山積していて、これでまた予定通り週明けの時間が過ぎてしまうことが分かって仕舞っている。要するになかなかほっとできる時間も無い代わり、天が廻る如く、時の大きな歯車が自然に廻っていってしまうのもある程度年齢を重ねた環境なのかもしれない。普通の社会通念からすれば、暢気で気楽にしか見えない我が環境がこうであるからすると、一般の働き盛りの男性の環境と時間などはこうしたものでしかないのだろうと、最近はじめて分かるようになった。その歯車とは所謂社会的責任と称されるものなのであろうか?

バイロイトのヴァークナー音楽祭の申込締切が迫っている。なにか来年ぐらいは券が当たりそうだ。新演出は「タンホイザー」なので、残念ながら「指輪」はないが、まあ初日なら臨席しても良いかと思っている。山の都合に重ならないように注意しなければいけない。正直、山へ行くことを考えてしまうと、七月の終わりまでに出来る事など限られているのである。

体育の日とかで週に三回以上の運動とか言うが、実際にそれを遣ってみて、一時間づつでも結果を出そうとすれば可也厳しい。逆に結果を出すのでなければ散歩するだけで十分であろう。結果を出す運動量になってから、やはり筋力と体重の関係が明らかに好転してきているのを身を以って感じている。しかし、これを維持して来シーズンに繋げようと思えば、冬季も同じように激しい運動をする必要がある。
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健康な最大公約数の幸福のため

2010-10-09 | 歴史・時事
今朝パンを買いに行くと、ヘッドライトに作業奉仕団のような一団が浮かび上がった。眠い頭では直ぐに分からなかったのだが、手摘みの部隊であった。中には顔見知りもいたが、土曜日で近所の農家のおばさん等ももこの部隊に入隊しているのだろう。そうであるリースリングの摘み取りが本格的に始まったようである。醸造所の本部に光が灯り、皆が歩いて行進しているのを見て、今日摘み取りの地所が略推測できた。ルーギンスランド辺りだろうか。全員で十五人ほどいたから大部隊である。今晩辺りから醸造蔵は大忙しである。

葡萄の熟成度は改めて調査に行くとして、ここ二週間ほどで殆どが摘み取られるのだろう。天候次第だろうが、グランクリュワインも可也酸を残したまま摘み取られるのかもしれない。現在までの質は悪くないので、まさにセレクションされた最後に摘み取られるものがグランクリュとなるのだろう。クラスの上と下の差は葡萄の健康状態でしかないだろう。

先日のキャンプで、十代のときのブュルクリン・ヴォルフ醸造所の収穫を手伝って、当時可也払ってもらったと思い出話をした仲間が、「今でもあんな大手で手摘み!」と驚いていた。彼にしてみれば、高品質の収穫期が開発されていて、特に百ヘクタールもある地所を収穫するとなれば、手摘みなどありえないと感じていたのだろう。殆どを熟練者によって手摘みにすることで健康な葡萄を収穫出来て、はじめて高級ワインが醸造されるのである。ワイン街道から十キロほど離れた元々農家の家系の人であるが、まだまだ彼ら地元の人にも知って貰うべきことが沢山あるのだ。

さて、劉暁波のノーベル賞受賞には外交的圧力を駆使して中共はそれを阻止しようとしたようで、その証拠に受賞は予期されていなかったらしい。その証拠を北京からFAZのジーメンス氏が伝えている。先ず、その情報規制が一時間は効かなかったとされ、既に三十分後にはSMSなどで知る人は全て知っていたと言われる。当然の事ながら、零八憲章などを把握しているのは知識人や海外にいる中国人などであって、その比率はとても小さくともある意味大変な人数でもある。そもそも如何なる形にせよ革命を非とすれば、必ずしも一般大衆が直接の情報を知る必要はないのではないだろうか?むしろ知識人がジックリと民主化と一党独裁体制の打破に向けて活動していくことが必要だろう

日本政府は、中共に人質となっていた日本人の身柄を確保したと喜ばしい報道がなされている。ここからは言い訳の無い外交であり、既に対中の在留邦人への注意喚起もなされていることであり、身柄開放の裏におかしな秘密外交がなかったことを示すためには、激しく人権や自由化に向けて強いアピールを出すべきときなのである。中国を攻めるのが目的ではなく、このまま中共を放任しておくと、我々の世界の秩序に係わるのである。このまま中共が一党独裁体制を続ける限り、改めて革命が必要となる、それを阻止するためにも民主化を進めることが中国のみならず世界の最大公約数の幸福に繋がるのは間違いない。日本のナショナリズムに加油するようなヴィデオ公開とか細部に拘るよりも大所高所から中華包囲網を強めていくことが世界の秩序の健全化に貢献する。



参照:
零八憲章刺す天叢雲剣 2008-12-24 | 歴史・時事
権謀術数議会制民主主義の自覚 2010-01-09 | 歴史・時事
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疑わしい神の恵みへの眼差し

2010-10-08 | ワイン
休肝日二日目を過ぎるといよいよ体調が悪化した。食欲も無くなり、胃が荒れだして、このままだとバリウム検査が必要になる。ここは無理をしてでも百薬の長を投薬しなければいけない。胸焼けの原因は昨日書いたようにストレスとそれに伴うミルク無しコーヒーの飲み過ぎなのであるが、アルコールが完全に体から消えても一向に好転しない。更に天気予報ではまずまずの好転が予想された金曜日であるが、陽が射したのはやっと夕方になってからである。そうなると全く駄目である。

力を振り絞って欲しくないワインを口にして、食べたくない夕食へと繋げた。そしてやっと生きた心地がした。大したアルコール量でもないのに一瞬のうちに緊張が解れた。抗欝剤でもこれほど効果は無いに違いない。そして何よりも細やかで複雑な味や香りに集中できる悦びは、まさに覚せい剤感覚に違いない。五感が職業柄?覚醒するのである。飲みたくないのに、高価なリースリングを開けるのは躊躇われたが、やはり開けて良かった。もし、精密検査などで病院通いすることにでもなれば時間も金銭もこの程度では済まない。本当に「神の恵み」に感謝する想いである。

新聞の折込としてグルメ雑誌が入っていた。そこではワインが半分ほどの位置を占めていて、先日開かれたエバーバッハ修道所の古酒リースリングの試飲会の様子が紹介されている。ジャニス・ロビンソンやスチュワート・ピゴなどのジャーナリストに混ざって、ワイン農家代表としてヴィルヘルム・ヴァイルも参加していてて、百三十年ほど前のリースリングが「思いがけなく新鮮」であったと感嘆している。数年ももたないようなそれではなくこうしたリースリングを提供して欲しいものである。

それに続くのがピゴ氏の文章である。ドイツで今や三番目ぐらいに有名なワインジャーナリストであり、英国でもTV番組で御馴染みだというが、どのようなジャーナリストかは良く知らない。恐らく試飲会でも会ったこともない。彼に言わせると、歴史的事実である百年前のドイツのリースリングの国際的評価、つまりマルゴーよりも遥かにロンドンで高価であった事実から、世界的に評価を落としてしまって久しいドイツのリースリングを述べている。つまり特に敗戦後の西ドイツの高度成長の工業製品化したワイン産業が、不凍液騒動を招いたとなる。しかしそうなるとオーストリアのそれは十分に説明出来ないが、元々はドイツのリースリングはエレガントだったとなる。これについてはなんとも体験としては語れないが、なるほど陽の弱い優れた土壌から生産されたドイツのそれはオーストリアの重い土壌の「下手な、くどい」それとは雲泥の差であったことは歴史的にも証明されている。しかし、戦後の復興期から安定成長へと西ドイツの工業化が進む中でのその転落の道は、十分にそれだけでは説明できないように思うがどうだろう。

更にそれを救い、現在の高級化への道を歩んだ例としてテロワールへの拘りを、レーヴェンシュタイン醸造所やエルンスト・ローゼンやベルンハルト・ブロイラーに代表させるのは合点が行かない。彼らが現在提供しているリースリングは、特に最後のブロイラーなどをみても既に本人が故人となっているとは言っても、どうも繋がらないのである。なるほどエルザスのそれを手本としたとすればローゼンのそれなどは幾らかそれを感じるが、ブロイラー自体はそれほど素晴らしい地所を保有しているとは思えず、先日お土産に頂いたラウエンタールのそれを吟味しても必ずしもそのお手本を感じることは難しい。と言うか、如何にも業者らしく上手に造り過ぎである。

ラウエンタールの地所自体はとても一般受けする素晴らしいリースリングが出来て、現在のブロイラーのそれもその清潔さで素晴らしいのであるが、テロワールの面白さとか複雑さを表現するにはそもそも向かない地所であり ― これはそのものダイデスハイムのヘアゴットザッカー一般にも通じる、逆に奇麗に造ってしまっている事でもともとのその地所が持っているおおらかで土着的な味が消えてしまっている。若干の残党感や苦味の悪さは2009年の特徴だとしても、変に薄化粧したような浴衣姿の町娘の様でもありどこかコーラワインに通じるようで興醒めであった。

ピゴ氏が、ぬべっとした取り立てて特徴も無い複雑さの無いケラー醸造所のそれよりもご近所のヴィットマンの成果を評価するのは理解できるのだが、この著名なワインジャーナリストが現在のドイツリースリングの本当の実力を把握しているのかどうかは疑わしい。そもそもテロワールとは何かを、その地所を歩いて十分に体験しているのだろうか?そして、リースリングとの出会いが1982年にはじめて旅行したモーゼル・ラインでのシャルツホーフベルクのシュペートレーゼとフォルストのウンゲホイヤーだったというから笑わせる。後者はバッサーマン・ヨルダン醸造所のヘーネ氏のそれを指しているのだろう。
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休肝日をいれても残る疲労感

2010-10-07 | その他アルコール
昨日、石切場に向う途上、対向車のバンをやり過ごそうとした。するとパッシングされた。先でネズミ捕りでも遣っているのだろうかと運転手の方を見ると、黒っぽい影の男が運転席から前のめりになりながら左手を出して合図した。

結局誰か分からないのだが、明らかに知人で、こちらに合図していたようだ。知人であるからあれほど近くで顔を見ているのだから分かっても良い筈なのだが、分からない。車の感じや通行時刻や進行方向でしか推測出来ない。

最近は石切り場やアウトドーア活動の関係で「見かける顔の知人」が増えているのだが、あそこまで合図して来ているのだから、一度は飯などを食った仲なのだろう。そのシルエットと推測からある人物が挙がったが自信が無い。次にあったときに尋ねてみるしかないが、道路上で作業服などを着ているのを見かけたりすると、なかなか知人と関連付けるのに時間が掛かる場合もある。

昨晩は底を直した靴をはじめて試したが、岩場が湿っていて、体に力が入った。それでも一週間休んでいた割には体の切れは悪くは無かった。何よりも体に力が入るのが良い。それで、体こなしに今朝は六キロ近く走破してきた。これまた気温のせいか起き抜けにしては快調であったのだが一部快走の割りにはあまりタイムは伸びていなかった。やはり足腰に応え、予想通り昨晩の上体の軋みが上手く疲れとなって出て来た。冬の始まりは外気温から体の疲労が発散し難いので、上手く疲れを出してやるのは重要である。

帰って来てシャワーを浴びて、午後になると流石に全身疲労となった。昨晩は、胃腸の調子が今ひとつで休肝日としたが、今晩も休肝日である。牛乳が切れていて、コーヒーの飲みすぎが堪え、フィッシング詐欺との戦いなどのストレスが胸やけ感になってきている。こうしたことでもなければ休肝日は取れないので、それも良いかもしれない。肝臓の疲れが出てきているのかと思っていたが、休肝にしてもしんどいものはしんどい。
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経験とは一体どういうことか

2010-10-06 | アウトドーア・環境
岩登りでは二つのグループに入っている。一つのグループを水曜日グループとすると、その一人に写真つきメールを送った。先々週に金曜日のグループと登ったスイスの岩壁の写真である。それに対して、「あそこは知っている、乾いて素晴らしい」と返答してきていた。

そして、本日石切り場への道で、上部岩壁の話をしていると、どうも下部岩壁で敗退したことを漏らし出した。最後のハーケンにザイルを掛けようとする時に足を滑らしたと言うのである。

「雨でも降ってきた?」と尋ねると、

「湿気が凄かったのだ」と答える。

「何時頃のこと?」

「八月の終わりから九月の初めだ」と。

「晩夏だよね」

その話を反芻して想像してみると、どうも下部の摩擦で登る部分で足を滑らして、意気消沈してしまったのだろう。スポーツクライミングとか称して永くそれに従事している者に限らず、こうした状況は昔からよくあるのだ。我々の昔の仲間でも威勢良く、当時日本有数の難しい壁のルートに挑んで、間違いなく戻ってくると評判の者もいた。

そこには意気地が無いというよりも遥かに複雑な心理状態があって、そのような状況になる場所とか状況とかというのは全く同じように誰もが感じているのであるが、そこで心が折れてしまうか、踏ん張れるかは、実はそうした精神論的な根性とか頑張りとかいうものだけでなくて、客観視できる経験とかが分水嶺になっていることが多い。
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釣られた魚は保障されるか?

2010-10-05 | 歴史・時事
昨晩からオンラインバンキングに入れなくなった。なにかフィッシング詐欺の動きがあったと感じたが、今朝になってから時間が無くて銀行の営業時間には何も処置を取れなかった。それで夕方六時前になってはじめて再び試みるとやはりログイン出来ない事が判明した。

そこで銀行の二十四時間体制のところに電話すると、閉鎖になっていないということは他の原因かもしれないと言われ、支店の担当の者が既に居ないので、明日の朝に担当の者から電話させると電話を終えた。

そして、再び試みると三回続けて誤った番号を入力したので、一時間先までは閉鎖する表示が出てきたので、若しかすると認証番号を以って乗っ取られて、認証番号の変更をされたのかもしれないと気になりだした。そして急いで、再び電話してオンライン口座を一時閉鎖して貰って、新たな認証番号を請求することにした。それでも口座の残高などは分からないので一体どうなっているのかは不明である。

色々と犯人の立場で考えると、認証番号を以って、乗っ取ることは可能であるが、金銭を振り替えするのは難しいだろうと思われる。気になったのはログイン時のエラー表示で、犯人に認証番号を変更されてしまっていて、既にオンライン口座が完全に乗っ取られている場合である。可能性としては全く無いわけではないが、そうなるとオンラインバンキングのシステム自体の問題でもあり、フィッシング詐欺の問題ではないように思われる。明日の朝になってみないと判明しないが、結局は何回かの詐欺犯の試みの末に口座が閉鎖されていたのだろうと希望的な観測を抱いている。

万が一、技術的に送金が可能だとしても、リミット限界額まであと二百ユーロぐらいしか自動的には送金されないのでそれほど大きな問題とはならない筈である。

尖閣列島の件では、日本における報道規制というような話題までが出ているが、欧州に旅立つ前に温家宝首相は明確に「釣魚島は中国固有の領土だ」と言明している中国の報道も重要であり、日本の与党副幹事長の講演での「中国における財産や人命の保障は出来ない」とする態度は尤もな見識であり、二国間の戦略的な関係以上に極東の軍事的な緊張は強まるに違いない。
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パイプを燻らすパイオニアー

2010-10-04 | アウトドーア・環境
アルピニズムの歴史に係わる文献に目を通している。はじめて目にしたのが、日本のアルピニズムのパイオニアー槙有恒のガイドを勤め密接に係わったグリンデルヴァルの山案内人でありベルンの議員を勤めたザムエル・ブラヴァントの「槙有恒の想い出」と題した追悼文である。

槙氏の1989年の訃報を受けて直ぐに認められた文章であり、恐らくそれ自体が日本のアルピニズムにおける重要な資料であるに違いない。1919年秋の最初の出会いから綴られていて、高級ホテル「アトラー」の用命を受けて日本人のドイツ語の先生を承る所から始まっている。あの高地にある山村において山の案内を出来る手ごろな若者は多く居たに違いないが、英語を話す外国人にドイツ語を教えられる手ごろな若者は多くはなかっただろう。

それは氏の経歴を読むと、四歳でヴェッターホルンの頂上で落雷に打たれて死亡した山案内人の子供として育ち、小学校の教師としての職業から政治家を経て、国鉄の総裁までを務めていることでも分かる。このブラヴァント姓は同地では頻繁にある名前と見えて、嘗て氏が生存中に滞在した私の定宿の家庭も同じ名前であった。

さてそうした山村の事情は別にして、槙氏がそこで明峰アイガーでの初登攀を成功裡に導くまでに僅か二年しかたっておらず、その土地の事情を知り知己を得ることで成果を挙げているのは、初期の英国人を代表とするような初登攀の状況とよく似通っている。特に興味を引いたのは同じルートは既に下降路としては使われていたようだが、初登攀はならずにいて、結局槙氏らによって九月に初登攀されるのであるが、その夏にはドイツのプファン、ホロショヴスキーの試みが挫折していることである ― その事情は本文にその夏の遅い雪などの悪い気象条件として十二分に記載されている。

前者はハンス・プファンで、後者はアルフレート・ホロショヴスキーのことのようで、ヴィーンに生まれた第一級の登山家で北壁の単独行などマッターホルンの北壁の初登攀八年前にヘルンリの肩までを試登している。アイガーの東山稜の手強さのようなものがそこに表れている。余談ながら、この登山家はリュックサックやアイスピッケルやアイゼンケースなどの制作者としても活躍したとある。また、山岳画家グスタフ・ヤーン同行者としても紹介されている。

同じように槙氏が、紹介した同地の名匠のことが本文に触れてあって、嘗て日本で登山を行った者であれば知らない者はいないリュックサックの代名詞アウグスト・キスリング、ピッケルのアルフレート・ベーント、クリスチャン・シェンクなどは全て1920年の訪問時に注文して槙がブラヴァントに送らしたものなのである。

当然の事ながら、物質的な繋がりだけでなくて、松方三郎を代表とする田口兄弟、浦松ら、また忘れてはならない裕仁の弟秩父宮殿下が槙の伝を使って続々とアルプス入りする。

槙氏の人柄について、ブラヴァント氏自らの45のサイズの靴を必要とするキリンと呼ばれる長身に対して、今の日本人よりも遥かに小さい羊と自称する36のサイズの靴を履いていたというから大分小柄である。現在の日本人女性よりも小さな靴である。また、禁煙していたブラヴァント氏に自分のパイプのタバコを用意させるついでに再び始めさせるのは現在では殆ど考えられない光景である。そのブラヴァント氏はグリンデルヴァルトで2001年に百三歳で亡くなっている。


写真:現在の底張替えをしたクレッターシュー。戦後になって表れたピレリー社ゴムのヴィブラムXSV底のものからボーレルのFS-Quattroに替えた。



参照:
情報巡廻で歴史化不覚 2008-10-27 | アウトドーア・環境
環境、ただそこにエゴがあるだけ 2010-01-23 | マスメディア批評
腰にぶら下げる山靴の重さ 2009-07-19 | アウトドーア・環境
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スパイボットと称するウェアー

2010-10-03 | テクニック
先日のスパイウェアー問題は比較的スマートに解決した。スパイボット・サーチアンドデストロイと称するソフトで一時間半近くかけてサーチさせて、八十個ほどの問題あるデータを消去した。

一つはスパイウェアーで、一つはトロージャンC-05と呼ばれるものであった。明らかに後者が今回の元凶であり映像編集ソフトにくっついていた。前者は180Search Assistantと称する所謂アドウェアーのようであった。

そもそもこうしたソフトウェアーを一切使わないのは疑心暗鬼ゆえで全くそうした製造元を信用していないからなのだが、今回のは銀行の推薦になっていたので少なくとも悪徳のソフトではないのだろう。いずれにしてもフリーのソフトウェァーしか使わない方針なので、こうした推薦は助かる。

気になったので、ワークステーションの方にもそのソフトを走らせてみることにした。そして驚いたのは、こちらも四十一個の問題あるデーターが確認されたことで、トロージャンこそなかったが上の同じスパイウェアーが一つだけ見つかった。その他はパプスと呼ばれる予期されないプログラムとのことであった。

先ずは全てを消去して、なにか効果的な違いが生まれるのか観察してみないといけない。そして何処から感染したかと考えれば、間違いなくフリーウェアーのダウンロードとインストールからなのである。
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不味いのを飲んでる暇などない

2010-10-02 | ワイン
ラインガウに向う車の中で知った。今晩バーデンバーデンで細川氏の新曲初演があるそうで、氏が当日午前のリハーサルでインタヴューに答えていた。聞き逃したのか見逃したのか、知らなかったので時遅しである。もちろんこれからでも飛んでいけば間に合うが、ほろ酔いでドレスデン絨毯爆撃のコラージュ曲を聴いても仕方ない。ケント・ナガノが指揮するらしいが、ミュンヘンを去っても是非ドイツで今後もこうした活動をして欲しい。ある意味ドイツの楽界の閉塞感のようなものがそこに感じられる。

明日も天気が好ければ午後にはどこかに登りに出かけられるかもしれない。昨日の月例会は、先月に続いて氷壁の専門家が先週の成果を語ってくれた。ユングフラウ地域は二十センチも新雪があったそうだ。こちらもスイスで提案した来年度の希望が、彼の領域と重なるので、彼自身も乗る気であり、是非とも協力関係が実現して欲しい。

私自らも、当初はアルプスでの活動は日本では経験できなかった氷壁に焦点を当てて、再び岩の世界へと戻ってきているが、これで幾らかはその両方の力量が試せる時期を迎えている。来年のシーズンまでにはまだ未だ冬の過し方で、体力・技術力共に養うことが出来る。

それにしても何事も本格的に活動しようと思うと、時間も意志も必要で、そこに経済的な活動までが係わってくるから休む暇がますますなくなってくる。昨日は、手術の出来ない肺癌患者とその奥さんさらに再発の放射線治療などを受けている奥さんも一同に集まった。思いのほか元気そうに見えたのでそのように言ったのだが、やはり奥さんの間隙をついて見せる表情が厳しい。「不味いワインを飲むには人生は短過ぎる」と我々も繰り返さずにはいられなかった。
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ヴァイル御一行様のご相伴

2010-10-01 | 試飲百景
怒涛のような試飲と書いたが、その内容は忘れてしまった。酔いが回っていると手元のメモが見つからないとどうしようもない。それに既に十日以上経過している過去のことである。それでもキャンピング場でのミニ試飲会や購入リストを見ながら少しだけ振り返っておこう。

当日はダイデスハイムの醸造所から始めて、カールシュタットでの昼食を挟んで、フォルストで試飲してから、何時ものようにヴァッヘンハイムでの宴会モードの試飲会となった。気が付くと辞去したのは19時過ぎで翌日八時発の旅行などどうでもなれである。

ヴァッヘンハイムではどこか拗ねたような恐らく東京ドイツワイン協会の理事?の日本人がぼろ箱を抱えてうろうろしていたが、我々の前座を勤めたのはスロヴェニアなどを廻ってきたそのソムリエ氏ではなく、四代目醸造親方から話しを聞いていたヴィルヘルム・ヴァイルさんとその御一行様であった。ここでも氏の明確なコンセプトとメディア対策を大変評価していて、特に今年からの展開はまさにこのビュルクリン・ヴォルフ醸造所を手本とするグランクリュや薫り高いリースリング造りは賞賛ものである。

お忍びだといけないと思って挨拶はしなかったが、まさに私こそがクリストマン会長の隠密のように方々で顔を出してグランクリュを品評するとなると、それだけで醸造所の方々に重要な指針となるのである。実際に当日もフォン・ブール醸造所で私がグローセスゲヴェックスの将来性の経験値を語るときに、一体何処のどのグランクリュワインと比較されているかは言後にすべて明白なのである。要するにグローセスゲヴェックス親善大使となっている。それは、ヴァイルでもレープホルツでも何処でも注意深い者なら直ぐに気が付く。

今回はヴィルヘルム・ヴァイル御一行になにを出すかが興味深かったが、お相手をしたのは私よりもそのワインを知らないと呼ばれる社長であり、当日店に居たのは新入りの女の子であったので全く試飲会としてのびっくり箱は出なかったようだ。それでも、我々も最高級グランクリュ時価一本七十ユーロのキルヘンシュトュックまでをご相伴出来たのは計算通りである。

2009年産のそれは天然酵母百パーセントの醸造であるので閉じた感じがあるのだが、他のグランクリュが初夏の樽試飲に比べると十分に開いてきているので、遅咲きなのだろう。この傾向は、フォン・ブールのそれにもあって、2008年産のような赤い薔薇の開いた香りは未だ隠されていた。逆に、2008年のそれは開き過ぎであったので、一度閉じてしまうと手を付ける時期がとても難しくなるだろう。その点、2009年産は安定しているに違いない。

その意味からは、やはりホーヘンモルゲンは秀逸であり、ペッヒシュタインは全く殆ど塩味を感じるほどにミネラル風味が素晴らしく、開いたときの出来上がりは保障できる。さらに今年のウンゲホイヤーは、200年産のお花畑の様相を呈しており、これも完全に開いたときにはとても楽園のようなリースリングになる筈である。究極の高級熟成リースリングとなる。

ガイスビュールも重心が低くならずに丸みがあって万人向きで、カルクオーフェンは年内に十二分に楽しめるグローセスゲヴェックスの中で最高のものに間違いない。初夏と比べてもっとも変わっていたのはプリュミエクリュのアルテンブルクかもしれない。薬草のような独特の土壌感はスレートのそれに近づいている。これも早めに飲んでしまう方が楽しめる。ランゲンモルゲンも徐々に開いて来ていて、期待を裏切るどころか、CPにおいて2009年産の最高のリースリングかもしれない。古い年度では、2005年産のペッヒシュタインなども思ったほど悪くはなかった。

オルツヴァインでは、やはりルッパーツベルガーがよく開いていて飲み頃である。ヴァッヘンハイマーは暮れぐらいまで待った方がよさそうであるがポテンシャルは高い。グーツリースリングは、なるほど上手には造ってあるがやはり焦点が暈けていて、ケーニグスヴィンゲルトなどのものに共通するような一種の苦味もある。
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