Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

禁止することの容易さ

2014-04-16 | 雑感
もう一つ危惧していた件はスピード違反である。クライミングシーズン最初に出かけるバーデンバーデンへの途上写された写真である。撮影されたのは、道路が完全でないとされる場所であった。しかし高速道路で臨時のコントロールがさされる場合は時速80KM制限と決まっているので、見落としたと感じたところである。

写される前にカメラを発見して、タコメーターを除くと時速114KMほどしか出ていなかった。前の車に続くように走っていたのであり、制限を知っていたので、カメラを見つめながらブレーキを踏まずにいると光った。

だから信じられないと言う気持ちであったのだが、少なくともは誤差を入れて30KM超過かどうかと言うことで、40KMの免停にはなら無いことは知っていた。しかし、帰宅後調べると、五月の新しい法までは30KM以上超過で減点三点、120ユーロの罰金、未満で減点三点、80ユーロの罰金とあった。

そこで少なくともは80ユーロの罰金と先一年間の十字架を覚悟したのだった。そして聖週間の本日予想通り手紙が届いた。そして請求書が入っているのを見て驚いた。罰金の場合は請求書以前に調書が来るからである。結局撮影された場所の制限速度は100KMということだった。撮影の明くる日に態々見に行った現場であるが、全く撮影されたことが理解できなかったからである。10KM超過で撮影されるところは憲法裁判所のあるカールスルーヘなど固定カメラの一部しか知らなかったからである。その結果は、御咎め無しの10ユーロの警告金の振り替えだけである - 送られた書類に運転手の写真がついているので記念写真代である。

何はともあれ先一年間の十字架と二十年ぶりの減点を避けることが出来た。十字架を背負うと同じようなケースで四週間の免停が決まってしまう。これは困るのである。だから五月から法律がかわるに違いない。あまりにも厳しいから、今後は金で片付ける方向へと動くのだ。

軽犯罪や致し方ない交通事故などは罰金で処理するのは正しい方法で、その金額に問題があるならば保釈金のように資産や収入によって裁判所が罰金額を算出すればよいので、拘置や逮捕などは出来るだけ避けることが重要である。勿論免停などの処置はその適性検査などによって効果的に行うべきであろう。

禁止に関しては、先日来話題の麻薬の自由化への議論であるが、一部保守政治家からは反対の意見が出されている。それによると、一学級で半数ほどの麻薬依存者が出たら授業が継続できないと言うような意見である。麻薬の危険性を教えることが出来ない教育などなら価値がないように思われるがどうだろう?そんなものは麻薬の問題などではなく、教育の問題であろう。



参照:
免停になる前に注意目標 2012-03-15 | 生活
執行猶予期間を先送りする 2009-06-10 | 生活
切り取られた助手席の女 2012-10-16 | 女
麻薬自由化への法議論 2013-12-19 | 文学・思想
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WIN8.1より優れたWIN8

2014-04-15 | テクニック
中々気がかりなことなども片付いていないのでまだ書き留めていないことも多い。小さなことであるが、この一週間ほどは一昨年に導入した富士通のノートブックを弄らなければいけなかった。

切っ掛けはキャノンのIXYとのデーターの受け渡しがうまく行かなくなったのである。WIN8.1にアップデートしたあとからで、そしてそれにも不満を感じていたから、より合理的でコンセプトの明快なオリジナルのWIN8に戻そうとして、結局は新たにインストールすることになった。

するとリカヴァリーのDVDには英国版しか入っておいらず殆ど新たなOSとなってしまったのである。なんとか個人データーは保存されていたのを発見したが、新たにインストールしたEメーラーなどに移したりするのに時間が掛かった。なによりもIXYの読み込みに時間が掛かった。

お陰で、富士通のソフトに邪魔されて分りにくかった、WIN8の裏側を覗き込むことが出来たので、今後はデーターの管理とともにハードチューニングとなる。やはりWIN8はとても冴えた構造だと感じ、WIN95に匹敵するのではないかと感じたがどうだろう。もちろんシャットアウト機能などを付け加えておかないといけないのだが、そうしたマイナーチューニングが功を奏すること自体が優れているのだ。

まだ、LANへの復帰などに時間が掛かりそうである。天気が良いときに座って仕事をしているのは気分が悪いが、仕事のためだから仕方ないのだ。無料だと思って8.1のダウンロードに飛びついた自分がいけなかったのだ。



参照:
デジタルカメラの高機能 2013-10-06 | テクニック
ウィンドーズ8の清掃作業 2012-12-14 | 雑感
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小さなことからコツコツと

2014-04-14 | アウトドーア・環境
今週は比較的良く走った。火曜日の太いオーク峠行き帰り37分、木曜日の沢沿い往復17分、日曜日の峠往復34分5430歩である。その間に水曜日のボールダー3時間と金曜日の石切り場の4時間のクライミングを合わせると運動量としては十分であろう。しかし食事量は増やしていない。その効果か、登りは軽く流して21分3221歩と満足できる成果であった。

金曜日の石切り場は、「農民」に合わせて自分の肩のリハビリを兼ねてゆっくりと登ったが、その程度は彼にとっても今年二度目であり決して低くは無かった。但し室内での出来と違って、エーデルリットのサブの靴を使っている彼の足元は安定していなかった。

また一つには石切り場の岩肌は長年の風化で形成されているものと異なって、使い方が制限されているからだろう。実際に、自分も新しいボールダーに使用中のシャマーンも使ってみたが、摩擦係数は低い。更に手掛かりの変化が少ないので、室内壁にも似ている代わりに着色されていないので、手掛かり足掛かりを知っているかどうかでまた身長差なので大きな差が出る。

彼が登る場所であれば自分自身も何度も登っているので教授も出来、流石にレッドポイントで一切のザイルやカラビナの御世話にならなくても登れるのだが、彼はカラビナを密かに握る感じで完璧にはこなしていなかった。自分自身もザイルにぶら下がることには抵抗があったのだが、自身の技術を上達させるためには徹底して上った方が良いのである。それでも彼は、昨年とは異なり上限に挑戦するようになっているのは、室内壁でこつこつと私と一緒に登った成果に違いない。

それでも、私が始めてボールダーの成果を試すためにも挑戦した登り方をアドヴァイスして登れた箇所は見事で、可也自信を付けたに違いない。なによりも彼の良いところは人の登るのを観察していてそれを真似して登ることの出来る思い掛けない器用さがあることで、流石にBASFで若手労働者の指導員をしているだけの几帳面さである。運動能力も五十半ば過ぎであるがたいしたものである。

彼が早退したあと、他の者がかけていたザイルを使ってまだ克服していない5.10を試してみた。横のルートに掛かっているので上部はザイルが邪魔になったが、漸く手掛かりが飲み込めた。チョークをつけ最後のハーケンに二枚重ねでカラビナをかけるなりして安全を計れば次は挑戦できそうだ。但し外の大きな者が登るように下から折り返し点にカラビナを掛けるのは難しそうなので、登り切ってから掛けるしかなさそうである。

下部の懸案の箇所も小さなもの向きの横の穴を使わないでも登る技術が身についたようで、これは何とかなりそうである。やはりこうしたところでも自然の岩肌とは異なり、石切り場の登攀では十センチほどの身長や手の長さの差でも苦労する場所が少なからずあるのだ。



参照:
腹筋を鍛える夕方の運動 2008-07-11 | 生活
頭から落ちて鼻が治る? 2013-05-27 | 雑感
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修正主義と制御付新自由経済

2014-04-13 | 歴史・時事
承前)日本の遅れてきた帝国は、シナにとっては別の意味がある。シナは、1792年の英国からの特使以来西洋からの開港など外圧に対応してきたのだが、朝鮮半島を犠牲にした1894から95年の日本との戦いで破れたことで、満州や台湾への権益を失う。シナは、明治政府に学ぶことになり、1898年には相手側の首班であった伊藤博文を招聘して、清の皇帝に会わせ、改革への任を命じようとさえした。しかし、この試みは保守層によって摘み取られる。

その流れの中で改革派は日本へ亡命して、近代化を中国語に訳して、1911年の中華共和国の成立を準備する。魯迅などを代表とする人々である。しかし、ヴェルサイユ協定の結果は、チンタオ半島などので、日本のみならずドイツもシナにも大きな不満を齎すことになり、シナの日本への感情も一変するのであった。

そして1919年5月4日の学生革命へと繋がり、これが国粋的な運動として現在まで祝われる背景に、シナの日本に対する嫉妬や怒りがあり、「病弊したシナ」として日本において扱われる所以でもある。

その後の大日本帝国の侵略の歴史は、東京裁判でも明らかになったように、あらゆる兵器による虐殺や慰安婦に代表される非人道的な行為によるシナ人など甚大な犠牲によって、日本の野望は灰燼と帰す。

戦後の歴史は、一端崩壊したドイツとは異なり天皇の継続とともに日本は其の侭、台湾へと移った戦争当事者であった蒋介石の「敵意を徳で以って仕返しする」として自由主義陣営の傘の元で国交回復する一方、共産主義陣営の毛沢東の中共は「抗日戦線勝利」と「権益の回復」をその正統性の根拠として、1971年のニクソンショックを待つことになる。

ピンポン外交などに続いたニクソンの訪中は、日本に「アメリカとの安保条約への不信感を募らせ」、電撃的な1972年の田中訪中を決断させて、1978年の日中国交回復へと結びつくのであるが、話者が記すように「時の日本の政治家と、軍国主義や帝国主義者を別けることはまだまだ当時は容易だったようだ」となる。

日本の安い産業製品を輸出する成長戦略は、所謂小虎諸国やシナの経済モデルとなり、その小平の戦略で最も恩恵を受けたのがアニメやファッション、ポピュラー音楽の日本製品である。シナから海外への六割の留学生は日本で学び、中国語は英語に続き日本で最も学ばれている言語となる。

しかし、シナの全体主義と日本の民主主義の対立状況は、80年代の教科書検定問題に対するシナの批判を以って、日本と台湾の関係の対立にとって代わるようになる。そこで鈴木首相の公式な「悔恨」表明となるが、「白人植民地支配に対抗する亜細亜の開放」と「戦犯」が日本政府内に今に至るまで存在する議論であり、シナは政治的な反論としてこれを武器にする。

天安門事件以降最初にシナとの外交を再開した民主主義的な国が日本であり、89年以降の東欧での民主化革命において、共産党の基盤が揺らいできたことから、1994年1月に「愛国的教育」を採択する中共は、有史以前からの五千年の歴史においてこの百年間の没落を正当に克服した」とする教育を徹底する。それによって、日帝の行いも「度を超えて扱わう」ことで中共の正統性を強化することになるのである。

その一方、日本は政治権力者どころか天皇までが過去への遺憾を繰り返して表明するにも拘らず、マッチポムプ式に有力な政治家が度々繰り返し1937年の南京虐殺や慰安婦強制問題を否定することで、更なる遺憾の意の表明が重ねられるようになる。その中で靖国神社が問題となって、A級戦犯合祀以前はドイツ政府が1970年に靖国に植樹するように諸外国からある程度の認知が得られていたにも拘らず、それ以降はその存在自体が中共のみならず諸外国からの批判の対象となる。

シナの経済的な勃興に伴って、1990年のバブル崩壊後のデフレの日本はこの地域での影響力を減少させた。小平の近隣との友好的な関係構築政策は過去三十年間の実を結んだが、2008年の世界金融危機以降、シナの世界での政治的な影響力が変革して、同時に政治的な制御を持ったリベラリズム経済は政策のモデルでありえるかどうかが、自負を持ったシナで議論されるようになった。

釣魚紛争以来、これが日中対立の焦点となるが、2013年2月の日本の海上保安庁の船長の躊躇によって戦闘は避けられたものの、シナの10月の航空機識票設置へとエスカレートしており、両国の国内政治への影響を与えている。2012年にはシナは「シナの夢」を掲げ、2012年12月には日本では修正主義者を多く抱えた内閣を発足させた。

世論調査では、両国の九割が相手国を不愉快に思っており、1914年の欧州を比較するのもそれほど驚くにあたらない。軍事的なグレーゾーンにおいて誤った認識から戦いとなる危険性は現地でも、それどころか両首都でも現実となっている。政治家は、クリストフ・クラークの言うよく見える眼と危険への十分な認識を扱っているのとは大分事情が異なっている。(終わり)



参照:
史実に立つ頭打ちシナの現実 2009-05-23 | マスメディア批評
上から目線でしょうか? 2013-12-04 | マスメディア批評
日本の情報統制の進行? 2014-01-22 | 歴史・時事
小日本の皇帝思想 2014-04-10 | 歴史・時事
見苦しい日本国大使の反論 2014-01-22 | 歴史・時事
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なんともいえないあの触感

2014-04-12 | 雑感
バッハの肖像画の話題が絶えない。息子の記念年にも関係しているかもしれないと感じるのは、先に触れた現在ベルリンのドームで展示中のバッハハウスが購入したパステル画である。その信憑性に関しては既に否定されていた歴史があるが、新たに話題になっているのがダルトムント大学で議論されるパステル画である。地元の愛好家がベルリンのオークションで落としたもので、現在調査中である。恐らく、十八世紀に枠入れされていることから息子のカール・フィリップ・エマニュエル所有のものではなかったかとされているが、肖像画のコピーなどが幾つも存在することから科学的な調査でしか結果は出ないようだ。

なにも大作曲家の肖像画が、その創作に影響を与えることは無いのだが、芸術においてはそれを受け止める側の社会意識が問題となるので、作曲家のイメージがその時代の鏡となることが儘ある。ベートーヴェンのプロフィールが1960年代に大きく変わり権威が崩壊していく過程はそのまま1960年代の脱構造の世界観を表わしていたようにである。

木曜日は、前夜就寝中に肩が一週間前のように痛み出して、熟睡が中断された。使っているときには感じなかった痛みに、就寝中に襲われるのは再度痛めたというよりも、同じように痛めたというのが正しいのだろうか。今度は肩を庇ったからだろうか、肘から下も痛くなった。筋を痛めた感じに近い。それほど酷くは無く、肩の方も頭の上に手のひらを置く動作はできないが、シャムプーは徐々に出来るようになり、着替えも問題が無くなった、しかしバスタオルで背中を拭くのはまだ一部難しい。使った分、動くようになった感じである。そのために身体ならしに、少し走った。沢沿いをさっと往復して17分2830歩であった。

パン屋で先日に続きホルンの形をした芥子のみがついたホルンヒェンがとてもさくさくとしてとても美味かったので再び買った。あの食感はとても幸せなものだ。



参照:
円満で本物らしいバッハ像 2014-03-10 | 文化一般
肩が重い、コムパイラ 2014-04-07 | テクニック
大晦日も静かに更けて行く 2014-01-01 | 暦
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成果を出すまで我慢の為所

2014-04-11 | 雑感
昨年グッドバイWIN95を宣言してから一年も経たない。だからXPもあと五年ほどは使い続けるだろう。様々な情報があるが、不思議なのはセキュリティー・エッセンシャルスの反応がPCによって異なっていることだ。

三機種の中で、ノートブックとワークステーションは殆ど同じXPプロで、エッセンシャルスのヴァージョンも全く同じである。しかし、前者は打ち止めの警告が出るのに、後者ではまだ緑色で更新されるようだ。何が決定的に異なるのか分らない。もう一機のPCはXPホームなのでそれはそれで理解出来る。

私見では、今後は使い方を限定して、出来る限り複雑なソフトにアップデートさせないことが肝心と思っている。もっとも注意しているのはJAVAを使ったWEB環境で、出来る限り広告などが紛れ込まないようなハードチューニングが安全なネット環境に基本と考える。それゆえに、おかしな映像表現が流れ出るようなフラッシュプレーヤーなどの更新などは注意しなければいけない。兎に角、シムプルイズザベストなのだ。だから、LINUXへの移行となるのだが、最低限使いこなせるようにチューニングアップしなければ仕事にならない。

今週は肩を痛めた腹いせに、頑張って走っている。日曜日には8キロコースを走ったが、火曜日は今年三度目の太いオーク峠行き帰りを行った。記録など出そうにも無い体調なのでゆっくりと始めた。肌寒いが陽が強かったので、シューツとTシャツで走ると、途中切り株を整理している夫婦連れの樵の車にすれ違った。峠では24分を予想していたが、後半の走りが良かったので22分3381歩と今年最高の記録である。しかし、降りてくるのが結構きつくて37分5782歩と予想よりも時間が掛かっていた。

水曜日は、久しぶりにボールダに向かった。故障中なので、昨年の十一月以来隣の地域であるハイキング客の多い地域を覗きに行く。誰一人とも会わないのは少し気温が下がっているためか?一箇所斜面の下の方に隠れた岩を見つけた。人の目に曝されるところはチョークの使用が禁止されているが、流石にそこまではあまり人が来ないのだろう、チョークの跡が確りと残っていて、斜面の上のように巨大ではないが適当な高さの良い課題があった。調べてみるとマルモンブロックと呼ぶそうだ。簡単そうなのを試すが中々良い。肩さえ調子がよければ楽しめそうだ。そこからいつもの地域まで森の斜面を探しながら歩く。何時の間にかいつもの課題の前にやってきた。

肩に気を使いながら登るうちにいつの間にか本気になってくる。肩の調子が悪くても前回よりも登れる場所も出てくる。ポッペルブロックの難しい課題の上部を片付けたので下部の座ってからのスタートさえものにすればまた一つ達成できそうである。アクセルシュヴァイスは、上部の手掛かりが光に照らされて確認できたので、そこに手が届くまでのもう一手が勝負だと分った。そのためには足掛かりを定めなければいけないが、VIDEOを見て見極めないといけないだろう。いつものアレックスブロックに触るが肩の調子さえ治れば突破できそうだ。故障しているが全体の調子は格段と良くなってきている。ここは我慢の為所だと思っている。



参照:
さらばWIN95、苦悩の日々 2013-06-03 | テクニック
鎮座する旧式PC/AT互換機 2013-07-03 | 雑感
とてもうきうきする気持ち 2014-03-30 | アウトドーア・環境
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小日本の皇帝思想

2014-04-10 | 歴史・時事
前在京ドイツ大使シュテュンツェル博士が、FAZ紙全一ページを割いて、日中関係について詳しく紹介している。いつもながらの氏の透徹した視点であるからこそ、その外務省内での立場は分らないが、恐らく現メルケル政権の見識が良く出ているように思われる。

ここでは、二千年間の日中の歴史を通してみることで、タイトル「日の出と日没」通りの両国の浮き沈みの中での関係がよく見通せる。周恩来が国交回復時に語ったように、「僅か六十年ほどの歴史は言及に値しない」となる。

興味深く思ったのは、その始まりとして、資料が残っている倭の征伐を挙げて、そこから今まで二千年も「小日本」と言う認識がシナに植えつけらるということである。

それから現在まで五回に亘る対決のなかで、そもそもシナは日本にとっては全ての御手本であった訳で、シナの中華思想に触れた日本人は、「天皇の成立」でシナの皇帝に対抗しようとして、「陽上る国の天皇が日沈む国の皇帝に挨拶する」となる。つまり、沈む国があったからこその出国なのである。

その考え方が、二回目の対決である元の襲来に際して、武士階級は百五十年間の家来の時を越えて、「シナの皇帝が度々変わることに比べて、神なる天皇は一貫している」ことに本物を見ることになる。正しくシナの皇帝思想そのものであり、こうした日本人の自己のアイデンティティーへの不安無しには近代化へも繋がらないとする見方が如何にも話者らしい。

そして日本のそれは、とてもユニークな近代化への道であった訳だが、1873年にビスマルク宰相と食事をともにした日本からの使節団は、「日本もドイツもともに小さな国であり、国家の勃興において市民の権利を拘束することは致し方なし」と述べているようだ。正しく、大日本帝国憲法が当時のプロシアの近代憲法よりも敢えて古い考えで制定した公式な理由である。

そして、朝鮮半島を舞台にしての対決となるのだが、「遅れてやってきた帝国主義」を以って、1940年までその帝国は突き進むのである。亜細亜の近代化の命を帯びての対決は、由々しき天皇の世界の構築の挫折となるのである。(続く



参照:
Auf- und Untergang der Sonne, Dr.Volker Stanzel, FAZ vom 7.4.2014
日本無力化への道程 2013-11-30 | 歴史・時事
見苦しい日本国大使の反論 2014-01-22 | 歴史・時事
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十分に解きほぐしたい

2014-04-09 | 雑感
肩の痛みは大分和らいできた。それでも間違った動きをすると悲鳴が出る。凝り固まった感じなのでゆっくりと湯船に使ってみたい。思い起こせば、二年ほど前に同じような時期に、復活祭に南仏に出かけたときに右の手首を傷めていたのを思い出す。

偶然ではなさそうで、手首と肩は違っても同じようなことがおきているのである。悲鳴が上がる体勢と言うのが丁度天井に近い襖を開けるような腕の使い方なので、あのときに痛めたと合点が行った。手首のときの捻った感じとは違っていて、その後半日ほどは全く感じなかったのだが、腕の付け根の捻挫であろう。

偶然でないのは割れ目に手を突っ込むなりと難しい体勢をとっているときに起こったことで、殆どシーズンの初めなのも同じなのである。恐らく無駄な力が入り過ぎることと、身体が十分にほぐれていないなどの加減があるに違いない。

車中のラディオは、週末から始まる復活祭音楽祭に関連して、ベルリンのフィルハーモニカーのお気に入りの音楽を流していた。オーボエ奏者の選んだモーツァルトのグランパルティータが流れ、一番弟子となったミュンヘンのギュンター・パッシンが二週間前に亡くなったと話していた。興味深いのは、日本でも人気のあるこの教授の授業風景で、必ず基本的な奏法などの指導が高等音楽学校でも繰り広げられていたようで、なるほど日本の学生にはとても人気があった理由が分った。オーボエはソリスティックな楽器ではあるが、それを鳴らすには職人的な正確さや修行が欠かせないのは他の楽器とかわらないであろう。

新聞にオーストリアの盲人のクライマーがエヴェレストに挑むことが紹介されていた。インタヴューを受けているのは、一昨年だかドイツアルパイン協会の機関誌に紹介されていた三人の身体障害者クライマーの一人アンディー・ホルツァーである。普段は産業クライマーであり、先の記事では確かプロガイドの義足・義手者と聾唖者と一緒に三人組みで登っていたと思うが、若くして視力を失いそれでも5.10をフォローでこなして、難易度UIAA五級をリードで登るようである。

既に米国の盲人がエヴェレストを登頂しているので、記録には興味が無い様で、酸素を使ってマイペースで登るとしている。興味深いのは、先行者の足音を追うので、自分と同じ等速で歩けるパートナーを探せることが大きかったと言う。それでも所謂アイスメーア呼ばれる氷の難路を抜けるのが最も困難だろうと言うことで、そのあとのサウスコルまでは一人で歩けるだろうと言う。そして、頂上直下の難所は完全に頭に入っているので、同行者に恵まれれば問題ないようだ。機関誌を読んだときも不思議に思ったが、今回も「クレッターシュタイクよりもクライミングの方が問題ない」として、決められた足場などを探すよりも岩を触る方が分ると言うことであろう。それを言えば、産業クライミングの方が困難なように思えるのは私だけだろうか?



参照:
ヒューマニズムの挑戦 2006-05-29 | アウトドーア・環境
肩が重い、コムパイラ 2014-04-07 | テクニック
尋常ならない拘りの音 2009-01-14 | マスメディア批評
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一世紀前のカルチャー

2014-04-08 | 文化一般
CDを注文した。今季は以前からウィッシュリストに入れていたものばかりで目新しいものはない。それでもいざ発注となって、触りを聞いて録音記録などを調べると俄然興味が湧くものも少なくなかった。

一つはヒンデミートの室内管弦楽曲集である。恐らくテレマンのそれに匹敵するものと思うが、個人的には1920年代のあの響きに興味が尽きないので、楽しみにしたい。百年前の文化であるが、その作曲家に引きつられてヴィーナーフィルハーモニカーは日本で始めて演奏したその中に公認会計士のおじさんがヴィオラ奏者でいたなどと、百年の歴史などとはそういうものだと感じるのでもある。また作曲家の専門とした楽器ヴィオラ奏者のタベア・ツィンマーマンの夫婦共演のバイエルンでの録音も入っているが、それは二枚組みで一曲だけで、あとはベルリンでアバドが振ったものばかりである。

前音楽監督が亡くなってから、その残された録音を幾つか聞くととても質の高いものがあって、恐らく就任当初は金をかけた制作録音などがまだあったとみえて、思いがけず質の高い録音が残されているようである。当時は壁が無くなってからのベルリン再訪をまだ果たせずにオーストリアやスイスにばかり毎週のように通っていた時期であるから、そのような事情は計り知れなかった。更に、中継を楽しみにしていたデジタル放送も中止になってしまってからは、殆どベルリンからの録音などは車中でしか耳にしなくなっていたのである。

ブラームスのピアノ協奏曲もブレンデルとの録音があって、それも91年の録音なので全く知らなかった。当時はネットどころか、個人的に情報が十分に掴み切れていない時期だったような気がする。定期刊行物は新聞だけはあったが、それからも十分な収集が出来ていなかったのである。個人的に引越し期間も含めると空白の時期であったかもしれない。余白に入っているバラーデなども殆どブレンデルのレパートリーとして知らなかった。後年はあまり弾いていなかったこともあるのかもしれない。

落穂拾い的に出会ったのは、ヴィーンでのベルクの管弦楽集で、アバドはロンドンで同じプログラムで録音していたのは知っていたのだが、触りで聞くと決して悪くはないのである。得意にしていたレパートリーであるが、可也精緻な演奏をしているようで、CDを受け取ってからの楽しみである。組曲は色々な名録音があるが、歌曲集とデア・ヴァインはこれといった録音を知らない。

最後の一枚は、ブュノワのミサ曲「ロルメ・アルメ」である。とても有名な旋律であり、多くのミサが作曲されているが、その中でも古く重要な創作の一つとされているものである。なぜか手元に音盤が無く、安売りのうちに入手しておきたかったものである。

一枚だけウィッシュリストに見落としていたパーセルのザフェアリークゥィーンなどの組曲を追加注文した。シェークスピアの「真夏の夢」などに付けた舞台音楽集である。スペインのサヴァールが演奏したものである。五年ほど前に実演で聞いたものでもある。その時はとても印象深く、この名曲の価値を見直したのだが、触りはそれほど良くなかった。調べてみると、96年に録音されていて、今は指揮者自身のレーベルからSACDとして発売されているようだ。恐らくオリジナルのアウヴィディス盤は契約の関係で売り払いの特価だったのだろう。CDで鳴る音質に期待してみよう。あの実演を思い出すまでも無く、この指揮者の演奏する音楽は、エンターティメントであることは間違いないのだが、決してそれをサブカルチャーと断定できないハイカルチャーな意識を齎すのが面白い。

いつものようにADACの割引6ユーロを入れて、六枚で30ユーロ以下と、それほど格安商品は無かったが、まあまあ満足のいく価格であろう。



参照:
非日常の実用音楽 2005-12-10 | 音
開かれた陽画の舞踏会 2009-01-23 | 音
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肩が重い、コムパイラ

2014-04-07 | テクニック
相変わらず肩の具合いが悪い。着替えも、シャムプーも、バスタオルも上手く使えない。関節から鎖骨まで痛むので気分が悪い。全身状態が悪いので冴えない。金曜日は石切場で「農民」と付き合ったのだが、右手をあまり使えなかったので、制限を加えることで、とても高度な技術を駆使した。痛みを堪える呻きを抑えることは出来なかったが、それでも無理をして動かすのと、幾らかは動かせるようになった。就寝中はそれほど苦しむことはなくなったのだが、やはり重く病めるので気が晴れない。

日曜日は半年ぶりにパン屋が開いた。それを楽しみに走りに出かけることにした。ショーツに長袖で沢沿いの道を走り出して、12分2030歩、長い谷を詰めて34分、駐車場に戻って54分7450歩であった。大分汗をかいた。特に谷からの長い上りでの足が辛かった。肩が悪いだけで体全体のバランスも崩れている。下りに、ライヴァルのばあさんにすれ違うと息子さんとは異なり男友達と一緒だった。長く日曜日にここを走っていなかったので、最近の事情は知らなかった。

車に戻ると、「町医者」から電話で、南プファルツに出かけるということだったが、肩の調子が悪いので折角の天気でも出かけられない。週末はシャワーがあったのでよくはないだろうが、条件はそれほど悪くはないであろう。

週末は、LINUXに掛かり切りであった。チョットしたことでもなかなか思うようにいかないのは慣れであるからしかたがないが、最終的にはコムパイラーなどしなければ思うように使いこなせないのはUNIXなどと変わらなそうで、仕事で使いこなすまで時間がかかりそうである。もちろん、肘を上げて打鍵していると肩が痛む。



参照:
システム疲労を起こす前に 2014-04-05 | テクニック
カメムシ型の無線マウス 2013-06-20 | テクニック
コメント (2)
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「秩父宮」を通した官僚主義

2014-04-06 | 歴史・時事
一月に日本から取り寄せた文庫本に一通り目を通した。退屈することも無く、読み急ぐことも無く、気持ちよく時間をかけて読み進んだ。保阪正康著「秩父宮」である。保阪氏には、昨年、現在の政府に対する意見などの記者会見での歴史的な解釈に関しての言及で興味を持った。そして其の著作を見ると、私自身が其の故人の足跡を追うことの多い「秩父宮」がリストアップされていた。其の名の通り、登山の宮様として有名な昭和天皇の弟であり、一昨年も其のスイスアルプスでの軌跡を辿ったのである。

残念ながら故人の登山に関しての記述は殆ど省かれているが、其の活動の大枠を把握することが出来た。それ以上に、著者の専門とする昭和史やまさに現在に繋がる日本の問題が明白に描かれている。日本の皇室問題は日本社会の問題でもあるということは、そのまま現在にも引き継がれて全く変わらないということを示している。

登山関連では、その活動以上にとても興味深い人脈が浮かび上がってくるので、それについては改めて纏める。そしてなによりも奇しくも先日来話題となった天皇の火葬や葬儀に関して、天皇ではないにしても秩父宮が本人の意思で無宗教で火葬にされていたとは知らなかった。宮内庁やそれを取り巻く軍を含む行政官僚の思惑と祭り上げられている天皇家や所謂日本の右翼思想歪さの中に、明治以降の立憲君主制の問題点が明らかにされる好著である。

なるほど、その歴史の描き方などは、「生きた人間を通して」と評されるように日本文学の特徴である著者と読者の共感と言うような読者の思考のみを通した受け手人物大の人間表現しか出来ていないのであるが、日本で歴史小説と称するノンフィクションものは全て同じような「私小説」であることからすれば致し方ないであろう。そうした日本文学や文化の質は、近代の官僚主義とも、荒唐無稽の国家神道主義とも関係しているのだろうか。



参照:
首都解体への都知事選 2014-02-08 | 歴史・時事
奥崎、安倍晋三を撃て! 2013-12-28 | 歴史・時事
草臥れ果てた一日の成果 2012-08-09 | 生活
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システム疲労を起こす前に

2014-04-05 | テクニック
セキュリティー・エッセンシャルスを動かす。この機会に一度掃除をしておく価値があるからだ。案の定、他所からとってきたPCを改造して、新たに設置したハードディスクのXPから四つほどのアドウェア―などが見つかった。一つ二つは、承知していた被害の元で、宣伝などのポップアップサイトが開いてしまうために、ブラウザー交換の原因となったものである。フィアーフォックスに感染していたものである。ある意味こうして見つかったことで、この無料のソフトが機能することも分かったが、通常の検出では駄目で完全検出で時間を掛けなければいけなかったのだ。

一回に二時間から五時間ほどかかる完全検出は頻繁には出来ないが、調子がおかしいと思ったところで定期的にやっておく必要があったのだ。序にWIN8のディフェンダーでも完全検出を行う。メモリー以上にプロセッソーに負担をかけるようであるが、時間のあるときにやっておくと安心である。仕事で忙しいときに限ってPCなどがブレーキになると致し方がないことになるのいつものことだからである。その後、WIN8を8.1に無料アップデートしたが、どうも立ち上がりが悪くなったようで気に食わない。あまり調子が悪いようなら元に戻すしかなさそうである。

エッセンシャルスは、XPのビジネスとホームの二種類で、「これでアップデートは終わりで、今後は危険なのでOSを替えろ」と表示して、危険信号の黄色を出す。しかし、もう一つのXPビジネスでは以前のまま緑色が表示される。この違いは、業務用と個人用の差異だけでなくて、XPビジネス自体の種類によるようである。

同時に将来性を考えてLINUXへの移行を徐々に進めているのだが、使い慣れていないだけでなく、同じPCでもそれほど快適な環境が得られないことに少し当惑している。最近の快適なウィンドーズとPCの発展に慣れてくると、遊びには良くても仕事に使うには大分ハードチューニングをしなければいけなさそうで、これも結構時間が掛かりそうである。

曇り空で体調が良くない。暖かいのだが陽射しがないとどうしても疲れの方が先にたって積極的になれない。肩の故障は相変わらずで日常生活にも支障をきたしていて、洋服の着脱に悲鳴が上がる。肩慣らしに石切り場にでも出かける心算であるが、さてどうなるか?



参照:
ハードディスクの接続タイプ 2014-03-24 | テクニック
新品PCのような軽やかさ 2014-03-16 | テクニック
ハインリッヒVIに一矢 2014-04-03 | アウトドーア・環境
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ハイカルチャーの趣

2014-04-04 | 文化一般
先週末、とても気持ちの良い土曜日であった。鳥が囀り、暑くも無く、少しヒンヤリするぐらいがとてもよいのだ。一っ走りしたお陰で食欲もある。リースリングを開けて、血の腸詰とジャガイモである。

久方ぶりにザビーネ・マイヤーのクラリネット協奏曲集を流す。LPプレーヤーが使えないのでCD棚を探すと目に付いた。パン屋への車の中でマンハイムで開催中の音楽祭について触れられていて、所謂ハイカルチャーとサブカルチャーがテーマと為っているようで、マンハイムの音楽学校などがジャズやポップスで有名なのと駐留軍のアメリカ文化が花咲いた地であるからだろう。その中で面白いと思ったのが、モーツァルトは有名になりたくてそのために創作していたことから、サブカルチャーを目指していたと言うような見解である。これは結構面白視点だと思った。その社会的な背景を考慮しなければ意味の無い定義ではあるだろうが。前記のCDで聞かれるのは丁度前古典派もしくはマンハイム楽派と呼ばれるジャンルのものもあり、特にシュターミッツファミリーの協奏曲については何度もここで触れている。どうしてもモーツァルトのそれと比較してしまうからである。ダイレクトな表現ながら、その移ろいの綾は見事であり、あの通向きのハイドンさえも疾風怒濤時代にあまりにも直截な表現をしていたのととてもよく似ている。なるほどラディオで、ヴァークナーもサブカルチャーとして捉えていたことで、なるほど初期中期のオペラの陳腐さといまだに世界中から集まるヴァーグネリアンの多さがそのエンターティメント性を証明している。

ドイツ高級ワイン協会のプファルツ支部から季刊誌が届いた。立派な装丁で、南ワイン街道の貯蓄銀行がスポンサーになっている。内容は、醸造所の一通りの紹介と統計的な数字が出ている。

例えば、VDP26醸造所の栽培している葡萄ごとの割合いは、57%リースリング、24%がシャルドネと白ブルグンダー二種、14%がピノノワール、5%がその他となる。恐らく一般的にプェルツァーヴァインとして思われている比率とはエリート醸造所では大分異なるのではなかろうか。所詮5%の中にソーヴィニオンブランやジルファーナーやショイレーベなどが含まれているに過ぎない。

また、それらの地所の62%はビオ農業として指定されていて、その割合は増える一方であるというのだ。これは地元の指導的な醸造所を見ればどの方向に動くかは十年以上前から分っていた訳であるが、ワイン地所を変えていくには十年単位で考えなければいけないので漸くここまで至ったと言う感じである。勿論ビオ農業をしていてビオ醸造をしない者は居ないが、これも天然酵母のみの醸造まで行くには市場を開拓して市場価格がつかないと割が合わないから時間が掛かるのである。まさしくハイカルチャーなのだ。



参照:
合理性にこそ華が咲く 2012-10-29 | アウトドーア・環境
イスラム社会の民主化を読む 2011-02-12 | マスメディア批評
天を仰ぐ山寨からの風景 2009-01-12 | 文化一般
革命的包容政策の危機 2006-10-11 | 文化一般
教皇の信仰病理学講座 2006-09-18 | 文学・思想
高等文化のシンクタンク 2009-12-02 | 文学・思想
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ハインリッヒVIに一矢

2014-04-03 | アウトドーア・環境
右肩を痛めた。肩より上に腕が上がらない。割れ目に突っ込んだ右手を捻った感じになったので腕から肩まで捻ったのだろう。今年最初の南プファルツの奇岩地帯での登攀のときだった。

最も賑やかな観光地の一つ獅子王リチャード英国王が幽閉されていた帝国城トリフェルツの足元でのことだ。そこに入る割れ目の一つで弓のように沿っている「旧弓の道」を登っているときのことである。

難易度よりも難しいのは動きの一つ一つを正しく繋げないといけないからで、その時に無理になったようである。三年ほど前にザイルに後続して登ったのだが、リードして登ってみるかと言われたのが未だに気になっていて、登っておきたかったものである。

その時から今まで機会が無かった理由は幾つかあるが、やはり最大の理由はその後に仲間がそこで事故を起こしたことが大きい。親しい人物ではないが一度石切り場で確保してあげたことがあったのだ。そして事故のときに一緒に登っていたパン親方は、その後以前のようにクライミングすることはなくなって、安全な石切り場かボールダーでぐらいにしか顔を見せなくなったのである。事故の本人は頭から血を流して意識薄弱となっていたことから後遺症を背負うことになったようだ。その横のルートである。

また本来ならば観光バスが欧州中から集まってくる観光地なので、とんでもない観衆の前で登ることになる。しかし当日は天候はよくとも、まだその観光シーズンが始まっていないときを選んで、シーズン最初にそれを狙った。

城への踏路を登りその弓の下につくと仲間の顔があった。彼らはそこから登り、上部まで登ると言うことだが、ここは「技術的に難しい」と彼は言った。私の記憶ではそれほどではないと思っていたのだが、彼が登るのを見ても実際自分が登ってみても、彼が「二三度登っていれば問題ない」と言う評価が良く分った。

結局完璧に登らなければいけない難易度の登り方としては非常に心外であったが、繰り返さなければならないということを認知したのであった。そこを初見でどれだけの人が完璧にこなせるかというと、あまりいないに違いない。シーズン当初としてはこれでよいのだろう。

上の彼がこぼしていた様に、なぜか手が湿るだけでなくて、ゴムが緩んだように上手く立てない感じがしたのは、湿り気を含んだ気候だけでなく、陽に照らされた岩肌との関連があったに違いない。



参照:
馬鹿続きのシーズン事始 2014-04-01 | アウトドーア・環境
三つの要塞に人質を捕る 2007-04-18 | 生活
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脱原発へのクリミヤの影響

2014-04-02 | アウトドーア・環境
クリミヤ騒動の影響が共和国を揺さぶる。よりによって、電力会社がもはや壊れた燃料棒を扱って再臨界までさせてもコストが合わないと、予定よりも早期の休炉をぶち上げたからだ。ベルリンの連立政権はそれで揺れた。なぜならばその穴を埋めるのにロシアからのガスに頼れないからである。

SPDなどは「原発に変わるものなし」で元環境大臣のガブリエリ総裁などは早期の休炉を認めようとしないが、保守党は早まることをよしとする。

そもそも早期脱原発に懐疑をいつも示してきたフランクフルターアルゲマイネ紙の編集長も社説で、日本でたとえ幾ら金が掛かっても経済に影響を与えることなく為しえている限りドイツでも出来ないことはないとする主張になっている。要するに現状では穴を埋めるぐらいのものは金があれば買えるという結論である。



参照:
ヘーゲル的理性の策略? 2014-03-04 | 文化一般
目の黒いうちの工程表 2012-11-24 | 雑感
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