Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

黄林檎の香りのゲリュンペル

2016-01-16 | ワイン
二日続けて夜遊びをすると疲れる。昔から疲れたのだろうが、どうしても寝不足気味になる。それでも寝不足以上に動かす衝動になるのは強い好奇心だろう。どうしても同じような分野の目的でお出かけしていると、そうした好奇心を湧きたてる目新しいことも無くなってくるのは当然だ。経験を重ねるとそうした刺激を求めることは益々難しくなるのだ。芝居に関しては週末に改めるとしよう。それにしても、それほど遠出をした訳でもなく、帰宅も遅くもなかったが、眠い。このところの冷えも関係しているようで、外出も億劫になって、寒気を感じる。山の上には雪が付いている。

2014年産ゲリュンペルを空けた。一本開けるのは初めてだった。試飲でも一度しか口にしたことはなかった。六本しか購入していないので、迷ったが、今後の傾向や2014年産の追加購入を考えて、この辺りで判断をしておく必要を感じたので開けた。結果からすると、三日間ほどを掛けて吟味したら、やはり2014年は、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所のリースリングにとって特別な年だったことが再確認できた。

黄林檎の味は、クリーミーなほどの液質と共に、大きな年度であることを感じさせる。アルコールは12.5%で、何よりも酸が強い。だから決して重くはならないリースリングで、以前の醸造体制の時とは全く異なる。要するに更に高級になっており、デーノッフ当たりのグローセスゲヴェックスよりは少し軽いぐらいだろう。だから、この先数年は新鮮なままである筈だ。これからは、「コルクで栓をした高級リースリングは数年新鮮なままであるべきだ」という好例だろうか。2011年産のカルクオーフェンとは全く世界が異なる ― 醸造副責任者が結局更迭された形になったのは仕方が無かっただろう。

そして、2014年産の特徴であるチェリー味は何処の生産地域も共通しているが、このゲリュンペルも天然酵母から綺麗に出ている。現代的なつくりであるこうしたリースリングがドイツのその年の基準になるのは当然であろう。2014年産の落穂ひろいが楽しみだ。

こうして書いていても眠気を感じるが、車中のラディオでは、週末のバーデン・ヴュルテムベルク州の選挙に関する世論調査結果が公表されていた。初の緑の党首相クレッチュマンの評判は良く、緑の党への支持は24%へと上がっているが、連立パートナーのSPDが落して、CDUも冴えないために、過半数維持は難しくなってきているようで、CDUとの連立が難しいので、あり得るのは自由党を加えたジャマイカ連立しかないというのである。他所事ながら、もう少し緑の党政権の手腕を見てみたいと思うのは私だけではないだろう。そして、最も身近な原発であるフィリップスブルクの廃炉に向けての問題も緑の党が政権にいる方が安心なのである。

GEがアルストムから購入したマンハイムの発電部門を閉鎖することから、一千人以上の失業者が出るということだ。強電の町マンハイム市にとっては大きな痛手だろう。



参照:
ヴァッヘンハイムでの試飲 2015-10-20 | 試飲百景
刺激するための方策 2015-02-14 | 生活
2007年に鼻を突っ込む 2014-01-07 | ワイン
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きっとアームストロング

2016-01-15 | 
五年前に最初のコンサートを聞いた時は天才少年だった。どうも今は業界に身を置いたようだ。天才の常で、数学も物理も子供の時に修めてしまっている。作曲も学び、ピアノもものにしている。詳しくは知らないが、今はピアノで十分稼いでいる。天才少年は、大人になってプロフェッショナルとして、ピアノを披露した。前回は大ホールだったが、今回は小ホールである。じっくりとそのピアノを聞けた。

本人もアンコールでドイツ語で語ったように、「リゲティとバッハを組み合わせる珍しいアイデアですが」とバッハの自己の編曲とリゲティ―のピアノ曲という意欲的なプログラムである。隣の婆さんが「なんでドイツ語喋るの、ロンドンかどこかで育ったんでしょ」と囁くように、何でも出来るから天才なのだ。

同じプログラムの録音もしているようだが、嘗てのミッシェル・ベロフや大ピアニストが披露するようなピアノではないが、独自のピアニズムは録音にも捉えられているだろうか?五年前に「この若者が今後も主に商業的な興行で活きていくとは考えられない」書いたが、彼が大人になるこの間にそれと同時に時代は流れたのだ。

リゲティ―のムジカリチェルカータで始められたプログラムは、戦後のグラウンドゼロからの創作から当夜のプログラムにもあるようにカーテシアン系で組み立てられていく。それは必ずしも、アウシュヴィッツで全てを失った作曲家の世界観だけでもなく、そのまさしく絶えずエモーショナルな芸術世界が平行した象限として展開していくのである。

そのリゲティ―の世界はどのように展開していくのか。勿論、そこに座るのはりんりんランランではないので、鍵盤をただ猫が歩くように叩くのではない。ピアノという楽器が、ペダルとそのハムマーによって響かせる打鍵された弦が奏でる音響世界が展開されるのである。私たちは、そこでどうしてもピアノの師でもあったアルフレッド・ブレンデルのピアニズムを思い出してしまうのだが、この若いピアニストにおいてはそのピアニズムから演繹的に、リゲティ―の作曲に音響の理論的な展開が収束する。

ハムマーに打鍵された弦が振動して、それが枠に広がり、その振動が倍音を作り出し、打鍵の指がペダルがフィードバックするその系が漸く閉じるその間に、リズムがあり、テムポがあり、音楽があるのだ。まさしく、リゲティ―の音響世界であり、本人がこれを聞いていたらとても興奮したに違いない。

例えばアレグロ・モルト・カピリティオーソVIでは、「バガテル」で木管楽器の合奏で馴染みのある耳につく、もしくはオペラ「ル・グラン・マカーブレ」のグロテスクな音楽が、初めてまともに響くのである。ミニマルな反復には、カオスが隠されているフラクタルな技法は、とても憎い方法でバッハの世界へと繋がっていく。

またそこには、平均律イ短調の前奏曲とフーガが挟まれることで、平均律ではない世界へと明確な視線が開かれて、トリオソナタの通常ならば三声の純正調オルガンで展開する音響世界が、平均率の世界へと投射されるのである。キット・アームストロングがベッヒシュタインのD282に投影する世界は、ブレンデルのそれとは異なる。会ではシーズン当初に、アンドレアス・シフとアンドレアス・シュタイアーのゴールトベルク変奏曲が演奏された。残念ながら両方とも出かけなかったが、前者のバッハは周知のものであり、後者のそれもこれほどに純正調のそれを投影させたとは思われない。まさしく、そこで開かれるのがトリオソナタBWV527のアダージョと三重協奏曲の基となるオルガン曲からの五声への編曲イ短調の前奏曲とフーガBWV894である。

このように前半のクライマックスを築いておいて、休憩後に再びリゲティ―の世界に戻る。もはやそこには前半の世界から何歩も先へと進んでいて、バッハのコラール前奏曲の編曲へと違和感なく繋がるのである。バルトークの思い出やフレスコバルディ讃とバッハの編曲の創造的な近親性を明らかにする。それは前半で強調事象の丁度補角にあったものだろう。嘗ての演奏家ならば、またそれを支持した聴衆ならば、ロベルト・シューマンにあやかってロマンティックとか、精神性とか言われたものしかなかったのかもしれないが、流石に21世紀である、そのような19世紀の遺物はここにはない。

当日、大ホールでは地元の放送交響楽団の演奏会があり、監督であり東京で活躍する指揮者が病欠のためにプログラムがイェルク・ヴィットマン演奏の協奏曲に変更になっていた。学校からの団体さんのような若者が多かった。これは21世紀の初期には遺物が混在していたというとても良い歴史的な事実だろう。

そしてプログラムの最後には、とても魅力的なリゲティの練習曲から、ファンファーレ、アークアンシール、魔法使いの弟子とちょうど百年前を想起させてくれるような曲で閉じ、アンコールをルネッサンスの曲で〆る。

バッハでの平均律とそこへの純正調の投影、リゲティ―と二十世紀への視線、私たちが立っているその時代が、またブレンデルのピアニズムへの賛歌とともに響いた会だった。実は暮れに小ホールでのマウリツィオ・ポリーニのリサイタルの35ユーロの席が残っていた。出かけようかどうかと考えたのだが、もはや個人的な思い出を温める老人しかその演奏会には行かないと新聞批評にあった。後年の録音を聞けばその真意はよく分かる。あれほどプログラミングの妙と知的な好奇心を刺激してくれたピアニストも全盛期は20世紀で既に終わっていたことが結論付けられた。時代は変わったのである。フランクフルトの会は、ブレンデル引退後に多くの会員を失った。シフは繋ぎにならなかった。キット・アームストロングがその穴を埋めてくれるに違いない。



参照:
スポック副船長が楽を奏でると 2010-11-08 | 音
環境における人の考えや感慨 2010-08-08 | アウトドーア・環境
見かけによらず土台が肝心 2016-01-05 | 音
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過剰反応の醜聞報道

2016-01-14 | マスメディア批評
イスタンブールで八人ものドイツ人観光客が自爆に巻き込まれた。狙われたのかどうかが話題になる。フランスへの協力で、自らの胸に手を当ててみる必要があるからだ。大晦日のケルンなどよりも遥かに深刻な問題である。

新聞がそれについてネットで書いている。海外の過剰反応に関してである。VWのスキャンダルも大晦日のケルンの事件も同じように、海外で過剰にスキャンダルとして報道されている。要するに各諸外国がこの件も政治的な道具にしようとしているからだ。

そこにはいつも必ずいるのは合衆国の報道機関で、その背後にはワシントンやトラムプなどを代表するイデオロギーが存在する。日本における報道はそのままこうした動きに追いかける形になるのはいつもの通りである。

更に今回は、東欧を中心に難民受け入れに難色を示すEU諸国が喜んでこの事件を扱うことで、ベルリン政府の政策を変えようと躍起になっている。そこにフランスとその右翼陣営が後押しする形になっていて、この点はVWスキャンダルの時と異なっている。

連邦国民の大多数は、恐らく今回の事件にはあまり動かされないだろう。あからさまなスキャンダル報道は大衆紙や公共第二放送などの専売特許であって、連邦共和国民はそうした餌にはおいそれとは食いつかない。その理由は、外国人慣れしているというのがまず挙げられるのではなかろうか。少なくともトルコ人などの扱いで、多文化主義は否定しようがどうしようが現実であるからだ。そして、やはりジャーナリズムが高度に発展していて、批判的な視座が与えられている。同時に、憲法裁判所裁判長のファビオのような人物が、直ぐに立憲主義からのしっかりした指針を提示するなど、知的な制御が効きはじめ、報道が正しくそれを伝えて、社会で議論が尽くされる土壌があるからだ。

なるほど緑の党のように矯正不可能な性犯罪者でも難民として扱えとあるが ― 論理的には正しいが、一体何から庇護しなければいけないかという難民の規定自体が曖昧であり、そうした犯罪者を庇護することには社会の同意はなかなか得られない。トルコ人系のドイツ生まれ育ちの外国人にも厳しい処置をするように、やはりなすべきことをすべきだとは、ガウク大統領も同意する。問題は危惧されていた難民希望者の選択とその人権であるが、我々の今までの議論からすると、容易に外国人を受け入れることで、二重の連邦国民を作ってはいけないという観点がある。

つまり、難民を労働力として受け入れるにせよ、最終的には移民としての準備をしておくべきで、最低信教の自由など憲法の謳う権利の尊重だけは難民にも宣誓させる必要がある。もし連邦共和国の庇護を受けたいならば、これらの基本的な人権の尊重だけは順守義務がある。それ以外には何もないだろう。個人の人権の尊重により、モスリムであろうが、モルモンであろうが、無神論者であろうが、他者のそれを犯さない限りにおいて共生は出来るのである。



参照:
触る程度では必ずしも 2016-01-13 | 雑感
ストリーミングいろいろ 2015-11-01 | マスメディア批評
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触る程度では必ずしも

2016-01-13 | 雑感
ケルンでの事件は最初から追っているが、ミュンヘンの事件とは意味が全く異なっていて、何一つコメントしていない。それでも見出しだけは読んでいる。「触ったぐらいでは必ずしも刑法犯にはならない」と書いてある。当然だろう。痴漢と婦女暴行は違う。もう一つ興味深く思ったのは、ケルンと同じようにいつもミュンヘンのオクトーバーフェストでは同様の事件が起きているというものである。これも当然だろう。少なくとも世界最大のヴァインフェストでは婦女暴行は聞かない。要するに大都市の無名性が、ケルンでも起きている訳で、大都市の中央駅などは欧州どこでもそれほど変わらない。フランクフルトなどは、アムステルダムなどよりも凶悪なのだ。トルコ人の若者などは警官にしばしば射殺されるほど凶悪でもある。そのような日常よりも自爆の方がはるかに社会問題なのである。痴漢行為ぐらいで国政が揺るぐのは間違っている。但し、婦女暴行などの犯罪は、更生の余地が無いので、強制送還など自国民と同じように厳しく対応しなければいけない。

外国人の犯罪率が多いのは恐らくそうだろう。その原因も無名性にあり、社会的な枠組みに影響されている。ドイツ程の管理社会では普通の市民では何をすることも出来ない。なにか羽目を外してやらかそうとすると、直ぐに警官に拳銃を向けられるだけだろう。

冷蔵庫のサーモスタットがどうしても気になっている。あまりにも敏感過ぎて、頻繁に作動しているからだ。暖房の無い厨房で冬の間にこれほどオンオフするのはおかしい。気になっている冷凍庫の氷を落とすことにした。夏の間は冷凍食品の事があり出来なかったのだ。そこで新しいアイスボックスに一時保管することにして、霜落としを決行した。

またまた就寝前の思い付きだ。霜落としで思い出すのが、逝かれたエンジニア―が、ドライバーで霜を落とそうとして、冷凍庫に穴をあけてしまったことだが、水致しになることも無く上手く早く霜を落とす方法を考える。やはりエネルギーとある程度の時間は必要になる。お湯を沸かして鍋に入れて、電源を落とした冷凍室に湯気を発生させることにした。案の定一方は簡単に落ちたが、塊の方は二リットル目が必要になった。合わせて、一時間以上は落ちるまでに掛かった。それでも大きな塊は、触っただけでは駄目だが、少し力を掛けてやると押してやると、二つに分かれてごっそりと落ちた。気持ちが良い。

再稼働してまた小一時間運転が継続している。冷凍庫の温度が下がるまでは時間が掛かるだろうが、冷蔵室の奥の壁もうっすらと霜が付いてきている。ワインを飲んでみると冷え過ぎだ。サーモスタットはその壁についているのだが、上の冷凍庫の冷え方も関連しているのだろう。

霜取り後の状況を見ると、サーモスタットの敏感さは変わらないが、温度調整に合わせて、室内の温度があまり下がらないようになってきた。不必要な過剰反応は除去される方向にある。最も肝心な気密性はもう少し観察してみなければ分からないが、サーモスタットが反応するのは、センサーコイルが暖まることで反応する。つまり、本当に冷蔵室が暖まって来たならば反応すればよいのである。霜取り以前は、奥が凍り付いているのに反応するようになっていた。温度の変化がもたらしたものだとしても不経済である。今度は反応の頻度と駆動時間の関係を観察してみなければいけない。兎に角、敏感過ぎるようになったのはなぜか?



参照:
薄暮に冷蔵庫から射す冷たい光? 2010-02-28 | テクニック
「緊急事態」の今後 2016-01-02 | 歴史・時事
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お通夜のような顔ぶれの様

2016-01-12 | マスメディア批評
デヴィッド・ボウイが死んだ。先日、彼の音楽について大きく文化欄で扱われていたので、新アルバムでもあるかなと思っていたが、重体だったのだろう。それに比べようもないことだが、月曜日の朝刊にはベルリンのフィルハーモニーの演奏会風景写真が大きくカラーで出ている。この新聞でこれほど大きくコンサートの写真が載っているのは初めて見たので、何事かと思った。

写真を見るとお通夜のような顔をした指揮者ティーレマン率いるフィルハーモニカ―の面々だ。記事を読む前に誰が書いたのか見ると、先日ブーレーズの追悼記事を書いていた人である。フランス音楽にも造詣が深いのだろう。ごたごた騒動後の初めての登場ということで、そのフランス音楽プログラムと同時に注目されたコンサートだったのだ。そこにブーレーズの死亡が伝えられたので、演奏前に黙とうが捧げられたとある。そしてレクイエムの演奏の後にも沈黙がゆきわたったようだ。

このプログラムを見たときに一体どのような意図があるのかは分からなかった。明らかに音楽監督のラトルが振るべきフランスもので、なぜこの指揮者が態々このようなプログラムを披露しなければいけなかったのか。レパートリーが偏っていると言われるこの指揮者の反論なのだろうか?

結果は奇跡が起こる訳でもないので、当然の結果だったようである。それどころかあれ程柔軟になった筈の弦が充分についていけないとすると大きな問題であろう。最近バーンスタインのマーラーを評して「裸の男踊り」とするBLOG記事を読んだが、新聞は「苔の上を裸足で歩くかのよう」とショーソンのヴァルスの演奏を称している。そもそもこの指揮者が管弦楽団の正しいバランスを引き出せるわけがないので当然である。

それでも新聞が書くように、ロリン・マゼールがラトルに負けてその後に指揮をしなかったことに比べると ― てっきりクラウディオ・アバドに負けて臍を曲げたものと思っていた ―、今後があることでとその点は評価している。ドレスデンやヴィーンやバイロイトで指揮活動を続ける訳で、ベルリンには登場しない訳にはいかないのは当然で、あとは自然淘汰でしかない。

時代錯誤の管弦楽活動は音楽後進国に行って行えばよい。そもそも上の演奏会でも褒められる声楽の上手い合わせ方などもその多くは歌芝居における付け方が基礎になっていて、音楽的にはとても話にならないことが殆どである。音楽愛好家が歌芝居に愛想をつかすのはなにもピエール・ブーレーズが「オペラは死んだ、歌劇場を爆破せよ」と言ったイデオロギーに扇動されているからではないのである。

同じ新聞にマンハイムでの初演の記事が載っている。東京の新国立劇場の委嘱作の再演が行われたようだ。芝居の委嘱までしている言語劇場だとは知らなかった。ネットで調べてみても少なくとも今回の芝居は殆ど話題になっていない。理由は分からない。内容については、早速券を手配したので、芝居を観て、新聞記事を読んでから触れよう。音楽劇場などは、無駄に税金を支出するだけで殆どためにはならないのだが、文化的な資本である芝居が社会的な影響をもち得る限りにおいては、そこに音楽劇の存在理由も見いだせるのだ。



参照:
Als lief die Musik barfuß übers Moos, Jan Brachmann, FAZ vom 11.1.2016
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
問われる近代の歴史 2015-09-13 | 歴史・時事
不特定要素である凡庸さ 2015-08-10 | 文化一般
ハリボ風「独逸の響き」 2015-07-27 | 文化一般
市場であるより美学の問題 2015-07-22 | マスメディア批評
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瓜坊とタコ親爺にビックリ

2016-01-11 | アウトドーア・環境
夜中には雨脚も強くなり、走るチャンスは小さいと思った。朝早くから雨の合間を待って、二度寝した。幸い、目が覚めて、雨が止み、空が明るくなる時に出かけられた。九時半過ぎだ。あまり余力が無いので、ゆっくりと進む。完走可能かどうかも分からない。最初の急坂が終わり、緑のベンチに近づくと、右の斜面の上でごそごそする。見るとイノシシの親子である。

突然目前を右から左へと横切られると叶わないので、注意していると先の方を渡っていった。驚いたのはそれに続くウリ坊の列で、少なくとも七頭ぐらいは居たのではないか。子沢山だ。餌付けをしている訳でもなく、漁るゴミも限られている。温暖の影響か。すると前を歩いていたのは母親と年長の兄弟だと分かった。父親不在のようだ。神戸の六甲山以外でこれほど多くの野生のイノシシを見たのは初めてである。

緑のベンチを過ぎて、これは何とか完走できるかと思って走り続けると、いつもの一つ目の合流点から二つ目の合流点を過ぎる辺りから発汗量が増えた。運動量は落として走ったつもりだが、25分過ぎ辺りから糖の燃焼が始まるのだろう。そして、林道最後の坂を超えたと思ったら、前から爺さんが走ってくる。山岳協会支部の仲間のタコ親爺だ。別のところから走っているので頂上では出合っても、我がルート上では会ったことが無いので驚いた。新年の挨拶さながらに交差する。下りとはいいながら中々いい走りをしていた。頂上まで30分で登っているのだ。偶然の出合は今シーズンは初めてで、こちらがこれだけ走っているのにおかしいなと思っていたが、元気そうで何よりだ。60歳代も半ばに差し掛かろうとしている。あの走りなら要注意である。それにしてもなぜルートを変えたのだろうか?

頂上に何とか到達して、降りてきて、65分掛かっていた。これで木曜日の新しいルートと合わせて、今週は16KMほど標高差400mほどを二時間以上掛けて走った。週の走行距離として十二分に長い。時間的にもこれ以上走ると健康に悪い。来週も同じようなプログラムになるだろうか。スピードに挑戦できるのだろうか?そして冬のシーズンは半ばを過ぎた。この間確か三回程しか休んでいないので、山登りコースを十何回も走っているのだろうか?帰って来て軽量すると69.9㎏、予定通りだ。

新聞に作曲家ピエール・ブーレーズの追悼告知が二つ載っている。一つはフランスの芸術院で、もう一つはベルリンのフィルハーモニカ―である。音楽監督、クヌート・ヴェーバーともう一人の理事、支配人の四人の連名である。関係の強かったSWRはどうなっているのか知らないが、ベルリンの管弦楽団は何故出したのだろうか?両者の関係はそれほど良く無かった筈で、故人もベルリンの楽団の位置づけを冷徹にしていた。考えられるのは音楽監督のラトルの意志ぐらいだろうか。

マーラーの交響曲第七番のCDを流してみる。ベルリンよりも素晴らしいクリーブランドの管弦楽団の演奏の筈だが、折角の管弦楽団を指揮しながら、まさしくそれ以上でもない録音になっている。晩年の特徴なのかもしれないが、古くからのブーレーズ指揮のせかせか、すかすかのシェーンベルク演奏に共通する敢えて上滑りの演奏を展開している。それに比較して、アバド指揮のシカゴの交響楽団の録音は見事だ。デテールへの拘りや美的な感覚が音化されていて大違いである。ヒリヤード合唱団のオケゲムの録音を聞くと、ヴァージン録音はもう一つであるが、スピーカーを調整したので合唱がとても色彩的になり、対位法の効果が近代管弦楽団のようにその和声の解決と共に音色になっているのがよく分かる。



参照:
雀百までの事始め 2016-01-04 | 暦
出合いまでの想定をする 2016-01-09 | 雑感
酸分解における貴腐とは 2012-07-24 | ワイン
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21世紀に生きている実感

2016-01-10 | 文化一般
もう一つ体の調子が冴えない。風邪気味なのか寒さが堪える。朝食に真面なものが食せないのが大きいかもしれない。午後になると燃料が切れる。昼食を多めに摂ると、午後の効率がとても悪くなる。ここ暫く不順な天候が続きそうで思い遣られる。

倦怠感があると、音などに耳を傾ける意欲も薄れ、本当に篭りたくなるのだ。足がまだ張り気味だと思うと、一昨日の走りで、今直ぐに走るには充分に休息が取れていない。室内でのクライミングを再開しようと思ったが、ホールへ行くのもまだ億劫だ。結構一月は予定があって、三月まで一気に流れてしまうだろう。どうにかここ辺りで覚醒して、惰性には流されたくないものである。

歌劇「サウスポール」の初演に向けて作曲家ミロスラフ・スロンカがラディオインタヴューに答えている。それによると、大管弦楽団を群にして、二つの探検隊を平行に同時に描くのに合わせて、双方を網羅する管弦楽になっているらしい。面白いのは楽器の使い方で、異種の同一楽器でソリスト的な群が形成されるようで、これまた複雑な管弦楽団演奏になりそうだ。天井桟敷の席からは舞台奥は見えないので、楽器の使い方を具に研究するしかないだろう。可成り繊細なサウンドが聞けるようで楽しみである。探検隊の動画などを一通り目を通しておかないといけないか。アムンゼン率いるノルウェー隊はそもそも現場の人たちなのでヴァイキングの007といった塩梅になるようで、バリトンが割り当てられている。

一年半になるタブレット・ヨガが引き続き快適に動いている。もはやタブレットの無い生活などは想像できなくなって、仕事や物書き事務処理以外ではPCをあまり必要としなくなってきている。そして、最近は口述機能を出来るだけ使うようにしている。以前から欧米語のそれには馴染みがあったが、日本語も使い始めた。漢字変換などの問題はあるが、先ずは打ち込まなくてもよいので快適である。もう少しコマンドが出来るようになると嬉しい。こうした道具を扱っていると本当に21世紀に生きているのだという実感が湧いてくる。

四月に小澤征爾がベルリンに来ると知って、暮れにサイトを覗いてみた。安い席で40ユーロもしているのに驚いた。序があればと思ったが、捨てるには高価過ぎる。そしてなによりも、日本でと同じく休憩後の登場だけでは、移動や滞在時間などを考えると割に合わない。先日、DATのDACを試聴で繋げる時にエアーチェックのケルンでの演奏会の録音を頭出しした。ヴィーナフィルハーモニカ―との演奏会で、武満徹の晩年の曲が冒頭に演奏されていた。それを聞くと何ともげっそりした。小澤は批判的な初演者だったと思うが、あのような作曲ではどうしようもない。没後二十年とかになるようだが、その芸術的価値は当時の混沌としたポストモダーンと共に完全に消え伏せた。ラディオなどでは禅音楽としては流れるが、ペルトの曲のように公然で演奏さられるようなことはなくなるだろう。映画音楽は映画作品が残れば伊福部とは違うので言及されるだろうが、音響芸術としては評価は早くも下った。今からすると、故吉田秀和のように思わせぶりにその評価を見極める必要も全くなかったのだ。

来週は、ポストモダーンのリゲッティの曲を聞ける。好きな作曲家ではなかったが、ブーレーズ指揮の録音などを聞くと、やはり独自のあまりにも保守的な美学だったが、それでも完成度は高いと感じた。もう少し勉強してみないといけない。



参照:
ピエール・ブーレーズ追悼記事 2016-01-08 | 文化一般
鉛筆への文化的な熱い想い 2015-10-11 | 文化一般
ポストモダーンの歴史化 2015-01-19 | 歴史・時事
ゴムの仮装の日本文化 2014-06-29 | 文化一般
放射性塵で胸一杯! 2011-11-13 | マスメディア批評
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出合いまでの想定をする

2016-01-09 | 雑感
ようやく走ることが出来た。帰って来てから、シベリウスの交響曲を流してその特別な具合を聞いてやろうと思っていたら、ピエール・ブーレーズの追悼番組が流れていた。今回は知っている道程ながら、走り通したことが無い道程で、いつも爺さんらが沢沿いのコースに合流してくるそのルートである。パン屋が閉まっているので、一度これをやりたかった。雪の中を一度走ったが、最後まで走れずに他所へ行ったのを覚えているが、距離的には不安が無いので、雨雲と雨雲の間の短い午後の時間を活かした。

その沢が町へ降りていく取水口のあたりに駐車して、綺麗に整備してある散歩道を走るのだ。オフロードの自転車が好んで走る谷でもあり、歩いている人も少なくない。傾斜は徐々に沢を上る程度の勾配であるが、3km過ぎたあたりから、貯水池の横を通るのでぬかるんで、とても走り難い。この区間があるので爺さんらは帰りにいつもの私のコースを取りながら降りていくようだ。帰りにどちらを通るかは迷っていたが、いざそこを走り抜けると下りに走っても足元が悪くスピードも出ないことが分かった。だから登り勾配になるが、いつもの駐車場への道を爺さんらのように戻ることにする。

先ずは折り返し地点まで、4.3kmほどで31分掛かった。復路は心肺計を直して測定する。いつもの沢沿いの復路から、谷へ降りるハイキング道路を少し走り、元の谷へと戻る。そこから、2km少しでゴールである。ゴールへのダッシュを除いて、心拍数160前後でまずまずの運動だった。〆て9km超えであり、62分も参考記録としては丁度良かった。汗を散々掻いた。昼食にはヌードルを食したのだが、最後は腹がへってきた。帰宅後体重を量ると71.4㎏で、これまたまずまずだ。

ブーレーズ関連記事を検索していたら、ドイチュラントラディオのサイトで「最初の出合い」として、最後のペトレンコ指揮のベルリンのフィルハーモニカ―の中継録音の再放送が告知されていた。スクリャビン等のこのプログラムはベルリンのサイトの無料試聴で観ているが、音質が悪く、その演奏は十分に判断できなかった。そこで期待したが、こちらは前々日の初日の演奏会のラディオ中継録音のようで、但しネット放送はOGG-Vorbis規格と、伝送容量が128kbsしか出ない。これでは駄目だ。

それでも理事のチェリストのヴェーバーの話は面白かった。クリスマス前に今回の再放送に合わせてインタヴューされたものだ。三回の登場のペトレンコがそれ以外にも二回もキャンセルしているようで、最後の直前のキャンセルは病欠として了承しているようで、それ以上に目前の仕事に集中する姿として高評価になっているらしい。痘痕も笑窪も良いところだ。最後のこのコンサートと恐らくエルガーでの成果が評価されたということになる。

そして今後の期待は、音楽監督になることで暫くはミュンヘン以外のオペラを封印する一方、2018年からシーズンを飾るこの指揮者とのオペラ作品の上演が最初のクライマックスになるという期待で、バーデン・バーデンでの祝祭公演が当然ながら挙げられる。2017年9月にはサイモンラトルがロンドンに移るので、2017年が最後の復活祭参加(ペレアストとメリザンド?)となるのだろう。つまり、2018年は、ペトレンコ指揮となるようだ。兎に角、2018年から定期公演の多くを振ることになる。

穴を埋めるのは、二十歳代から三十歳代までの有能だが、まだフィルハーモニーでは未知の指揮者が受け持つとして、ラトル後のシーズン幕開けはペトレンコのマーラーの第六交響曲なのか?現監督ラトルは、両者の長短点をお互いに認めながらの開かれた繋がりと厳しい練習、前監督アバドの閉じた人間性とその演奏会での盛り上がりが、次期監督とはその両方を合わせて割った関係になるだろうという意見だった。



参照:
些か退屈なジョギング練習 2015-12-10 | アウトドーア・環境
降誕祭二日目の10KM走 2015-12-27 | 暦
パリ、バーデンバーデン楽旅 2015-10-18 | 文化一般
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
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ピエール・ブレーズ追悼記事

2016-01-08 | 文化一般
車中の文化波がピエール・ブーレーズの追悼番組を流していた。昨年の最後の誕生日に因んだ番組の再放送だった。最後の会をバーデン・バーデンでヴォルフガング・リームらと共に祝うことが出来て、この日が来ることは薄々予想していた。当日会場に現れなかったどころか、メッセージもなく、中継を近くの住居に流しているということだった。外出は出来なくなっていたのだろう。

新聞のネットでの追悼記事は、ダルムシュタット、ドナウエッシンゲン、バーデン・バーデン、ケルンを主な活躍の場とした戦後の前衛作曲家として、「ストップ・メーキングセンス」と今なら表現できる使い古された伝統や既成の拒絶として、Aで始まる無調性、偶然性、不条理劇をモットーとする作風で頭角を現した作曲家の一人であるとする。

ノーノ、シュトックハウゼン、ベリオ、クセナキス、カーゲル、リゲティ、プスールが挙げられ、メシアンとケージが先導したとなる。そこでは、ヘーゲルの謂わんとするドイツ理想主義における「絶対音楽」が集約化され、丁度アドルノが「新音楽」の評論家として位置したのは偶然ではないとされる。

つまり、その根源は、よりよい高みに至る人類の進化というものが真面目に義務とされたアヴァンギャルドからの出発ということになる。そして、メシアンとブーレーズの微妙な関係にも触れられる。

具体的には、十二音を使った順番を決められた音楽構造に更にリズムや音高などのパラメーターがそこに加えられた構造のダルムシュタットの音楽から、「ピアノのための構造I」から「主の居ない槌」へと、ストラヴィンスキーを驚愕させた音楽へと進んでいく。そして言語が解体されて言葉が解放されていくことになる。

そこで、ブーレーズの作品の特徴であるワークインプログレスとなり、開かれたままの作品が創造されていく。そして、1958年からの電子音楽分野での経験はライヴエレクトロニクス音楽へと導かれるなど、多岐にわたる反面決して多作家ではないとされる。

定まった音楽構造から偶然性の音楽へと、パウル・クレーの「果樹園の境界」1929を挙げたダルムシュタットでの1957年の講演では、第三ピアノソナタや「構造II」における歴史的美学からの解放を、マラルメにおけるように、説明したとある。

またベルオーズ同様に、自国フランスとの距離を保ち、限界のある理想主義のドイツで活躍したブーレーズは、それでも1976年にはパリに場所を与えられてそこに君臨した。1960年代にはバーデンバーデンの指揮者ロスバウトから勧められて指揮活動を本格的に始めていたのだった。

もう一つ、木曜日の朝刊には、トップニュースとしての死亡記事に続いて、文化欄で追悼文をも交えて、テクノロジーとともにアップデートされた作品を挙げて、その間芸術的に君臨した事を示す。その具体例を、そこで浮かび上がれなかったベルト―ルト・ゴールトシュミットらの恨み節に聞くという。

指揮者としての活躍については、改めて付け加えることはないだろう。ここでもここ一年半ほどキリル・ペトレンコ指揮の対象として頻繁に扱った。ピエール・ブーレーズの指揮しか比較対象がなかったからだ。音楽構造を明晰に管弦楽団に投影させるその演奏実践は多くの関心を集めて、指揮者として大成功した。そして、新聞にも書かれるように、決してそれ以上でもなかった。指揮者としては、個人的にも「モーゼとアロン」など多くの実演に接しても限られた場面しか記憶に残っておらず、また歴史にも残らないかもしれないが、例えば自作の「プリスロンプリ」を振った最後のエラート盤などは素晴らしいの一言に尽きる。

ベラ・バルトークとラヴェルの演奏実践が新聞には挙げられているが、前者の価値はあるが、後者はどうなのかは分からない。手元のLPなどを鳴らしてみるが、最初期の自作作品も制作録音として十分に成功しているかどうかも疑問である。まさしく技術的な発展でアップデートされている面もあるから、昨年の生誕記念コンサートでの「エクスプロザンテフィックス」 や「ノタシオン」などが今でも成功しているのだろう。この辺りは、作品が上手に開かれているとすると、本人が望むように、将来に亘って無名性のなかで作品だけが活き続けるという状況も起こり得るかもしれない。その意味から指揮者である以上に、作曲家として今後も上手に生き続けるのだろう。

昨年の会で中音域の利用という面白いことを語っていた作曲家ヴォルフカンク・リームが、イェルク・ヴィットマンと共に、追悼文を寄せている。

「今、戦後の現代音楽の三人の賢者の最後の一人が世を去った。電光のごとき輝き、霊感に満ちた素晴らしい閉じた作品だ。その作品に、あらゆる決まりに惑わされることなく、自らの直感に身を任すことを勇気づけ、そしてそれを自身のものとした。個人の成長を描いた小説の冊子を思い起こす ― そこには怒りに燃えた角張った爆発を超えて、本当の権威をもった落ち着き払った遥かなものへの歩みがある。それは、夢を実現させる助けとなるあらゆる道具を総動員して、我々を信じさせるに足るに充分に通じた、本物の創始者像だった。彼自身から出でた偉大さは大きく、その落ち着き払い、なるようになる、やらせるようにやらせる― 束縛から解き放たれ― 救済される、そうである、パトースが彼にはあった。きれいさっぱりエレガントに片づけ込まれていたものだ。彼と知り合えて、思い出すことが許されて幸せだ。彼は今も居る。」



参照:
Vom Sprengmeister zur Galionsfigur, Gerhard Koch, 6.1.2016
Geballte Brillanz statt Nostalgie, Jan Brachmann, FAZ vom 7.1.2016
二十世紀中盤の音響化 2015-02-07 | 音
主の居ない打ち出の小槌 2015-01-26 | 音
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防振というオカルト分析

2016-01-07 | 雑感
夜中に強い雨音で起こされた。冬には珍しいことであり、夏にも数えるほどしかない。早朝一走りしようと思っていたが、無理だと思って、少し寝坊した。

先日来の試聴で気付いたことがある。使用一年半になるCDプレーヤーの電源部が鳴っているのに気が付いた。それほど居間が静かになっているのだ。なぜ今まで気付かなかったのか?購入時に調べていたら誰かが書いていたような気もする。可成り低い音域である。もちろん、アムステルダムのコンセルトヘボウの前?の交差点からの暗雑音よりは大分小さいのだが、スピーカーから音が消え、機械の近くにいると聞こえる。気になっていたので、初めて箱の蓋を開けてみた。すると、音がしていたのは電源部ではなくて、CD駆動モデュールだった。

今年になって初めて気付いたのは新年の静けさと、昨年秋からバルコンのドアの締め方を変えたからだと分かった。つまり室内が今まで以上に静粛さを保つようになったのだ。そこにスピーカーを弄ったことから、小さな音でのリスニングが楽しめるようになったことが大きいらしい。要するに耳を澄ますようになったのだ。

これは仕方がないと思って、横を見ると先日からサブウファーの下に引いてあったゴムのインシュレーターが転がっている。使い所がないかと思っていたのだ。ゴムのイボが六つついているタイプなので、その上での揺れは低周波に共振周波数があるのだろう。出ている機械音は遥かに高いので、全く関係ないようにも思える。

そもそもアナログプレーヤーとは違って、デジタルのレーザー読み取り機構は機械的としても、その際のエラーの数に振動がどれほど、どのように影響があるのか、スピーカーの振動による影響などもほとんど無視できると感じており、オカルトオーディオ談義としか考えていない。それでも、もしかすると上の振動を抑えられるかもしれないと思った。実際にゴム足を履かせると今までの異音の下の周波数が押さえられた。もともとの足を履いているところに装着したので作用点は変わらない。押さえられたのは機械的なCD駆動モーターの台への共振ということになるのだろうか。中級機なのでそのような状況は想定外だった。

さて、試聴をして驚いたのは、先ず音像の定位感が全く変わってしまったことである。具体的には左右に広がって、逆相になった時のように広がり過ぎる感があるが、左右のスピーカーよりも広がっていくのは、このところなぜかあまりに縮こまっていたのを不思議に思っていたぐらいである ― そういえばスピーカーの角度がコードを替えてから外向きになっていたので、内側に向ける。

ハイティンク指揮のブラームスの協奏曲一番を試聴すると、今までは最も外れた席から聞いているようだったのが可成り前の席へと移って来て、左右に管弦楽団が広がるようになる。そして初めて、指揮が初めてつぶさに分かるようになった。今までは全てが混ざり合っていたのだ。そして問題であったビートするコントラバスや太鼓などが引っかからずに自然に発声されるようになった。なかなか地味で分かり難いこの指揮者の意志がとてもよく分かり、これならばこの指揮者とこの管弦楽団の録音が安く出ればまた購入してみたいと思う。上行旋律などの歌わせ方や管弦楽団のバランス感覚など並々ならぬ美点が溢れていて、ポストカラヤン世代としては中々精妙な仕事をしていると思った。バランスが悪い状態で聞いていると、なんて陳腐な吹かせ方などをしているかと思っていたが、流石に合わせものは絶妙である。

もう一つ満足していなかったのは、ピノック指揮のヘンデルの録音で、あまりに低弦が補強されて強く発声されているので、そのアタックが綺麗に響かないことだった。これも、自然に底支えする音響になって、やや中庸的な演奏実践である英国の古楽楽団がバランスよく鳴るようになった。ここで再び、ハイドンのソナタを鳴らすと、上声部の美点などはそのままに、低音の打鍵が綺麗に響いて自然に解放されるようになった。但し音像が左右に広がったのでスピーカーを内向けにするなどの調整が必要になった。

どちらかというとゴムのイメージ通り音質が柔らかくなる感じが強いのだが、低音の自然な感じは嬉しく、生の音に近づいている。それは高音域でも本来はそうであって、耳を澄ますような再生音こそが本来は求められるものだろう。言い換えるとSN比がが良くて、ダナミックレンジが広がるということだろう。HiFi再生で重要なのは管弦楽団の実際のダイナミックレンジに近づければ同じ効果が生じるということだろう。

このような結果で、CDプレーヤーの音も雑音も改善された。但し、なぜ定位感が改善されるのか?ステレオの位相や中高音域の明快さに関連するのでデジタルの読み取りとは関係ないとすると、やはりアナログ回路に関係するのだろうか?先日来の経験でいくと、超低音の影響が大きいとなると、低音が綺麗に出るようになったからだろう。それならば、レコードプレーヤーと同じく、スピーカーからの振動がCDプレーヤーを揺らして、なにかを共振させていたことになる。なぜならば、超低音が防振で改善されたということは、まさしくその時のスピーカーからの振動が問題になっていた訳で、それを減衰させることで効果を上げることになる。そもそも超低音となると、駆動部などのモデュールだけでは抑えられなく、箱もろとも防振処置をしなければいけないからだ。

オカルトオーディオ話はこれぐらいにしておこう。余暇の時間の事もあるが、なによりも昔弄っていた時と違うのは、判断が分析的に下せることで、少しづつ試聴する音源は増えていったが、なにも試聴のために選んだのではなくて、新たなメディアが偶々何かを気づく源泉になっただけである。つまり、あらもこれもと根掘り葉掘りと片端しから手元のメディアをチェックしていく必要が無いのが最も違うだろうか。

勿論今まではながらに音楽を流していても何をやっているのかあまり分からなかったCDなども、これだけ明白に鳴るようになると、その録音の質とともに曲や演奏なども吟味し直せることは間違いない。そこでそのサウンドが、どのような作曲技法で、叙述法で作曲されているかに思いを巡らすことで、音楽ファンに直ぐに戻れる。作曲技法とか対位法などというととても難しいことに聞こえるかもしれないが、よく考えてみれば文学の分析でも中々学ばずには出来ないのは同じだ。

昔弄っていた頃のことを想い出した。今回もそうだが夜も更け静まり返ると気になって来て、ごそごそと寝間着姿などで弄ってしまうのだ。LPプレーヤーのハウリングのテストなどは、人様には聞こえないが犬には聞こえるようで何百メートルも先の近所の犬達が一斉に鳴き出したのを思い出した。これでCDの騒音は抑えられて、回路全般のSNをチェックすると、アクティヴ型のサブウファーのアムプらしきが一番雑音を出していた。電源プラグを差し替えても変わらなかったので、大体ここら当たりが限界かと思った。

大掃除から始まって、コード、インシュレーターなど無駄も入れて、二つのスピーカーシステムで全額60ユーロほどの投資だった。額からすると、元旦や雨降りに室内で遊べて、大満足な結果だった。



参照:
見かけによらず土台が肝心 2016-01-05 | 音
今年最後の試しごと 2016-01-01 | 暦
雀百までの事始め 2016-01-04 | 暦
おとなしいグレードアップ 2015-12-03 | 音
ネットで耳のチェックをする 2015-12-02 | 生活
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これもリースリングの神髄

2016-01-06 | ワイン
初買いを済ました。特別なものはなかったが、パン屋と肉屋が閉まっている時であるから、朝食にはビスケットやバナナを齧れるようにしておいた。チーズは先ずは我慢しよう。

年末年始のワインについて纏めておくべき時だろう。最後のワインは、2012年のザールからのリースリングである。ファン・フォルクセム醸造所の歴史的グランクリュ地所ゴッテスフースである。20世紀初頭にはボルドーの彼のマルゴーよりも高級だったリースリングの復興である。

赤スレート土壌で、丁度場所通りアルテンベルクとシャルツホーフベルクの中間のような個性があり、前者より高級であり、後者よりも奥が深い。120年前のそのままのアルテレーベンと呼ばれる古い葡萄からの果実であり、なかなかテロワールが凝縮している。

2012年産であるからまだまだこれから眠りに就こうかという按配だが、自宅で開けるのは初めてであり、その潜在力を吟味したかった。同時にこの醸造所の今後の可能性をも値踏みしてみたかった。

比較対象には、既に開けてあったデーノッフ醸造所のデルヒェンとブリュクリン・ヴォルフ醸造所のアルテンブルク2014年とする。前者は若干粉っぽくぬるっとしたポルフィール土壌で、後者は酸が強い雑食砂岩にぺトロール風の土壌感がある。後者は通常は重いリースリングになり過ぎて好みではなく、何よりも新鮮なぺトロール風味があまり気持ちよくない。しかし2014年はずば抜けた酸の量感で楽しめるのだ。前者とゴッテスフースには、チェリー風味で共通点がある。2014年産の一般的な特徴でもある。但しこちらのアルコールは13%と、やはりビュルクリン・ヴォルフ醸造所などとも共通性が高い。

但し、ファン・フォルクセムの場合は天然酵母にも拘っているので、どうしてもデーノッフの培養酵母の造り方とも、ビュルクリン・ヴォルフのような最新天然酵母醸造技術とも異なるのである。要するに、グラスに注いで鼻につくのは農家の家畜小屋の藁などの匂いなのだ。それを野卑と貶すのは容易くとも野趣と楽しむまでは行かないだろう。その辺りが我々ごく一般的なリースリング愛好者の味覚からの反応だと思われる。

しかし、まだまだ瓶熟成とはいかない今、その味覚には、チェリーだけでなくて、苦味のある薬草やレモンの茎などの深みがあるのだ。これだけでも一流のグローセスゲヴェックスだ。よろしい、通常よりも糖を残しているかもしれない。しかしその酸とミネラルとアルコールでバランスが取れていたならば、なんの文句があろうか。アロエのような苦味と蜂蜜の甘みが、決して表には出ない。これには気が付かない人も多い筈だ。その繊細さこそが、リースリングの神髄だ。

この二つのグローセゲヴェックセは、現在のVDPの規定からすると明らかに逸脱したもので、瓶熟成の変化も追ってみなければ結論は出せない。しかし、今の時点で双方とも並々ならぬ実力を示したもので、決してメインストリームではないが、各々がこうした可能性を追求して明白な成果を出してほしい。



参照:
神の膝元のリースリング 2015-06-02 | 試飲百景
大量生産ビオ商品市場で 2012-08-26 | 試飲百景
聖土曜日から復活祭にかけて 2013-04-01 | 暦
グローセスゲヴェックスとは? 2013-04-18 | ワイン
菊牛蒡とタロイモの年始 2016-01-03 | 料理
石橋を叩いての樽試飲 2015-06-08 | 試飲百景
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見かけによらず土台が肝心

2016-01-05 | 
オーディオ趣味など卒業して久しく思っていた。実際に、予想外の成果だったが、とても勉強になった。そしてそうした趣味人の感覚を少し思い出して、一寸纏めてみたい。初めてのスピーカーのスパイクを試してみて感じたことである。

Dynavox Sub Watt Absorberと称する製品で、四個入っていて、13ユーロだった。高さ調整可能だが、三つ足にしたので必要ない。先ずは下の軸受けを置かず、スパイクの先端が絨毯の下のウレタンに刺さる状態では、高音域まで音が暈けてしまった。理由は分からないが、今まではゴムの上でウファーの箱が振動・減衰していたのだが、今度はスパイクを伝わって、振動に乗って箱が物理的に移動しまうのかもしれない。低周波での移動で、必要な音も出ないのだろう。

そこで音に色付けする可能性のあるとされる軸受を置いてみた。軸受自体は絨毯の間に押さえつけられるような感じでがっちりと収まっている。暈けは直り、なるほど箱が振動しないからだろうか共振するような響きは殆どなくなった ― 可成り硬質のカーペットの化繊の毛で吸振されている可能性がある。その分、全体のバランスが変わってきて、色付けは少ないと思うが、顕著に改善されたとは言い難い。但し、上から下までの音の繋がりは以前よりも自然になった。要するにウファーの存在自体が目立たなくなってきた。

ある程度鳴らしているうちに足元が決まって来たのか、音は大分引き締まるようになってきた。そして全体のバランスがまだ悪いことに気付いた。特に生中継の録音の像がハッキリしない。明らかに重低音が出なくなっている。今までは殆ど地べたにあったのがスパイクで持ち上げられば、当然の変化だろう。

そこで今までは背後の壁から50CMほどあった距離を縮めてみた。20、10、5CM と縮めると、再び中継録音などでは臨場感が出てきたが、制作録音のそれもホールを鳴らしているものになると、若干混濁してきたので、7CMへと戻す。コントラバスの音が許容できるほどにはっきりしてきた。

超低音が出ない事は構わないのだが、あまり絞るとバランスが悪くなって、オペラ歌手の声などが上手に管弦楽に包まれなくなる。要するにベースからの倍音成分によって上手にバランスされなくなるのだ。作曲家がどのようにバス部に音符を書き込んでいくのかが分かるような作業である。要するにサウンドに大きな影響を与えてしまうのである。

今回試聴に使ったメディア素材は、ブレンデルの弾くシューベルトの鱒五重奏曲、同じくアバド指揮のブラームスの第二協奏曲、コンセルトヘボウ管弦楽団のラフマニノフ全集とアシュケナージが弾くブラームスの第一協奏曲、2015年バイロイト音楽祭から「ヴァルキューレ」である。

そして、録音によって差があると考える一方、本来は超低音が重要ではない筈のピアノの録音などを鳴らしてみて、またクリスマスオラトリオをヘルヴェッヘ指揮で鳴らしてみて、肝心なバランスが見えてきた。やはり、どれほど家屋の屋台骨の厚い壁でも低音の折り返しが増強されすぎると通奏低音がオルガンとバスとファゴットのように分離せず綺麗に聞こえないで混濁してしまい、ピアノでは楽器の鳴りばかりが強調されてしまう。

そこで再び背後の壁から9.2CMと離して、回り込みを抑えた。するとどうだろう、ハイドンのソナタでのアルフレード・ブレンデルの細心の左手のタッチなどが綺麗に聞こえるとともに右手の高音部の音がそれに綺麗に調和してタッチが丸みを帯びて来る。言い換えれば打鍵音に芯が出てくるのだ。再び通奏低音を鳴らすと、問題点が解決して、高音部のエコーが綺麗に再生されてくる。そして、音量を落としてもニュアンスまで明確に聞こえるようになる。

正直驚きである。100HZ以下の超低音を調整することで、ピアノの鳴りが鮮明化して、枠の鳴りから弦が鳴る倍音成分までがくっきりと聞こえるようになった。ピアノの録音では指向性マイクロフォンの位置を見当つけるのだが、それを設定するときにもこうして再生するときとまったく反対方向に試行錯誤が繰り広げられる。要するに超低音が勝ち過ぎると胴音のようになり、ハムマーに近づけ過ぎるとメカニックの雑音が多くなるに過ぎない。指向性マイクが、磨かれた高音を捉えるためにはその場所での周波数特性がとても大切になる。それにしても、あの弦が減衰して空間に消えていく響きと超低音の鳴りがここまで関係しているとは思わなかった。

教訓、超低音をバカにしてはいけない。これによって高音の鳴り方まで変わってしまうので、低音が低音として響いているようでは駄目である。寧ろ中高音が喧しくなくなり、高音や倍音成分が今までになく綺麗に出てくることで、超低音がおかしな干渉なく上手に再生されてきている証になる。そして音量を下げても伸びたバランスの取れた低音が綺麗に出てくるのだ。オペラファンならば、声の強さと管弦楽のバランスがどうもうまく再生できないという経験は誰にでもあると思うが、これも低音の出方に関係している好例だろう。低音が上手に出ないとどうしても中高音が張り出して音量を上げるとますます声が喧しくなる。逆に混濁して綺麗に出ていないと口元が分かり難くなるだろう。

結局大晦日に入手して、試行錯誤してこの段階に来るまで三日ほど掛かった。測定機器も何もないので、少しづつ移して試聴してみるしかない。そして上のようなことに漸く気が付いた時点で確信が持てた。勿論微調整の余地はあるだろうが、凄い成果である。逆に今まではそれほど場所を細かく設定したつもりはないのは、室内の周波数特性以上に箱を鳴らしていたからかもしれない。そのお蔭で、中高音は比較的綺麗になっていたのだが中低音との繋がりが悪かったのだ。そして今回初めて超低音から高倍音成分まで綺麗に統一されるようになった。

新しいケーブルに替えて、中低音の鳴りが鮮明になったことから、なぜか倍音成分が引っ込んでいたのだが、それは周波数特性が変わったからで、耳の検査までしたのだった。まさか超低音からの影響だとは思わなかった。まさしく音響の問題であり音楽の問題だった。

音楽ファンを自認する人達がその財政的な余裕に応じて大枚の金子を投じてオーディオマニアになってしまう背景はこうしたところにある。そして多くはなかなか音楽ファンへと戻って来れないのも趣味であるから仕方がないのかもしれない。

その一方、例えばブレンデルの録音などを上手に再生すると、なぜこのピアニストが内田光子をはじめとする多くの専門家から特別に慕われていたかが耳から解る筈だ。また、楽劇ヴァルキューレのキリル・ペトレンコの演奏実践が、生の舞台での歌手への指揮が「聞こえる」と、こうした上演を以て初めてこの作品が人類の遺産となるのを耳にする筈だ。たかが複製芸術でしかないのだが、こうした本質的なところに繋がっていることも否定できない。そして、楽器も舞台もホールの空気も振動していることを忘れてはいけないのである。



参照:
今年最後の試しごと 2016-01-01 | 暦
雀百までの事始め 2016-01-04 | 暦
銅鑼の余韻の領域限界点 2015-04-07 | 音
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雀百までの事始め

2016-01-04 | 
初走りは、雨降りの合間の峠登りだった。日曜日は雨の予定であり、来週からはパン屋が休みに入るので、山登りは来週の話になった。走り始めは轍に水が流れている状態だったが、登り切るまでは降らなかった。降りてきたころには本格的に降り出した。

帰って来ても、隣にはいつもの白髪の婆さんの車が停まっている。この天気が悪い中を一時間ほどは歩くのだろう。車中のラディオはANAがA380を発注したことがニュースになっていた。危ぶまれていた。なかなか思うように販売実績が伸びていないのでやきもきしているのである。そしてミュンヘンでは自爆未遂予想のあった二駅を中心に武装警官や私服警官が再び警備を強化したらしい。

自爆未遂事件の続報が流れている。それによると、12月23日にバーデン・ヴュルテムベルクで警察に通報したイラク人によって第一報がもたらされたとある。そのイラク人によると、イラク在住の兄弟が1月6日の「東方から来た博士」の日に、近郊の駅で自爆する計画があると七人の名前を挙げたことが、連邦内務省によって電話で聴取されている。

そしてミュンヘン中央駅近くのアパートメントホテルの二室がアジトととして調べられたが、大みそかには使われていなかったとある。そして現在も一部は身元の割れた容疑者らは発見されていない。そしてその容疑者の一部はフランスからの情報とは食い違いがあったとされる。

自宅に帰り、体重を量ると71KGを超えていた。運動をしないと直ぐに72KGへと増えてしまう。パン屋が休みの間はどこを走ろうか?平日に時間を作って、一度二度は山登りをしたいのだが、天候次第である。どうもここ暫くはお湿りとなりそうで、雪がちらつくこともありそうだ。

スピーカーの調整はほぼ終わった。その時の試聴に使っている録音にアムステルダムのコンセルトヘボーを鳴らしたデッカ録音がある。そのコンセルトヘボウ管弦楽団を再びトップランキングに引き上げたとして指揮者マリス・ヤンソンスが人欄で紹介されている。ノイヤースコンツェルト三回目の登場に合わせた記事であった。

生放送を見て感じたのは、熱血漢と書かれるような面が、心臓発作の経験故か大分後退して、テムポも指揮も落ち着いて好印象を得た。やはり人は死を経験すると変わるようだ。記事に面白いのは、高名な指揮者の父親の跡を受けての英才教育しか思いつかなかったが、とても努力してソヴィエトの超エリート教育を履行したらしい。そして今でもその教育課程に感謝しているリトアニア人である。

なるほど考えてみれば、ソヴィエトであるから両親がたとえどんなに活躍していても、それを乗り越える立場になって西側に出るには並々ならぬ努力をしていることを再確認したのだった。なるほどそうなれば「雀百まで踊り忘れず」ではないが、職業人生というかその生き方は一生涯変わらないのは理解できる。

レニングラードの交響楽団に代表されるような我武者羅なオリムピック選手等に代表される冷戦時代を、それよりは若い世代のこの指揮者に感じていたのだが、その演奏がむしろそうした人を感じさせるようになったのが、まさしく変化であり、我々はそれを興味深く思うのだ。

スパイクの方は改めて纏めるとして ― 予想以上にとても興味深いのだ ―、先ず、箪笥の上のスピーカーには、四つづつのゴム足を三脚にして、一脚を二つ通しを接着して球状にして高くして使えるようにした。上に置いてあるので下向くように高さを調整しなければいけないからだ。やはり幾ら書物で箱を押さえていたりしても振動の伝わり方は変わらない。ゴム足で箪笥への振動伝達を出来るだけ止めることで、クリアーな音響にするのが目的である。以前からすると大分音量を上げても違和感が無くなった。自然な低音になってきたということで、音質も大分改善された。今回使用したのはOehlbachというオーディオアクセサリーブランドの一個1,30ユーロの半球型のゴム八個だった。原料費等を考えるととても良い商売だと感じた。もう一つのスパイクはサブウファーに、ゴムは箪笥の上にと上手な買い物が同時に出来たようだ。



参照:
朝だか夜だか判らない 2006-01-02 | 音
あれこれ存立危機事態 2015-07-14 | 歴史・時事
今年最後の試しごと 2016-01-01 | 暦
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菊牛蒡とタロイモの年始

2016-01-03 | 料理
年末年始は、クリスマスと違う食事をする。今年は、菊牛蒡とタロイモを筑前煮にしようとした。あまり準備万端整え過ぎたので、牛蒡が柔らかくなりすぎた。きんぴらの方は完璧だっただけに残念だ。イモの方は全くぬめりけがないが、里芋の種類であることには間違いない。寧ろ煮物よりも固くおせちの桑井のようにした方が良いのかもしれない。

一昨年の暮れは、フランスのスーパーで買い出ししたので新鮮な北海と地中海の漁獲類があったが、昨年は国境検査までして態々出かける気が失せた。準戦争状態になると民生の需要は間違いなく落ちるだろう。

先ずは菊牛蒡の周りを削ぐ。一度したことがあるようなないような、あまり慣れていない仕事である。しかし思ったよりも問題がなく、皮膚が痒くなるようなことも無かった。筑前煮とささらにするきんぴらの二種類に、大きいのと小さいのを一本づつ使った。菊牛蒡というと恵那地方の味噌漬けを思い出す。灰汁抜きと下ごしらえ上手くすれば自分でも歯脆い菊牛蒡が出来るかもしれない。

今回は、一勝一敗であったが、牛蒡は食材としては使い易い。一般的にはサラダにささがきして付けられるが、きんぴら以外にも様々な味付けで使えそうである。但しタロイモの方は、価格も通常のジャガイモに比べると高価なので、特別な料理にしか使えない。

牛蒡で調べると、ドラマ「私は貝になりたい」にも捕虜に牛蒡を食べさせて処刑されたという戦犯の話が出ていたとある。しかし日本兵が、薬食としても欧米でも知られているとは思わなくて、「ゴボウは日本人だけのもの」で、日本文化は外人には理解されないとの思い込みが災いしていたようだ。そしてそうした島国根性は今も70年前とほとんど変わらない。それが、たとえ官僚の天下り先の増設に本意があったとしても、日本食の海外への振興政策などにも明快に表れている ― ここでも処刑されたB級戦犯と同様に善良な一般市民はまた騙されているのである。

ワインは、ナーヘのデーノッフ醸造所の「デルヒェン2014年」である。アイスヴァインで高名なこの醸造所のデルヘンという地所のグローセスゲヴェックスである。春の樽試飲の時から飲めるリースリングになっていたので、三本買ったのだが、若旦那もクリスマスに飲んでみればよいということで開けた。一口試して、早速デキャンタ―に移し替える。流石に過不足なく、果実風味も綺麗に出ている。ある意味、培養酵母のためか綺麗に出来過ぎで、バランスが良すぎる。甘くも無く、酸が勝ち過ぎることも無い。食事の出汁や醤油にも全く違和感がない。日本で評判が良い筈だ。兎に角、甘口の手練手管が辛口にも活きていて、お見事である。逆に、酸も突出していないので、経年変化で退屈なリースリングになる傾向も掴めた。

退屈なワインと言えば、クリスマスプレゼントのザクセン産のゴールトリースリングだ。プロシュヴッツ醸造所のものであるが、ムスカットを半分掛け合わせた葡萄なので、リースリングとは違って味が濃い。リースリングファンにとっては、こうしたミュラーテュルガウなどに通じる強い味をとても下品に感じる。やはりこれならば純粋なソヴィニオンブランなどの方が良いかとも思うが、食事には合わせやすく、日本食にでも全く問題が無い。正月までおいておいた理由でもある。

それゆえか、今年は朝から悪酔いして寝正月で始めることはなかった。大晦日のゴールトリースリングもそれほど酌が進まず、元旦のデルヘェンもとても気持ちよかったからだ。年に一度のTV視聴を終えて、二三時間横になっていたら、綺麗にアルコールが抜けてくれた。



参照:
石橋を叩いての樽試飲 2015-06-08 | 試飲百景
飲み頃を探る試飲談話 2015-09-15 | 試飲百景
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「緊急事態」の今後

2016-01-02 | 歴史・時事
ミュンヘンでのテロ騒ぎ未遂の情報が出た。前夜から各地で注意が出ていたが、終に来たかという印象だ。情報をまとめると、ドイツ内務省にはフランスから第一報が入り、七人のイラク人が大晦日の中央駅とパージング駅で自爆を行うという情報である。それを受けて、内務省とバイエルン警察が、防止態勢に入ったのは、先日来のサッカー場攻撃予告などに比較してより多くの犠牲者が予想されたからだとある。情報がツィッターでも流されて、行き場を失った未遂犯がどこに現れるかわからないので、人込みなどに注意を呼びかけたとある。既に年末木曜日には特に危険はないとしていたので、そのままなんら規制も無く例年のようにカウントダウンが祝われたということだ ― これをして、元旦のFAZのHPは、引き続き町へ繰り出る市民と祝日に拘わらず南部バイエルンの霧の中をコンヴォイを組んで駈けつける警察部隊との団結と、その円滑で協力的な行動を絶賛している ― 明らかにパリでの事件を念頭に置いての一言である。

今回の情報で、注目されるのは、またもやフランスの情報局はあらゆる情報を事前に把握していることで、今回もバイエルンのイラク人IS組織が動いていたのだろうが、なぜ地元よりもパリの方が情報を掌握しているのか?ドイツ内務省も特別部隊に加えて、テロ対策警察隊を訓練組織しており、懸念される事案に対して準備進んでいる。そして、盗聴などのありとあらゆる情報活動は日頃から行われている筈なのだが、それほど中央集権ではないIS組織のテロ情報はどうしてもパリからもたらされるのである。やはり多くのフランス系の内偵者が暗躍するのだろう。

パリがこれほどの情報をもつことに関しては、実体験としてここでも披露しているが、今回の件でもそれでも疑問が多い。そもそもミュンヘンのパージンク駅などは、丁度ミュンヘンからシュツッツガルトへのアウトバーン八号の始点から南へとニンフェンブルク城の森の裏側を過ぎてライムの街へと抜けるところであり、地元民しか行かないところである。我々はインスブルックに抜ける時などにここを頻繁に通り、一度は町外れのホテルに宿泊したが、それ以外は大学病院などの施設以外は庶民的な街並みなのである。カウントダウンの特別な賑やかさなどあるとは思えないところが襲撃対象として狙われていて、同時多発で、中央駅とそこというのは理解できない。

明仁天皇の新年の言葉は、災害に関する内容のようで、これまた噂される同時選挙と「緊急事態条項」を突破口とする独裁政権への警告と感じた。これに関しては天皇皇后も催し物の客人となる在東京ドイツ連邦大使館の前大使が311について語っていた内容に全て要約されている。つまり、「被災国民にとって頼れるものは、天皇陛下と地元の地方自治だけで、東京の政府などは一切役に立たないと明白になった。」ということである。この事実は、東京の外交官筋では統一見解として伝わっているのだろうが、日本市民には公知されていないらしい。そして政権の今回のような法案への意欲をみると、如何に日本の為政者やそれに協力するマスメディアや知識人などが一般国民をバカにしているのかがよく分かる。パリの中央政府のやっていることなどを批難している場合ではない。

12月のミュンヘンのオペラ劇場の警備状況には表面上は一切変化はなかった。ソフトな監視はしているのは気が付いたが、公安や防犯などの意識があまりない人には気が付かなかっただろう。ミュンヘンの駅は、元旦午前4時には再び正常化したとある。今後治安はどのようになっていくのかは分からないが、先ずは前述のイラク人七人への捜査やその結果を見守りたい。未遂犯が国外に逃亡するにしても準備した爆発物や武器などはミュンヘン周辺にある筈だ。



参照:
集団的防衛権の情報管理 2015-12-07 | 歴史・時事
仏の宣戦布告への懐疑 2015-11-20 | マスメディア批評
13日金曜日の情報錯綜 2015-11-15 | 暦
独駐日大使からの福島報告 2011-06-29 | 雑感
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