Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

中々ならない鷹揚自若

2017-08-17 | 生活
昨日は仕事にならなかった。疲れが出て、床屋に行ったにも拘らず、一日中気分が冴えなかった。前日にアドレナミンの高揚感があったらしく、その反作用が出た。前日に熟したと思った細かな部分すら気になって完璧ではなかったと思うとぐったりした。完全なホルモンによる精神障害だ。

そして床屋もチップを入れて15ユーロと思ったのが、価格が15.50ユーロで、それ以上何も払わずにおいたのも気になった。夕食もヴァイツェンを飲んでも進まなかった。つまらないことが気になるのも障害である。それでも夜間はぐっすりと眠れた。

走りに行くと膝の調子などもう一つだ ― どうもスキーで捻ったところの皿の後遺症らしい。準備体操でも肩に張りがある。軽く走り始めて顔見知りなどがいたりするとどうしてもいい格好をして一生懸命になる。森の気温は17度を超えて湿気があったが、陽射しが無いので暑すぎではなかった。沢の中の河原は虫のざわめきが強くなっている。徐々に秋の風情である。

それでも調子が優れない時こそ走るのが良い。これだけは十代の時に分かっていたらと想うとくれぐれも残念である。その他のことは、なにもピアノを練習していたらとか考えても全く後悔はないが、疲れを解すために運動するのはとても価値がある。とは言いながら当時の環境を考えると、近所の山を駆け上るとしても今のようには続かなかった。「ご精が出ますね」と声が掛かる具合にこうして熱心に走ることなどは難しかっただろう。そもそも日本の夏は何をするにしても暑すぎる。

こうやって体を解すと血行も血液中の酸素量も増えて思考が深まり集中も可能となる。それでも数年前は同程度の運動量でも午後に疲れを感じていたが、最近は昼食も簡単に済ませるのでそれが無くなった。これだけでも継続の成果だろうか。

連邦共和国の総選挙が六週間に迫り、ポスターなどがちらほら張り出されている。脱ディーゼルやE自動車も政策論争になっているが、一方で教育には連邦も州政府も予算の7%支出するとあった。教育に金を掛けるのは二十年先の経済を見ればとても重要なことで、必要な移民とその教育は連邦共和国の将来の鍵である。

シュレーダー元首相が、「ロシアのロズネフトの相談役になって」とビルド紙はその各々が七億円もの収入があるというようなことを書いたと、反論している。クリミヤ併合以降制裁対象となっている国営石油企業である。七人の相談役について書かれているのだが、「全ては背後に選挙戦のメルケルがある」と批判している。政界を引退しても未だにライヴァル関係にあるのは天晴だ。

ここ暫くCDなどを流していた。実況録音ばかりを流していたので、その音響と制作録音の演奏の精緻さに、それが決まるときは例えバロックであろうとも、はっとすることがしばしばだ。その意味からはアバド指揮の録音は質が悪いものが多い。ミラノでの「ボッカネグラ」とか「アイーダ」に匹敵するような録音は後年はあまり見つからない。ベルリンで振っているものも先日のザルツブルクのそれとまではいかないか騒がしくて落ち着かない音響で雑な演奏をしている。フィルハーモニカ―が最も谷にあったころの記録となっている。欧州室内交響楽団のそれも変わらない。その後のラトル指揮や今後のペトレンコ指揮のコントロールからするとあまりにも杜撰な指揮が多くて吃驚する。楽員には評判の良いおっさんだったようだが、ある年齢に達してからは余計に野放図な面が出て来て、その後の癌の疾病からは余計に投げやりになったのだろうか。よく言われるような鷹揚自若といういのとは大分かけ離れている。



参照:
頻尿症の夜を乗り越える 2017-08-06 | 雑感
音楽後進国ドイツの野暮天ぶり 2017-08-01 | 雑感
漂う晩夏から秋の気配 2017-07-25 | 生活
キリル・ペトレンコのキャンセル 2017-06-14 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボールダーで新技術習得

2017-08-16 | アウトドーア・環境
最低気温摂氏15度ということでぐっすり寝るつもりだった。久しぶりにボールダーで体を動かしたからである。それが五回も二時間おきに小用に立つとは思lってもみなかった。水分補給量もヴァイツェンビールを入れてそれほどではなかったが、なるほど汗を掻いていなかった。ボールダーの森の気温は摂氏25度ぐらいと、特に木陰は気持ちよかったのだ。こうなると神経の問題ではなく水分量の問題である。

それでも寝起きは快調だ。屋根が朝露で湿っている。涼しくても晩夏の朝の雰囲気は夏を惜しむ雰囲気で、暗い冬を想うと憂鬱にさせるほどである。本日は当初は摂氏35度とかが予想されていたが、そこまではいかないだろう。だから予定を変更して床屋に行くようにしていた。

前日も気持ちの良い日だった。朝まではお湿りだったが、それでも比較的乾燥した空気に予想される雷雲が綺麗に浮かんでいた。この機会を逃してはと思い切ってボールダーに出かけた。前回は三月中旬でこれで今年三回目のようである。この一月はアルプスから帰って来て踵の皮の捲れがあってクレッターシュ―を履くのを躊躇っていて、気候も暑すぎたりで機会を逃していた。それでもここに来てストレス性の胃炎や歯茎の鬱血感などを感じはじめたので思い切って出かけた。やはりマットの上で転がって鼻をかんでいると右の奥から若干出血していた。左の歯茎も右の鼻も親不知を抜いてから問題になっているところなのだが、やはり炎症の起こり方はよく似ている。

先ずは誰も居ないのでいつものように簡単なところから始める。「ロコモティフ」も最初をやり直しただけで通せた。ただ息が上がり、手が痺れそうになった。暫く筋肉を使っていないからだ。そういえば最近急に肩などに違和感を感じるようになっていたのも気温が下がったからか?次に「ウォーミングアップ」をやるが繋がらない。力がもう一つと左へのバランスがうまく取れなかった。次に「ミクロブロー」に左カンテ、その右、そしてロッホムスターを登る。全て簡単な課題であるが、最後のものは今までになく完璧に登れた。傾斜も弱いが、腰を落とし気味に、引くことなしに手掛かりに荷重できたのが大きい。もう一つの技術が身に着いた感じである。機嫌をよくして他も回ったが、斜面下部では湿り化があって手が滑る手掛かりが多く、状態は悪かった。

そろそろ冬篭りの計画を練っている。なによりも寝室のモニターが気になるところだ。HDMI端子付きのスピーカー付きが欲しい。HDMIが付いているとラズベリーパイを使って遠隔で使えるようになるからだ。つまりドッキングステーションのノートブックはどこにあってもモニターだけで仕事が出来るようになる。測ってみると机の奥の窓枠が49㎝幅しかないので現在使っている21Zoll52㎝幅ではそこに納まらないことが分かった。勿論アームで自由自在に使うので、縦にすればPDFやA4などの原稿もスクロールせずに見やすくなる。つまり動画などを見るときにはアームで引き出して、横位置にして見るということになる。それ以外は縦位置で、窓枠に押し込んで使うならば可能だ ― その時はステーションのノートブックに横長の画像が写っていることになる。そもそも動画といっても広げてみるとなるとHD動画なのでネットで観れるものが必ずしもそれほどの高品質であることは多くは無い。

若しくは19Zollを購入すると窓枠に綺麗に収まるのでそれも良いかなと思って、適当なモニターがないかと調べると、従来の正方形もあったがワイドを縦に使えば最早その狭い幅以外に利点は無い。またBenQを調べてもスピーカー付きが見つからない。そもそもスピーカーがついているモニターはあまりない。理由は全く分からないが、どのような使われ方にしてもスピーカーが付いているととっても便利であり、HDMI端子付きでスピーカー内蔵しない方が不思議である。恐らくPCのスピーカーとの比較で性能が期待できないということなのだろうが、モニターに内蔵していることほど使い易いことは無いのである。どうせ高音質再生はDACにクロームキャストで飛ばさなければいけない。結局最も使い易そうなのが現在使っている21ZollのBenQであり、それは購入した一年前よも5ユーロ高価になっている。先ずはスタンドにするアームを購入してモニターを移動させて試して見るしかないのかもしれない。そのうちに安売りになるのを期待しようか。



参照:
否応なしの動機付け 2017-03-19 | 生活
ボールダーリング事始め 2017-03-17 | アウトドーア・環境
三つの穴を埋めた気持 2016-09-01 | テクニック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胃がん風に表れる夏の疲れ

2017-08-15 | マスメディア批評
土曜日は短くスピードコース、日曜日は峠攻めを走った。それだけなのだが腰が張っている。気温が関係するのかもしれない。そして短いコース二回ながらも四回も走っている。ここのところリースリングの酸も堪えたのか、それともストレスか、コーヒーでも若干胃に感じるようになった。毎年残暑に感じる胃がん状態である。少しホルモン不足かも知れない。デートにでも行かなければいけないだろうか、健康のためにも。

ネットで先週始めにヴァルター・レヴィン死去の情報が流れていた。新聞の訃報記事を待っていたが金曜日になってからだった。それも短めの記事だった。その時差が気になった。直ぐに書ける人がいなかったのだろうと思う。コッホ氏が纏めているが、やはり楽器を置いてから後のことに触れようとするとセミナーなどに参加していた人でなければ難しいのだと思った。私は一度だけ短く挨拶した程度だが、その教授風の人柄は直ぐに感じ取れた。

新聞記事は60年代末から80年代初めまでの初演の数々を挙げていて、録音としては新ヴィーン楽派全集やケージ、ルストワフスキー、リゲティなどを挙げている。最初の二つは愛聴盤であり、これは二十世紀音楽の代表例として人類の歴史的遺産であるに違いない。

そして1987年に四重奏団を解散してからのバーゼルなどでの後進の指導の成果は、今現在まだまだ開花している。アルバン・ベルク四重奏団を筆頭にそのラサール四重奏団から手ほどきを受けていない弦楽四重奏団は珍しいかもしれない。録音等で知られるところの声部間の透明性と後期のベートーヴェンで響かせた多声楽的な側面はまさに二十世紀の中盤の響きである。

技術的な面も含めて多くのレパートリーでは、アルバンベルク四重奏団の録音の方が優れていたり、若しくはジュリアード四重奏団の名演奏あったり、更にエマーソン四重奏団以降の世代の四重奏団の演奏した録音に取って代わられるが、上の全集の価値は時代の記録であり続けると同時に、私も最後まで手離せないLPボックスであると思う。

LPのステレオの溝の分離度とかがこれまた微妙な音盤文化なのだ ― 容赦ないデジタル録音となるとまた別のところに耳が行く。関連するかのようにトュイッターで小澤征爾が録音の声部の分離に疑問を呈した発言をしているというようなことを読んだ。事実関係は知らないが、これもなかなか面白い。要するにそこでは分離ばかりを考えると声部間の和音の累積が和声音楽として綺麗に響かないということであろう。

そもそも小澤の指揮演奏はボストンにおいてもその透明な声部が見通せる管弦楽演奏指揮に定評があり、それも最終的にはそれ以上の和声的な精妙さに繋がらないとして飽きられたと理解しているのだが、当時からカラヤンサーカス客演の節はそのアンサムブルと同時にカラヤンサウンドをも上手にパレットとして使っていたのである。そして今、所謂そのカラヤンサウンドが二十世紀後半の特殊な管弦楽サウンドであったというのが明確になってからその大量の録音が美学的に見て過去の遺物になって仕舞った経緯がそこある。それとはちょうど反対の形で上のベートーヴェンの演奏録音なども乗り越えられてしまうものとなっているのである。その反対に上全集のシェーンベルクなどはなかなかこれを超える演奏は今でも見つからない。



参照:
走り抜ける黄金の森 2016-11-06 | ワイン
初秋のメランコリーに酔う 2012-09-04 | 暦
ズタズタにされた光景 2007-08-10 | 音
袋が香を薫ずる前に 2005-07-14 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽芸術のGötterFunke体験

2017-08-14 | 文化一般
夕食を済ましてからザルツブルクからの中継を見聞きした。午後に行われたものをラディオもTVも時差を置いてゴールデンタイムに流した。arteのこの種の放送としてはミュンヘンの「タンホイザー」が話題だが、制作に手間暇を掛けているかどうかが問われるところだ。

新聞評はムーティ指揮のヴィーナーフィルハーモニカ―が健闘しているとあまりに強調していたので、折角ならとラディオ高音質録音を試みた。しかしBRクラシックで今まで経験したことが無いぐらい最初から最後まで秒以下の中断があったりして、尋常ではないアクセスの集中が推測さられた。要するに我々が熱心になる「スーパーオパー」とは異なり「オペラ」上演ということで「三人のテノール」ファンのような人々までの関心の広がりがあるのだろう。出来るだけ拘わりたくないものであるが、1月のシカゴ交響楽団との演奏会での趣味の良いエンターティメント性はこのマエストロのオペラをも無視できなくした。

そのように期待してあまり十分でない放送を聞くと、座付き管弦楽団の下手さ加減だけが耳について楽しめない ― 最近はベルリンのフィルハーモニカ―とかペトレンコ指揮のスーパーオパーしか体験していないのでもはや普通の名演などでは耐えられなくなっている。モルティエ時代にしても結局は記憶にしっかり残っているのは、コンセルトヘボー管弦楽団の「モーゼとアロン」であったりするので、ヴィーンの座付き管弦楽団が真面に演奏していたのはカール・ベーム博士指揮の時ぐらいしかなかったことを思い出す。

但し、ヴェルディの書法を熟知したマエストロの指揮は流石であり、デビューで大成功をしたこの作品においても歌手の間合いなどをさきさきに見通しながらのテムポ設定や色付けそのドラマテュルギ構築が見事としか言えない。なるほどシカゴなどの超一流の交響楽団からの音楽と、座付き管弦楽団からの音楽では比較にならないのだが、普段のヴィーンの歌劇場ではなかなか体験できないオペラ上演がなされるのがザルツブルクでありその点でも最上質のエンターティメントに他ならない ― まあ、昨年の復活祭の「オテロ」とは流石に世界が違う。

お目当てであるアンナ・ネトレプコについては、売り出しの頃にゴールデンタイムのゴッチャルク司会のZDF番組で歌っていたのをいつも思い出すのだが、その時の印象は今回も変わらなく、技術的にもしっかりしていてということで、新聞評でも高いCとかピアノのAsとかの話しつまり声楽的な技術の職人的な評価が全てである。オペラファンというのは、コンサートゴアーズが指揮棒の上げ下げを云々するような感じでそうした職人技に関心がある人が少なくないのかもしれない。我々音楽愛好家からすれば、歌手のそれやオペラの音楽的な不正確さなどに言及するとなると上演などなり立たないと考えるので、あまりそれには関心が無いのである。

その意味からもマエストロのエスコートぶりは本物の名人芸である。ネトレプコは、TVで現在はオーストリア国籍とされていたが、指揮者のゲルギエーフと同じくプーティン支援者の代表的な存在で、たとえ厚遇されたとしてもスイスではなくオーストリアというのが興味深い。兎に角、この人気オペラの実演をバーデンバーデンで体験するようなことがあるようには思わないので、またその映像も手元に無いので先ずはDLしておく。HLSストリーミングファイルをストリーミングと同じように落とすので、3.256GBのDLで上演時間だけ時間が掛かった。三幕以降しか生で観れなかったので ― なぜかそれでもラディオよりも安定していた、初めて動画を流すことになる。

世界が違うと言えば、ボンのベートーヴェンフェストから冊子Ludwig!が届いていたので、それを捲ると昨年のPVの様子が写真として掲載されていた。当日会場にいたので海外放送局ドイツェヴェレによるそれは観れていない。だから探している ― ネット中継されているのでDW以外にもどこかに全中継コピーが存在する筈だ。これはと思って早速探すとやっぱりDWに障りがあった。これだけでもとても貴重である。個人的な思い出ではなく、あの時のテムポが記憶でなく記録として示されることで、可成りの部分が再現可能となる。あの特にチャイコフスキーからアンコールまでの流れは、キリル・ペトレンコ指揮演奏会の中でも屈指の量子的な飛躍のあった演奏で、まさしくGötterFunkeの体験である ― 永く音楽会に通っていてもこういう飛躍の時というのは稀であり、フルトヴェングラー指揮演奏会のようには行かない。

チャイコフスキーのコーダ近辺のテムポの推移などは基本テムポとその設定から演繹するしかないが ― この指揮者の演奏実践上でのテムポ設定とその維持また推移には恣意や偶然は無く、あるのは音楽構造であるから演繹可能となる ―、この短い障りからでも他の会場での録音のテムポとその会場で感じた体感の比較は可能となる。アンコールの「ルスランとリュドミラ」もカルロス・クライバー張りの管の短い跳ねなどは聴けないが、ややもすればムラヴィンスキー指揮のあの超高速のそれをどうして思い出してしまうので、ここでの快速の障りだけでもとても有り難い。

オペラの上演とコンサートの上演の体験の質は全く異なるが、エンターティメントの体験と芸術体験というのは往々にして相容れないということも確かであろう。だから私などは芸術体験の前には一切アルコールを口にしなくなったのである。演奏家がほろ酔い機嫌でヴィーナーヴァルツァーのようなことは出来ても、芸術などは全く表現できないのと同じことである。例えば同じ芸術表現でもレナード・バーンスタイン指揮の演奏会では体験できなかった芸術というのがそこではとても重要なことになる。



参照:
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音
なにか目安にしたいもの 2017-04-22 | 雑感
ドイツ的に耳をそばたてる 2016-09-18 | 音
時の管理の響き方 2016-09-16 | 音
管弦楽演奏のエッセンス 2016-09-14 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DOTでゴムの耐久を確認

2017-08-13 | テクニック
タイヤが届いた。半額で、最も安くアマゾンで購入した。調べると売り手はドイツ最大の自動車部品販売業者らしく、ワイン街道でもノイシュタットに支店がある。本店の倉庫は軍事基地があるオバープファルツの東ドイツのと旧国境近くの町である。水曜日に発注して金曜日に配達となった。

ContinentalのContiPremiumContact 5というヒット製品で、ここ暫くはこれを使っている。それでも開発から大分経っているので、燃費はCクラス、タイヤ音も71dbと比較的高めで、エンジン音を相殺する感じになっている。但し雨降りでのグリップはAクラスで、コーナリングも厚さの割には悪くはない。直線安定性も優れているので現行モデルであり続けているのだろう。

早速セロファンを捲って、製品を確認すると同時にDOT番号を確認した。今回の発注で唯一気掛かりだったのは、配達されるタイヤの製造年月日だった。棚卸とはいっても、今年の夏タイヤとは限らないからである。販売店や卸業者は皆同じように三年以上古いものは売らないとしている。しかし時々は古いものを売りつけられたとの苦情もある。

ゴムであるから新しい方がその性能は良いには違いないが、業者が確り保管していれば五年ぐらいはなんでもないという。劣化を極力抑えれるということだろう。しかし十年以上も経てば廃棄しなければいけないことには変わりない。だから出来るだけ新しいタイヤを安く購入したいのだ。そして今回のオファーは底値だった。そこが知りたくなるのは当然だろう。

DOTが書いている場所を調べてフォイルを破った。見えたのは1917である。つまり17年の19週目である。五月の第二週目である。二つ目も同じだ。これならば充分な新品である。現在使用しているのが1313、1413なので四年使用となる。パンクなどしなければこれが後輪の最後の夏タイヤになるだろう。

これで10日ほど後に取り換えて問題なければ万々歳である。森に走りに行って、濡れた坂道を下りてくるとやはりグリップが弱いような気がする。もう少し我慢して走らなければ、事故でも起こしてしまえば無駄になってしまう。ブレーキの利きも比較すると落ちているのだと思う。もう少しの我慢である。

2014年シリーズからゲリュムペルを開けた。通常のこの価格帯からするとGGに近いように熟成も瓶詰め時期もGGに近いので二年にはまだやや早いかもしれないが開けてみた。ペトロール臭が若干あって、色も若干黄色味を帯びている。通常ならばあり得ないのだが、飲んでみると2014年としてはトップクラスの酸が効いていて、まだまだ新鮮過ぎる。それでもそのミネラルの複雑さは恐らく開けた2014年の中でピカイチだ。だからデリカテッセンにも楽しめて、高級感は強いが、もう少し熟成してしまう方が単体でも果実風味などが楽しめるようになるだろう。2013年産と比較すると、ミネラルと酸で大熟成する傾向はあるが、熟成させないとつまらないかもしれない。



参照:
秋雨で10月のような気配 2017-08-12 | 雑感
Coffee or Tea? 2016-06-21 | ワイン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋雨で10月のような気配

2017-08-12 | 雑感
秋雨で10月の気配である。例年でもこの頃は夏が終わって天気が悪くなるが、今年は秋が早いので、晩秋の雰囲気すらある。それでも気温は摂氏17度とそれほど低くは無く、まだTシャツが使える。雨が上がるとまた夏のようになるらしいが、残暑である。とても過ごしやすい。長袖のパジャマが要らない位が一番嬉しい。

夜中に目が覚めたが、尿意を催しても運動をした夜はそのまま寝てしまう。なにが異なるのかは分からないが発汗量よりも交感神経の問題ではないかと思う。就寝前に幾ら水気をとっても、運動した後はそのまま朝まで小用に立たないでもよいのだ。運動をしていないと尿意となって起きることになって、完全に睡眠が中断する。ある程度の年齢の男性の尿の問題は良く見聞きするが、その中にはこうした影響もあるのではないかと疑う。

そう言えば音楽会などで、開演前にトイレで苦労している人は屡々いる。大昔は一時そのようなことが気になった時期もあったが、最近は全く無くなった。理由は分からないが、音楽会での音楽の聞き方が変わったからかもしれない。具体的には、例えば交響曲の音楽構造でもある時間の流れというものを積極的に把握しているのと、そうではなく流れる楽興の時に身を任してというのでは、全くその神経の働き方が異なるだろうという仮説が成り立つ。要するにあれは神経的なもので、生理的なものではないということになる。

ユーロの貨幣価値に伴う外国旅行でのその購買力比較がFAZ経済欄の第一面に載っていた。夏休み時期らしい記事である。それによると2015年からの変化ではアルジェンツィンリラなどが107%も落ちていて、この一年でも26.5%落ちて、旅行に良いとなる。二つ目がトルコのリラで、三番目が日本円である。二年前よりは高くなっているが、この一年では15.9%安くなっている。反対に高くなっているのはチェコのクロネ、ロシアのルーブル、ハンガリーのフォリントなどだ。

そしてその1ユーロの購買力は、ドイツと比べてポーランドでは1.88、トルコ1.84、ハンガリー1.74、メキシコ1.62、チェコ1.53などが続き、逆に購買力が無いのがアイルランド0.60、スイス0.64、ノルウェー0.74、オーストラリア0.79などで、英国が0.90、米国0.91、オランダ0.93、なんと日本が0.95となっている。デフレデフレとか言いながら日本はドイツよりも物価が高いとなる。

なるほど、このサイトを読んでいる人は如何に安く生活が出来るかと思っているかもしれないが、恐らくネットショッピングなどを含めてドイツは良いものが安く買えるのは事実だろう。以前ほどには日本の商業市場の複雑で無駄な構造は無くなったと思うが、ネット販売一つにしても欧州で生き残りを掛けていると言われる楽天のオファーを見ると話しにならないような高価な価格がついていて、全くイーコマースで勝負になっていない。だから一度も楽天経由で購入しようとしたことなどは無く、今後も無いと思う。この業者の欧州営業撤退は、その税金対策を除くと、時間の問題だと思う。

直に発注したタイヤが届くようだ。運送業者DPDが届けるがそのライヴトラッキングシステムが面白い。GPSを使って刻々とその運送者の動きを配信している。上手く作動すると、とてもうまく機能すると思う。

新聞の文化欄は、ザルツブルクからの評が続いている。「ヴォツェック」の公演に関しては、この秋に日本でも歌い、帰国後のミュンヘンでの演奏会でも歌うマティアス・ゲルネについて大きく触れられている。ミュンヘンでの「タンホイザー」を経験してしまうとどうしてもゲルハーエルと比較してしまうが、見た目とは異なってなかなか器用な人らしい。10月のコンサートでの「魔法の子供の歌」が楽しみになった。

それに比較するまでも無く、現在キリル・ペトレンコと技術的に双璧とされる指揮者のウラディミール・ユロウスキーについては最小限度にしか触れられていない。そこから窺えるのはなかなか手堅い指揮者のようで、経験を積むと可成りの大物になるだけの弁えがあるような指揮者のようだ。土曜日20時からのムーティ指揮アンナ・ネプレプコ主演のアイーダの放送も楽しみになって来た。



参照:
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反レーシズム世界の寛容

2017-08-11 | 文化一般
四川の重慶に電話をした。嘗ては日本軍が絨毯爆撃をした揚子江の中州にある大きなハイテクの町だ。要件の序に、地震のことも尋ねると、成都の親戚は揺れたということだったが重慶では感じなかったという。先にメールを送っていた件も尋ねた。シナで先日のarteの乳出しヴィデオが見れるかどうかということだ。中共はそんなものには関心が無くて検閲は政治的なものだけという話しだった。これが中共であり、我々からすれば性事も政治も芸術も容易には線引きが出来ないが、中華人民の文化程度ではそのような高尚な話にはならないのである。

来週3Satで放送されるピーター・セラーズ演出の「ティーテュスの寛容」を一足先にORF2で観た。国内でしか観れないようになっている。そのセラーズもジェラルド・モルティエの時代にはモーツァルトどころか古典の演出さえもさせてもらえなかった ― 当時からそのモーツァルトヴィデオは知られていたが、パトロンとしてもそれを受け入れられたとは思わない。それがまさかザルツブルクでこのようなモーツァルトが上演されるとは思いもしなかった。ザルツブルクは少なくとも二十世紀の後半はお行儀のよいカラヤン好みのスノブなお客さんが集うところで、同時にとびっきり上等なモーツァルトが上演されていた。

それでもセラーズはやはり天才的な演出家で、その上演にはとても感動させられた。古典に帰りながらの現実投影という意味で、アラブのテロを舞台として黒人を多く集めた歌手陣にアメリカの人種を反映させる。どうしても西欧の聴衆にはそれが意識され、当然それが大きな効果として計算されている ― ザルツブルクはロスではないのだ。そのアフロアメリカン的な個性や ― 実際には南アフリカ出身の歌手もいる ― 表情などがとても印象的に利用されているのだが、セラーズの演出はその個性的な表情や人種的な特徴が全人格的な普遍的な表現に変容していく様を見せる。恐らくこれがアメリカにおける人種というものなのだろう ― 少なくとも西欧から見るとそのように映る。それがここでは中東における歴史的、文化宗教的な葛藤に大きな網を掛ける形で劇場表現される。

要するに、劇のあるべき本来的な姿、つまりここではとても情動的な表現とセラーズの儀式的で様式化された体の動きが相まって普遍化されるものが示される。そしてモーツァルトの音楽はクレンツィスの指揮によって情動的で脱様式化された音楽に編曲される ― 作曲家が晩年どのような創作をしたかなど知ったものではなく、モーツァルトなどはショービズのための唯の道具で衣装でしかないということだ。なるほどこの指揮者は、その自由自在の指揮からして、その技術は一流なのだろうが、音楽家としては三流としか思われない ― だから今回の公演でSWR内部が色めきだったに違いない。まだその交響楽団の指揮者に就任していないがその契約を全うできるのかとても怪しい。金満の工業都市シュトュッツガルト市の音楽文化など所詮その程度である。

フランス人のマリアン・クルバッサのセストは従来のザルツブルクでも充分に通じる演技と歌唱であり、二月にミュンヘンでゾフィーの口パクを歌ったゴルダ・シァルツのヴィテリアも素晴らしかったが、重唱などでは駄目な歌手陣だった ― ゴスペルではあれほど合うのにまるでその気がない様だ。しかしその情動的な音楽運びもアンサムブルも全て指揮者の責任である。8月4日の四回目の上演では、初日とは大分状況は違ったのではなかろうか ― アンサムブルはやればやるほどに悪くなるのか?終演後のそれは全てセラーズへの称賛のように聞こえた。そしてFAZやSWRが伝えたような初日のファンの集いが無かったのか、この収録日には指揮者はピーター・セラ-ズのようには聴衆の喝采を浴びることはなかった。明らかにこの指揮者がそうした大衆コマーシャリズムの中で虚像として存在していることが明らかになる証拠である。

次は、ムーティ指揮の「アイーダ」が放送されるらしい。アンナ・ネトレプコが黒塗りで登場するが、決して人種的な問題がが音楽に持ち込まれないのは間違いない。マエストロはそんなことには全く興味がないから、そんなことは初めから分かっている。

こうして無料でDLしてこのような「ロスアンジェルスオペラ」を一気に観てしまったが、これを何十ユーロかの入場券を払って態々フェルゼンライトシューレの駐車場まで車を飛ばしたかというと答えははっきりしている。やはり昔のケント・ナガノが振ったり、ブーレーズが振っていた時のような価値は無い。



参照:
寛容の海を泳ぐ人々 2017-07-31 | マスメディア批評
同一化批判の新ドイツ人 2015-02-22 | 歴史・時事
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブレーキを踏み込まなかった一年

2017-08-10 | 生活
漸くの思いでブレーキディスク交換の手配をした。一年前の車検で指摘されてから、その後の冬タイヤ装着、フォグライト交換時にも指摘された。警告が出るまでは使えるということでそのままにしていたのだ。二月頃の交換かと思っていたら、結局冬タイヤ時期を乗り越えてしまった。それでも通常の使い方からすると距離が伸びないのか、未だに警告が出ていない。

そして夏タイヤ交換時には今度は後輪のタイヤの擦り減りが指摘された。夏まではもたないだろうといわれ、警察に罰金取られるぞと驚かされながらも、ブレーキ交換時期までと引き延ばしてきた。タイヤ交換前に一本180ユーロのオファーを受けたのだが、ネットで調べてみると遥かに安く買えることが分かったので断った。古い車になると如何にランニングコストを落としながらも、道端で立ち往生することなく長く乗るかが課題になる。

しかし、ここに来て夏タイヤも底値の一本90ユーロとなっている。これを買えば、二本で180ユーロの節約となる。半額である。そうなるとタイヤに関する作業とレンタカー費用もこの差額で賄えて更に余る。あとは肝心の前輪のディスクとパッドの費用と交換作業費である。作業費は押さえて貰うようになっているので、純正品の価格が問題となるだろうか。

ネットで見ると数十ユーロからあるが、少なくと二組で300ユーロは覚悟しておかないといけないだろう。全費用で1000ユーロは超えることはないと願っているが、数百ユーロのどのあたりになるかだ。まあ、交換を止めてから少なくとも一万キロは乗ったとして、キロ当たり数十セントは浮かしたことになる。決して小さくはない額である。

そのように坂道でもどちらかというとエンジンブレーキを掛けるようにして、ブレーキを深く踏み込むことなどはなかった。ミュンヘンを往復するのにも時間を掛けて長目のブレーキ距離を心掛けた。上手な走り方をすれば安全性も燃費も高まり、何一つ不便はなかった。

勿論最初の考え通りに警告が出てから全てを手配しても良かったのだが、今年の夏タイヤもそろそろ棚卸であり、うろうろして九月に入ってしまうと、新たに夏タイヤを交換するのもばからしい。とはいいながら早めに冬タイヤに履き替えるとランニングコストが上がり、冬タイヤ購入が早まる。そこまで警告が出ないなどは考え難い。

九月になると車が使えないのでは不都合になる。予定が月末まで入っていない時に合わせて、思い切った。タイヤも発注した。遅くとも来週明けには着くだろう。もし問題があってもまだ対応できる。

夜は冷えた、森のなかも摂氏14度ぐらいで走るのが大分楽になって来た。兎に角、上手く冷却が出来ないとパワーが上げられないので、涼しくなると大変助かる。お陰で下りもある程度のスピードが出せた。これで前夜のように夜中に起きずに今夜は涼しい中でぐっすり眠れるだろう。



参照:
鑑定士による査定の程 2017-07-23 | 雑感
昇天祭のミュンヘン行 2017-05-26 | 暦
夏タイヤについてのファクト 2017-02-24 | 雑感
驚愕ラズベリーパイ3 2016-10-22 | テクニック
遠近両用眼鏡用モニター 2016-08-17 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デジタルコンサートの新シーズン

2017-08-09 | 雑感
先日、ベルリンフィルハーモニカ―から新シーズンのデジタルコンサートプログラムが送られてきた。年末までの一週間の無料券が入っていた。それは有り難いので、シーズンを通してこれはというものを探してみる。

4月13日のペトレンコ指揮のコンサート、その五日前にバーデンバーデンでの「パルシファル」のキャスト違いのコンサートである。興味深いのは、クンドリーをミュンヘンで歌うニーナ・シュテェムメが登場する。因みにバーデンバーデンで予定されていたヘルツィウスが既に降りている。それ以外では、10月14日のラトル指揮セラーズ演出ヤナーチェック「賢い狐」のコンサート上演、5月19日にはシューマンの「パラディースとぺリ」がある。音楽監督送別ということでその辺りに面白い企画ものがある。

1月21日には小澤征爾指揮のコンサート中継があって、奇跡的な復活などは期待し難いのに、なぜか結構なフルコンサートが組み込まれている。日本でも高額の券が売られていたりして、一体どのようなマネージメントがなされているのかは不可解であるが、指揮者本人の晩節を穢すようなことになっていて、ファンにとってもとても残念なことであろう。とても質が悪い。

ということで、無料券を使えるのはヤナーチェックぐらいで、それがアーカイヴになってから、8月25日のハースの新曲や「天地創造」と共に楽しむぐらいだろうか。その他のアーカイヴは殆んど分かっているので、それ以上興味深いものはあまり見つからない。やはり、上のプログラムにしても同じ頃に生放送されるオンラインのラディオ中継で充分なことが殆んどだ。それでも少なくとも一度は新シーズン中にも券を購入することになるだろう。

新聞を見るとザルツブルクでのゲルハーエルの歌曲リサイタルの評が載っている。シューマンプログラムでラインガウでやったらしいものと同じなのだろう。やはりその歌の効果は劇場空間的で、オペラ出演においては歌曲的と貶されるのだが、実は音楽劇場的というのがより正確だろう。バーデンバーデンでもベルリンでも登場するライヴァルのジェラード・フィンリーが挙げられて、更なる活動が期待されているところである。

雨が降って、朝がなかなか起きられなかった。久しぶりにしっとりと眠った。夜中に窓を開けていたものだから、冷えた湿気が体を包んだのである。前日は走っているので快い疲れもあるのだろう。久しぶりに朝寝をした。同時に夏の疲れだろうか脱力感もあった。不思議なことに歯茎の腫れにこうした日には気が付く。



参照:
需要供給が定めるその価値 2017-04-19 | 生活
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルヴァン・パタイユのマルサネ

2017-08-08 | ワイン
この夏は短く、六月が一番陽射しが厳しかったが、観天望気通り七月は涼しく、ここに来て湿気が増すとともに陽射しも穏やかな晩夏になっている。気温も晩夏から初秋らしくなって来ている。帰りに立ち寄った肉屋ではステーキを購入した。五月にフランスのスーパーで購入した2012年マルサネを開けるつもりだ。同行していたSAARWEINEさんに日本でも有名な作り手のものと教えて貰ったものだ。付け合わせはニンジンとエリンゲの茸クリームソースにしようかと思う。

そのマルサネは、シルヴァン・パタイユのマルサネそのもので、日本でも5000円ほどで入手出来るようだ。ビオ農業を徹底している若い人で、アドヴァイザーとして指導に当たっていたようだが、評判が良いということだ。実際に開けてみて、まだ少し早いと書かれているが、既に評価得点も高く、決して早すぎるという感じではない。

コルクを開けたと同時に開いていて、価格の割にはあまりにも馴染みが良過ぎる。チェリー味にカシスとそれほどの複雑さは無く、12.5%のアルコール感も比較的ある。同時に鼻にも酸を感じるほどなのだが、とてもこなれている。その後に広がるのは薬草臭であったり、二日目のスモーク感で、そのタンニンと相まってとても上手に纏めてあり、若干小賢しい感じすらもあった。

スーパー価格は20ユーロほどだと思ったが、そもそも土壌のミネラル感などは薄いのかもしれないが、複雑さに欠けるという印象もある。ドイツのシュペートブルグンダーと比較して、果実は綺麗に乗っていてドイツでは十年に何度しかない程度であるが、ビオの難しさも感じさないであまりにも小奇麗過ぎる感は否めない。この価格帯ならば仕方ないのかもしれないが、なるほど口当たりの良い万人向けのピノノワールと言えよう。

食事にも悪くはなかったが、複雑さが無いために、味覚が敏感になり食事の繊細さが際立つとかいうような要素は無く、ご相伴ワインと言った感じである。これならば同じ価格で良い年ならばドイツのそれの方が遥かに高級食事酒となる。もう一本同じ瓶を買うかどうかと言うと、他のものを試した方が勉強になると思った。

横腹を押さえると硬くなっているのに気が付いた。数年前までは贅肉が付いていて中々落とせなかった所だが、カチカチになっているのに気が付いたのだ。ランニングの体形になって来ているということだろうか。先々週は四回走ったので膝などに違和感があったが、今週はどうなるだろう。朝の森の中は気温14度で清々しかったがスピードは出なかった。まだ何かが足りないようだ。

どうも夏場の運動能力が上がらないのでいろいろ調べたいと思っている。要するに直射日光などで照らされると体温が上がって、発汗すら追いつかない傾向がある。とはいっても日射病で困ったことは殆んど無いのだが、暑いのが辛いだけで、これだけ代謝を上げてもやはり気温が高いと運動能力が低下してしまうのである。調べても効果的な対処法が無さそうで困っている。汗を掻いても結局苦しいのは変わらないのだ。



参照:
時間と共に熟成するとは? 2017-04-24 | 文化一般
価値のあるなしを吟味する 2017-04-05 | ワイン
悦に入る趣味の良さ 2017-03-09 | ワイン
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辺りをふらついてみる

2017-08-07 | 生活
久しぶりにワインの地所を歩いた。パン屋に行ったが前日の足の疲れが抜けきっておらず膝も違和感があるので、葡萄の写真を撮りに歩いた。緑が輝いて如何にも最乗の風情が遠目にも分かったからだ。病気を避けるために粉の汁などが撒かれていたようだが。若干実が密集しているかというだけで、現在柔らかくなっている葡萄以外は全く問題がないと思われる。寧ろ例年に比較して実りが良いようだ。

前日はステーキまで食して、窓を閉め切って就寝して様子を見た。お陰で運動も足りていて夜中に一度目が覚めたが、小用に立つことも無く一時間ほどして再び眠りについたので、比較的よく熟睡した。それでも週四日目の走りとなると総合してハーフマラソンの距離になり高度差も大分になるので二週連続は負担が掛かり過ぎそうだった。

夜中に放射冷却したように天気が良く日蔭と日向の温度差は激しかったがとても気持ちの良い朝のサム歩になった。ワイン地所の木陰に虫箱が吊るされていた。ミツバチのためのようでもありその他のためなのかよく分からなかった。このような光景は一生懸命走っているとどうしても目がいかない。先日森の中で「ご精が出ますね」と言われたが、確かに熱心に走っている。ボールーダにも通いたいのだが天候が変わるのでどうもうまく時間が合わない。

ミュンヘンの劇場のサイトに先日のarteの「タンホイザー」ヴィデオがオンデマンドになっていると知って覗いてみた。全く同じヴァージョン3で、劇場が中継したものではない。三者の協調関係がはっきりしているようだ。本来ならばarteが出てくるとZDFであるからARDは関与しないのだが、劇場との関係からバイエルン放送協会と協調している。更にこれに合わせて日本公演の券の安売りが行われるなど販促体制が整っているので驚いた。序に「オベロン」のヴィデオまでオンデマンドにあったので落としておいた。これはとても興味深い。

ネットサーフィンしていると、以前は見つからなかったキリル・ペトレンコのシカゴ交響楽団デビュ演奏会の録音が見つかった。この四月にアップされていた。最初のムソルグスキー以外はソリスツのインタヴューぐらいしかない様だが、世界最高の管弦楽団を世紀の指揮者が振るとどうなるかのとても貴重な記録だと思う。2013年3月の忙しい時期のデビュー公演の週末二日の為の僅か二回のリハーサルだったということだが、2015年にベルリンの監督に推挙されたときに最も大きな反応を示していたのがシカゴだった。ラフマニノフの三番交響曲、ショスタコーヴィッチをアムランと合わせる前に「ホヴァンシチーナ」から小さな二曲がそれもショスタコーヴィッチの管弦楽版で演奏されている。これがまたとても面白い。我々はこういうのを聞くとどうしてもムラヴィンスキーの指揮を思い出してしまう。



参照:
疑問を投げ掛ける認識 2008-09-24 | アウトドーア・環境
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頻尿症の夜を乗り越える

2017-08-06 | 雑感
夜中の寒気に三度も手洗に立った。頻尿症である。晩夏の寒気が堪えるようになってきた。それでも窓を閉め切ると暑くて眠れない。熱帯夜の続くような夏とは大違いである。流石に三回も起きると睡眠不足になる。最初は殆んどレム睡眠の途中で意識が朦朧としていた。二度目は三時過ぎだったが寝不足を感じた。三度目は五時過ぎだと思ったがまだまだ起きれなかった。

パン屋に出掛けようとGPS時計を見ると充電切れだった。先日ボタン電池を購入した万歩計を持ち出して、パン屋に行った。折から上等のポルシェに乗ったユダヤ系風の見かけない親仁が先に入った。前々回そこでユダヤ系の親仁の車に当てて280ユーロほど払ったことを思い出す ― 私は違う親仁から1000ユーロとった。その親仁も住んでいるのは谷の中だったが、その地域にはプロテスタントの錬成所はあってもユダヤ系のそれは知らない。恐らく歴史的な背景があって、住んでいる人も少なくないのだろう。我が市にもユダヤ墓地があり、嘗て強制連行されて今は殆んど居住区は無いようだが、その近辺はなるほどそのような感じである。近所ではダイデスハイムのシナゴーグの教会が今は記念館となっている。大きな地域では歴史的にも文学などでも、ヴォイツェックのダルムシュタット、ロスチャイルドの本拠フランクフルト、マインツ、ワイン業者のビンゲンからプファルツの谷筋などを囲む地域は歴史的にユダヤ居住が集中しているといっても良いのではなかろうか。

なんだかんだと考えながら森の中を峠目指して走る。寝不足に拘わらず足取りが軽いのは涼しいからだろう。しかし摂氏18度で湿気があるので、峠からの下りに汗が噴き出した。北斜面の森の中と違って南斜面は陽射しが無くても温度が違うのだろう。下りにいつものようにライヴァルの白毛女とその息子に擦れ違う。下りて来て34分掛かっていた。まあ、そんなものだろう。

有名人気メーカー「ライフハイト」の物干しを四種類愛用している。大中小様々だ。最も大きなシーツでも干せるものの足が外れた。バルコンの日除けの足にも常時使っているもので、壊れたらどうしようと思った。応急的にネジを直して頭を巡らすと、そのシャフトの代わりに同じぐらいの長さのネジを入れて、ナットで締めればよいと気が付いた。探すとそれに使えそうなものが見つかったので、試して見た。上手く嵌まったが、締めすぎると足が折り畳めなくなる。そこでどこで覚えたのか記憶に無いが、ナットをダブルにして使うことにした。これも幸いに二種類のナットがあったので締め込んだ。上手くいった。これでもう一つの足が壊れても対処可能となった。ネジとナットを幾つか買えば事足りる。

FAZは、バイロイトのカストルフ演出、ヤノスキー指揮の「指輪」が厳しい暑さの中でとても人気を博したことを伝えている。そもそもカストルフの演出は子供にでも分かるということでギャグが幅広い層に語り掛けるのだが、同時に東独ノスタルジーまでもがここまでの人気になるとは思わなかった。そこで不思議に思うのは、そこまで人気があるならば、キリル・ペトレンコ指揮で2015年実現化しなかった動画中継をすればよいように思うのだが、予算が出ないということだろうか?そしてユニヴァーサルもヤノスキーでは商売にならないと判断したというのだろうか? ― その音楽はとても分かり易い点ではカストルフのそれに対応しているが、音楽劇場に求められる劇場の暗闇を超える効果が無いと放送でも批評されるのは当然かもしれない。私も含めて只ならばダウンロードなりコピーなりしてしまうのだろうが、金を出して買う人はあまりいないということなのかもしれない。まさか来年ドミンゴ指揮で「ヴァルキューレ」だけ生中継されるということなのだろうか。それじゃあまりにもつまらない。

キリル・ペトレンコ指揮「タンホイザー」東京公演が安売りで出るという。A席40000円、B席36000円らしい。これならば320ユーロ、270ユーロとすると、席は知らないが、ルツェルンのアバド指揮よりも大分お得だ。日本旅行の序があれば間違いなく購入しただろう。また、ヴァルキューレ一幕の公演がNHKラディオとTVで放送されるということなので、これもぜひ見聞きしてみたい。もしかするとこちらでもなんらかな形で放送されるかもしれないがまだ分からない。

ネットで日本の人のキリル・ペトレンコに関する感想が、arteの動画から漸く真面な感想が出てくるようになった。如何にそういうものが広い観衆層に語り掛けることで初めて反響を得るかということである。要するに如何にそれを扶持としている専門家が業界の意向とか忖度の中でしかものを発言できないかの業界事情を炙り出している。それはドイツにおいても変わらないが、地域性やジャーナリズムの独立性があるので、日本などのように単一的になることはないのである。



参照:
旧ビジネスモデルをぶっ壊せ 2017-08-05 | マスメディア批評
室内で効率よい洗濯干し 2015-11-05 | 生活
お披露目、忌憚のない感想 2015-07-12 | マスメディア批評
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧ビジネスモデルをぶっ壊せ

2017-08-05 | マスメディア批評
ダウンロードしたVIDEOを流している。色々と面白い ― 余談ながら、ザイテンロージュに映されていたのは、音楽監督キリル・ペトレンコのお母さんのようだ。音楽的に二幕の続きは、演出を一通り見極めてからになるが、DLしたMP4ファイルのオーディオはAAC4800kHzで出ているようだ。新鮮度が足りないのは16Bitだから仕方がないのかもしれない。

やはり画像が良く、真剣に見ていると今度はWifiで出しているために音声と画像がずれるのが気になって来る。これはプレーヤーで同調を調整するが限界を超えているので中々完璧には音を先に進めるのは難しい。クロームキャストオーディオ再生の限界である。

そして現代の映画ファンがするように細かなところまでを繰り返し確かめたりできるのがHDの解像度のお陰である。そもそも舞台ではTV的なアップなどでは誰も見ていないのだが、演出のカステルッチが語っていることが、カメラでこそ捉えられていることもある。

例えば自身の眼を鏡の反射など無しには観察できないというようなやや哲学的な観想にあるように、舞台ではオペラ歌手でも役者として演じているのをズームしたカメラが捉えている。要するにこのヴァージョンは殆んど音楽劇場Videoになっていて、中継放送の枠を超えている。

例えばアップなどが続くと舞台の枠組みが分からなくなったり、オーケストラピット内が映されたりすると今度は全く別な映像になってしまう。そのあたりのカメラカットの使い方が中々凝っているのだ。それ故に舞台作品としての演出についての印象とはまた異なってくるところもあり、他の二種類の違う角度からのカットを異なる動画で改めて確かめてみなければいけない。

こうした完成度の高いヴィデオ制作を、我々は聴視料を払っているとしても、無料でダウンロードできることはやはり素晴らしいと思う。なるほどオンディマンドでDLする時、自分のPCで鑑賞するのと同じことで、一定のDL速度に上限が決まっているということである。だからDLとオンライン試聴の相違は、その伝送速度に関わりなく時間を掛けて高品質で落とせるかどうかで、視聴中に固まったりして不愉快なことが無く後でゆっくり楽しめることだ。

そうしたダウンローダーを昔は使っていたが今はフィアーフォックスをDL専用に使っている。クロームでもダウンロードヘルパーのAddOnを使えば同じなのだが、こちらの方が視覚的にも大変使い易い。都合Win8に三種類のブラウザーを使っている。メインはオペラを使っているのだが、先日プロキシが用意されていて使い易いと知って試して見ると、そこに組み込まれているのはドイツやオランダ、カナダ以や米国以外ではシンガポールしかなかった。なるほど日本の人はドイツ経由にしてこれが使い易いのだろうが、こちらからシンガポールや米国のものを経由してもメディア産業が強い国だけにあまり役に立たない。同時にスパイソフト疑惑が噂されているが、少なくともAddブロックを使って、それのブロックなどは使わない方が良いのかもしれない。

ソニーなどが幾ら立法府に圧力を掛けてコピーなどの利用に制限をつけても、コピー防止の方策を練っても無意味である。私は立場上も決して以前勃興した海賊党の支持者でもないが、こうした公共放送局が限られた予算の中から撮影したものを少々弄って製品化して売り込もうとしても最早無理である。そうした殆んど汗を掻かないメディアと言うだけの従来のビジネスモデルは成立しない。市場も無く、金も無く、自主制作も出来ないようなメディアが何をか謂わんかである。

そのように上のオンディマンドのヴィデオは十二分に芸術的な制作になっている。必要ならばハイレゾリューションの音声を合わせて、各々の言語のテロップを入れて、自分でブルーレイ―化すれば今市場に出ているこの種のオペラヴィデオと比較して推薦ものでしかない。これ程の完成度の製品はそれほど出ていないと思われる。



参照:
芸術的に配慮したarte新動画 2017-08-03 | マスメディア批評
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
膿が出来らない限りは 2013-05-17 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャッシュレス生活の奨め

2017-08-04 | 歴史・時事
経済欄を見ると面白い比較表が出ていた。各国のキャッシュレス化の度合いが国際比較されている。レスといってもこの場合は現金払いの割合だ。想定通りアングロサクソンのポンドなどは上位で3.42%、その次のトルコのリラ4.85%、アメリカンダラー8.37%などが続く。トップはスェーデンクローネで1.24%ということは殆んど現金を見ないということだろうか?ユーロよりもスイスフランが10.17%と下回っているのは意外だった。円は21.94%である。

大体予想通りだが、スカンディナヴィアのキャッシュレスは知らなかったが、乞食が生計のための印刷物を売るのにクレディットカード払いを受け付けているという。機械は教会が提供していて、乞食に恵むのもカード支払いらしい。個人的には英国のそれが印象に残っていて、スーパーでも現金を使う人が殆んどいなかった。今は自分自身もスーパーではクレディットを使用しているが、昔は態々サインしてまでと思ったものだ。

実際にここに住むようになってからも最初はデビットカードを使ったり現金だったりしたのだが、今通うスーパーが全く問題無しにクレディットを受け付けるのを知ってから、クレディット化した。あとは外食の安物の店では現金優先なので仕方ないが、高級店になるとクレディットも多く受け付ける。そもそも外食が減ったから現金も要らない。そしてなによりもネットショッピングが中心となると、最早現金は要らない。ざっと月のネットショッピングを150ユーロ。スーパーで100ユーロ、給油150ユーロ等々に対して、現金月100ユーロぐらいとなるので、これだけでも25%で、その他の仕事関連を入れると、ユーロの比率10.34%を下回るだろう。しかし肝心のワイン購入では、最大手醸造所でしかクレディットを受け付けない。それでも周りの様子から見ると現金を使わない方なので、ドイツよりも他所のEU諸国の方がカードを使う割合が多いのかもしれない。実際、フランスのスーパーで現金払いをする人は少ない。

連邦共和国もキャッシュレス化を推し進めて、高額購入は現金払いを認めない方向にある。マネーロンダリングや課税できない現金の流れを抑えるためであるが、カードの支払い上限を上げようと思うとそれなりに面倒で不正使用の危険性もある。不正防止のために様々な方法があるが、不便になればこれまた誰もカードを使わない。

新調した歯ブラシを何度か使った。最初はビギナープログラムがついていてそれが流れている筈だが、四サイクル全部で二分が短く感じる。だから余分に奥歯などに充てる。振動が少なく音も軽やかで軽量なので押しつけがましさが無い。PCモニターを覗きながらでも磨けるのが嬉しい。腕も細身なのでおかしな涎が出にくい。 

歯ブラシも真新しく使い始めなので綺麗に磨けるのは当然かもしれないが、様々な面で使い易く感じるのが良い。形状も以前のものとは異なり、ヴァイブレーションも悪くはない。面白いのは、フィリップスとブラウンの対抗関係で、髭剃りは回転刃を使う前者だが、歯磨きでは後者がブラシを回転させる。ブラウンは今やジレットの子会社であるがこの分野では歯ブラシメーカーが今は販売しているようで、替えブラシはフィリップスのものより安い。フィリップスも中華製となっているが世界中に儲けの出る市場があるようで白物のようには未だに売却していない様だ。一方ブラウンの方はオーラ―ルBと歯ブラシメーカーの商品になっている。



参照:
脱資本主義社会への加速 2016-02-15 | 文学・思想
とっかえ、ひっかえ 2017-08-02 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術的に配慮したarte新動画

2017-08-03 | マスメディア批評
久方ぶりに夜更かしした。arteにカステルッチ演出「タンホイザー」がアップされているというのを知ったので、ダウンロードしに行った。7月9日の公演に限っても、劇場のストリーミング約13GB並びにarteの生放送直後にDLしたものの二種類の映像を保存してあり、更に音声は生で24Bit4800kHz約3GBで録音してあるので、先ずは障りを観てみる。直ぐにカットも異なりカメラアングルも未知の部分が続々出てきた。

今回の演出は乳房丸出しなので、arteは、半分は仏国営でカトリック圏のTV放送がそうであるように殆んど裸体自主規制は無いが、それでもZDFが半分であることを考えるとやはり配慮されるものと想定していた ― だから出来ることならば劇場の生放送を鑑賞したかったのだ。それでも生放送分に関しては殆んど配慮は感じられなかったのだが、こうしてアップロードするまでに時間が掛かったのは「芸術的な配慮」によるものと思われる。

実際に序曲からの「乳房祭り」部分では必要最小限にピット内の指揮ぶりと演奏風景が映されて綺麗にカメラのカットが差し入れられる。arteのディレクターは同じ人であるが、まさしく「芸術的配慮」が施されていて、このカメラ扱いならば劇場でいらいらした乳房とその間の無駄な間隙が無くなって音楽に集中できる。その一方序曲部分だけを観てもバレリーナの脇腹の黒子が分かるなどとんでもないHDになっている ― ただし音声の質は悪く、到底生放送時のそれとは比較できない。画質に比較してここまで音質を落としている理由は分からない。

兎に角、オンデマンドからダウンロードするが最初にドイツ語字幕版をクリックしてしまったので、それから映像だけのものと二回続けてダウンロードした。TV局のものなので安定はしているがとても速度は遅く、3.47GBを三時間づつほど掛かった。プロクシを使わないでも海外から落とせるのではないだろうか ― いずれにしてもダウンロードはストリーミングと異なって時間を掛けて後でゆっくりと鑑賞できる。月末まで置いてあるので時間を掛ければいずれにしても観れるだろう。このタンホイザーは、特に演出を更に詳しく観て行く。

高画質TV放送として、arteでは昨年の「サウスポール」世界初演があり、ARDで五月に再放送された「影の無い女」も永久保存版の記録であるが、今回の映像も素晴らしい。こうした非コマーシャルな映像記録制作が可能ならば、バイロイト音楽祭でカストルフ演出「指輪」の中継を認めつつ製品化を拒絶したキリル・ペトレンコの真意は明白だろう ― 要するに本当のイヴェントには公の資材が投入さる。なるほどバイエルン放送協会の予算を計上して準備していた訳であるが、恐らくユニヴァーサルとバイロイト音楽祭の契約に縛られたのだろう。

バイロイト音楽祭と言えば ― パンクラトーヴァや、ツェッペンフェルト、グールドの歌唱の評判が良いが ―、先日の「トリスタン」での遅速で始まり急加速の演奏などについて伝えられている初代音楽監督ティーレマンのことが、フィリップ・ジョルダンがヴィーンの歌劇場の音楽監督に決まったことを伝える記事で言及されていた。それによると、クリスチャン・ティーレマンは、そのヴィーンのポストを狙っていたということらしい。そして数週間前にドレスデンのシュターツカペレの音楽監督の契約延長が発表された際に、「これで、全く問題は無くなった。」とそれを暗示していたというのである。つまりその時点で再びティーレマン就任は消えていたということだろう。なるほどその才は二人とも似たり寄ったりで、そのオペラにおける実力も経験程に差はないと思われるが、マネージャーとしてはジョルダンの方が優れているのかもしれない。そしてなによりもソニーが映像を中心として売り込むにはティーレマンでは困ったのだろう。

ペトレンコ指揮の記録といえば、この間先日のバート・キッシンゲンの二曲も良かった。ラロの交響曲を再び録音してレーピンの音に気が付いた。嘗ては子供のような軽い感じだったがとても良い音を奏でていると感じた。調べてみるとガルネリのデルジェスだったようだ。一曲目も含めて更に良い音で聞き返すと、既に放送交響楽団はヤンソンスが振っていたので仕方がなかったかもしれないが、バイエルン放送協会内ではペトレンコとの関係で今でも複雑な心理があるのではなかろうかと感じさせる。

その他、2003年2月12日にバロセロナでの公演からのセクエンツがあった。ペトレンコ指揮の「ピケダーメ」はヴィーンでの小澤に代わって指揮した放送録音があるようだが、これはそれ以前の指揮者31歳の時の演奏で私が知る限り最も古い録音録画の一つである。その秋からコーミッシェオパーの指揮者になっている。質の悪い映像ではあまり変わらないようで、音楽だけ聞いていてもまた歌手の視線などを見ていても今と変わらぬ厳しい指揮をしているのは間違いない。
PIKOVAIA DAMA de Piotr I. Txaikovski (2002-03)

Escolania de Montserrat : P. I. Tchaikovsky - Pikovaya Dama


参照:
延々と続く乳房祭り 2017-07-10 | 文化一般
「笛を吹けども踊らず」 2017-07-29 | 文化一般
39.99ユーロという額 2017-07-30 | 生活
感動したメーデーの女の影 2017-05-03 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする