デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ドラクロワ「天使とヤコブの闘い」(1856~61年)パリ、サン・シュルピス聖堂


旧約聖書の「創世記」にヤコブが兄エサウと和解する前の出来事として、次のようなものがある。
ヤコブが夜、ヤボクの渡しで自分の家族や従者・持ち物を渡らせて一人残り、「彼(もしくは、ある男)」と闘った(レスリングもしくは力競べのたぐい)。その際、ヤコブは股関節を外されたが、夜が明けようとするころ「彼」から「放してくれ」と言われ、ヤコブは「祝福を与えてくれるなら放す」と言う。ヤコブは祝福を受けて「彼」から、お前の名はもはやヤコブではなくイスラエルと呼ばれることになるであろうことを告げられる。股関節を外されたヤコブは、それからというもの腿を引きずって歩くのだった。

「民衆を導く自由の女神」などで有名なドラクロワによる創作活動の最後の輝きを示すこの作品は、ずっと見たかった作品ではあったが、聖書にあるエピソードそのものについてはやっぱり神秘的というか不気味、それを通り越して違和感を覚える印象を個人的に抱いていた。
なぜそんな印象を抱くに至ったかは、エピソードが短い分量ゆえ行間を想像せざるをえないことと、レンブラントの絵で同じ場面をテーマにした作品のインパクトのせいだと思う(笑)。


レンブラント「天使と闘うヤコブ」(1659頃)ベルリン、ゲメルデギャラリー


私個人の感覚ではレンブラントの画面の色合いがなにか不安にさせ、天使の表情が穏やかで友好的というよりちょっと怖く、また曲がりなりにも神でしょ?と違和感を抱いたのである。ちなみに西洋絵画の多くが「彼」を天使の姿で描いているようである。
後々、トーマス・マンの『ヨゼフとその兄弟たち』で、ヤボクの渡しの場面の「彼」が与えたイスラエルという名前について、決して「彼」が発明したものでなく「彼」が属していた掠奪を事とする好戦的な砂漠の一種族が自分たちのことをイスラエル〔神の戦士〕と称していたという脱線のくだりを読んで、ありえそうな話だなと思えたとき、神話というものが現実に起こった事実をもとにして誕生することに改めて気づかされたのだった。
その点、このドラクロワの描いた「天使とヤコブの闘い」では、天使がまるで群盗のなかの一人であってもおかしくない風に私は感じ、トーマス・マンに先んじて、マンのいうことを非常に上手く視覚的に表現できているように、現地では思ったものだった。家族や持ち物を狙う輩を渡しの前でヤコブが発見、長い時間取っ組み合いになった図、その間家族や従者たちはそのことに気づかず、精一杯、一人しんがりで「彼」を食い止める族長…。くりかえすが、描かれているのが天使でなければという条件がついたうえでの想像だが(笑)。
ドラクロワがヤボクの渡しの場面について残している言葉から彼の画家人生をヤコブに象徴させる見方も分からなくは無い。しかし、理由はどうあれ天使とヤコブが闘う姿が画面の左そこそこの大きさ程度で収まってくれているところに、絵の二人はヤボクの渡しのエピソード全体のなかの一アクションを表現しているに過ぎないと、捉えてもいいように思ったのである。それは縦7メートル、横4メートル以上もあるこの絵の大きさでもって成しえれる、引いた位置から見た物語の実際のところの表現といえばよいか。
絵が飾られているサン・シュルピス聖堂サン・ザンジェ礼拝堂は工事中で、西に沈みかけた日の光が作業場の鉄骨を照らし出し、その影が絵にかぶさっていたのはちょっと残念だったが、私は聖堂が閉まる少し前まで聖堂内と絵の前を行ったり来たりした。繰り返し見ているうちに天使が人間とあまり変わらない、普通の(人間の)輩のように思えてきた。
少しして、0.5ユーロのお布施をした。聖堂の祭壇に捧げるロウソクの火を、管理人の男性が吹き消して回っているのが目に入ってきた。聖堂が閉まる時間が近づいているのだと思った。



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