デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



マウリッツハイス美術館展にて

先月のことだが、マウリッツハイス美術館展エル・グレコ展を一日の間にはしごしてきた。
マウリッツハイス美術館展は、オランダの方で大規模な改修工事が行なわれるゆえ、美術館の主要作品が来ているそうなのだが、たしかにかなりの有名作品が来ていた。私個人は「デルフト風景」が来てほしかったが(笑)。
有名作品が多いゆえか来館者も多く、全体的にゆっくり見れなかったのは、毎度の事ながらやっぱり出かけたかいが無いように思えてしまう。
しかしフランス・ハルス「笑う少年」を間近で見れたのはよかった。この人の作品は荒いタッチでのびのびした豊かな表情を描くのが本当に上手いところに特徴がある。荒いタッチで大胆に描くのは絵を描くときのリスクが大きく、一瞬にして描きなおさねばならないことがわかってしまうほど危険なことなのだが、荒いタッチでバシッとキマっている作品というのは絵の中の人物が生き生きとする作品であるように思うのだ。ある意味、名画であるための条件の一つ、画家の技量およびセンスのバロメータといっていいかもしれないとも思う。画面を構成しているものすべてを、むちゃくちゃ細密に描いている絵も確かにすごいのだが、硬さとぎこちなさがどこか目に付いてしまう。


エル・グレコ展を後にする

「良き比例を備えた美しい人物像とは、立っている場合と馬に乗っている場合とでは同じではない……。というのも、馬に乗っている時には、彼は我々の視点よりも高い位置にいるからである……。その時はどうしても人物の比例を変更することが必要である。」(エル・グレコ)

「もし女性の(背の高さから比例の)一部分を取り除いてしまったら、その美しさなど跡かたもなくなってしまうであろう。また、彼女たちが高い靴をはくことによって得たいと願っている効果(つまり背を高く見せること)も、よく理解できる。」(エル・グレコ)


エル・グレコ展の方は、開館時間を延長している曜日であり、またTVで特集番組を見て行ったこともあったので非常に楽しかった。
展の見せ方もまたよかった。グレコが自分の作風について確固たる信念を持っていたことを示すグレコ自身の言葉も紹介されていたが、画家という職業が身分的に決して高くない時代にそこまで自己を主張しつづけて、大丈夫だったんだろうかと思えるほどであった(笑)。自分の絵に対する支払いをめぐって、何度も訴訟を起こしていることも、それを物語っているように思う。
印象に残った作品は「芸術家の自画像」「聖母を描く聖ルカ」「修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像」「聖ヒエロニムス」「悔悛するマグダラのマリア」「受胎告知」「無原罪のお宿り」などたくさんあったが、これまで神秘主義に走ったことで人物の体が引き伸ばされた画風になったとされてきたことが、近年発見されたグレコ本人の言葉から教会内で飾る位置を考慮し、鑑賞者が見上げたときに最も絵の人物を美しく見せるための計算の結果、あのような画風になったことを踏まえて見ると、俄然楽しい鑑賞になった。

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