デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ユベール・ロベール「ポン・デュ・ガール」(1787)、ルーヴル美術館蔵



ヴィジェ=ルブラン「ユベール・ロベールの肖像」(1788)、ルーヴル美術館蔵

ポン・デュ・ガールについては、古代ローマのインフラのすごさと美しさを見に行くという目的以外にも、ロココ期に描かれたルーヴル美術館蔵のユベール・ロベール作「ポン・デュ・ガール」(1787)のモデルでもあることから、実物の遺跡見学を楽しみにしていた、というところがあった。
旅先で絵画に描かれた場所を訪ね、その場所から絵を再現するような風景を見たり写真に収めたりするような観光というか行為は、正直ナンセンスであると思うこともある。そんなことをしても絵の中に入れるわけでなし、絵とまったく同じような風景や光景が存在するわけでなし、そもそもロベールの絵に描かれたポン・デュ・ガールは、ナポレオン三世が修復するよう命令を出す前の姿を留めてるので、決して今の姿ではない。
しかし私は、短い時間中に冒頭の絵と同じような写真が撮れるかどうかのチャレンジしてしまうのであった(笑)。









たぶん、ロベールは午後の太陽の光が橋を照らす方向から橋を描いたと思う。川の形や岩の位置からしても、この方角からだろう。
でも私はやっぱり素人であった。絵にある橋の角度を意識するあまり、手前の人物が立っている川岸の岩のことに思い至らなかったのだ。絵の橋はもう少し遠いところから橋の全体を捉えているから、まだまだ離れた位置それも対岸でロベールは絵を描いたであろうと思う。できるなら事前によく構図を見ておいて行ける地点か判明させて、それが無理なら時間をかけて自らの足で見つけたいところだったが、時間的の余裕の無い旅行というのは、探索の意欲を自ら断念せねばならなくなるからつらい(笑)。
その点、帰国後にネット上で検索して出てきたこちらこちらこちらなどの画像は、絵の構図的にはかなり近いのでは、と思えるし、正直これらの写真を撮った人たちをうらやましく思う。ただ、ここからだと橋が正面過ぎてしまい、絵のように橋は見えない。それに絵の橋の右端と接する岩壁の感じは午前に陽のあたる方向の岩壁の感じじゃないかとも思えてしまう…。
結局のところ、絵の構図とぴったり合う場所はあっても、絵が風景の見た目どおり描かれているとは限らないのは当たり前だし、それでなお絵に見入ってしまうところに絵画の面白いところがあるのである。最も美しく見えるよう絵としてバシッときまったものになるよう構図に多少の変更を加えたり、特定の位置からでは絶対に見ることのできないものを描きこんだり、生い茂った木々を絵ではカットしたり(ロベールが見たときはそもそもなかったのかもしれない(笑))、岩の形を変えたり(単に現在では形が変わっているだけかも)、そこにはいなかった可能性の高い俗的な人物を加えたり、"廃墟のロベール"の特徴が絵画の「ポン・デュ・ガール」でもいかんなく発揮されているという結論に私の中では収まる。
なにはともあれ、昔の有名画家の絵は昔の有名画家の貴重な絵であり、訪れる人々の撮る写真はその人々個々人の貴重な写真なのだ。カメラをお手軽な価格で手にし旅行先に持ってこれる現代では、誰でも自分だけの美しい風景像、ポン・デュ・ガールの像を形に残せるのである。自分でこんなことを書いて手前味噌なところもあるが、短い時間であっても現地でいろいろなところから橋の姿を撮っておいてよかったと思える画像がいくつかあり、それは何物にも換えがたいものだと思う。


見上げると本当に大きく感じる


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