デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ダヴィッド「ブルートゥスの家に息子たちの遺体を運ぶ警士たち」(1789)


旧約聖書・新約聖書に「ユダ」と称する人物が複数人いるように、古代ローマでも「ブルートゥス」と称する人物が複数人いる。
この絵のタイトルの「ブルートゥス」は有名なカエサル暗殺の首謀者・協力者のブルートゥスではなくて、それよりも500年前の(初代)執政官ルキウス・ユニウス・ブルートゥスである。
古代ローマは共和政の前に王政を経験しているが、王政の時代タルクィニウス王という人物がいた。ブルートゥスはタルクィニウス王の甥にあたるが、国王の息子セクストゥスが、既婚女性であったルクレティア(ルキウス・ブルートゥスの近親者)を強姦し彼女が自害したスキャンダルをきっかけに決起、ブルートゥスは国王を追放した。
ルキウス・ブルートゥスは王政をやめて王にあたる役職として執政官を設置した。執政官の定員は二人で任期を一年と定めた。彼はローマの共和政を樹立した人物なのである。
王政から共和政になったものの、元老院や有力者のなかには王政復古を望む声はやはり残っていて、追放されたタルクィニウス王を復帰させるために亡命した王に内通する陰謀が計られるが、陰謀はブルートゥスの知るところとなる。
陰謀が明るみに出ると、それに加担した人物たちの中にブルートゥスの息子二人もいることが発覚するのだった。ブルートゥスは息子たちに三度問いただし、三度とも無言で通した息子たちを警士に引き渡した。周囲には彼らが親子ゆえ息子らを「追放」で済むようにとりなしを願った者もいたというが、ブルートゥスは息子であっても容赦することなく断固として法に従い彼らを死刑に処した。樹立した共和政を護りぬくための辛い決断であった。

これまでに書いた内容から、ダヴィッドの描いた場面が何を意味するのか分かる。左下に描かれたのは悲しみに沈むもののすべてを知っている執政官ブルートゥスであり、警士らが運び込んできた息子の遺体を何も知らずに目にし驚き悲しむのが右半分に描かれている家族の者、という場面なのである。
構図的にはフランスの古典主義者だったニコラ・プッサンの絵を勉強したダヴィッドゆえか、私にはとても演劇的に見えた。加えて、革命後の新古典派の総帥としての地位を高めていったダヴィッドの絵は英雄主義的な面が押し出されているけれども、それって情感に訴えるもの、感傷を覚えさせるものを見ている側に与えると思うのだ。右に描かれた家族の方は瞬時に起こる反応だけれども、ブルートゥスは陰謀の証拠の手紙(密書?)を握り締めて、板ばさみになった激昂の感情を堪えているのだ。私は彼があえて影のなかに身をおいて、自分の視点の定まらぬ表情を他の者に悟られまいとしているように思う。
絵はルーヴル美術館の「后ジョゼフィーヌ戴冠」のあるフロアの同じ部屋にあるのだが、他の人気・有名作品とは異なり、混み合わず人だかりができていないので、ゆっくり見れた。
帰国後に知ったのだが、絵は1789年の革命勃発直前に描かれた。サロンに出品されたときには既に革命が始まっていて、共和政賛美の作品として熱狂的に迎えられたのだという。まさに時代の趨勢に乗った作品であった。



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