デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



レンブラント「イサクとリベカに扮した夫婦の肖像」(1663-1665年頃)


ゴッホがその前に座り込んでしまい、「これは私の心からの気持だが、食事はパン一切れだけでいいから二週間この絵の前に坐り続けていられるものなら、私は自分の寿命が十年縮んでもいい。」と友人に語ったというレンブラントの絵画、通称「ユダヤの花嫁」(「イサクとリベカに扮した夫婦の肖像」)。
アムステルダム国立美術館所蔵のこの絵は通称「ユダヤの花嫁」で知られているが、これは19世紀末になってから、17世紀オランダ人と違う衣裳を着た男女の姿を、娘を嫁がせるユダヤ人の父と誤解されたことからきている。また「イサクとリベカに扮した夫婦の肖像」と紹介している本もあれば単に「イサクとリベカ」としている本もある。
イサクとリベカは、旧約聖書に出てくるヤコブとエサウの両親である。聖書に出てくる人物たちの享年や結婚の時の夫婦年齢差については、つっこみだすときりがないので控えるが、少なくともレンブラントの描くイサクの年の取りようは納得できるように思った。
しかしそういったことよりもこの絵のすばらしいところは夫婦が鑑賞者(画家の視線)を意識することなく、夫が妻の身体を気遣っている保護の状態を描いているところから感じられる愛情だろう。夫の右手は妻の左胸部を支え、妻の方も夫の保護の身振りに手を沿わせて応じている。また互いに見つめあわずとも、身を寄せ合っているポーズも、言葉による会話でなく、動作でもって二人は通じ合っていることを印象づけているように思った。
解説本の表現を借りれば「はっきりした輪郭線や明確な肉付けを欠いた曖昧な目鼻立ちの描写が深い人間味を与えている.顔に用いられた,絵の具層の重なりや縁を揃えぬ筆触がゆらめくような効果を生み出しつつ、表情描写の可能性の豊かさを教えてくれる.」(マリエット・ヴェステルマン著/高橋達史訳『レンブラント』(岩波書店))とあるのだが、これは19世紀後半の近代絵画の特徴であるように思う。顔だけを見るとマネの初期の肖像画のように見えないこともない?(笑)。
夫妻の顔の部分の絵の具層はそこまで気づかなかったが、この「イサクとリベカに扮した夫婦の肖像」で、厚いなぁと思ったのは夫の右袖の部分の色使い(加えて光の当て方)と絵の具の層だった。



妻が赤い衣服を着ているのにもかかわらず、夫の右腕のこの立体感である。妻を護ろうとする夫の腕が頼りがいがあるように見えるのは、この絵具の厚みによるものじゃないかな、と思った。これによって夫妻の体が画面の奥に位置して見えるし、画面全体の三次元効果を演出しているのは間違いないだろう。
ゴッホがこの絵の前に座り込んで目にしたものにこの絵具の層もあったろう。ゴッホが受けた影響は絵の美しさだけではなかったのかもしれないと、にわか学習ながら絵をいろんな角度から見て思ったものだった。



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