私だけではなくて、おそらく誰もが尊敬した先生は、高校のときの古文のO先生である。
O先生は50過ぎで威厳があり、とにかく怖かったが、生徒からは強い信頼が寄せられ人気が高い先生だった。
入学したばかりの時は、ただ怖い先生としか思えないものが、授業を受け続けるうちに、じわじわと先生の人間性を感じて、その厳しさの味がたまらないものになっていくのである。
高校1年になったとき、私には全然授業の予習復習をするという習慣がなかった。そして、予習をしてこいといわれても、暗記してこいといわれても、今までの先生は言うだけだったから、実際しなかったからといって、どうなるものでもなかった。
ところが、O先生の場合、しないと大変なことになることがわかった。
あるとき、枕草子かなんかを暗記してこいという宿題がでていたが、例によって暗記が大嫌いな私は覚えていかなかった。
O先生は「じゃあ、○○、暗記してきたところを暗唱してみい」と言って、生徒に当てていった。
当たらなければいいがとひやひやしていると、「他のものも暗記してきたな。してこなかったものはおらんだろうな。
もししてこなかったものがいるなら手を上げてみい」と言う。
しかたなく手を上げると、「今、手を上げたものは、机の上に正座せよ」と言われた。
手を上げたのは数人いたが、その中で女子は私ひとり、本当だろうか?かなり恥ずかしいが、しかたなく机の上に座った。
机の上に正座する姿というのは、まったく変だった。
机は人間が上に正座するようにはできていない。座ってみると高さはかなり高くなり、ものすごく目立ち、後ろの席の人には申し訳ないと思う。
まったく、恥かしい。
「そのものは授業が終わるまでそうしておれ」
そして、また次々に当てていく。
当てられた人の中には途中でわからなくなるものもいたが、嘘をついているものはいないらしく、みな教科書の文をちゃんと暗唱してきていた。
この先生には「O(先生の姓)文法」というのがあり、生徒にノートを書き取らせると、それもすべて暗記させた。
「○○、係り結びの法則を言ってみい」
「はい、文中にぞ、なむ、や、か、こそ、があった場合、ぞ、なむ、や、か、は連体形で結び、こそは已然形で結ぶ」
「よろしい」
「○○、上一段活用の語を言ってみい」
「はい、居る、射る、鋳る、見る、似る、煮る、着る、干る・・・」という具合だ。
古文を現代語訳にすると、なぜそうなるのか説明させる。
現代訳だけ、どこかから写してきても通用しない。
すべて「O文法に照らし合わせて解明させなければいけなかった。
暗記はきつかったが、それを覚えてしまうと不思議に古文を訳すことが難しくなくなってきた。
最初に恥ずかしい思いをしたので、その後は私もしっかり暗記をするようにした。
クラスの誰もが緊張していて、ちゃんと先生の指示どおりに勉強をしてきた。
竹取物語や百人一首も覚えた。
そのほかに、O先生が偉いなと思ったのは、授業を絶対に自習などにしないことだった。そのころの中年以下の先生たちは日教組の先生が多く、ストライキなどをしていて、大部分の授業が自習になったりしたことがあり、生徒も喜んだものだが、O先生だけはいつもどおりに授業をされた。生徒のことを思い、生徒を第一にする先生だと感じた。
1年のときにこの先生に教わったおかげで古文の基礎ができたらしく、2年になって違う先生になっても困らなかった。1年のときにO先生に教わらなかったクラスの人たちは古文はわけがわからないと言っていた。3年になったとき、またO先生になったが、I年のときほど怖くは感じなかった。
私は入学早々宿題をやらないで、机の上に座るような問題児だったから、先生からいい評価は受けないと思ったのだが、3年のときの古文の成績は10段階の9だった。
先生のことは教わったすべての生徒が尊敬していると思う。
残念ながら先生はもう亡くなられたという噂を聞いた。
ご冥福を祈るとともに、先生にきびしく指導していただけたことを改めて感謝したい。
O先生は50過ぎで威厳があり、とにかく怖かったが、生徒からは強い信頼が寄せられ人気が高い先生だった。
入学したばかりの時は、ただ怖い先生としか思えないものが、授業を受け続けるうちに、じわじわと先生の人間性を感じて、その厳しさの味がたまらないものになっていくのである。
高校1年になったとき、私には全然授業の予習復習をするという習慣がなかった。そして、予習をしてこいといわれても、暗記してこいといわれても、今までの先生は言うだけだったから、実際しなかったからといって、どうなるものでもなかった。
ところが、O先生の場合、しないと大変なことになることがわかった。
あるとき、枕草子かなんかを暗記してこいという宿題がでていたが、例によって暗記が大嫌いな私は覚えていかなかった。
O先生は「じゃあ、○○、暗記してきたところを暗唱してみい」と言って、生徒に当てていった。
当たらなければいいがとひやひやしていると、「他のものも暗記してきたな。してこなかったものはおらんだろうな。
もししてこなかったものがいるなら手を上げてみい」と言う。
しかたなく手を上げると、「今、手を上げたものは、机の上に正座せよ」と言われた。
手を上げたのは数人いたが、その中で女子は私ひとり、本当だろうか?かなり恥ずかしいが、しかたなく机の上に座った。
机の上に正座する姿というのは、まったく変だった。
机は人間が上に正座するようにはできていない。座ってみると高さはかなり高くなり、ものすごく目立ち、後ろの席の人には申し訳ないと思う。
まったく、恥かしい。
「そのものは授業が終わるまでそうしておれ」
そして、また次々に当てていく。
当てられた人の中には途中でわからなくなるものもいたが、嘘をついているものはいないらしく、みな教科書の文をちゃんと暗唱してきていた。
この先生には「O(先生の姓)文法」というのがあり、生徒にノートを書き取らせると、それもすべて暗記させた。
「○○、係り結びの法則を言ってみい」
「はい、文中にぞ、なむ、や、か、こそ、があった場合、ぞ、なむ、や、か、は連体形で結び、こそは已然形で結ぶ」
「よろしい」
「○○、上一段活用の語を言ってみい」
「はい、居る、射る、鋳る、見る、似る、煮る、着る、干る・・・」という具合だ。
古文を現代語訳にすると、なぜそうなるのか説明させる。
現代訳だけ、どこかから写してきても通用しない。
すべて「O文法に照らし合わせて解明させなければいけなかった。
暗記はきつかったが、それを覚えてしまうと不思議に古文を訳すことが難しくなくなってきた。
最初に恥ずかしい思いをしたので、その後は私もしっかり暗記をするようにした。
クラスの誰もが緊張していて、ちゃんと先生の指示どおりに勉強をしてきた。
竹取物語や百人一首も覚えた。
そのほかに、O先生が偉いなと思ったのは、授業を絶対に自習などにしないことだった。そのころの中年以下の先生たちは日教組の先生が多く、ストライキなどをしていて、大部分の授業が自習になったりしたことがあり、生徒も喜んだものだが、O先生だけはいつもどおりに授業をされた。生徒のことを思い、生徒を第一にする先生だと感じた。
1年のときにこの先生に教わったおかげで古文の基礎ができたらしく、2年になって違う先生になっても困らなかった。1年のときにO先生に教わらなかったクラスの人たちは古文はわけがわからないと言っていた。3年になったとき、またO先生になったが、I年のときほど怖くは感じなかった。
私は入学早々宿題をやらないで、机の上に座るような問題児だったから、先生からいい評価は受けないと思ったのだが、3年のときの古文の成績は10段階の9だった。
先生のことは教わったすべての生徒が尊敬していると思う。
残念ながら先生はもう亡くなられたという噂を聞いた。
ご冥福を祈るとともに、先生にきびしく指導していただけたことを改めて感謝したい。