昨日、夫の叔母から電話が来て、聖教新聞を1か月だけとってくれないかという依頼があった。この叔母は3月に亡くなった義母の妹であり、声が義母にとてもよく似ている。なんだか義母と話しているようであり、また、義母と血のつながっている妹だと思うと、ついつい快く了承してしまった。
我が家は夫の親戚とは、夫の父方の本家以外にはほとんど付き合いがない。
義母には何人も兄弟姉妹がいるが、その中で、話したことがあるのが、義母の兄と、この妹で、この二人は創価学会員なのだった。
それで、創価学会のことを勧めるときや、選挙で公明党を勧めるために、電話をくれたり訪問してきたりするのを習慣にしていた。兄のほうは数年前に亡くなった。
我が家は創価学会のようなものは好きではないし、かかわりたくもないので、宗教や選挙のことを目的に、近づいて来られるのは迷惑である。
しかし、それをきっかけに世間話をしたりして、やり取りがあったため、他の親戚よりも親しみを持つような人間関係ができたのは事実だ。
聖教新聞なんか読むはずもないのだが、これも親戚の義理だと思って承諾した。
ところで、よく考えてみると、夫の母は創価学会が大嫌いなのであった。若いときに無理やり入会させられ、退会したかったがさせてもらえず、ご本尊さんと言われる巻物の処分に困って、故郷の川に流したとかいう話を聞いたことがある。そんなことをしたから後に病気になったなどとも言われたらしいが、そんなことは信じていない。
だから、宗教をしている叔母の意向を承諾するというのは、亡くなった義母の意思に一致するわけではないことに後で気がついたのであるが、まあ、私としてはそんなことででも親戚づきあいみたいなことをしようかなと思って了解した。
この叔母は体の具合が良くないので義母の老人ホームには一度も見舞いに来たことはなかったが、電話で元気かどうかといつも気にして聞いてくれる人だった。
また、唯一義母のホームに訪問してくれたのが、義母の兄であり、こちらは母の甥に当たる息子までも来てくれたそうだ。老人ホームで暮らす義母にとっては、動機は何であろうと、身内が訪問してくれるのは何よりも嬉しかったようである。伯父の奥さんも非常に礼を尽くす気持ちのいい人である。
というわけで、我が家は創価学会を信仰することはいやだが、その人々は嫌いではない。
高校時代の友人に創価学会の人がいて、やはり選挙となると連絡して来る。この友人も創価学会でもなければ、いまさら会うことも話す機会もないだろうが、それを機にやりとりがある。友人は看護婦をしていて、すごく前向きでパワーがある人だ。これは信仰の力かもしれないと思う。
近所にも創価学会の人がいて、子どもが同年齢であるため顔見知りであることから、選挙となるとやってきて、公明党を勧めながら、医療・教育・年金問題などについていろいろと話をしていく。この人はヘルパーの資格をとって働いており、やはり前向きで活力のある人である。世のなかを良くしようとしていることが感じられる。
創価学会以外にも宗教関係で立ち話などする知人が何人かいる。宗教自体には賛同できないが、結局宗教の勧誘などをきかっけに、人間のつながりをもち、お互いに人柄を理解し合ったりすることがあるというのが事実である。
我が家は夫の親戚とは、夫の父方の本家以外にはほとんど付き合いがない。
義母には何人も兄弟姉妹がいるが、その中で、話したことがあるのが、義母の兄と、この妹で、この二人は創価学会員なのだった。
それで、創価学会のことを勧めるときや、選挙で公明党を勧めるために、電話をくれたり訪問してきたりするのを習慣にしていた。兄のほうは数年前に亡くなった。
我が家は創価学会のようなものは好きではないし、かかわりたくもないので、宗教や選挙のことを目的に、近づいて来られるのは迷惑である。
しかし、それをきっかけに世間話をしたりして、やり取りがあったため、他の親戚よりも親しみを持つような人間関係ができたのは事実だ。
聖教新聞なんか読むはずもないのだが、これも親戚の義理だと思って承諾した。
ところで、よく考えてみると、夫の母は創価学会が大嫌いなのであった。若いときに無理やり入会させられ、退会したかったがさせてもらえず、ご本尊さんと言われる巻物の処分に困って、故郷の川に流したとかいう話を聞いたことがある。そんなことをしたから後に病気になったなどとも言われたらしいが、そんなことは信じていない。
だから、宗教をしている叔母の意向を承諾するというのは、亡くなった義母の意思に一致するわけではないことに後で気がついたのであるが、まあ、私としてはそんなことででも親戚づきあいみたいなことをしようかなと思って了解した。
この叔母は体の具合が良くないので義母の老人ホームには一度も見舞いに来たことはなかったが、電話で元気かどうかといつも気にして聞いてくれる人だった。
また、唯一義母のホームに訪問してくれたのが、義母の兄であり、こちらは母の甥に当たる息子までも来てくれたそうだ。老人ホームで暮らす義母にとっては、動機は何であろうと、身内が訪問してくれるのは何よりも嬉しかったようである。伯父の奥さんも非常に礼を尽くす気持ちのいい人である。
というわけで、我が家は創価学会を信仰することはいやだが、その人々は嫌いではない。
高校時代の友人に創価学会の人がいて、やはり選挙となると連絡して来る。この友人も創価学会でもなければ、いまさら会うことも話す機会もないだろうが、それを機にやりとりがある。友人は看護婦をしていて、すごく前向きでパワーがある人だ。これは信仰の力かもしれないと思う。
近所にも創価学会の人がいて、子どもが同年齢であるため顔見知りであることから、選挙となるとやってきて、公明党を勧めながら、医療・教育・年金問題などについていろいろと話をしていく。この人はヘルパーの資格をとって働いており、やはり前向きで活力のある人である。世のなかを良くしようとしていることが感じられる。
創価学会以外にも宗教関係で立ち話などする知人が何人かいる。宗教自体には賛同できないが、結局宗教の勧誘などをきかっけに、人間のつながりをもち、お互いに人柄を理解し合ったりすることがあるというのが事実である。