山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

宗教人との付き合い

2005-10-19 21:26:23 | 未分類過去
昨日、夫の叔母から電話が来て、聖教新聞を1か月だけとってくれないかという依頼があった。この叔母は3月に亡くなった義母の妹であり、声が義母にとてもよく似ている。なんだか義母と話しているようであり、また、義母と血のつながっている妹だと思うと、ついつい快く了承してしまった。

我が家は夫の親戚とは、夫の父方の本家以外にはほとんど付き合いがない。
義母には何人も兄弟姉妹がいるが、その中で、話したことがあるのが、義母の兄と、この妹で、この二人は創価学会員なのだった。
それで、創価学会のことを勧めるときや、選挙で公明党を勧めるために、電話をくれたり訪問してきたりするのを習慣にしていた。兄のほうは数年前に亡くなった。

我が家は創価学会のようなものは好きではないし、かかわりたくもないので、宗教や選挙のことを目的に、近づいて来られるのは迷惑である。
しかし、それをきっかけに世間話をしたりして、やり取りがあったため、他の親戚よりも親しみを持つような人間関係ができたのは事実だ。
聖教新聞なんか読むはずもないのだが、これも親戚の義理だと思って承諾した。

ところで、よく考えてみると、夫の母は創価学会が大嫌いなのであった。若いときに無理やり入会させられ、退会したかったがさせてもらえず、ご本尊さんと言われる巻物の処分に困って、故郷の川に流したとかいう話を聞いたことがある。そんなことをしたから後に病気になったなどとも言われたらしいが、そんなことは信じていない。

だから、宗教をしている叔母の意向を承諾するというのは、亡くなった義母の意思に一致するわけではないことに後で気がついたのであるが、まあ、私としてはそんなことででも親戚づきあいみたいなことをしようかなと思って了解した。

この叔母は体の具合が良くないので義母の老人ホームには一度も見舞いに来たことはなかったが、電話で元気かどうかといつも気にして聞いてくれる人だった。
また、唯一義母のホームに訪問してくれたのが、義母の兄であり、こちらは母の甥に当たる息子までも来てくれたそうだ。老人ホームで暮らす義母にとっては、動機は何であろうと、身内が訪問してくれるのは何よりも嬉しかったようである。伯父の奥さんも非常に礼を尽くす気持ちのいい人である。

というわけで、我が家は創価学会を信仰することはいやだが、その人々は嫌いではない。

高校時代の友人に創価学会の人がいて、やはり選挙となると連絡して来る。この友人も創価学会でもなければ、いまさら会うことも話す機会もないだろうが、それを機にやりとりがある。友人は看護婦をしていて、すごく前向きでパワーがある人だ。これは信仰の力かもしれないと思う。

近所にも創価学会の人がいて、子どもが同年齢であるため顔見知りであることから、選挙となるとやってきて、公明党を勧めながら、医療・教育・年金問題などについていろいろと話をしていく。この人はヘルパーの資格をとって働いており、やはり前向きで活力のある人である。世のなかを良くしようとしていることが感じられる。

創価学会以外にも宗教関係で立ち話などする知人が何人かいる。宗教自体には賛同できないが、結局宗教の勧誘などをきかっけに、人間のつながりをもち、お互いに人柄を理解し合ったりすることがあるというのが事実である。

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図書館通い

2005-10-19 00:01:08 | 未分類過去
今日も仕事の帰りに図書館に寄った。
図書館の雑誌コーナーというのは、どうして汚っぽいおじさんが多いのかなあと思う。若者もいるにはいるが、その人たちもなんとなく野暮ったくて不潔っぽいような感じの人が多い。平日の夕方の早い時間なので、ちょうど主婦が夕飯のしたくを始める時間帯で、婦人雑誌などを見ている女性はほとんどいない。男性でもバリバリに働いている人ではなく、退職した年配者か、失業者か、若ければニートみたいな人なのかなあなどと思ってしまう。体臭や息づかいなどが気になるような人も多くて、どうも居心地が悪い。
今日は本当にホームレスに間違いなしという人が、向かい側のソファーにやってきて、大きな紙袋をそばに置いて座ったかと思うと、急にズボンのすそを折ったり延ばしたりして身づくろいを始め、体を斜めにして寝そべるような格好をしてみたり、落ち着かないし臭ってきそうだし、いやになってしまった。

奥の一般図書のほうに行くことにした。こちらには女性もいて、みんな黙々と読書をしていた。棚から適当に本を選んだ。今日読んだのは「科学技術で日本を創る」尾身幸次著(東洋経済新報社)の初めのほうだけ。

2001年4月から始まった小泉内閣の方向性

・結果の平等ではなく機会の平等
・改良から創造へ、協調より競争
・学歴社会から能力社会へ
・安定志向からリスクライフへ
・硬直的な組織から柔軟で国際的に開かれた体制へ
・官から民へ

最初のほうだけ読んで、近年の日本の状況と政府の姿勢を改めて言葉にして再確認したと言う感じであるが、
現代の日本に必要なのは、個々の会社・団体および個人が、自立自助の精神をもって、力強くリスクに挑戦していかなければならないということだろう。
「甘えは通用しない、やる気のある人間が生き残る世の中だ」と思った。

自分に照らすと、学歴なんか個人の能力を証明するものではないが、学歴を得たいと思いながらそれを実践できないなら、実質勉強をする行動力もないということの証明だろう。
また、安穏として、公の庇護にある公営住宅に住んで、ぼやいているだけじゃ先はないなと思う。

企業の技術開発や経営戦略も方向性を変えたり、試行錯誤して新しい道を模索している。今までと同じやり方で同じことを繰り返していたのではいけない。
儲かることというのは、社会や人の役に立つことを通して、世間に活力をもたらすことに比例することが多いはずだ。

個人も同じこと。夫は年収300万時代を迎えてしまっているが、そんな中、我が家では、どのようにして家計を立て直していくかという課題がある。
やはり柔軟なアタマで対策を考えなければ!
リスクに挑戦する意志力がないというのが、我が家の欠点でもある。

ま、ぼんやりしてないで、なんでもいいから頑張ってみるしかない。
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