以前、9月15日のブログに義母の墓石を買わなくてはならないということを書きましたが、義母の一周忌を3月の初めにするとなると、それに間に合わせるには、今年中に田舎に行って、石材屋に石塔を注文しなければいけないということになります。
それで日程を考えていたのですが、どうしても12月の23日ころの連休までは予定が取れないのです。それで、もうクリスマスに墓石を見に行くしかないだろうと思っていました。
ところで、最近夫が言うには、「俺、墓石なんかどうでもいいと思っているんだ。買わなくたっていいんじゃないか?そんなもの買うよりも生きてる人間が使ったほうがいいんじゃないのかねえ。世間体も気にしないし、墓を建てないから運が向かないなんて、そういうふうには思わないんだよ。またいつ失業するかもわからないし、できるだけ現金を残しておいたほうがいいんじゃないか?」とのことです。
実は私も、ちょっと考えていました。私の実家の墓は跡取りがいない。うちの子供は女ばかり。それなら、今ある二つの墓はどうなるのだろうか?
少なくとも、いずれはひとつにしなければ、お寺に払うお金も大変です。寄付も何もかも2倍ということになります。そして、ひとつにするならば、墓石なんかあったらよけいな手間が増えるのではないでしょうか?
また、義母のためにと思えば買う気にもなりますが、夫や私がいずれは入る墓でもあると思うと、急にいやな気持ちになってきました。まだ、生きてるうちに手に入れたいものがたくさんあるに、死んだ後入るところなんか買いたくないです。
そして、墓を買うお金が浮いたら、子供の学費などにも当てられるじゃないかとも思うわけです。これからこどもたちにかかる学費は500万はくだらないでしょう。
月マイナス10万近い赤字を出しながら、さらにこの学費を払っていったら、最終的に残額がないなどということになりかねません。墓石を買わなければあと60万あったのに・・・などということになったりするんじゃないかなあなどと、思ってしまいます。
やはり、現実の生活も安心できないのに、墓石を買う気にはなれないというのが正直な気持ちです。
義母は確かに墓石を買うくらいのお金を遺して逝きました。でも、そのお金は結局生活費に消えてしまいました。その分は、夫の貯金から出せばいいことですが、ほんとうにお墓って何なのでしょうね。石材屋の商売じゃないのかなあ。
地震でひっくり返ったりもするので、あんな重い石を積み重ねたりせずに、外国の墓地みたいにすっきりと平らな石を置くだけじゃだめかなあなどとも思います。
それで日程を考えていたのですが、どうしても12月の23日ころの連休までは予定が取れないのです。それで、もうクリスマスに墓石を見に行くしかないだろうと思っていました。
ところで、最近夫が言うには、「俺、墓石なんかどうでもいいと思っているんだ。買わなくたっていいんじゃないか?そんなもの買うよりも生きてる人間が使ったほうがいいんじゃないのかねえ。世間体も気にしないし、墓を建てないから運が向かないなんて、そういうふうには思わないんだよ。またいつ失業するかもわからないし、できるだけ現金を残しておいたほうがいいんじゃないか?」とのことです。
実は私も、ちょっと考えていました。私の実家の墓は跡取りがいない。うちの子供は女ばかり。それなら、今ある二つの墓はどうなるのだろうか?
少なくとも、いずれはひとつにしなければ、お寺に払うお金も大変です。寄付も何もかも2倍ということになります。そして、ひとつにするならば、墓石なんかあったらよけいな手間が増えるのではないでしょうか?
また、義母のためにと思えば買う気にもなりますが、夫や私がいずれは入る墓でもあると思うと、急にいやな気持ちになってきました。まだ、生きてるうちに手に入れたいものがたくさんあるに、死んだ後入るところなんか買いたくないです。
そして、墓を買うお金が浮いたら、子供の学費などにも当てられるじゃないかとも思うわけです。これからこどもたちにかかる学費は500万はくだらないでしょう。
月マイナス10万近い赤字を出しながら、さらにこの学費を払っていったら、最終的に残額がないなどということになりかねません。墓石を買わなければあと60万あったのに・・・などということになったりするんじゃないかなあなどと、思ってしまいます。
やはり、現実の生活も安心できないのに、墓石を買う気にはなれないというのが正直な気持ちです。
義母は確かに墓石を買うくらいのお金を遺して逝きました。でも、そのお金は結局生活費に消えてしまいました。その分は、夫の貯金から出せばいいことですが、ほんとうにお墓って何なのでしょうね。石材屋の商売じゃないのかなあ。
地震でひっくり返ったりもするので、あんな重い石を積み重ねたりせずに、外国の墓地みたいにすっきりと平らな石を置くだけじゃだめかなあなどとも思います。