戌年にちなんで犬について書いてみます
私の田舎の実家では、私が生まれたときからずっと犬を飼っていたのですが、
昔は野良犬を拾ったり近所でもらったりの雑種犬で、人間の食べ残しを与え、
外において番犬にするというのが犬の主な役割みたいなものでした。
もちろん一緒に遊んだり散歩に行ったり、親にしかられて外に飛び出したときに
庭の犬が慰めてくれたりなど、心の友、家族の一員でもありました。
そのころは、そのような飼い方が普通でした。
今、都会に住んでいると、雑種犬を飼っている家は数少なくなりました。
そして、犬を飼うということ=ある程度の「お金持ち」というイメージがあります。
犬を飼うにはまず一軒家が必要、もしくはペット許可のそれなりのマンションが必要です。
そして、犬は買うときには10万円以上もする。
その後、予防注射・避妊去勢手術・ペットフードなど様々な維持費がかかる。
毛が長いものは美容院にも連れて行かなくてはならない。
そして、昔の田舎では放し飼いにしていたり、一日一回鎖から離して散歩に行って来いと
勝手に遊ばせたりしていましたが、
現在の都会では、ちゃんと人間が散歩に連れて行って糞の始末などもしなければなりません。
そうなると、金銭的な余裕があるだけではなく、時間的な余裕のある人でなければ
犬など飼えない状況であるといえます。
今まで、外に出歩く仕事をしていたことがありますが、仕事中に犬の散歩をしている奥様方などに出会うと、
なんと優雅な生活だなあ思ったものです。
ところで、今年の年末年始に姉家族が実家に犬を連れてきていました。
ちょうど私たちとは入れ違いになったのですが、それが昔風に言うと「座敷犬」なわけです。
今は、わざわざ「座敷犬」などとは言わないようですね。
家の作りも洋風になっているのでゴールデンレトリバーみたいな大型の犬でも
部屋の中で人間と同居していることも多いようです。
姉たちが飼っているのはシーズーです。
いつも室内で人間と一緒にいて、一晩たりとも外には置くことはできない犬ということで、
やはりこれは「座敷犬」というものでしょう。
で、実家の居間は洋間なのですが、母は昔の人ですからそこにコタツを置き、和風に使っています。
ごはんもダイニングキッチンのテーブルを使わないでコタツで食べます。
そこで姉一家がつれてきた犬も年末年始を人間とともに過ごしていたそうです。
姉たちが帰ったあと、老眼の母には見えなかったのですが、
その周りが10センチ以上もある長い犬の毛だらけになっていました。
母は周囲に掃除機をかけたそうですが、布団近辺についた毛が取れていなかったようです。
姉がストーブの前で、念入りにブラッシングなどしていたそうですが、
それでも自然に抜ける毛がたくさんあるようです。
母は毛の短い猫を飼っていますが、実家に行って今まで猫の毛が気になったことはありません。
しかし、今回は、ご飯を食べていると、ここに毛が、そこにも毛がという感じで、
つまんではゴミ箱にのくりかえしなんです。
この猫の毛でも人間の毛でもない白いふわふわとした長い毛にはちょっとまいりました。
そして、母があきれていたのですが、姉たちはもう犬が赤ちゃんのように生活の中心になっているそうです。
姉は犬のとりこになってお手入れとお世話に明け暮れているらしいです。
たとえば、家族がコーヒーを飲むときに一回分ずつになっているミルクを入れますが、
そのミルクの残りをなめるのがその犬の楽しみになっているのだそうです。
しかし、その犬にはそのミルクの成分構成に好き嫌いがあって、
なめたくないメーカーのがあるそうなのです。
たまたま母が買ってあったのが、そのお犬様の気に入らない商品だったそうで、
「これは○○ちゃんがなめないミルクなのよ」と姉が母に文句をつけたのだそうです。
そのほかにも生活のすべてが犬中心であり、
犬を基準に商品を選んだり物事を進行したりで、飼い主以外にはかなり難しいことです。
久しぶりに来た姉たちに喜んでもらうには、その犬を喜ばせなければならないということになり、
どれだけ人間が犬に尽くさなければならないんだということになります。
この犬は人とともに居間や寝室など家中を我が物顔に動き回るため、
母が飼っている猫が恐がって家を飛び出したまま、よりつかず、
二晩外で野宿したとのことで、母は猫がかわいそうだったと気に病んでいました。
この猫はもともと野良猫だったので、たくましくできていて、自分で勝手に外に出たのですが、
やはり外は寒いでしょう。
今や、犬の接待も大変なものですね。
犬はたしかにかわいいものですが、犬が主役というのもどうなのかなあと思います。
私の田舎の実家では、私が生まれたときからずっと犬を飼っていたのですが、
昔は野良犬を拾ったり近所でもらったりの雑種犬で、人間の食べ残しを与え、
外において番犬にするというのが犬の主な役割みたいなものでした。
もちろん一緒に遊んだり散歩に行ったり、親にしかられて外に飛び出したときに
庭の犬が慰めてくれたりなど、心の友、家族の一員でもありました。
そのころは、そのような飼い方が普通でした。
今、都会に住んでいると、雑種犬を飼っている家は数少なくなりました。
そして、犬を飼うということ=ある程度の「お金持ち」というイメージがあります。
犬を飼うにはまず一軒家が必要、もしくはペット許可のそれなりのマンションが必要です。
そして、犬は買うときには10万円以上もする。
その後、予防注射・避妊去勢手術・ペットフードなど様々な維持費がかかる。
毛が長いものは美容院にも連れて行かなくてはならない。
そして、昔の田舎では放し飼いにしていたり、一日一回鎖から離して散歩に行って来いと
勝手に遊ばせたりしていましたが、
現在の都会では、ちゃんと人間が散歩に連れて行って糞の始末などもしなければなりません。
そうなると、金銭的な余裕があるだけではなく、時間的な余裕のある人でなければ
犬など飼えない状況であるといえます。
今まで、外に出歩く仕事をしていたことがありますが、仕事中に犬の散歩をしている奥様方などに出会うと、
なんと優雅な生活だなあ思ったものです。
ところで、今年の年末年始に姉家族が実家に犬を連れてきていました。
ちょうど私たちとは入れ違いになったのですが、それが昔風に言うと「座敷犬」なわけです。
今は、わざわざ「座敷犬」などとは言わないようですね。
家の作りも洋風になっているのでゴールデンレトリバーみたいな大型の犬でも
部屋の中で人間と同居していることも多いようです。
姉たちが飼っているのはシーズーです。
いつも室内で人間と一緒にいて、一晩たりとも外には置くことはできない犬ということで、
やはりこれは「座敷犬」というものでしょう。
で、実家の居間は洋間なのですが、母は昔の人ですからそこにコタツを置き、和風に使っています。
ごはんもダイニングキッチンのテーブルを使わないでコタツで食べます。
そこで姉一家がつれてきた犬も年末年始を人間とともに過ごしていたそうです。
姉たちが帰ったあと、老眼の母には見えなかったのですが、
その周りが10センチ以上もある長い犬の毛だらけになっていました。
母は周囲に掃除機をかけたそうですが、布団近辺についた毛が取れていなかったようです。
姉がストーブの前で、念入りにブラッシングなどしていたそうですが、
それでも自然に抜ける毛がたくさんあるようです。
母は毛の短い猫を飼っていますが、実家に行って今まで猫の毛が気になったことはありません。
しかし、今回は、ご飯を食べていると、ここに毛が、そこにも毛がという感じで、
つまんではゴミ箱にのくりかえしなんです。
この猫の毛でも人間の毛でもない白いふわふわとした長い毛にはちょっとまいりました。
そして、母があきれていたのですが、姉たちはもう犬が赤ちゃんのように生活の中心になっているそうです。
姉は犬のとりこになってお手入れとお世話に明け暮れているらしいです。
たとえば、家族がコーヒーを飲むときに一回分ずつになっているミルクを入れますが、
そのミルクの残りをなめるのがその犬の楽しみになっているのだそうです。
しかし、その犬にはそのミルクの成分構成に好き嫌いがあって、
なめたくないメーカーのがあるそうなのです。
たまたま母が買ってあったのが、そのお犬様の気に入らない商品だったそうで、
「これは○○ちゃんがなめないミルクなのよ」と姉が母に文句をつけたのだそうです。
そのほかにも生活のすべてが犬中心であり、
犬を基準に商品を選んだり物事を進行したりで、飼い主以外にはかなり難しいことです。
久しぶりに来た姉たちに喜んでもらうには、その犬を喜ばせなければならないということになり、
どれだけ人間が犬に尽くさなければならないんだということになります。
この犬は人とともに居間や寝室など家中を我が物顔に動き回るため、
母が飼っている猫が恐がって家を飛び出したまま、よりつかず、
二晩外で野宿したとのことで、母は猫がかわいそうだったと気に病んでいました。
この猫はもともと野良猫だったので、たくましくできていて、自分で勝手に外に出たのですが、
やはり外は寒いでしょう。
今や、犬の接待も大変なものですね。
犬はたしかにかわいいものですが、犬が主役というのもどうなのかなあと思います。