成人式の話題の中で、次女が誕生日を迎えたことも親はけっして忘れているわけではありません。長女の成人と次女の誕生日祝いを同時にして、家族でカニでも食べに行こうかと思っていたのですが、次女は誕生日が近い友達と一緒に部活仲間が祝ってくれるのだそうで、部活が終わると一旦家に戻ってきたものの、またどっかに出かけていってしまいました。
まったく、ニートよりはマシかと思いますが、すげない娘です。
それで、最近は夫と2人でさびしく老夫婦のような生活になっています。
夫は、早くもじいさんのように過去の思い出に浸り始め、子供たちが小さいときのビデオなどを見始めました。
そのビデオなんですが、最初に使っていたビデオカメラが、ハイエイトとかいうテープを使うもので、そのカメラがすでに壊れているため、そのビデオテープを再生できなくなってしまったとのことでした。VHSにダビングしてあるものもありますが、ないものもあるのだそうです。
それで、そのテープが再生できる中古のデッキを1万円台で買ってきて再生し、今度はDVDだかに保存するとか言っていました。
昔のビデオを見ていると、次女がビデオカメラを貸して貸してと何度も言っているのに、無視して自分が撮り続けている親の行為などが判明しました。こんなに子供の願いを無視していたら、子供はこの親には何を言ってもダメだと思うようになるんでしょうね。その結果がこれだよと思うばかりです。
昔飼っていたローラーカナリアのつがい映っていたりして、そのころあんまり大切に飼ってあげなかったなと悲しい気分になりました。ただ、死なないようにえさと水を与えていただけだったこともありました。きれいな声で鳴くオスのほうが先に死んでしまいました。その後、ベランダにねずみが出没した時期があり、ねずみの嫌うスプレーというのを夫が撒いたんですが、その匂いが強烈だったのか、玄関に非難させていたにも関わらず、当時一羽残っていたメスのカナリアがひっくり返って死んでしまいました。かわいそうでした。
スプレーと同時ではなかったんですが、翌日くらいだったのでやはりそのせいだったと思います。
子供たちの成長の年月は積み上げてきた日々のはずなのに、なぜか失なわれた日々のように感じてしまうこのごろです。
子育てが本当に終わったら、なんだか張り合いがなくてぼーっとしてしまうかもしれません。
今日は、東京も夜になってあられのようなものが降ってきました。
次女が生まれた日の朝も今にも何か降ってきそうな寒い日で、長女に黄色い合羽を着せて病院に行きました。長女は夫といっしょに次女が生まれるのを病院で待っていました。
午後には天気は回復したようですが、次女が生まれた日はいつも寒いんです。
退院した翌日から、へそきのこの処置のため3回くらい寒い中病院に通うことになりました。へそきのこって言うのは、へその緒がきれいにとれなかった場合、肉芽が形成されて臍が乾かないので、そこを焼いてもらうのです。
出産後は安静にしているものだと言っても、新生児を抱いてバスで病院を往復していました。出べそになるかと思ったらならないですみました。
一番寒い季節に生まれたということはその後は暖かくなるということです。首が座るころにはどんどん春の日差しになって行き、上の子と一緒に毎日公園通いをしていました。
次女と言うのは生まれたときから上の子を見て成長しているので、シビアというかたくましいと言うか、ずいぶん上の子とは違った要素があるなあと思います。
まったく、ニートよりはマシかと思いますが、すげない娘です。
それで、最近は夫と2人でさびしく老夫婦のような生活になっています。
夫は、早くもじいさんのように過去の思い出に浸り始め、子供たちが小さいときのビデオなどを見始めました。
そのビデオなんですが、最初に使っていたビデオカメラが、ハイエイトとかいうテープを使うもので、そのカメラがすでに壊れているため、そのビデオテープを再生できなくなってしまったとのことでした。VHSにダビングしてあるものもありますが、ないものもあるのだそうです。
それで、そのテープが再生できる中古のデッキを1万円台で買ってきて再生し、今度はDVDだかに保存するとか言っていました。
昔のビデオを見ていると、次女がビデオカメラを貸して貸してと何度も言っているのに、無視して自分が撮り続けている親の行為などが判明しました。こんなに子供の願いを無視していたら、子供はこの親には何を言ってもダメだと思うようになるんでしょうね。その結果がこれだよと思うばかりです。
昔飼っていたローラーカナリアのつがい映っていたりして、そのころあんまり大切に飼ってあげなかったなと悲しい気分になりました。ただ、死なないようにえさと水を与えていただけだったこともありました。きれいな声で鳴くオスのほうが先に死んでしまいました。その後、ベランダにねずみが出没した時期があり、ねずみの嫌うスプレーというのを夫が撒いたんですが、その匂いが強烈だったのか、玄関に非難させていたにも関わらず、当時一羽残っていたメスのカナリアがひっくり返って死んでしまいました。かわいそうでした。
スプレーと同時ではなかったんですが、翌日くらいだったのでやはりそのせいだったと思います。
子供たちの成長の年月は積み上げてきた日々のはずなのに、なぜか失なわれた日々のように感じてしまうこのごろです。
子育てが本当に終わったら、なんだか張り合いがなくてぼーっとしてしまうかもしれません。
今日は、東京も夜になってあられのようなものが降ってきました。
次女が生まれた日の朝も今にも何か降ってきそうな寒い日で、長女に黄色い合羽を着せて病院に行きました。長女は夫といっしょに次女が生まれるのを病院で待っていました。
午後には天気は回復したようですが、次女が生まれた日はいつも寒いんです。
退院した翌日から、へそきのこの処置のため3回くらい寒い中病院に通うことになりました。へそきのこって言うのは、へその緒がきれいにとれなかった場合、肉芽が形成されて臍が乾かないので、そこを焼いてもらうのです。
出産後は安静にしているものだと言っても、新生児を抱いてバスで病院を往復していました。出べそになるかと思ったらならないですみました。
一番寒い季節に生まれたということはその後は暖かくなるということです。首が座るころにはどんどん春の日差しになって行き、上の子と一緒に毎日公園通いをしていました。
次女と言うのは生まれたときから上の子を見て成長しているので、シビアというかたくましいと言うか、ずいぶん上の子とは違った要素があるなあと思います。