山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

次女が生まれた日

2006-01-09 23:38:09 | 未分類過去
成人式の話題の中で、次女が誕生日を迎えたことも親はけっして忘れているわけではありません。長女の成人と次女の誕生日祝いを同時にして、家族でカニでも食べに行こうかと思っていたのですが、次女は誕生日が近い友達と一緒に部活仲間が祝ってくれるのだそうで、部活が終わると一旦家に戻ってきたものの、またどっかに出かけていってしまいました。
まったく、ニートよりはマシかと思いますが、すげない娘です。
それで、最近は夫と2人でさびしく老夫婦のような生活になっています。

夫は、早くもじいさんのように過去の思い出に浸り始め、子供たちが小さいときのビデオなどを見始めました。
そのビデオなんですが、最初に使っていたビデオカメラが、ハイエイトとかいうテープを使うもので、そのカメラがすでに壊れているため、そのビデオテープを再生できなくなってしまったとのことでした。VHSにダビングしてあるものもありますが、ないものもあるのだそうです。
それで、そのテープが再生できる中古のデッキを1万円台で買ってきて再生し、今度はDVDだかに保存するとか言っていました。

昔のビデオを見ていると、次女がビデオカメラを貸して貸してと何度も言っているのに、無視して自分が撮り続けている親の行為などが判明しました。こんなに子供の願いを無視していたら、子供はこの親には何を言ってもダメだと思うようになるんでしょうね。その結果がこれだよと思うばかりです。

昔飼っていたローラーカナリアのつがい映っていたりして、そのころあんまり大切に飼ってあげなかったなと悲しい気分になりました。ただ、死なないようにえさと水を与えていただけだったこともありました。きれいな声で鳴くオスのほうが先に死んでしまいました。その後、ベランダにねずみが出没した時期があり、ねずみの嫌うスプレーというのを夫が撒いたんですが、その匂いが強烈だったのか、玄関に非難させていたにも関わらず、当時一羽残っていたメスのカナリアがひっくり返って死んでしまいました。かわいそうでした。
スプレーと同時ではなかったんですが、翌日くらいだったのでやはりそのせいだったと思います。

子供たちの成長の年月は積み上げてきた日々のはずなのに、なぜか失なわれた日々のように感じてしまうこのごろです。
子育てが本当に終わったら、なんだか張り合いがなくてぼーっとしてしまうかもしれません。

今日は、東京も夜になってあられのようなものが降ってきました。
次女が生まれた日の朝も今にも何か降ってきそうな寒い日で、長女に黄色い合羽を着せて病院に行きました。長女は夫といっしょに次女が生まれるのを病院で待っていました。
午後には天気は回復したようですが、次女が生まれた日はいつも寒いんです。
退院した翌日から、へそきのこの処置のため3回くらい寒い中病院に通うことになりました。へそきのこって言うのは、へその緒がきれいにとれなかった場合、肉芽が形成されて臍が乾かないので、そこを焼いてもらうのです。
出産後は安静にしているものだと言っても、新生児を抱いてバスで病院を往復していました。出べそになるかと思ったらならないですみました。
一番寒い季節に生まれたということはその後は暖かくなるということです。首が座るころにはどんどん春の日差しになって行き、上の子と一緒に毎日公園通いをしていました。

次女と言うのは生まれたときから上の子を見て成長しているので、シビアというかたくましいと言うか、ずいぶん上の子とは違った要素があるなあと思います。
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成人式あれこれ

2006-01-09 19:26:32 | 未分類過去
また、成人式でバカなことをする若者のニュースで持ちきりになっている。
盛岡市では覆面をした議員が若者を止めようとしてさらに大騒ぎになったようで、逆効果ではなかろうかと思う。プロレスをするわけでもないのにどうしていつも覆面をしているのか納得できない。バカ者たちがかえって面白がってしまったのではないだろうか。
娘の区ではそのようなバカ者はいなかったようで、まともな成人式が行なわれたようでよかった。

高校の同級生で同じ区内の人というのはそうたくさんいるわけではなく、中学や小学校、さらには幼稚園のときの同級生に会ったりして、楽しかったようである。

幼児の頃、娘と一緒にプールに通っていた男の子がいる。児童館も一緒だったからお母さんとも親しい。その子は中学が一緒で、その後うちの子より偏差値の高い高校に行ったのだが、希望の大学に受からず浪人し、次の年も親は受かった大学でいいと思ったのに本人がどうしてももう一年かけて希望の大学をめざしたい言って2浪を決めた。浪人にはお金がかかることがわかっているので、本人自らバイトをしながら受験勉強をしているそうである。そしていよいよまた試験の季節がやってきた。これからちょうど試験を控えて大変な時であろうが、その子もネクタイにスーツ姿で友達と楽しそうにしている姿を見かけた。友達にも浪人生が多いと聞いているのでその仲間かもしれない。
その子とうちの子は、中学のときは同じくらいの成績だったようだ。
うちの子は迷った末にひとつランクの低い高校に行ったのだが、そこでは得意でもなかった数学なども楽に5が取れた。教科書自体が違うようだし、先生も難しい問題を試験に出さないのである。それで、どの学科も4以上の成績だったから指定校推薦でそれほど悪くない大学に入ることができた。
ところが、その子は高校では数学が非常に難しくて、ついていくのがやっとだったそうだ。他の生徒ができるので、成績も芳しくなく、思うような大学の推薦は無理だったそうである。
大学進学というのは決して純粋な学力が反映していないように思う。
うまくやるが勝ちみたいなところがある。大学に入ったら中学の時の同級生で3ランクくらい上の高校に行った子と同じクラスになったり、うちの子よりずっと偏差値の高い高校に行った子がそれほどでもない大学に進学したことを聞いたりして、申し訳ないようである。
うちの子の大学の場合、一般受験の偏差値を見るとそれほど低くはないのだが、一般受験で入った人数自体が非常に少ない。多くは付属から上がってきた内部生であり、その外にはうちの子のような指定校推薦の学生が多い。だから、受験雑誌に載っている偏差値と実際の学生全体の偏差値とは大きな開きがあると言える。
うちの子は自分のことを裏口入学みたいなもんだと言っている。2学期に高校から推薦する生徒として選ばれるまでは、一般受験を前提に必死の勉強をしていたが、その後は普通の受験生に比べたら勉強量は比べ物にならないほど少ないから、学力は足りないはずである。
そして、もともと自分があまりアタマがいいわけではないこともよくわかっていて、その分を補うために大学には真面目に通っているが、それでも授業で理解できないことがあるそうだ。しかし、一般入試で入ってきた人などは、ほとんど授業に出席しないまま良い成績をとったりしているらしく、もともとのアタマが違うのだろうとよく言っている。
人生、逆転はいくらでもある。高校や大学の一回の入試で将来が決まってしまうわけではないだろう。

現役で入るか浪人するか、長い目でみると2年なんか大した時間ではないが、2年間大学生活をすごし、今や後半に差し掛かろうという現役入学生にとっては、受験はすごい過去のことのように思える。この2年間、大学生活を楽しみながらそれなりの専門的な勉強をしてきたので、その間をすべて受験勉強に費やしていた同級生の生活など信じられないという。そして、大学3年になったら、もう就職準備のことなど考えているから、関心事もかなり違っているようである。
2年浪人してでも一流大学に入るほうが将来のためになるのかもしれないし、あるいはそうではないかもしれない。
娘の同級生には医学部を目指して2年浪人している人もいる。長い努力が実ることを祈りたい。

話が受験のことにそれてしまった。
今年、成人を迎えた人として上戸彩が振袖姿でテレビに出ていた。
彼女はちょっと前、金八先生で性同一性障害の生徒役を演じていたが、今や女優としての地位を固め、コマーシャルなどでも活躍している。大人になったなあと思う。
上戸彩は今年成人式を迎えると言うことで、ある会社の振袖カタログのモデルになっていて、一昨年あたりからそのダイレクトメールがうちにも送られてきたので、彼女がいろいろな振袖を着た写真を見ている。だから、今さら振袖を着たところで本人には大した感動はないだろうとも思った。また、どの写真もきれいで似合っていたが、本当に自分の着物を選ぶときにはどんなものを選んだのかなと興味がわいた。
そうしたら、お母さんがデザインしたものだそうで、やはり選り取りみどりの売り物の中から選ぶのではなく、特別な意味のあるものを独自に作ったのだった。
思ったより大人っぽい雰囲気の着物だったが、やはりきわだって豪華できれいなものだった。

そういえば、成人式にバカなことをする成人は、だいたい袴を着た男のように思うのだが、成人式でバカなことをする女のニュースは見たことがない。
男って言うのは愚かな習性なんだろうか。





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華やかさの裏に必要な忍耐

2006-01-09 15:00:53 | 未分類過去
振袖を着るって言うのも楽じゃないなあと思いました。
うちの子は8時に美容院と着付けを予約して10時に出来上がり、その後腹ごしらえしてちょっとスナップ写真でもとり、12時半に会場前で友達と待ち合わせという日程だったのですが、それでも朝7時過ぎに家を出て、極寒の中を歩いて美容院に向うのは、大変だったようです。
予約がいっぱいで式に間に合わなくなりそうな人たちは、今度は早朝へと予約を入れていくようで、朝の6時に美容院入りなどと言う人もいたようです。

当日の3日ほど前には着物一式を着付け会場に持ち込みました。そして当日には着付けの人が半襟を縫い付けたり襟芯を入れたりなどして、下準備がされていました。
うちでは、着物を前以て届けることや、美容院で髪型の打ち合わせをしなければならないことを知った時点で、なんと面倒くさいことか、などと親子でうんざりしてしまったほどです。

ところで、私自身が着物のことなどには無知なため、何も考えていなかったのですが、着物と言うのはずいぶんと寒そうな気がします。写真の前撮りのときは秋だったし、スタジオ内で着てすぐ脱いだのですが、こんな真冬に外を出歩くのに着物だけでは寒いだろうと思いました。私の友人は下にババシャツを着せたほうがいいのではないかと言いました。

説明書きにはスリップかキャミソールと書いてあったのですが、電話をして聞いてみると襟ぐりのひろい5分袖くらいの下着を着てもいいということで、前日にそれを買いに行きました。
それを着ていったところ、脱げと言われてぬいだそうです。着物の襟がかなり反り返って舞妓のような着せ方をしているので、下着の後ろの襟ぐりが見えてしまうのでしょう。それで、髪はすでに結ってあるので、下から脱げたからいいのですが、娘は裸に肌襦袢という形になってしまいました。体型補正のタオルやガーゼを巻いてもらったので少しは暖かかったかもしれませんが、着物と言うのは袖もぴったりしていないから、かなり寒いと思います。
洋服なら分厚いコートを着てマフラーや手袋をしているのに、いくらショールを載せているとは言え、これは忍耐ですね。車で建物の入り口まで送り迎えされるような状況ならいいでしょうが、寒空の下を歩幅も開かずコマコマ歩いているから容易じゃありません。
そこら辺にジベタリアンもできないどころか、ちょっと寄りかかったりもできないわけで、寒さに耐えつつ、姿勢も保ちつつといろいろ苦労があるようです。
だから、日本伝統の美しい着物を着るためにはすごい忍耐が必要とされるものなんだなと思いました。足袋の履き方も家で練習してくるようにとも言われていました。

そんなことでも思ったんですが、お金持ちの人というか家柄がいい人って、しょっちゅう着物を着たり、様々な場に出かけたりしていますが、忍耐強くならざるを得ないんだろうなということです。
お金のない貧乏人って言うのは、どこにも出かけず何もしないで家で布団をかぶって寝ていればいいわけです。私はそういう部類の育ち方をしてきました。だから、スキーに行ったこともないし、雪の山を歩いたこともないんです。楽しみもしませんが、体力も技術もいらないし、苦労もないですね。
しかし、お金持ちの人はもちろんお金もあるからいろいろなことができるわけですが、そのためにこまめに準備したり出歩かなければならないでしょう。そうするとそれなりに耐えたり挑戦したり頑張らなければいけないことが出て来て、そして様々なことを経験します。

無駄なお金をかけて振袖なんか着せる必要はない、みんなそろって着慣れない着物を着て、猫も杓子も白いショールを肩にかけてバカじゃないか、大切なのは中身だ、質素にスーツでいいじゃない、という考えも一般にありますが、振袖を着たことによる知識と忍耐は経験しなきゃ得られないことですね。
そういう意味では、娘がみんなと同じことをして人並みの人生経験と苦労ができたのはよかったのではないかと思いました。



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振袖について

2006-01-09 13:25:17 | 未分類過去
娘が成人式を迎えた。
成人式に振袖を着るか着ないか、着るとすればどこで借りるか、借りるとしても結構な値段がするようだからどうしようか、というのは、様々な振袖のダイレクトメールが送られ始めてからの検討課題だった。

成人式を迎える知人に聞くと、以前から家にあるものを着るとか、祖母が用意してくれているなど、たまたまそういう人ばかりで全然参考にならなかった。
考えてみれば、お金持ちの家などには代々伝わる振袖が何枚かあったりするし、かわいい孫のために懇意の呉服屋で早々と着物を買っているおばあさんなどがいるようだ。

姉と私の成人式のときは、母が実兄の娘の物を借りてきて、二人とも同じ借り物で済ませているので、実家には振袖などというものは所有していない。
そのとき買っていれば、それを着られたんだろうなと思った。
姉にも娘がいて2年前に成人している。その娘は着物が似合いそうなモデルのような容姿の娘なのであるが、姉とレンタル着物を捜し歩くうちに面倒くさくなってついにやめてしまったそうである。
姉のうちにはお金はあるはずだが、もともと育ちが貧乏性だから、どっちが得だとか損だとか延々と悩むのが姉の性分であり、娘は娘でおそろしくファッションにうるさい性分だから、親子でどれだけ探し回ったかが想像できるようである。
一番似合うものを探すとなるときりがないが、家にあれば必然的にそれを着ることになるから、面倒はない。

うちの娘の場合、ダイレクトメールが送られてきて、電話でも誘いがあったレンタルの会社にとりあえず見に行ってみることにした。そこで気に入った着物が、たまたまレンタルではなく売り物だった。値段は約30万円で、着物一式と写真、着付け、髪結いなどすべてセットになっている。店の人の話では、卒業式にはその着物に袴をはけばいいとのことだった。レンタルの場合、17~8万円というのが平均的な金額だったから、2回借りれば買ったのと同じような金額だとも思えた。うちにはもう一人娘がいるので、二人着ればレンタルより安いのではとも思い、買うことにした。

一発で決めてしまったのは、私も娘も毎日忙しく、親子で振袖を見に行く日などはそう簡単に作り出せるものではない。さっさと決めてしまえばあとの面倒がないということで、買った時点で写真の前撮りや当日の着付け、美容院の予約まで済ませられた。その判断は適切であり、着物はなかなかいいものだったと満足している。

しかし、卒業式に袴をレンタルする場合、袴のセットにする袴用の着物というものがあるので、それをセットで借りるのが手っ取り早いようである。
それから、妹とは体型も顔立ちも違うので、上の子に合わせて用意したこの振袖が、妹にもちょうどいいとは限らない。
妹は妹で、レンタルでもいいから本人の好きな本人に似合うものを用意してやりたいとも思っている。

ところで、着物の費用については、私の貯金を解約して払ったのであるが、着物を買ったと聞いた後で、実家の母が着物代を出してくれると言い出し、お金を振り込んでくれた。
それで、孫の着物は私が買ってやったものだからそのことを忘れるな、などと事あるごとに言うのである。私が出してやったからこそあんたたちは貧乏なのに人並みのことができるので感謝しろと言わんばかりだ。
確かに後でお金を出してくれたのはありがたく、その分、お金が浮いたはずなのだが、正直言って着物を買ってもらったという実感がない。

母のやり方というのはいつもそうなのである。着物を買う前には、何の関心も示さず、そんなものにお金をかけるのはバカらしいという態度をしている。
母の考えなど関係ないから、私が自分のお金で自分の勝手にすると、後になってそんなことにそんな大金を使ったのかと驚嘆しつつ、その出費はたいへんだっただろうから祖母として出してやるということになるわけだ。
そして、そのひとつの理由は私自身に昔お金をかけてやれなかったからその代わりだという意味がある。私も人並みに成人式に振袖を着たし、母が近所の美容院を予約して当日ついてきてくれたのを覚えている。でも、ぎりぎりまで着物は着れないと思っていたので、髪の毛も伸ばしていなかったし、直前になって急遽親戚に借りることに決まり、写真屋での写真もお金がかかるから撮らなかった。その記憶が母にもあるのだろう。

私自身には、自分がしたようなそういう中途半端な思いを子供にはさせたくないと言う気持ちがある。
振袖のお金はおばあちゃんが出してくれたんだよ、と娘には言っているが、私も娘も最初に私が意を決してお金を奮発して買ったという記憶ばかりが鮮明に残っている。
その後、母が振り込んでくれたお金は生活費として消えてしまった。
母のやり方は、人へのプレゼントとして非常に非効果的である。
そのほかにも孫の誕生日に貯金をしてくれているそうだが、母が管理している孫名義の通帳に入金しているとのことで、こっちとしては全く貰っているという意識がない。名義を貸しているくらいな感じである。

姉も家を買ったときに、すべて自分の力で買う予定をたて、支払いを始めた。買う前には頭金を援助するとかいうことは母からは一切なかったようだ。しかし、その後、ものすごい金利でローンを払う形になっていることを知った母は、それは損だから早く払ってしまえと言って援助した。それで、結果として姉たちは早くローンを返し終わることができたわけなのであるが、これが買う時点での援助だったら母が一部お金を出してくれた家という形でもっと実感があったのではいかと思う。

振袖の話が変な方向になってしまった。
振袖を買ったら、それに防水加工料とかを追加して、髪飾りなどは別料金で、さらに帯にポイントとして飾りヒモをなどということでいろいろ追加があり、写真もCD-ROMが3万、すべてに消費税ということで、どんどん加算されていった。全部で40万円近くなったのではなかろうか。

家も買うとなると、本体以外にカーテンだの家具だのをそろえなければ暮らせないし、税金もかかるし、引越し費用もかかる。最初の本体価格よりもどんどん出費が加算されていくようである。

レンタルにするか、購入するか。
それを購入することは、ある程度の大きな金額であるだけに大変なことである。
金額のみならず、その品質の見分け方もわからない。
私には、反物や帯を見てもいいものかどうかなどまったくわからないのだった。
だから、もう、その会社を信じるしかないのだ。
できあがった着物を見ても仕立てがどうだかわからない。
ただ、手縫いで細かく縫ってあることは見て判る。
しつけ糸をはずすだけでも容易ではないから、作る手間を考えたら、着物が高いのは当たりまえだなと思った。

買ったはいいけど、和箪笥などがない我が家、かさばる着物一式に今度はしまうスペースがなくて、また苦労している。



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届けられた定期券

2006-01-09 00:16:28 | 未分類過去
クリスマスの頃、夫がなくした通勤定期券(12月26日ブログ記)が最近届けられたと駅から連絡を受けました。
よかったです。とどけてくださった方、本当にありがとうございます。

夫の定期券はJRと私鉄を乗り継ぐもので、夫はJRに乗っている間に落としたようだといっていました。定期は夫が電車に乗っている圏内から30分以上も離れた別の線のJRの駅に27日に届けられたのだそうですが、それが定期購入元の私鉄の駅に届いたのが1月7日くらいでした。
誰かによって届けられたのも落とした日の2日後で、その後、年末年始をはさんだからか、10日以上もたって戻ってきたのは、ちょっと遅いなと思うのですが、とにかくよかったです。

夫は、落とした後の2~3日後くらいまでは何度も電話をして問い合わせていたのですが、3日でなければダメだろうと聞いて、ついにあきらめていました。
夫の仕事は年末年始も関係なく、正月休みもないために、1月の始めには1ヶ月分の新しい定期を買って通勤していました。なので、それを払い戻して、元の定期券を使って2月いっぱいまで通えることになりました。3月からはまた会社で3か月分の定期を買って渡してくれるようになっています。

定期が出てきた日、夫はビールのロング缶とマグロの中トロを買って帰ってきました。いつもは発泡酒350ml缶と中落ちかネギトロ程度です。
本当ならなかったはずのお金が戻ってきたからお金が浮いたし、祝いだなどと言っています。
それは違うでしょう。もともと落とさなければ使うこともなかったんだから、払い戻して帰ってきたお金を臨時収入のように考えるのは間違っています。他にもなんか無駄使いをしそうな勢いなので釘をさしておきました。

そんなことをしているからお金がたまらないんですよね。

JRのスイカ定期券なら、紛失しても申告すれば再発行してくれるのだそうです。
しかし、夫のは私鉄との乗り継ぎになっていて、会社で買って渡してくれるものなので、再発行はできないものでした。
めったに落とすものでもないと思いますが、JRのように再発行できればいいですね。

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