山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

郵便局にて

2006-01-31 23:56:07 | 未分類過去
今日、放送大学の科目登録届けを郵送した。
普通郵便だと万が一届かない場合無効になるため、なるべく書留で送るようにと書かれていたので、540円はちと高いなあと思いつつ、普通料金の120円切手もないので郵便局に持って行った。

夕方5時直前に駆け込んで「書留でお願いします」と言うと、「大学の願書ですね。受付は明日の発送になりますがよろしいですか」というようなことを言われた。「いいですよ」と答えた。
「しめきりは大丈夫ですか」というので封筒の表面に明記されている2月10日締め切りの部分を指差しつつ、「はい、だいじょうぶです」と答えた。
局の人は控えを記入しながら、また、「配達はあさってくらいになりますが、それでもよろしいですか?」という。
あまりに何度も確かめるので、「はい、いいです。締め切りは10日ですから、どんなに遅くてもそれまでには届くでしょ」などと言ってしまった。

これは願書じゃなくて、ただの履修届けだし、
万が一とどかなくても再受講する科目がいっぱいあるんだし、
本当は書留でなくてもいいようなもので、
そんなに不安がられて面倒な思いをするくらいなら普通郵便にすればよかったかな。
それとも、この人はどうやら「速達」にさせたがっているようだわ。
などと心の中で思ってしまった。

それで、どうして局の人がこんなにいちいちしつこく期限を心配するのかと思ったのですが、
今、大学入試の受験願書を出す人が多いんでしょうね。
それで、ぎりぎりになって普通に送って期限に間に合わなかった人なんかが出たのかな?
と思いました。

私も期限が迫っているときは、いつ届きますか?絶対に大丈夫ですか?などと自分からしつこく確かめるんですが、こっちが何も言わないのに受付の方から心配されるのは初めてでした。
郵便局の人もそこまで心配しながら仕事をするのは大変ですね。
しかし、ちょっと的はずれすぎるよね。

今思うと、今日は月末で、私が急いで駆け込んできたから、急ぎで送るものだという印象を与えてしまったのかもしれません。
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一月の最終日に

2006-01-31 22:51:48 | 未分類過去
早いもので、一月も今日で終わりです。
今年はどんな年になるかな?
いや、どんな年にするかな?
自分で計画して築いていかなくちゃいけないな。

私は毎朝、フジテレビの「とくダネ」を見ていて、そこから世の中の情報を得て生活しているというかんじなのですが、今日は寺尾聰さんが出ていました。映画「博士の愛した数式」の話題でのゲストでしたが、最近寺尾聰さんは本当に父宇野重吉さんに似てきて、いい味出してるなあと思っていました。特に笑った顔の頬のふくらみ具合や人懐っこいようなくりっとした丸い瞳が似ていて、あたたかく深い人間味のある感じがします。もちろんお父様とは違う一個の人間であるわけですが、あの「ルビーの指輪」を歌っていた頃のサングラスをかけたちょっと気障っぽいような雰囲気をもった若い頃の人間像の延長上に、今度はどんどん宇野重吉さんのような深みと温かみと人間の重さのようなものが加わってきたのを見ると、なんか感動のようなものさえ覚えるのでした。
私は学生のころ演劇が好きで、宇野重吉さんが出た劇団民藝の劇を何回か見たことがありました。ほんとうに演劇の神様のような人でした。
寺尾さんは、舞台ではなく映画で活躍しているようですが、この父あってこの子ありと思わずにいられません。先日の石原親子に引き続き、また父と子の絆を感じました。

ところで、本題なんですが、寺尾さんが宇野重吉さんのことを話していました。
父宇野重吉さんは病気で1月になくなったそうですが、だんだん病気が重くなる状況にあっても、手帳にその先の10月までの予定がびっしり書かれてあったそうです。
人間というのは常に何ヶ月も先まで予定をたてて生きていて、そういうことを続けていくと、結局最後にはその予定を全うする事無く亡くなるときがやってくるわけですが、寺尾さんはお父さんのようにそういう生き方をしたいと言っていました。

そうですね。私もそう思います。
たとえ自分が年をとっても病気になっても、自分にはあんまり先がないから、なんの予定も目標もたてないなんていう生き方はしたくありません。結果的に建てた予定が実行できなかろうと無駄になろうと、やはり先の目標があるから、今を生きることができると思います。

プレジデントの1月号にも書いてあったのですが、長期の目標を立てなければ、短期のも目標も定まらないわけで、数年後の目標があって一年の目標、数ヶ月の目標、月の目標、週の目標、一日の目標が割り出せるということでもあります。

長期の計画を立てて毎日の実行をしよう!
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「太陽の季節」の時代

2006-01-31 01:13:10 | 読書
どうやら、「太陽の季節」の時代について、私の感覚にずれがあったようだ。
この小説の存在は子供の時から知っていたのだが、一時代前の若者の話という印象を受けつつも新しい小説であるという印象があり、新時代の作品というイメージがあった。
たしかに、当時は芥川竜之介や太宰治などの作品を普通の小説のように思っていたのだから、そのようなものに比べると新しく感じるのも仕方がないことであるが、考えて見れば1955年という戦後やっと10年、私が生まれる5年も前の作品なのであるから、私が短大の時に読んだとしてもすでに20年以上も前に書かれた作品だったと言うことになる。

そして、この中の登場人物は戦争前か戦争中に生まれているような時代の人たちなのである。英子が幼い時に思いを寄せた従兄弟の兄弟が戦争によって殺されているというのであるから、英子はどう若く見たところで戦争中にはすでに物心ついていた年齢であるということになる。3年前に旅館で待ち合わせていた相愛の男が死んだということであれば、英子は若く見ても20歳程度にはなっているはずだ。

竜哉については、その生活習慣のようすや、「学生」「午後が休講になった」などという文面から私は大学生であると思っていたのだが、「ハイスクール」と書いてあるから、高校生3年ということになる。1956年に上映された映画のあらすじにも竜哉は高校生であると書いてある。 (映画「太陽の季節」)
女給を相手に口説いたりマージャンをしたり、こんなにませた高校生がいるのだろうか。そこが常識破りの所以でもある。

石原慎太郎は昭和7年生まれで、私の母と同じ年齢である。
母の若い頃の写真などをみると、たしかにこの当時の映画に出てくる人のような格好をしていたりして、そのファッションには華やかさがある。この人たちは、戦争中は貧しく辛い思いをした経験はあっても、それは子供時代のことで、青年時代は戦争の記憶も薄れ、自由で平和な世界で青春を謳歌することができた世代なのかもしれない。
それが、戦前に大人になった人間に比べると一種の新人類のようなものだったのかと思う。

戦前と戦後で人を分けるなら、私の母や石原慎太郎の世代が、一番最初の戦後派に属する人々と言えるのかもしれない。

* * * * *

小説の賞味期間というのは永遠であるから、その鮮度が衰えるのにも時間がかかるのであり、「古い」という気がしないのであろう。

芥川賞というのは、私が子供の時から毎度のこと話題になっていたような気がするが、中でも記憶にあるのが村上龍の「限りなき透明に近いブルー」(1976)、池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」(1977)あたりで、今思うとそれは私が高校生の時のことであった。
印象に残っているのは私が高校生という文学に関心を持ち始めた年齢だったからなのか、実際にそのあたりでひとつの変化期が来ていたからなのかよくわからない。しかし、当時はやはり「妙な作品」とか「理解しにくい」というのが世の中の反響だったように思うので、確かに以前と違うタイプの作品が誕生していたのかもしれない。
その作家たちも、消えることなく、活躍して時を経て、池田満寿夫などはもうこの世にいなくなってしまっていることを思うと、すでに一時代もニ時代も過ぎているという時の過ぎる速さに驚くばかりである。

その後も次々に問題作や話題作が出ているはずだ。
今も次々に生まれる芥川賞を、ちょっと読んでみようかなあと思い始めた。
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