今日、会社から帰ってきたら、妙に台所がすっきりしている、と思ったら、夜勤明けの夫が台所を片付けてあった。
そして、食器洗い機を設置しようという計画を着々と進めており、明日、業者の人が設置できるかどうかのチェックにくるそうである。
それで、もう少しきれいにしろ、などと言っているのだが、明日は放送大学の最後の試験で、こんなときに台所の大掃除などしていられるかという気分であり、非常に迷惑な話なのであった。
夫はリストラで仕事をクビになり転職してからは、一回仕事に行くと3日は家にいるのではないかと思うような生活になった。人から見ると毎日遊んでいるようにも見えるのだが、24時間勤務や夜勤があるために、そのように感じるわけで、周囲が感じるほど暇なわけではないという。しかし、夜勤といっても仮眠がとれるために、睡眠不足で体に響くことはないようで、夜勤明けでも帰宅後に寝ているようなことはない。
昼間家にいる時間は私より夫のほうが圧倒的に長いという状況になっている。
それで、今までは台所に関してはいっさい関心をもたなかった夫であるが、自然に流しに放置されている食器などに目を向けるようになったらしい。
また、夫は最近お金持ちの人が暮らすマンション内を見る機会があったようであり、そこには食器洗い機やすばらしいレンジが設置され、広々とした調理台やシンクがあったそうであり、我が家の台所に愕然としたようである。
そして、せめて食器洗い機があれば、自分でも食器が片付けられると思ったらしい。
夫は日常食器を洗うなどという習慣はいっさいない人間だ。
一方、「電気製品」というものはどんなものでも大好きな人間である。
それで、夫が計画している食器洗い機は、我が家のスペースに無理やりどうにかこうにか置けるような、うちにしては異様に大きすぎる代物で、私にはまったくこの家にふさわしいものであるとは思えない。何とか無理に置けたとしても、そのためにスペースがさらになくなって、他の物が置けなくなるのはわかりきっている。今でさえ調理台というスペースがほとんどないのを、今後は流しにまで食器洗い機が出っ張る計算で、流しに橋をかけてその上にまな板を置き、そこだけしか配膳スペースがなくなるということになる。自動的に食器が洗えるのは確かに便利だが、うちにとってそんな場違いな食器洗い機は、私にはどうも受け入れがたい。しかし、夫の行動はもう止めることができない。
それから、夫の台所改造と言ったら、まったく見当はずれだった。
米びつの前に物を積み重ねてふさいでしまったり、私が調理台に向って立つとちょうどお尻の部分に当たって開けることができなくなる引き出しに、よく出し入れする箸やスプーンを入れたり、前に立ったら絶対に開けることのできない足もとの開き戸の内側に包丁をしまったりしているのであり、これではどうやって出し入れするのかと思うことばかりである。広い家なら問題ないことでも、狭さゆえに調理台と食器戸棚の間の人一人がやっと立てる後ろには下がれない場所で動いているわけなのだが、そのような実際的な動きが夫にはわからないのである。
不便だったら元に戻せばいいだろ、などと言うのであるが、
わたしゃ、放送大学の勉強をしたいんで、
どうして試験の日に業者を呼ぶようなことをするのか、
まったく信じられないやつだ。
そして、食器洗い機を設置しようという計画を着々と進めており、明日、業者の人が設置できるかどうかのチェックにくるそうである。
それで、もう少しきれいにしろ、などと言っているのだが、明日は放送大学の最後の試験で、こんなときに台所の大掃除などしていられるかという気分であり、非常に迷惑な話なのであった。
夫はリストラで仕事をクビになり転職してからは、一回仕事に行くと3日は家にいるのではないかと思うような生活になった。人から見ると毎日遊んでいるようにも見えるのだが、24時間勤務や夜勤があるために、そのように感じるわけで、周囲が感じるほど暇なわけではないという。しかし、夜勤といっても仮眠がとれるために、睡眠不足で体に響くことはないようで、夜勤明けでも帰宅後に寝ているようなことはない。
昼間家にいる時間は私より夫のほうが圧倒的に長いという状況になっている。
それで、今までは台所に関してはいっさい関心をもたなかった夫であるが、自然に流しに放置されている食器などに目を向けるようになったらしい。
また、夫は最近お金持ちの人が暮らすマンション内を見る機会があったようであり、そこには食器洗い機やすばらしいレンジが設置され、広々とした調理台やシンクがあったそうであり、我が家の台所に愕然としたようである。
そして、せめて食器洗い機があれば、自分でも食器が片付けられると思ったらしい。
夫は日常食器を洗うなどという習慣はいっさいない人間だ。
一方、「電気製品」というものはどんなものでも大好きな人間である。
それで、夫が計画している食器洗い機は、我が家のスペースに無理やりどうにかこうにか置けるような、うちにしては異様に大きすぎる代物で、私にはまったくこの家にふさわしいものであるとは思えない。何とか無理に置けたとしても、そのためにスペースがさらになくなって、他の物が置けなくなるのはわかりきっている。今でさえ調理台というスペースがほとんどないのを、今後は流しにまで食器洗い機が出っ張る計算で、流しに橋をかけてその上にまな板を置き、そこだけしか配膳スペースがなくなるということになる。自動的に食器が洗えるのは確かに便利だが、うちにとってそんな場違いな食器洗い機は、私にはどうも受け入れがたい。しかし、夫の行動はもう止めることができない。
それから、夫の台所改造と言ったら、まったく見当はずれだった。
米びつの前に物を積み重ねてふさいでしまったり、私が調理台に向って立つとちょうどお尻の部分に当たって開けることができなくなる引き出しに、よく出し入れする箸やスプーンを入れたり、前に立ったら絶対に開けることのできない足もとの開き戸の内側に包丁をしまったりしているのであり、これではどうやって出し入れするのかと思うことばかりである。広い家なら問題ないことでも、狭さゆえに調理台と食器戸棚の間の人一人がやっと立てる後ろには下がれない場所で動いているわけなのだが、そのような実際的な動きが夫にはわからないのである。
不便だったら元に戻せばいいだろ、などと言うのであるが、
わたしゃ、放送大学の勉強をしたいんで、
どうして試験の日に業者を呼ぶようなことをするのか、
まったく信じられないやつだ。