山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

バカ

2010-08-06 22:14:18 | 運転・車・道路の事
このあいだ、右折した先の横断歩道左側当たりから、ふらりと飛び出して来た自転車があった。その交差点はT字路であり、歩行者用信号は赤だった。
その自転車は、道路中央に向かって走り出てきたものの、横断歩道を渡るわけではなく、ハンドルを左にきってから、道路の左端により、そのまま路上を進んでいった。
つまり、歩道のある道路の歩道を走ってきて、歩道のない道路に左折するときに、無防備に車道に飛び出したようになったわけだ。
(私がT字の左上から下に向かい、自転車は右上から下に向かったことになる。)

「おばさん、あぶないよ」と思って、私は徐行して右折し、その後、その自転車を追い越して進んだ。その道路は、片側1車線のはみ出し禁止道路だが、かなり狭い。
その先に信号があって、赤になったので、先頭車として停止した。
すると、さっきの自転車が私の車を右から追い越し=黄色いセンターラインを越えて右側を追い越し、・・・何と、赤信号を無視して直進していくではないか!

うわっ、危ない!
おばさん、そんなことしてると、いつか死ぬよ。
おばさんは、まるで速度を緩めず、左右を確認もしないで、道路のど真ん中を進んでいきました。
赤になったばかりではなく、青になりそうな時でもなかった。
なんなんだあ、今のは・・・・
もう、言葉も出ないよ。

あんなやつ、本当に死んじゃうよ。
でも、ああいう無謀なおばさんが、本当に死んじゃうということは、非常に怖いことだ。
残念ながら、あんな人がうじゃうじゃいるのだ。
そういう人が、交通事故にあうとしたら、その加害者になるのは誰。
そう、今回はたまたま私は赤信号で停まっている立場だった。
追い抜いて行く自転車のおばさんを呆れて見ている立場だった。
もし、おばさんが交差点のど真ん中で車と衝突しても、第3者である。

でも、もし、青信号のほうを走って来た立場だったらどうなる?
あのおばさんを避けられると思う?
う~ん、おそろしい・・・
青信号だからって信用して進めないよね。
あの交差点は、いついかなる時も、徐行だ。
しかし、いつどこで、あんなおばさんに遭遇するかわからないし、
人が信号無視をしやすい交差点というのは、知らない道にもあるはずだ。

怖いことだ。

とにかく、最低限の交通ルールを守ってくれ~

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あってはならない苦しみ

2010-08-06 21:33:49 | 日記
朝、テレビをつけると、「このことが、1年生と2年生の運命をわけた。1年生は○十人全員が亡くなった。」という音声が流れていた。
低血圧人間の私は、起きてから身体全体が活動可能に至るまでに時間がかかる。
目を覚ますと、なんとか立ちあがってテレビのスイッチをつけるが、再び布団に倒れこみ、テレビの音を聞きながら少しずつ脳みそを目覚めさせていくのだ。

で・・・
えっ、生徒が何十人も死んじゃった?
1年と2年の運命を分けた?
何?電車の事故?1両目に1年生が乗ってて、2両目に2年生が乗ってたとか?
ええっ?そんな大変な事故が起きていたの????
アタマが次第に目覚め、引き続きテレビのニュースを聞く。

と、それは、今日のニュースではなく、1945年=65年前の今日起こったことだった。
原爆投下の日に、外で作業をしていたのが、1年生だったという、ある学校の生徒に焦点をあてた内容だった。
今日のことでないことにホッとしたものの、
すぐさま、ホッとしてはいけないことを実感した。

つまり、いまどき、電車の事故かなんかで、何十人もの生徒が亡くなったとしたら、それは、あってはならない悲惨な大事故である。旅客機の御巣鷹山墜落事故や、福知山線の脱線事故などで多くの命を失ったが、そんな事故は最たるものだ。
ところがだ、原爆って何。
どんだけの人が犠牲になったの。その何万倍だ。
想像を絶する。

広島は東京から離れているから、ピンとこないけど、8月6日は、いつもいつも暑い日だ。

身体が焼け焦げて、どんなにつらかっただろう。
指先をちょっと火傷したって、痛くて何もできない。
健康体でも、こんな夏の暑さの中、辛すぎると思ってる。
でも、原爆はそんなもんじゃないんだ。
言葉では到底表現できない。

原爆なんか、この世に絶対にあってはならないことだ。

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8月になって

2010-08-06 20:42:31 | 日記


8月になっても、猛暑が続いていると聞きますが、我が家の夜はめっきり涼しくなりました。
なんか、7月ころと空気が違うんです。夜になるとさわやかな風が入って来ることが多いです。
きっと、ひところの暑さは、もう過ぎたと思います。
山は越えた。

同時に、なにやらゴーヤに黄色い葉っぱが目立ちます。葉っぱは、黄色くなるとしだいに茶色くなって、枯れ葉となります。
近所や下階の家に落ちないように、枯れた葉はこまめにはハサミで切って、ごみ袋に捨てています。枯れ葉になったのは、水が足りなかったからでしょうか。でも、水やりを忘れた日はないし、多くは下のほうの大きな葉っぱなので、やっぱり寿命かな、と思います。

植物を見てると、人生と重ね合わせてしまいます。みんな役目を終えると枯れて散って行くのかな。それは、しかたがないよね。

人生を考えさせてくれたゴーヤに感謝しよう。

夕日は、かなり西に寄ってます。部屋の中には入ってきません。
まだ、ゴーヤの日よけは必要ないのですが、これから必要になるかもしれません。
それまで、葉が茂っていてくれるといいですね。

写真は、今なってるゴーヤの赤ちゃんです。
今までになく、ずんぐりむっくり。

ついでに、先日収穫した18号です。長さ30センチ。重さは180gくらいだったかな?
スマートですよね。これはキッシュになりました。



お店で売っているゴーヤを手に取ってみると、大きさのわりには、軽いような気がします。
気のせいかな?



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