山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

みんみん蝉

2010-08-07 14:08:24 | 日記
今日も、暑い1日です。
毎日、会社の冷房の中で仕事をしている私には、夏の日中の状況はよくわからないのです。
今日は、家の中で冷房をかけてこもっています。光化学スモッグ注意報などは出ていないようですが、こんなに暑くて天気がいいと出そうな感じがします。だから、自分がクルマに乗るのは、光化学スモッグの発生を助長するようなので、あんまり運転するきがしません。
でも、帰省ラッシュが始まったのなら、都内の車は減っているかもしれません。また、今日は風があるので、幸い、スモッグが起こりにくいかもしれません。

しかし、暑さで注意力が散漫になって、交通事故が増えているとも聞きます。運転中は大部分のクルマは、エアコンをかけていると思うので、運転中に暑さでどうかなっている人はあまりいないと思いますが、それ以前にすでに疲れている人がいるからでしょう。
本当に、車に乗るまでが一苦労というか、日よけシートも設置しましたが、それを乗る前にはずすのに汗だく、降りてから設置するまでに汗だくという状況です。
ああ、もう夏はドライブも外出もやめよう。秋になってから活動しようよ~。

あっ、話が全く別の方向に進んでしまった。
先ほど、ミンミン蝉が鳴いていました。この家に引っ越してきてから初めて聞きました。
ミンミン蝉が鳴くと、本当の夏ですね。盛夏です。それは、夏の頂点に達しているということです。頂点に達すると、それ以上にはならないでしょう。

以前の家は、桜の木がたくさんあったので、ミンミン蝉やアブラ蝉がたくさんいました。今度の家には、それほど大きな木はたくさんはありませんが、ミンミンゼミも住んでいるようです。ちょっと嬉しいです。

今度の家で驚くのは「カナブン」がいることです。夜になるとかなり大きなカナブンが家の中に飛び込んできます。玉虫のように緑色に光ってます。カナブンがいるなんて、カブトムシまでもいるんじゃないかとおもってしまいます。近所に大きな公園があり、樹木も多いので生息しているのでしょう。東京にカナブンとは驚きです。

それから、外ではわけのわからない虫の声が聴こえます。今も何だか聴こえてきます。
昨夜は、コオロギか鈴虫みたいな声も聴こえてきました。
やっぱり、秋が近付いているようです。

そういえば、今日は立秋です。
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放棄

2010-08-07 11:05:23 | 日記
宅建放棄しようかな。
実は、夏にある2回の模擬試験を申し込み損なっていたことに気づき、9月にある最後の模擬試験だけでも申し込もうと思って、申込書に記入して投函しようとしたところ、あれっ?宛て先がない!
葉書だと思っていた申し込み書は、実は葉書ではなく、裏面に宛先が記入されておらず、封筒に入れて送るものだった。
ところが、その封筒を紛失している。
たしか、このあいだ机の上を整理したときに、不要なもの捨てたのだが、以前送られてきた何かの案内に関するものだろうと思いこみ、やぶいてごみ箱に捨ててしまった。
これでは、どこに送るかもわからない。
問い合わせればなんとかなりそうだが、その試験が9月の連休の日に当たっていて、長女が私の実家に行きたいとも言っていたので、一緒に行きたい気もするし、送り先を問い合わせてまで申し込む気合いがなくなってしまった。

だいたい、その前に、宅建たるものが、まるで今の自分には無縁なものであり、どうにも興味が持てない状況になっているのだ。
昨年は引っ越しで忙しかったけど、今年は何にもないのに全然だめ。いったいどうしたことだ。

しかし、考えてみると、夏っていうのは学生時代の感覚でなんだか時間がいっぱい有るような錯覚を受ける。夏にまとめて勉強すればいいとか、準備をすればいいと思っている。
ところが、実際は、ただ暑いだけで日常と何ら変わりはない。ただの土日休みに実家に帰ったりするわけだから、ますます勉強する時間なぞ、なくなっているのだ。

早くも、今日は帰省ラッシュが始まったそうだ。私の会社でも1週間以上の長期休暇を取る人がいるし、またお盆休みとしては12日から16日まで休みを取っている人が多いように思う。しかし、私のように夏休みを取らない人もいる。
テレビなどで世の中の人の夏休みを見て、夏休みだと思うだけである。

夏バテとは、夜間に暑くて眠れないなどにより、生活のリズムが崩れることから始まるという。たしかに、あの特別に暑かった7月のころは、睡眠が乱れてパワーがでなかった。
今でも尾を引いている。だから、仕事の効率も下がる。
そもそも、夏に仕事や勉強をしようということ自体間違っている。

海に行ったり、山に行ったりして、楽しむのが理想だ。

でも、それができない自分。
最近、本を買ったり、絵を見に美術館に行ったり、美容院に行ったり、通勤のための服を買ったりしているので、急に所持金が不足してきた。
予算的にも遊びになぞ行ける状況ではない。
クルマの運転も、どこかに行って入場せず、ただ走るだけにしなくてはならない。

宅建の試験料は無駄だが、どうせ落ちるのに模擬試験を受けたら、さらに無駄な出費だ。

などと、色々思う。
お金=無い、時間=無い ⇒ いろんなことを放棄
結局、遊びもしなければ勉強もしない。
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母のすごいところ

2010-08-07 02:19:44 | トラックバック練習・ご意見板
・身体が丈夫
病気になったことがない。風を引かない。母は熱を出したことがない。
そのため、年老いた今でさえ、なかなかいたわってあげなくてはという感覚が持てない。

・家計簿をつけていること
私が生まれた時にはすでにつけていたし、今もつけ続けている。
毎日の収支以外に、貯金や金利、満期についても全部把握している。
「どんぶり勘定の私」の親とは到底信じられない。というか、なんでこんな「几帳面な母」の子どもなのに、私にはどんぶり勘定しかできないのか、貯金もできず、手持ち金も銀行残金も把握できない人間になってしまっているのか、わからない。
母に似ればよかったなあ。

・新聞を読んでいること
母は、毎日、新聞の隅から隅まで、目を通している。
私が実家に帰って、朝食の後などに、寝転がりながらテレビ番組を見ていると、母は老眼鏡を取り出し、1時間以上、新聞を読みふける。
新聞なんか、どこがおもしろいのか。そんなに読むところがあるのかな~。
だから、母は政治などに詳しい。議員や大臣のことなどもよく知っている。
というか、母が普通で、私が知らなすぎるのかもしれない。

母は、昭和一桁生まれで、少女時代は戦争中だったので、学校で勉強どころではなく、作業ばかりさせられていたらしい。それに貧乏な農家だったから、進学することもできず、学歴は小学校だ。
でも、「読み書きそろばん」は好きだったようだ。成績は、当時女学校に進学したひとたちよりもよかったそうだ。

世間には、家計簿をつけていて、新聞を読む人なんか、いっぱいいるから、そんなことが自慢になるわけはないが、私にできないことをしているということで、自分自身に比べてすごいなあと思うしだいだ。(次元が低くてすみません。)

母は依頼心がなく、強い人だ。それによく働いてきた。
今はもう、後期高齢者だから毎日自由にくらしているが、母は自分の快楽のために贅沢をすることはなく、いつでも質素である。

昭和一桁の特徴かな?
働いている母を見て育ったから、私も働くのが当然だと思っているし、贅沢なことができない性分は母に似ている。

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