山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

気持の入らない読書

2010-08-21 23:54:48 | 日記
「風の歌を聴け」を読み終えたが、実際、何がなんだかわからない。
急いで読んだからだろうか。
なぜ、自分が「うわのそら」で小説を読むのかもわからないのだ。

このあいだは、帰省する電車の中で
「女50代 美しさの極意」っていうのも読み終えたけど、
これもとりあえずざっと読んだ。

「大切に読む」ということができないのだ。

その本によると、
50代を過ぎると、時間もお金もなくなっていくそうだ。
お金を稼げるのは、せいぜいあと10年だ。

本気になって稼いだら、お金はたまるのだろうか?
自分は、本気になってお金を貯めようとしたことがあるのか?

ないよ。

「本気にならない」まま、時間だけが過ぎ去っていくのかな。

女50代 という本では、
自分のやり方を得意になって書いているような場面は好きではなかった。

それは、あんたのやり方。
それが一番いいやり方のように書かないでもらいたい。
そこまでくると、個人的な趣味を押し付けられているようでちょっと鼻につく。

でも、自分もきっとそういうことがあるに違いない。

年をとってくると、自己主張はパワー全開だ。
気をつけよう。

人の言うことに耳を貸さなくなってくるから、人の書いた本も本気で読むこともできなくなり、
うわの空になってくるんだろう。
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今日も花火大会?

2010-08-21 21:06:06 | 日記
今日は、多摩川の花火だとか?夜になって、南のほうから、ドン・・ドン・・バリバリなどと雷のような音がしていたが、花火は見えなかった。
それにしても、この夏、何か所で花火が行われたのだろう。平和なんだな~。

休日は、朝から他の人のブログを何度も開いて見ているのだが、更新している人が少ないような気がする。休日はやっぱり出かけたり、家族と過ごしている人が多いのかもしれない。
読むものがあまりないので、自分のブログを書いてヒマをつぶすことになる。

家で一人で過ごしていると、まるでのどが渇いたように、書いても書いても書き足りないという状況になってくる。

きっと、運転が好きな人が、どんなに走っても、もっともっと走りたいのと同じ状況なんだろう。
私は、文を書くのが好きだ。どんなに書いても書いても、もっと書きたいわけだ。

しかし、そんなにいっぱい書いたところで、ネタもないし、中身はからっぽになってくる。
こまったことだ。

村上春樹の昔の小説なんか読んだところで、そんなフィクションは面白くもなんともないよ。カタカナ語が多いのもいやだ。だから外国小説みたいな感じがしてしまうのだろう。
それに、洋画を翻訳したようなセリフにも興ざめだ。そういう時代だったのかな。

本日の、一般人のブログを読むほうが楽しいな~。

「風の歌を聴け」は最後まで読む気がなくなってきてしまった。
私は、村上春樹に限らず、小説はあまりすきじゃないんだ。

このごろ、嫌いなものが増えてきたな~
9時になったので、テレビでも見ようかな。
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一番近い本屋

2010-08-21 19:10:16 | 日記
一番近い本屋に行って、本を買おうと思ったんだけど、
自転車で行くのはすごく遠回りで、
近くの駐輪場に置いて歩いて行くと、
歩く距離が長いうえに駐輪代がかかり、
なんだか、面倒くさいしバカらしい。
かといって、路上に置いて撤去されたら3000円も罰金が取られちゃうし・・・。
集積所まで取りに行くのも一苦労だ。

ふと、思いついたのが
としょかん

そうです、本屋より近い。
駐輪場がある。
本も無料。

ということで、図書館で調達してきました。
図書館が近くにあってよかった。
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夕方

2010-08-21 18:24:12 | 放送大学
18時前に光化学スモッグ注意報が解除された。
昼間はずっと冷房をかけて昼寝をしていた。左側の腕が冷えて痛くなった。
設定温度は30度。一番高い温度だ。風速も最低にしてあったが、それでも冷え過ぎてしまう。17時過ぎに目を覚まし、窓をあけると、案外涼しい風が入るので、冷房を消した。
ノドもおかしくなっている。冷房は身体に悪い。

今日は、朝から村上春樹の「風の歌を聴け」という小説を読んでいた。途中で寝て、起きて、また続きを読み、半分くらい読んだところだ。
どうも、場面が「日本」という気がしない。なんか、ピンとこない。
作者とは相性というものがある。ちょっとダメかな。

なんで、この小説を読み始めたかって、それは放送大学の面接授業に「レポートの演習2-小説を論じる」っていうのがあったからだ。この科目は、この「風の歌を聴け」を使って演習が行われるらしく、受講者はあらかじめこの小説を読んでおく必要があるそうだ。私は、この科目を受講すると決めたわけではなく、受講するかしないかを決めるために作品を読んでみることにしたのだ。もし気に入ったら受講するつもりだった。
まだ、半分しか読んでないからなんともいえないけど、今の時点で、「ぜひ受講したい」とは思えなかった。

この小説は村上春樹が若い時に書いた作品だ。この人は、今や日本を代表する偉大な現代作家である。最近も大作がでている。「1Q84」はみんなが買って読んでいる。するとますます読みたく「なく」なる。
この新刊、私はずっと「IQ84」だと思っていたのだ。知能指数が84という意味だと思っていた。ところが、「IQ」じゃなくて「1Q」なんだそうだ。1Q84年という意味らしい。本当に自分は疎い。そして、相変わらずこの人の作品をほとんど読んでいない。エッセイかなんか1冊くらい読んだかもしれない。

同年齢の友人の話では、娘さんの買ったこの新刊を読もうとしたら、文字が小さくて読めなかったそうだ。だから私も同様に違いない。
いきなりこんな大作は読めないし、大成した後の作品より、初期の軽い作品のほうが読めるかもしれない、などと思った。
そうすれば、そこから、この人の作品にほれ込んで全部の作品を読むこともあるかもしれない、などと空想を広げたが、少なくとも今の時点でそんなことはありそうもない。

放送大学のこの面接授業は、「専門科目、人間の探求」に属する。これは私がすでに卒業した専攻である。今やっている自然系の科目が向いていないので、これだったら元の畑かなと思ったのだ。それに私はもともと他の短大で文芸科を卒業している。
以前、面接授業で化学の実験をやったときに、実験レポートをすいすいとこなす人がいて、目を丸くしたことがあった。開けてみると、その人は自然系のコースをすでに卒業していた人だったので、なんだ、それだったらできるのは当たり前だと思ったものだった。
だったら、私がこの面接授業を受ければそれと同様の状況が起きるかもしれない、などということも空想したが、どうもそんな状況は起こりそうもなさそうだ。

ブログなどで放送大学の体験談を読むと、自信を持っていたはずの科目がクリアできず、ショックを受けたというようなことが書いている。「自分はいつから勉強ができなくなったのだろうか?得意なはずの科目で落第した、自信を失った」などということが往々にしてあるようだ。
先日も面接授業のときに、数学が一番得意だったという人が、数学で不可を取ったことが納得できないと話していたのを耳にした。
得意だったものが苦手だったり、好きだと思ってたものが嫌いだったりするのだ。
自分の認識が間違っているということに気がつかされる、自分の実態を思い知らされるのだ。

なかなか、大変だね~。自分の実態を知っただけでも良かったのか、それとも知らないままだったほうが幸せなのかな~。実態を知り、それを乗り越えられたら一番いいんだろうけど、年をとるとなかなかできないもんだ。だったら、自分は得意だと思いこんだまま受講しないほうがいいのかもしれないな~。

なんで、こんなことをぐだぐだ書いているかというと、実は、何の意味もない。
単なるヒマつぶしだ。

休みの日になると、ブログばかり書いている。
1日に何個も書くから、つぶやきみたいなもんだ。だからツイッター状態だけど、それにしても文字数が多すぎるから、ツイッターでは収まらないだろう。

意味もない暇つぶしに付き合わせてごめんなさい。


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光化学スモッグ

2010-08-21 15:24:00 | 運転・車・道路の事

空はどんよりと、うす曇りである。お昼ごろ光化学スモッグ注意報が発令された。
今日は、貴重な休みだから、例によってクルマの運転の練習をしなくてはならないと思ったが、朝からどうにも身体が重くて出かける気がしなかった。
先週も帰省していて運転をしていないから、クルマでどこかに行かなくてはと思うが、帰省していた故、疲れ果てたまま仕事に突入していたので、2週間の疲れが積っている。実家ではどこにも行かずにごろごろしていたものの、それでも疲れているのだ。
疲れているんだったら、無理に運転をすることもないだろう。それに、ウチのクルマの排気ガスで光化学スモッグをさらに増やすことにもなってしまう。
そう思って自宅にこもって冷房をかけて昼寝をしていたのだが、・・・
あっ、自宅のエアコンも二酸化炭素を排出して光化学スモッグを作っているのかもしれない。・・・困ったことだ。
光化学スモッグ注意報は、まだ解除されていない。
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速く藻を食え コリドラス!

2010-08-21 13:35:34 | 日記
てな感じの、最近の職場です。

昨日も30分の残業になったのですが、残業を許可してもらうのもなんかすごいプレッシャーです。昨日は、上司たちが会議をしていたので、残業の許可をもらうことができず、結局勝手に時間を延長して、事後報告ということになりました。
なんとか定時の30分未満超過で収められるかと思ったのですが、それも無理そうです。

持っている案件をその日中に終わらせる必要があるかないかで、馬車馬になるかならないかが決まるわけで、もしその日中に出さなくてもよいのであれば、ほっとして普通の速さで仕事をし、10ページくらいを来週に残して帰るところです。
しかし、依頼者である担当者に確かめに行くと、やはり当日中にお願いということで、馬車馬になる覚悟を決めました。
しかし、どんなに走ってもやっぱり残業をしないでは収まらず、しかも、なんで残業をすることにこんなに罪の意識のようなものを持たなければならないのかと、矛盾を感じ、タイムカードを押してサービス残業をするのはやめ、しっかり残業をつけることにしました。

それにしても、勤務報告を見ると、その前にやっていた案件が、1時20分までかかったというのは、午前の仕事を前倒しにして、それを12時までにやっておけば、午後の仕事も定時に収まったのではないか、などとつっこまれそうです。
藻を食うのが遅いんだよコリドラス。別のコリドラスに換えてもいいんだぜ。・・・

しかし、こっちに言わせてもらえば、その1時20分に終わった仕事も、午前中に終わらせようと12時20分まで昼休みを使ってやってもさらにやり切れなかった部分であり、
もう、これ以上速く藻を食うことはできません。


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作品を書くということ

2010-08-21 13:12:27 | 日記
いつしか、人生も「半分」を超えた。人生はあと30数年くらいかな。
それも、平均寿命まで生きられればの計算であり、そうでなければ、人生はあとどれだけ残っているのかもわからない。3分の1かもしれないし、4分の1かもしれない。

平山画伯は「ぶれない」を書いたときに70代で、あと10年くらいは人生が残っていると考えておられたようだが、残念ながら70代にして亡くなられてしまった。
たくさんの絵を残されたから偉業は成し遂げたといえるが、それでももっと生きて、描きたかったものや、絵以外にもやりたかったことがあったはずだ。

私も凡人ながら、一度くらいは、小説のようなものを書きたいと、若いころから思っていたが、それも実行せずに年ばかり増えてしまった。
いいかげん、何か書かなければ書かないままで終わってしまうだろう。人の書いた小説等を読みながら、大した内容ではないなどと批評したりするわけだが、それでは自分が書けるのかというと、とても書けたものではないのだ。

以前、このブログに絵のことを書いたことがあるが、「名のない画家がどうということのない絵を描くにしても、それなりの労力と時間を要するのだから、絵は高いわけだ、パートタイマーの時給に換算しても・・・、」というところで、知らない人から厳しい批判のコメントが送られてきた。パートタイマーの時給と比較するのはあまりにも次元が低いということである。
たしかにそうだろう。

しかし、現実的に、私は毎日パートタイマーで仕事をしているが、それだけの時間を、例えば文学作品を書く時間にあてる覚悟はない。疲れてぶっ倒れてしまう。だが、おそらくそんなもので1年間を創作に費やしたとしても、まともな作品が書けるわけないし、パートタイマーで稼ぐ年収の10分の1も稼ぐことはできないだろう。
だから、私はパートタイマーをやめないし、作品を書かないで生活している。

そうだな、凡人なんだし、もう遅過ぎるよね。
人生の道を決めるのは遅くとも20代だろう。

趣味で絵を描いている人がいる。美術館の片隅に素人の絵の展覧会が開かれていたりする。
正直言って、あまりにもお粗末で興ざめだ。有名画家の絵を見たあとで、そんなものは見られたもんじゃない。趣味は趣味でいいのだ。自分が楽しければいいんだから。
中年過ぎて初めて絵を始めて、画家になった人はいないだろう。小説家も同じだと思う。
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履修科目登録

2010-08-21 11:19:23 | 放送大学
放送大学の科目登録は、まだ日にちに余裕があるので、のんびりしていたのですが、あんまりぎりぎりになって忘れてしまっては大変なので、今日ホームページから登録しました。
便利になったものです。

登録科目は、
1 エネルギー学の基礎

  思い起こせば、これは一度履修したものだった。課題も出して、試験も受けた。
ところが、たしか試験は教科書持ち込み可だったのに、出かけ際にカバンから教科書を出したのを忘れ、結局教科書なしで試験を受けた結果、落第だった。
そのあと、次期の再試験可能だったが、試験日が平日の仕事が休めない曜日になっていたので、そのまま放置。そしてその後、再履修もせず、内容もすべて忘れていた。
今回ふと科目案内を見ると、休日が試験日になっていた。一度勉強したものでもあるし、教科書もあるから、単位は他のものより取りやすそうだ。ということで選択。

2 社会と知的財産

 知的財産には関しては興味があり、知的財産検定等も受かっているので、この科目はまんざら知らない分野でもない。しかし、検定の時に勉強したことは大部分忘れてもいる。
このあいだ、面接授業で「ビジネスと知的財産」を受けておもしろかったので、さらに関連する知識を深めたいと思う。

登録は2科目だが、今回試験を受けないで落第してしまった「初歩からの化学」が、再試験を受けなければならないので、実質これも受講ということになる。

今回は教科書をじっくり読んで自分のペースで勉強しようと思う。

その他に、面接授業を3科目ほど申し込んだ。
学費は36500円であり、このくらいまでがいいところだ。
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帰省みやげ

2010-08-21 00:24:01 | トラックバック練習・ご意見板
実家に帰るときは、特に何も買っていかないことが多い。なんてひどい娘なんだろうね。

でも、今年は、ちょっとは母のために買っていった。
母の日のプレゼントもしてなかったし・・・。

この夏、閉店だか改装だかをするとのことで、自宅近くのお店がバーゲンをしていて、その店で自分のエプロンでも買おうとでかけていったら、エプロンはあまりいいのがなかったのだが、年配の人が着るムームーっていうか、私の田舎では「あっぱっぱ」というのだが、木綿の自宅着っていうのかな、母に似合いそうなのがあったので買った。
それが、メインのお土産と言えばお土産だ。

その他には、身体に良いという黒酢。これは、会社近くのスーパーで、昼休みにお昼のお弁当を買いに行ったときに買った。それと、台湾産の桜エビをかった。桜エビとコーンとゴーヤのかき揚げを母に作って食べさせようと思っていたので、田舎に帰ってから買いに行くのも面倒だし、桜エビなんか軽くてかさばらないからいいやと思って買っておいた。
日本産の桜エビは高くて買う気になれない。

持っていったのはそれだけだ。
お盆は特に休みも取っていなかったので、金曜日に仕事が終わってから帰省して、日曜日の夜帰るという日程。なんか、疲れちゃって行くの面倒臭いな~と思ったけど、その「あっぱっぱ」は、夏中に母に渡さないと秋になったら着れないから、どうしてもお盆に帰らなくちゃと思ったわけだった。母は早速着てくれてちょうどよいようだった。

さて、帰省すると逆に故郷のみやげを自宅に買ってくるわけだが、それも実家で毎日ゴロゴロしていたから、お土産が売っているようなところには行かなかった。
母が圧力なべで赤飯を炊いてくれて、それを詰めてくれたので、帰宅して夕飯に食べた。
その他には、電車を乗り換えるときに、乗り換え駅の地下道であわてて箱入りのパイを買ってきた。乗り継ぎが10分だったので、もうなんでもいいやと、目に止まったものを適当に買った。誰にあげるでもなく、自分と家族が食べるだけ。

なんといいかげんなことか。

実家では、黒酢の料理は作らなかったけど、母が魚屋からゴーヤを買ってきたので、ゴーヤと桜エビのかき揚げを作った。
なんで魚屋でゴーヤかって?魚屋さんの自家製だそうだ。1個だけ売っていたそうだ。私が作ったゴーヤに似ていた。ちょうどよかった。
田舎ってこれだから面白いね。


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