今日、ふと、スーパーの中で行き交う人を眺めてみた。
「みんな、暑さに耐えてるじゃない。」
みんなも猛暑の中、頑張ってるんだから、自分も頑張ろうと思う。
でも、そういう発想って、「みんなが好き」という前提から出てるんじゃないかな。
嫌いな人と同じことをしようとは思わないからね。
でも、実際、私は世の中の人が好きなのだろうか?
好きか嫌いかと言えば、きっと「好き」なんだろう。
世の中の人に恨みを持っているわけではないのだから。
以前、自動車学校の先生が、運転に自信が無いという私に、
「みんな運転してるじゃない」と言ったことがあった。
みんな運転してるんだから、大丈夫だよ、という意味だった。
そのときの「みんな」は、私がその行動を倣い、従うべき人々だった。
だから、当然好意を抱く対象である。
そうだよ、世の中の人は、おおかたいい人で、
肯定できる人たちに違いない。
でも、私は、世の中の他人のことを「漠然」ととらえているのだ。
個々の人を見るとどうなのか?
この人たちのこと、私は本当に好きだと言えるのかな?
自分がすれ違う人の顔を意識して見てみる。
若い女の子、お腹の大きい妊婦さん、中年のおばさん。
どんな人か知らないながら、この人たちが困っていたら、手を貸すだろうし・・・
例えば、物を落としたら拾ってあげるとか、
急に倒れたら救急車を呼んであげるとかするし、
何かのことで、一緒に行動するならば、
ある程度の好意を持って接するはずだ。
うん、たしかに、何かかかわりをもつときに、この人のことを好きになれると思う、
なるべきだ。
そんなことを思って、知らない人の顔を眺めたりした。
私は変なおばさんだね。
でも、昨日のことを思い出した。
追い越し禁止の狭い道路を運転していたときに、私を追い越して行った車があったのだ。
そこまでする?
夕方、通勤帰りの人でごった返していて、歩行者や自転車が多い黄色いセンターラインの道路を、私は少しゆっくり走っていった。
数日前そこを、対向車が来なかったので、センターラインをまたいだまま、びゅ~ンと40キロくらいで走っていったのだが、その後、あの走り方はまずかったなと思った。
夫の話では、自動車学校の卒業生が交通違反で捕まるのは、はみ禁のセンターラインオーバーが多いと、自動車学校の先生が言っていたそうだ。
だから、はみ出し禁止の道路では、原則として、はみ出して自転車を追い越してはいけないと思ったので、自転車との間隔が充分に取れないときには、徐行をするしかない。
それでも、現実的に自転車などがゆっくり走っていたら、とろとろ走り続けるわけにもいかないので、それは障害物と考え、センターラインを越えてさっさとぬかし、元の走行位置に戻るようにする。
ところが、歩行者や自転車が次々にいっぱいいる道路だと、結局、ずっと避け続け、ずっと追い越し続けるから、ずっとセンターラインをオーバーし続けることになるのだ。
その走り方は、白いセンターラインの道路の走り方と同じになる。違いは、自動車を追い越さないというだけのことだ。そうしたら、黄色いセンターラインの意味がなくなってしまうだろう。だから、やっぱり、はみ出しは極力避けるべきだ。
そのように思って走っていたら、なんか、後ろに妙に接近している車があるなと思った。あおってる?
その道路の最高速度は30キロである。
自転車を何台か追い越したあと、障害がなくなったので、時速38キロで走っていたら、いきなり後の車が追い越しをかけてきた。
200メートルくらい先は、幹線道路で、赤信号に車が並んで停まっている。
追い越しても、どうせ止まるぞ、と思ったら、すぐ先の交差点を右折していった。
よほど急いでいたのかな。
いや、あてつけだな。
今日、追い越された辺りを自転車で走ったので、道路を確認してみた。
追い越された辺りの一部分に、黄色い線が途切れているところがある。
途切れているところには、横断歩道があり、交差点部分だった。
横断歩道付近と交差点は追い越し禁止だ。
あとは黄色いライン、30キロの標識、追い越し禁止の標識があった。
やっぱり、違反だ。
あのような、運転手を、世の中の「みんな」として、
私は好きになれるのか?
なれるわけないだろ。
嫌いだ~~~~~!!!
自分が何も悪いことをしていないのに、
自分が運転のミスをしたような気分にさせられ、
そのあとは、なぜか駐車場でもうまく入らず、
何度も位置を補正。
なんてこった・・・
「みんな、暑さに耐えてるじゃない。」
みんなも猛暑の中、頑張ってるんだから、自分も頑張ろうと思う。
でも、そういう発想って、「みんなが好き」という前提から出てるんじゃないかな。
嫌いな人と同じことをしようとは思わないからね。
でも、実際、私は世の中の人が好きなのだろうか?
好きか嫌いかと言えば、きっと「好き」なんだろう。
世の中の人に恨みを持っているわけではないのだから。
以前、自動車学校の先生が、運転に自信が無いという私に、
「みんな運転してるじゃない」と言ったことがあった。
みんな運転してるんだから、大丈夫だよ、という意味だった。
そのときの「みんな」は、私がその行動を倣い、従うべき人々だった。
だから、当然好意を抱く対象である。
そうだよ、世の中の人は、おおかたいい人で、
肯定できる人たちに違いない。
でも、私は、世の中の他人のことを「漠然」ととらえているのだ。
個々の人を見るとどうなのか?
この人たちのこと、私は本当に好きだと言えるのかな?
自分がすれ違う人の顔を意識して見てみる。
若い女の子、お腹の大きい妊婦さん、中年のおばさん。
どんな人か知らないながら、この人たちが困っていたら、手を貸すだろうし・・・
例えば、物を落としたら拾ってあげるとか、
急に倒れたら救急車を呼んであげるとかするし、
何かのことで、一緒に行動するならば、
ある程度の好意を持って接するはずだ。
うん、たしかに、何かかかわりをもつときに、この人のことを好きになれると思う、
なるべきだ。
そんなことを思って、知らない人の顔を眺めたりした。
私は変なおばさんだね。
でも、昨日のことを思い出した。
追い越し禁止の狭い道路を運転していたときに、私を追い越して行った車があったのだ。
そこまでする?
夕方、通勤帰りの人でごった返していて、歩行者や自転車が多い黄色いセンターラインの道路を、私は少しゆっくり走っていった。
数日前そこを、対向車が来なかったので、センターラインをまたいだまま、びゅ~ンと40キロくらいで走っていったのだが、その後、あの走り方はまずかったなと思った。
夫の話では、自動車学校の卒業生が交通違反で捕まるのは、はみ禁のセンターラインオーバーが多いと、自動車学校の先生が言っていたそうだ。
だから、はみ出し禁止の道路では、原則として、はみ出して自転車を追い越してはいけないと思ったので、自転車との間隔が充分に取れないときには、徐行をするしかない。
それでも、現実的に自転車などがゆっくり走っていたら、とろとろ走り続けるわけにもいかないので、それは障害物と考え、センターラインを越えてさっさとぬかし、元の走行位置に戻るようにする。
ところが、歩行者や自転車が次々にいっぱいいる道路だと、結局、ずっと避け続け、ずっと追い越し続けるから、ずっとセンターラインをオーバーし続けることになるのだ。
その走り方は、白いセンターラインの道路の走り方と同じになる。違いは、自動車を追い越さないというだけのことだ。そうしたら、黄色いセンターラインの意味がなくなってしまうだろう。だから、やっぱり、はみ出しは極力避けるべきだ。
そのように思って走っていたら、なんか、後ろに妙に接近している車があるなと思った。あおってる?
その道路の最高速度は30キロである。
自転車を何台か追い越したあと、障害がなくなったので、時速38キロで走っていたら、いきなり後の車が追い越しをかけてきた。
200メートルくらい先は、幹線道路で、赤信号に車が並んで停まっている。
追い越しても、どうせ止まるぞ、と思ったら、すぐ先の交差点を右折していった。
よほど急いでいたのかな。
いや、あてつけだな。
今日、追い越された辺りを自転車で走ったので、道路を確認してみた。
追い越された辺りの一部分に、黄色い線が途切れているところがある。
途切れているところには、横断歩道があり、交差点部分だった。
横断歩道付近と交差点は追い越し禁止だ。
あとは黄色いライン、30キロの標識、追い越し禁止の標識があった。
やっぱり、違反だ。
あのような、運転手を、世の中の「みんな」として、
私は好きになれるのか?
なれるわけないだろ。
嫌いだ~~~~~!!!
自分が何も悪いことをしていないのに、
自分が運転のミスをしたような気分にさせられ、
そのあとは、なぜか駐車場でもうまく入らず、
何度も位置を補正。
なんてこった・・・