山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

小3の担任と学生運動

2022-09-20 23:59:42 | 日記2022

いつも読ませていただいているブログに学生運動のことが書いてあり、そのことで思い出した。

学生運動が盛んで、東大の入試が中止になったのは、1969年、私が小学校3年のときのことだ。

静岡県のド田舎の小学生にとって、はるかかなたの東京の超エリート国立大学のことなんか、関係ないはずなのだが、この時の担任によって強烈な記憶が残っているのである。

その年、私の担任の先生の息子が高校3年で、東大を受験しようとしていたのだった。ところが入試が中止となり、自分の息子は受験ができなくなったと言って、授業中に延々と小学3年生の子ども達にその話をしていたのであった。

今となっては、父親として期待する息子が東大を受験できなくて残念で仕方がなかったのであろう。(受けたからと言って受かるとは限らないけどね。)

だが、小学校教員として、授業時間をつぶして3年生の子ども達にそんな話をするのはどうなのかなと今になって思う。

その先生は何かと自分の2人の息子の話を授業中にしており、長男は沼津東高校、次男は韮山高校に行っていたとのことだ。いずれも静岡県では偏差値の高い高校であるが、私の町からはかなり遠いところで、アタマがよくてもわざわざ電車通学をしてそこまで通う人は珍しいのだった。それだけ教育に力を入れていたのであろう。

長男はどの大学に行ったのか覚えていないが、東大ではなかったような?早稲田だったかもしれない。

それで、次男は結局どうしたのか、浪人して翌年東大を受験したのか、現役で別の大学に入ったのか、次の年は担任ではなかったし、別の小学校に転任していったので、不明である。

まあ、あの先生は今になってみると、その他の様々なことを含めて、あんまり良い先生ではなかったなと思う。

なぜか授業よりも、息子の話ばかり覚えていて、先生と子どもと一緒に扁桃腺の手術を受けに行き、手術の仕方はどうのこうのと、詳しく話していたものだ。

夏休みの自由研究を提出したのに、返してくれず、ダンボールに放り込まれたまま教室に隅に置かれ、最後には捨てられてしまった。

だが、あの先生が東大入試中止の話をしたものだから、今になってもそれがいつ起こったのか思い出すことができたので、実は役にたっていたのかもしれない。

私は歴史上の出来事や年数を覚えることがなかなか出来ない人間なのだが、これだけは自分の学年と関連付けて覚えることができるのである。

とはいえ、学生運動とはいったい何だったのか、意味不明である。

今、調べてみると、学生運動全盛期の1968年、全国の医学部の学生と研修医が処遇改善を訴えていたが、活動拠点だった東大で、全共闘が安田講堂を占拠し「東大紛争」が起きたそうだ。
機動隊が突入し、武装が解除されたが、その影響で、翌1969年の東大入試が中止となったそうである。

なんか物騒な世の中である。今では考えられない。

あの担任の先生は、今、存命だとしても100才くらいになっているだろうし、先生の息子さんたちはとうに70歳を超えていることになる。

どんな人生を送っているのでしょうね。

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