きょう、高校の保護者会があったので、会社は振り替え休日をとって学校に行った。
そうしたら、うちのクラスは保護者が4人しか来なかった。
その4人の中の私以外の3人は、1学期の保護者会に来た人とは違ったし、また2学期の保護者会に来たメンバーとも違っていた。つまり、初対面の人だった。
私は、4月の最初の保護者会でPTAのクラス委員になってしまったので、会社が休めない曜日以外は休みを取って出席している。そのため、誰よりも多く、クラスの保護者会に出席するという結果となっている。
私自身もクラス委員にならなければ、休みまでとって保護者会には出なかったはずだ。
今のクラスは最初から集まりの悪いクラスで、それは働いている人が多いからだと考えられる。また、最初にクラスの中に昨年度の役員がいなかったこともあって、人をまとめて引っ張っていくような人がまったくいなかったし、集まるたびにもともと知り合いだった人もいないようで、吸引力がどこからも発生しないようである。
それでも、一年に一度くらいは出てみようということで、ぽつぽつと出る人たちが、結果的に毎回違う顔ぶれとなっているようである。
高校生にまでなって、保護者が学校に頻繁に出入するなんて、私自身あまりなじまない行動だった。私自身の母が私の高校時代に学校に来たなどと言う記憶はほとんどないからだ。
自分が育てられたように自分も子供を育てていると思う。
しかし、クラス委員をやるような他のクラスの父母の多くは、保護者が参加しうるすべての学校行事に顔を出すことを習慣としている人もいて驚いてしまった。暇人だからというわけではなく、皆仕事もしているようだが、比較的休みなどは取りやすい仕事だと言えよう。フルタイムでもなさそうである。
その人たちは文化祭・体育祭・合唱祭・講演会・公開授業・日曜の部活の見学・試合の応援など、日常茶飯事集まっているので、お互いに顔見知りであり、先生とも親しく、子供たちの様子も良く知っているようである。
私は今年初めていつもより多く参加することになり、そのことによって、お母さんたちの人柄を知り、よそのお子さんの様子などを聞くこともできた。親と親のつながり、子供と子供のつながりに接点が発見されると面白いこともある。
家に帰って子供に、この人と気が合ったよ、というと、子供同士も好感を持っていることなどがわかったりする。親の目と子供の目を照合してまた新たな発見をすることになる。
委員になるといろいろ借り出されて大変な面も多かったが、人と知り合いうことができたのは貴重な経験で、そこから様々な情報が得られたことは収穫だった。
今、個人情報の保護により、クラス名簿も作れない状況で、同じクラスの人の家の電話番号もわからないので、親御さんと話をする機会が以前に増してない。他のお母さん方がどのような方針でお子さんを育てているのかなど、まるで、コンタクトのとりようもないといえる。例えば夜遅くまで子供が戻らないときに、一緒に出かけた友人の親に電話をしてみることなどもできない。
しかし、きょう4人の保護者と担任の先生だけが集まった中で、特に子供の親しくしている友人の親ではないにしても話をすることができたのは有意義だった。
他のクラスの委員さんたちとはこの一年間、作業をともにすることなどがあって、同じクラスのお母さんたちよりもさらに一歩進んだつながりがもてた。とは言っても、数回合った中でやっと名前と顔を覚えた程度であるが、それでもいい経験が得られた。人間同士のつながりは、ないよりはあったほうがいいであろう。
子供の教育に熱心すぎる親というのは、私は好きではないのだが、そういう人たちの中に入ってみると、まったく学校に足を運ぼうとしない親の存在にもどかしさを感じ、そんなに無関心で人任せにしていいのか、そして、我が子が毎日過ごしている環境や頑張っている姿など、貴重なものをたくさん見逃しているんじゃないのか、それは惜しいことではないか、と感じることも多かった。
(
10月7日のブログに、PTAについての途中の心境が書いてありますのでよかったら読んでください。)