山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

雪の中の怠慢

2006-01-21 17:45:30 | 放送大学

雪です!

きょうは、何を書こうかなあ。
やっぱり、雪でしょう。
東京の人はみんな雪について書いてるかなと思います。

しかし、私は雪の中にはまったく出ないで、一日中ガスファンヒーターをたいて、家にこもっています。

明日は、放送大学「東アジア・東南アジアの住文化」の試験です。
持ち込み可の記述式なので、とにかく一通り教科書に目を通しておこうと思っているのですが、読み始めると眠くなって寝てしまい、昨日から全然進みません。
きょうは一日空いているので集中してと思ったのですが、やはり昼寝で終わってしまいました。
30分読んでは2時間寝るというような繰り返しでは、とうてい無理ですね。

この科目は専門外で卒業単位には関係ないのですが、前期に棄権して単位を落としているので、できればあきらめないで単位をとりたいです。
幸い、明日はたったの一科目ですから、その気があれば突破できるでしょう。
でも、この調子のままだときついです。

挫折するのか頑張るのか、いまだ明日の自分の行動が見通せない情況です。

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高校の保護者会

2006-01-20 23:13:10 | 未分類過去
きょう、高校の保護者会があったので、会社は振り替え休日をとって学校に行った。
そうしたら、うちのクラスは保護者が4人しか来なかった。
その4人の中の私以外の3人は、1学期の保護者会に来た人とは違ったし、また2学期の保護者会に来たメンバーとも違っていた。つまり、初対面の人だった。
私は、4月の最初の保護者会でPTAのクラス委員になってしまったので、会社が休めない曜日以外は休みを取って出席している。そのため、誰よりも多く、クラスの保護者会に出席するという結果となっている。
私自身もクラス委員にならなければ、休みまでとって保護者会には出なかったはずだ。

今のクラスは最初から集まりの悪いクラスで、それは働いている人が多いからだと考えられる。また、最初にクラスの中に昨年度の役員がいなかったこともあって、人をまとめて引っ張っていくような人がまったくいなかったし、集まるたびにもともと知り合いだった人もいないようで、吸引力がどこからも発生しないようである。
それでも、一年に一度くらいは出てみようということで、ぽつぽつと出る人たちが、結果的に毎回違う顔ぶれとなっているようである。

高校生にまでなって、保護者が学校に頻繁に出入するなんて、私自身あまりなじまない行動だった。私自身の母が私の高校時代に学校に来たなどと言う記憶はほとんどないからだ。
自分が育てられたように自分も子供を育てていると思う。
しかし、クラス委員をやるような他のクラスの父母の多くは、保護者が参加しうるすべての学校行事に顔を出すことを習慣としている人もいて驚いてしまった。暇人だからというわけではなく、皆仕事もしているようだが、比較的休みなどは取りやすい仕事だと言えよう。フルタイムでもなさそうである。
その人たちは文化祭・体育祭・合唱祭・講演会・公開授業・日曜の部活の見学・試合の応援など、日常茶飯事集まっているので、お互いに顔見知りであり、先生とも親しく、子供たちの様子も良く知っているようである。

私は今年初めていつもより多く参加することになり、そのことによって、お母さんたちの人柄を知り、よそのお子さんの様子などを聞くこともできた。親と親のつながり、子供と子供のつながりに接点が発見されると面白いこともある。
家に帰って子供に、この人と気が合ったよ、というと、子供同士も好感を持っていることなどがわかったりする。親の目と子供の目を照合してまた新たな発見をすることになる。

委員になるといろいろ借り出されて大変な面も多かったが、人と知り合いうことができたのは貴重な経験で、そこから様々な情報が得られたことは収穫だった。

今、個人情報の保護により、クラス名簿も作れない状況で、同じクラスの人の家の電話番号もわからないので、親御さんと話をする機会が以前に増してない。他のお母さん方がどのような方針でお子さんを育てているのかなど、まるで、コンタクトのとりようもないといえる。例えば夜遅くまで子供が戻らないときに、一緒に出かけた友人の親に電話をしてみることなどもできない。
しかし、きょう4人の保護者と担任の先生だけが集まった中で、特に子供の親しくしている友人の親ではないにしても話をすることができたのは有意義だった。

他のクラスの委員さんたちとはこの一年間、作業をともにすることなどがあって、同じクラスのお母さんたちよりもさらに一歩進んだつながりがもてた。とは言っても、数回合った中でやっと名前と顔を覚えた程度であるが、それでもいい経験が得られた。人間同士のつながりは、ないよりはあったほうがいいであろう。

子供の教育に熱心すぎる親というのは、私は好きではないのだが、そういう人たちの中に入ってみると、まったく学校に足を運ぼうとしない親の存在にもどかしさを感じ、そんなに無関心で人任せにしていいのか、そして、我が子が毎日過ごしている環境や頑張っている姿など、貴重なものをたくさん見逃しているんじゃないのか、それは惜しいことではないか、と感じることも多かった。

10月7日のブログに、PTAについての途中の心境が書いてありますのでよかったら読んでください。)

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青春アミーゴ

2006-01-19 23:36:02 | 未分類過去
きょう、会社の帰りにいつものスーパーに寄ると、そのスーパーにはめずらしく、修二と彰の「青春アミーゴ」が流れていました。買物をしながらそれを聴いていたら、なんだか涙がでてきてしまうほど感動してしまいました。いい歌です。ドラマの影響もあるのか、友情というかなにか温かくなつかしい、人と人のつながりを感じるメロディーです。

このスーパーは一昨年まで私が勤めていたスーパーと同じ会社の違う支店です。
だからいつも流れている曲はだいたい共通していて、前の店で仕事中に聴いていたものばかりです。それはその本部から用意されている曲で、流行なんかは関係ない適度に明るく軽快で題名もわからないような曲です。ですから、そんな曲を聴いていると、仕事のことを思い出すくらいなもんでした。

前の店では、店長がいないときを見計らっては、大学生のバイト君が今風の曲を持ってきて流したりしていました。すると、働いている人たちは、おっ!と言う感じで喜んだものです。「開店前にはいつも流してよ」などとリクエストしていました。
もしかして、この店もそんなバイトがいるんじゃないのかなとニヤリとしてしまいました。

前の店ではときどき変な演歌なんかがかかったりしたこともあります。
品出しのときは軽快な曲がかかっているものなんですが、そこに氷川きよしの演歌なんかがかかると、なんか手がおそくなって調子がでません。
「ちょっと、趣味悪いんじゃない?調子がでないよ。」「スーパーって感じじゃないんじゃない?」などと文句を言うと、「だってレジの○○さんがかけろっていうからさあ」などと言います。「いやウソだ、レジのおばさんのせいにしてるけど実は自分の趣味に違いないわ」などと言われていました。
見かけが中年太りのおっさん風大学生だったんで。

青春アミーゴの速さだと、働くほうにとってもなかなかいいのではないでしょうか。
お客さんも喜ぶしネ。

買物を終えて、外に出て、彰と修二とノブタの3人のつながりがよかったなあとドラマを思い出しました。思えば今の自分にも腐れ縁みたいな気の合う仲間がいるにはいます。それは子供が小さいときに公園や児童館で知り合った人の中から自然にできた気の合った仲間ですが、やはりそういうのが一番気楽で疲れない存在だと思うのです。今は子供を抜きにして酒を飲みに行ったりできるようにもなりました。

学生時代の友達とはちょっと違うけれど、そういう仲間がいるのは幸せなことだなあと感じました。
考えてみればすでに20年の付き合いになっています。


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忙しい会社

2006-01-19 22:47:21 | 未分類過去
3月の年度末を前にいよいよ最後の追い込みに入ってきたようです。
昨年、私が1月に入社したときも、新人に仕事を教える暇がないというほどの忙しさで、会社の業務内容も自分の仕事の詳細も何もわからないままで、いきなり校正をまかされました。見慣れない文章で、直さなくてもいいところまで直してしまったりもしました。
仕事については、あとになってから改めて説明されるなどということもないままに、なんとなく周りの状況を察しながら社員のやり取りに耳をそばだてつつ、自分なりの解釈で今にいたっているわけです。

私が会社に行くと社員さんたちは、すでに仕事に没頭しています。そして、帰るときも同様に没頭しています。一日中パソコンを打ちつづけて文書を作っている人もいます。そして、ときどきうめいたりしています。
グループで動いている仕事もあり、だれか手が空いている人はいないかと、中堅社員が若い社員に予定を聞きながら仕事の割り振りを調整しているのですが、結局みんな沢山の仕事を抱えていて、それ以上は無理な様子。
結局、一日がかりの出張から帰ってきた夜、その人がやるしかない、などという状況になっているようです。

そんな姿を毎日見ていると、
「男は顔に汗してパンを食べ、ついには地面に返る」などという創世紀で神がアダムに向って言ったという言葉が思い出されるのでした。

私は疲れるほども働かず、家に帰りますが、それでも時間は充分にあるとは言えません。
何が趣味かと言って、おいしいものを食べる事とテレビドラマを見ることくらいですね。
だから、社員の男の人たちの中に、テニスラケットやギターなどを持ち歩いている人も見るには見ますが、ほんとうにささやかな短時間の趣味を楽しむ程度ではないかと思います。
昼休みには弁当箱を洗い、机の上で乾燥させて持ち帰る人も複数いますし、中には子供の保育園の送り迎えをしている人もいるかもしれず、家庭の事情で出張にはどうしてもいけない日などを申告している人もおり、妻の負担を減らしたり、家庭を守ったりしている様子が伺われます。

そういう夫の苦労があって、中には専業主婦をして子供の教育に力を注げる妻もあるかもしれないし、共稼ぎで家のローンを返しているひともいるのかもしれないなあなどと思うこのごろです。

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北風の強い日

2006-01-19 20:06:41 | 未分類過去
15日のぽかぽか陽気がウソのように、また真冬に戻ってしまいました。
きょうは特に風が強くて寒さが厳しいです。

会社の帰りに自転車で道路を渡ろうとするときに、いつも立ち往生する場所があります。
路地に入ったところに、中学受験の塾があるのですが、広い道に続々と自家用車がやってきては、その路地に入るところで一時停止しては小学生を下ろしていくのです。
私はそこで広い道路を渡ってその路地に入りたいのですが、進むのか止まるのかわからない車に最初の頃は翻弄されていました。
今は、多くの自家用車がそこで止まるものであり、一旦ドアが開いて子供が降りない限りは前進しないのだということを学習しました。しかし、子供を下ろしてすぐ走り出す親もいれば、手を振って見送る親、塾の中に入るまで見届ける親など様々であるために、相変わらず車の前を横断できるのかできないのかの判断に迷う毎日です。
何台かの車が立て混んで、後ろがつかえていると停車位置を前方にすすめてからとめるらしく、数台が連なって路地の入り口の付近をふさいでしまい、車が立ち去るまでは通れないこともよくあります。

ところで、このような子供の育て方は、私には無縁だなあと思うわけです。
今、貧富の差が激しくなっていると言いますが、そのようなことは以前からある程度変わっていません。お金持ちの家庭では夫の収入で充分暮せるので、奥さんが専業主婦で、小学校から帰ってきた子供に手作りのおやつなど食べさせた後、自家用車を運転し塾に送り届けるなどし、子供の教育に手間ひまとお金をかけているのでしょう。
子供は勉強もよくして、いい学校に入って、品良く賢く育つというわけでしょう。
しかし、母親が働いている場合は、子供の教育には、たとえお金はかけられたとしても、手間ひまをかけることはできません。いい塾を探している暇もないし、送り迎えをしたりはできないのです。
だから、生まれた家庭によって、子供の進路や生活習慣も必然的に決まってきます。

暑い日も寒い日も快適な温度の日も、この一年間、いつもいつも多くの子供たちが自家用車から降りてその塾に吸い込まれていくのを見てきました。

一日ひたすら働いて、北風の中を自転車で帰る私、その子供は、親同様にどこにいくにも自転車を走らせて行きます。
私立人間対公立人間の違いですね。

*  *  *  *  *

会社の帰り道に強風時には非常に危険なところがあります。
一度、ある大きなビルの前を走っていたら、前車輪が横から風を受けてあおられ、浮き上がってしまったことがありました。すごく恐かったです。自転車もろとも飛ばされるところでした。
ビル風です。 おそろしい力が働くものです。
それ以降そこは通りません。

ビル風が激しいところはそこだけでなく、毎日通るところにも高いビルがあって、ふだんから風が強いです。今朝はそこを追い風で通ったのですが、帰りは風に向って通過しようと臨んだものの、人が自転車をこぐ力では完全に前進不可能状態でした。あきらめて、100mくらい道をずらしてから別の道を北に向ったところ、問題なく走れたので、やはりビル風の強さは恐ろしいものだなあと思いました。
事故がおきないのが不思議なくらいです。

今、子供がバイトに行っているので、強風が心配です。

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掲示板の戦い

2006-01-19 00:59:25 | 未分類過去
以前、「日本語オンライン」という掲示板を毎日のように訪問していたのですが、この数ヶ月はさっと目を通すだけになりました。

最近、読んでいるとまた加熱しています。
ある外国人が自分には日本語の自信があるのだが、仕事上の日本語の応対に不備があったと日本人の上司から指摘され、それはどうしてなのかという質問から始まったのですが、日本語教師の書き込みによって自分の間違いは理解したものの、もし日本人が多少間違った日本語を使ってもそのように指摘しないのではないか、外国人だからより日本人らしい日本語を使うようにきびしく求めるのだろう、というような気持ちを消し去ることができない様子でした。

その人の書き方が、すごく人の気持ちを逆なでするような要素が強く、そのことをさらに日本人が指摘すると、また輪をかけたような返事が返され、日本人のほうもだんだん怒り狂ってきたわけで、何度かやり取りを繰り返した後に、最後には捨て台詞で決裂。そこに日本人で中立というか、外国人の見方のような人の意見も出て来て、またさらにごたごたで、ついには最初に親切に解答を寄せた日本人が、もう二度とここには登場しませんなどとまで言い放って退場して行きました。
(ざっと読んで把握した印象なので、詳細は少し違っているかもしれません)

ああ、読んでいるだけでこっちまで力が入って来てストレスがたまります。
言葉だけで人と理解し合うって言うのは本当に難しいものですね。

私も以前はそんなやりとりに加わっていたことがありますが、意見があっても、加わる事無く、傍観しているのが一番だなあと思います。



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女性が働くということ

2006-01-16 22:21:15 | 未分類過去
女性が出産と育児を通して男性並みに働くということは、私はかなり負担が重いと思っています。
そして、家庭が働く者だけになった場合、どれだけ精神的うるおいがなくなるかも想像できます。
心にゆとりがないのです。
子供が病気になってもゆっくり休ませることはなく、一日も早く回復してくれと祈るようになります。
例えば、夕方仕事から帰ってきて、子供がケガなどしていることに気づいて、多少痛がっていても、もう夜で病院はやっていませんから、よほどのことがなければそのままに様子を見ます。
もし、専業主婦であれば翌朝でも病院に連れて行くでしょうが、母親が働いている場合、急に仕事は休めませんから、重症でないと見るとそのまま子供を学校に行かせます。
私も実際にそんなことがありました。
子供がつき指をして、毎日わたしが仕事から帰ると指が痛いなどと言っていたのですが、そのうち直るだろうなどと様子を見るうちに、なかなか痛みも腫れもひかず、何日かしてやっと病院に連れて行くと、骨にひびが入っているとのことで、指を板で固定して包帯でぐるぐる巻きにされました。
そのころは、日本語教師をしていたのですが、突然休むと言うことはできません。代わりに誰が授業をするかということになります。普通、授業をするには、前の日に何がしかのまとまった時間をかけた準備をしなければ、まともな授業はできません。
突然当日に休むなどということは、他の先生にも学生にもすごい迷惑をかけることになります。
母親が仕事を休めないということをわかっている子供は、ケガや痛みを自分で我慢して、親に負担をかけないように気を配ります。大丈夫だという子供の言葉を聞くと、ああそうか、よかった、明日仕事を休まなくても大丈夫だと親は胸をなでおろすのが事実です。
うちの子供は、二度つき指をしたのですが、2度目は病院に行かなくていいと言い張りました。治療法はわかっているから行く必要がないというのがその子の考えでした。
一回目に病院で処置してもらったときの板と包帯を自分で保存してあったため、それを使って、自分の指を固定していました。そうしておけば痛くないとのことでした。
そうしたら、ちょっと指が曲がったままで、治ってしまいました。

男親がいてもやはり急に仕事を休むことはできません。今の会社の社員を見ていても、締め切りに追われてぎりぎりのところで仕事をこなしているし、出張や来客が決まっているときに急に予定を変更することなどは不可能なのです。

私は、子供をもつ女性は責任のあるきびしい仕事は難しいと思っています。
母親でなければ、元気な祖母か、お手伝いさんか、とにかく家庭で子供を守ることのできる存在が必要です。少なくとも子供が自分の判断で病院に行くようになれるくらいの年齢のなるまでは、誰か大人が家にいるべきだと思います。
仕事で苦労をしてへとへとになったりいらいらしている両親のもとで、子供がどうやって安らぎを得られるでしょうか。母親が遅くまで働いていて、どうやって心をこめた料理などができるでしょうか?中には何でもこなしてしまう人もいますが、そんな人はめずらしいです。
一家には人を優しく包むことのできる人が必要であり、それは当人が重過ぎる負担を背負っていないことが必要だと思うのです。

いったい、世の中にその人にしかできない専門職をもって、辞めたらもったいなくてしょうがないなどという女性が何割いると思いますか?
そんな人はごく一部です。多くの女性が働いているのは、お金が必要だからです。
子育ての期間くらい家庭に入ってじっくり子供の世話をするのがいいと思います。
夫の収入が充分なら、小さい子供をほったらかしにして働いきたい人なんか多くはないと思います。

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単位認定試験を前に

2006-01-14 15:32:28 | 放送大学
放送大学の単位認定試験を前にして、早くも挫折ムードです。
というか、どう考えても7科目は無理だなあと思い始めて、次の期に回せるもの、つまり、つぎの夏の試験日が土日に当たっているものを調べたりし始めてしまいました。
そしたら、結構たくさんあるのです。
しかし、まわせるものを全部まわしたりしたら、結局単位をどんどんとって行くことはできません。
最小限にしなければ、と思いつつも、なんか正月ボケがまだ直らず、毎日なまけムードが続いています。

昨年出した通信課題も戻ってきました。
それを見て、また、何を頑張ろうか、はずそうかなどと感じるところがあります。
しかし、やる気のない科目を後回しにするというわけではありません。むしろ逆である場合も多いです。変な成績でやっと単位をとれるのでもいいと思う科目は試験を受けます。もう一度ちゃんとやり直してしっかり勉強したいと思うものは、今回は見送ろうかとも思います。

たとえば、以前書いた「芸術の理論と歴史」なんですが、青山先生の情熱には非常に惹かれるものがあります。
そして、提出課題のコメントもすごいです。正解でもその内容確認としてたくさん解説がついているので、とてもありがたいです。
しかし、私は元来「歴史」と言うのが苦手であって、なかなか頭に入りません。
それに、学習センターに通う暇がなくて、芸術作品が映っているビデオも見られないので、この状態で試験を受けてもいい成績はとれません。

そうしたら、今度送られてきた面接授業案内に「芸術の理論と歴史」があるのです。
2006年度改定の内容になってしまうようですが、そんなに内容が変わるとは思えません。また、青山先生の授業は埼玉の学習センターで行なわれるようですが、調べてみたら大宮までは通えない距離ではないようです。
これは次回に回して、面接授業を受ければもっと理解が深まるし、本当の先生の授業が受けられるいいチャンスです。だから、今回の試験は棄権するかもしれません。

ところで、戻ってきた課題なんですが、他の科目では、単に「正解は○○です。○課をよく読んでください。」というコメントの羅列であるものもあり、担当講師によってずいぶん違うなあと思いました。よく読んだつもりでもわからなかったんですけどね。たしかに、正解を知った上でよく読めば判るものですが、ずいぶん簡単なコメントだなあと思います。

今度、放送大学では「科目郡履修認定制度」というのができました。一定の科目郡の中から決められた単位数を取得すると、その分野についての学習を習得したという認証がしてもらえるそうです。
私が属している人間の探求コースでは「歴史系博物館活動」という科目郡の認証がもらえるそうです。
だから、そこに入っている科目の単位は落とさないで取りたいなあと思いました。

試験に教材を持ち込めるか否か、記述式か択一式かでも、どの科目を重視して勉強するかに関わってきます。
肝心な勉強をしないで、そんなことばかりに思いをめぐらせている大雨の一日です。
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少人数向け豪華な家の増加

2006-01-14 02:38:46 | 未分類過去
狭い公営住宅からの脱出をはかるべく、何年か前は家を購入しようと探していたことがあります。

最近の都内の集合住宅(マンション)というのは、広さの割りに部屋数が少なく、水周りの設備や電気的な設備が整っている傾向にあるのではないでしょうか?

年々、贅沢で余裕のある雰囲気を備え、文明の利器を備えた進化した家になってきているように感じます。

それが、予算の関係から3000万円台の家などをみると、1LDであったりするんです。
3K(6畳、4・5畳、3畳)の公営住宅より面積はずっと広いんですが、この間取りでどうやって4人家族が住むんじゃいと思います。
リビングルームをついたてかなんかで区切って部屋にしたらどうだろうかなどと検討したこともありますが、どう考えても今の旧式公営住宅のほうが便利に使えるという結論でした。
今は和室なんですが、和室だと、椅子がなくてもたくさんの人が座れたり、布団をたたんだり敷いたりできるし、いろいろと融通か利くのです。
しかし、洋間はそうではありません。だから、2LDKの家では、普通子供がひとりの家族用ということになります。洋間の場合、4人家族だと3LDKは欲しいです。70㎡あるといいかと思いますが、もう5000万円以上で、手が出ません。

一戸建てもマンションも、トイレはウォッシュレット、風呂場は乾燥室、キッチンもすごいシステムキッチン、玄関はテレビカメラと電話つき。
マンションならオートロック等等です。
こんなもの何もついてなくていいから、あと100万安くして欲しいなどと思います。

本当にかっこうばかりつけているような気がするんですが、実際、そんな優雅に暮せるのでしょうか?ローンを払うのに必死に節約するでしょう。実質と違うような気がするんです。

そういう家が、「夫婦だけで優雅に暮らせる家」だったり、「子供一人にお金をかけて贅沢に育てる」みたいな方向性づけをしているようなきがします。

買う人がそういう家を好むからそういう家が増えるのか、そういう家が多いから、少人数家族が増えるのかわかりません。

マンション会社からしつこく電話がかかってきて、それがILDKくらいの駅のすぐそばのマンションだったりします。
4人家族だからその間取りでは住めないと断ると、絶対にこういうのを買ったほうが得だと言います。
郊外の広いマンションなんか価値はなく困るだけだから進められないと言います。駅から遠くて不便で子供はそのうちに出て行く、何年もすむわけではない、その家の処分に困って売ろうとするが全然売れませんよとのことです。
その点、都会の駅から至近距離のマンションは狭くても古くなっても価値は下がらないそうです。自分たちが住まなくなったら誰かに貸してもいいとのことです。

そんなことで、都会の人間は大家族になりにくいのではないでしょうか。

実際、知人なども郊外に比較的広い家を買ったものの、夫は通勤に時間がかかって疲れ果てていたりします。そうなると、子供も作らず都会の駅の至近距離に住んで、コンビニなども近くにあり、便利にくらす会社員のほうが仕事にも余裕をもって打ち込めるということになります。

家族のいない男は転職などもどんどんできます。万が一失敗しても誰を養うわけでもないですから。
ところが妻子持ちの男の場合、そんなに簡単に会社を辞めたり、別のものにチャレンジしたりする危険は冒すことができないので、それだけ消極的になる場合もあるでしょう。

都会の場合は住環境や通勤条件などから、子供がいないほうが得する社会なのかなあと思います。


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少子化と住環境

2006-01-14 01:11:06 | 未分類過去
少子化について書かれているブログをいろいろ読んで、いくつかトラックバックなどさせていただきました。

少子化の対応策として、子供を産む気のない人たちをその気にさせなければいけないという内容が多くありました。しかし、仕事などに生きがいをもち、そこで有意義に活躍している若者に結婚して子を産み育てよなどといっても、早々そんな気にはならないし、その人たちが家庭を作ったり子を育てたりする能力に優れているとも限りません。
それは、なかなか難しいことであり、そのような人たちに出産費用を無料化することなどは、あまり関係ないかもしれません。

ふと、思ったのですが、それなら、働きたい人は働いていてもいいかもしれません。
その代わりに、立派な子供を生み育てることに熱意のある人やそのようなことを得意とする人が、産まない人の代わりに3人も4人も産んで育てればいいことです。
そういう人たちには、経済的な援助や医療や託児を充実させるなどの環境を整えれば、たくさんの子供を産み育てることができるでしょう。

私なども、もっと経済的に余裕があって広い家があれば、3人くらいは子供が欲しかったと思っています。

知人にお子さんのいない人がいるのですが、その人はお子さんができなかったのではなく、ご主人も奥さんも特に子供が欲しいと思わなかったので作らなかったのだそうです。
その奥さんは、有能な方なのですが専業主婦で、ボランティア活動などをされています。それと趣味もかなりされています。

そのかたのマンションに伺ったことがありますが、3LDKなわけです。夫婦の寝室のほかにお客さん用の寝室があって、それぞれベッドがセットされていました。そのほかにパソコンルームなどあり、リビングもすごく広くて、すべてがきれいです。
部屋が空いていてさびしいから誰かに泊まりにきてもらいたいと言っていました。

子供がいないから、奥さんが働かなくても暮せるのでしょう。
そして、夫婦だけなので、本当はそんな広い部屋はなくても充分なんです。でも、子供にお金がかからないから、そんな大きな家に住めるわけです。

しかし、皮肉にも子供がいて広い家が欲しい家庭には広い家に住むほどの経済的ゆとりはありません。うちの子の夢はベッドのある個室です。そしてテーブルで椅子に座ってご飯を食べることです。39平米じゃ無理です。
私は子供が二人になってから、夫と枕を並べて寝たことがありません。広さ的に不可能なんです。
下の子が生まれたときにベビーベッドを借りてあったのですが、あまりにも狭いのでたたんで、下の子は押入れの中に寝かしました。

そして、教育費や食わせるために、共稼ぎをしても、焼け石に水のようにお金がなくなっていきます。

この矛盾なんとかならないんでしょうか!

なんか愚痴になってしまいましたが、
子育てのために住環境も何とかなるよう支援をお願いしたいです。




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二人目を生みにくい状況

2006-01-13 21:50:08 | 未分類過去
少子化が問題視されているこのごろですが、確かに人口の減少にはあせるわけだなあと思いました。
夫婦が子供を2人ずつ生んでいけば、なんとか同じ人口が保てるわけですが、もしひとりずつだったら、どんどん減っていくわけですよね。限りなくそれが続けば人口は激減して社会の力は弱まるに決まっているわけです。
私は人口はこれ以上増える必要はないと思うけど、やはり減りすぎるのは問題だと思います。

ところで、自分が子供を生んだときのことを思い出すと、二人目というのは、いろいろと乗り越えなければならない条件があったなあと思います。

うちは、3歳違いなんですが、これはまさしく計画出産です。私はつわりがひどかったので、二人目のつわりに耐えつつ1歳くらいの上の子の面倒をみるのは無理だと思いました。また、上の子が幼稚園なんかに通っているときにつわりになったり、生んだりするのも無理だと思ったわけです。誰も代わりに面倒を見てくれる人がいませんから。
それで、上の子が2歳で、まだ毎日家にいられるときに下の子ができて、つわりでゲエゲエしてましたが、生活には支障はなく、そして、下が1才になってある程度の大きさになったときに上の子の入園式を向え、自転車の前後に子供を乗っけて送り迎えをしました。幼稚園の行事には下の子同伴で大丈夫だし、日常は問題なく暮らせると言うわけです。

ところで、下を、生むときはさすがに人の助けが必要ですね。

まず、上の子を産んだ病院は産婦人科に幼児をつれて来てはいけないという決まりだったので、そこで産むのはやめました。というか不可能じゃないですか。幼児をひとりで遠い待合室に待たせておくなんてことができるわけがありません。産科では評判がよく、妊娠初期から分娩予約をしなければ満員で受け付けてもらえないような病院でしたが、こんな不便なことはありません。
それで、二人目のときは、外来診察室の中まで上の子を連れて入ってもよく、入院中も上の子が産科棟に出入りできる病院にしました。

一番の問題は、下の子を産んで入院している数日間、上の子をどうするかです。
これが、ほんとうに大問題ですね。

出産予定日から1週間、夫は有給休暇をとっていました。これで入院中は夫が上の子の面倒をみるから大丈夫だという計算でした。ところが待てど暮せど生まれないのです。そして、予定日から一週間遅れてやっと生まれたわけです。夫の休暇が終わる前日でした。それで、実家の母に上の子を実家に連れて帰ってもらって、面倒を見てもらい、私が退院する日にまた田舎からつれてきてもらうことにしました。

実家ではすでに父が亡くなっていて、母がひとり暮しだったのですが、犬など飼っていたので、長期の外泊はできませんでした。また、夫の仕事は夜勤だ明けだ日勤だと不規則で、好きなときに寝たり起きたりしたいわけで、私の母に来てもらうと狭い家でお互いに気を使ってしまいます。それで、子供を母の住み慣れた家で見てもらうことにしました。母はそのころまだ50代で仕事をしていたのですが、たまたま仕事にぶつからなかったのか、休んでくれたのか今では覚えていません。
夫の母は体が不自由で無理ですし、私の姉は遠くに住んでいて、幼児をふたり抱えていましたから、ほんとうに私の母しか頼る人はいません。それでも、実母がいてよかったと思います。
世の中には頼る人がいない人もいるはずです。そういう場合、いったいどうするんでしょう。

どうしても子供を見てくれる人がいない場合は24時間営業の保育室なんかにあずけるしかないでしょうが、突然他人に預けるのも子供がかわいそうだし、夫が夜勤明けで子供を家に連れ帰って面倒を見るなんていうのも大変なことです。普通の会社員だって、仕事以外の時間に幼児の世話に徹するのは無理でしょう。

一番いいのは、病院内に託児室があって、陣痛が起きたら上の子を連れて病院に行き、生んだ後も病院内で母親が会いに行けたり一緒にいたりできるサービスがあったらいいのになあと思います。生まれて初めて上の子と離れたときは、本当に辛かったです。

男に育児休暇が取れる社会なんていいますが、そんなに簡単に抜け出したり都合のいいように変更できる仕事なんかあり得ないと思います。
夫の場合、シフト制で動いていたので、最初に作った予定を簡単に変更するには、他の人も全部変更してもらう必要があります。最初から余剰人員なんかいないんだし、無理なことです。
もともと、そのシフトというのは、いろいろ工夫をこらして非常に苦労して担当者が組むものです。平常でも大変で、突然不幸などあっても簡単に休めるものではありません。突然誰かが休んだら、その分誰かが延長したり早出をしたりして、無理をしなければいけませんし、一日ならまだしも何日もなんて絶対に無理です。父親の育児休暇なんて全く非現実的なものだと思います。
育児休暇であろうと有給休暇であろうと、仕事は突発的には休めないものです。しかし、出産とか育児に関しては予定できない出来事が多いです。
また、長い休暇が欲しい夫なんか普通の状況ならいないはずです。仕事から離れて家庭に入るなんてことは不要です。

出産、子育て中におきる突発的なできごとに対処できる社会のサービスシステムが必要だと思います。

友人に遠い地方からご主人の転勤で来ている人がいたのですが、上の子が幼稚園に入る前に二人目を流産してしまい、そのときも突然の出来事で、上の子をかかえ病院に行くのが大変だったようです。
その後、上の子が幼稚園の時に二人目ができたんですが、出産前後は何ヶ月か実家に帰っていたので、長期間幼稚園を休んだ後、戻ってきてからも小さい赤ちゃんを連れての通園は大変で、雨がふったり下の子が具合が悪かったりすると幼稚園を休むということが続きました。
私など同じ幼稚園に通う近所の友人も、自分の赤ん坊を抱えて自分の子供を送り届けるだけでやっとなので、人一倍やんちゃな男の子を頼むなどということも遠慮して、結局幼稚園を休みがちのまま終えてしまったような状況です。計画どおりには行かないものです。

それでもいいじゃないかと言えば、いい訳です。幼稚園にうちなら上の子の犠牲なども当然のものと考えなくてはやっていけません。
しかし、その機会を逃して上の子が小学校にでも入ったら、下の子の出産のために学校を休ませるわけにもいかないし、母親の入院中も困ります。
そうやって産む機会を逸してしまうことも多いと思います。

子供を産みやすく育てやすいとは到底言えません。
仕事をやめて家庭に入り夫の稼ぎで生活している主婦でも二人目は産みにくいんです。
出産費用や育児費用が無料になっても、こういうことが解決されない限り無理です。

他の方法としては、上の子が中学生くらいになってすごく年の離れた二人目を生むという方法もあるかなあと思いますが、もともと晩婚で高齢出産の場合は不可能です。

私はまだこれからも10年以上仕事をする予定ですが、そのうちに娘が子供を生むときにはどうするんだろうかと思いますね。ひとり目を生むときには別に私の助けなんか要りませんけど、二人目を生むときは、私は仕事を何日も休むことができるんでしょうか?パートタイマーでも、なかなか休めるものではありません。

このような状況をもっと産みやすいものにしない限り、結局二人目を生む機を逃してしまったということになると思います。



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離婚を思うとき

2006-01-12 14:25:04 | 未分類過去
こんな夫とは暮らしたくないなどということは、妻なら誰でも思うことがあるでしょう。夫もそうでしょう。
どんな夫婦でも、子供が成人するくらいまでには、離婚したいなどと思うような出来事もあると思います。

うちの場合、夫がパソコンでチャットに凝っていた頃がそうでした。
暇さえあれば、パソコンに向って誰かとやり取りしているわけです。
その相手が「女」だっだりして、どういう女なんだこの暇人はと思いますね。
何しろ、私が洗濯をしたり、夕飯を作ったり、片付けたりしている時間もずっと文字で会話をしているのです。いつも夫とその人が2人でというわけではなく、そこに集まる仲間がいるようですが、その女性はいつも参加していて、夫はかなり気に入っているようなのです。なんか、いろいろな相談を聞いたり、励ましたりしてくれるんでしょうね。今も時々していますが、以前ほどではなくなりました。

夫がチャットをしていると、夕飯を出しても食べません。食卓に背を向けて、ずっとず~っと夢中になっているわけです。夫の近くに座っている子供がパソコンを覗き込んで、「あっ、お父さんまた○子さんとやってるんだ」などと言うと「うるさい!人のものを覗くんじゃない!」などといって、一瞬画面を閉じて隠したりするのですが、また直ぐに戻して続けています。このチャットの相手のことは子供からの情報でした。
そのうち、その女の住んでいる地域のガイドブックなんか買ってきたりして、なんか計画してるんじゃないかと思ったりもしました。

その女は、あまりにも暇だから、実はおばあさんなんじゃない?とか、娘と言ってやりました。まあ、一日中パソコンに向っていられる人なんて普通じゃないことは確かですよ。

最初のうち、作った食事を夫がなかなか食べないと、冷めちゃう、まずくなっちゃう、干からびちゃうなどと気をもんでいたのですが、そのうちもうそのまま放置するようになりました。真夏でも刺身とかをそのままわざと放置しておくわけです。暖かい料理の場合も、できたとも言わず黙って置いとくわけです。みんなで取り分けて食べるようなものは夫のために残さず、子供と全部食べてしまうわけです。後で怒ったら、自分がチャットに熱中しているからいけないのだと言います。
ご飯だと言わなかったじゃないかと言われたら、「いや、ちゃんと知らせたのに、熱中してるから聞こえなかったんじゃない?」などと嘘を言うのです。冷めてまずくなっても絶対に温めたりはしないで、こちらはさっさと自分の活動に移行します。夫が食べた後も夫の皿だけはそのまま片付けず翌日までテーブルの上に放置しておきます。

夫がチャットを始めた頃は、チャットで友達になった人に連絡先などを知らせたりすることもあったようです。そうすると、アクセサリーなんかを封筒に入れて送って来る女性などもいました。うちの夫はペンダントなんかするような男じゃありませんから、笑っちゃいます。
夫も過度な近寄りには面食らったようですね。遠いところから来たついでに会いたいなどと言われると、相手が男でも面倒になり、なんとか口実をつけて断ったりし、そのうち携帯の番号なんかは明かさないことにしたようです。

夫が変なのは、私にデジカメで自分の顔ばかり撮らせることです。その中から一番若々しく映っているのを、40歳くらいにみえるかなあなどと言って選んでいます。年齢を詐称して相手に自分の画像を送っているんじゃないんでしょうか?それは無理でしょう。どう見たって50代のおやじです。生え際が後退していますからね。
普通、景色のいいところなどに出かけたら妻や子供を撮ると思うんですが、おっさんが自分ばかり写してもらいたがるなんて、その理由にもうんざりするばかりですよ。

チャットに没頭することについて文句を言うと、やきもちを焼いているというような受け取り方をして、実際に交際が発展するような相手ではないなどと言うのですが、私がいらだつのはそういうことではないのです。そんなことに毎日没頭している人間があまりにもくだらないのではないかと思うからいらだつのです。

そうやって、毎日妻と子供に背を向けてパソコンに夢中になり、ご飯も一緒に食べないような夫は不要なわけです。ゴミですよ。

そういえば、3年位前、中国に旅行に行ったときも、飛行機の待ち時間のうちに空港で消えてしまうわけです。空港内の有料のパソコンルームに入ったまま、なかなか出てきませんでした。中国に行ってからホテルで朝ごはんを7時半に食べようとしているのに、8時くらいまでまたどこかに行って戻ってこないわけです。また、パソコンをするところに行っているのです。きっといつものチャットの相手に、今北京に来ているなどと連絡しているのでしょう。それで、夫が戻ってから朝ごはんのバイキングを食べに行くと、時間が遅くてもう食べ物なんかなくなってしまっていました。何よりもどこに行ったのかと夫を待つ時間が無駄ですし、いい加減にしてもらいたいです。

はっきり言って、そういうことで、夫婦の関係は急激に冷めきったと言えます。金さえ入れてくれればいいし、相手がすることには干渉しないで、普段は別行動をするのが一番無難だという割り切りが生まれました。

その後、家では、私もパソコンを買ってもらい、楽しんでいるんで、夫が誰とチャットをしようとどうでもいいです。

かわいそうなのは、子供かもしれません。親がそれぞれパソコンに向っているので、高校生の子供はテレビか携帯に持ちきりです。


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熟年離婚

2006-01-12 09:36:54 | 未分類過去
もうすぐ団塊の世代が定年を迎えるとか、2007年になれば離婚したサラリーマンの妻も年金をもらえるようになるとかで、熟年離婚の増加が予測されているそうです。

夫が退職するのを待っての離婚なんて、それは裕福な人にしかありえないと私は思っています。
昨日の朝だったかテレビ「特ダネ」でやっていましたが、司会の小倉さんが言っていました。
「別れたら生活費も倍かかるでしょう、20万の年金で夫婦が暮らしていたのを、離婚して10万ずつで暮らせるんですか?」
私も全くそのとおりだと思います。
夫婦で財産を半分ずつ分けて、安定した老後の生活をしていける人というのは、かなりの退職金がもらえるような人、莫大な貯蓄のある人に限るでしょう。
テレビドラマでやっていた渡哲也と松坂慶子の「熟年離婚」なんかでも、かなり恵まれた家庭環境といえます。

うちなんか、実質問題、別居したらお金の問題で夫婦ともに生きていけません。
公営住宅から出てひとりが民間賃貸住宅を借りるなんて、金銭的にも無理ですが、様々な手続きや手間を考えても大変だと思います。

共同生活ならば新たに家財道具を買ったり、家賃や光熱費を別々に払ったりすることもなく、経費が節減できます。だから愛情なんかよりも、生きていくための必要手段という感じになっていて、貧乏人には選択の余地がありません。

まあ、お金持ちの人が考えるのは自由ですけどね。

それにしても、夫と一緒に家にいるだけでストレスがたまり、妻が病気になってしまうような状況も多いらしいです。多くは亭主関白型のようです。
仕事一筋で生きてきた稼ぎの多い夫をもつ妻にそういうケースが多いようですから、妻が熟年離婚を考える家庭というのは、夫の収入がたくさんある場合が多いのかもしれません。

うちの場合も、夫がいるとストレスがたまります。家にいるといちいちうるさいんです。どうでもいいことを聞いてきたり話しかけてきたりするわけで、夫がいると何も手につかない状況となります。うちの夫の場合、単に口数が多いのですね。
でも、私がすることにいちいち干渉はしないからまだいいです。

うちはたぶん数年後は半分別居状態となります。私の田舎の母が一人暮らしをしているから、私はそっちに行くことになるでしょう。夫は私の実家には行かないでしょう。田舎には仕事ないので、体だけころがり込むわけにはいかないんです。

これからの老後は、夫婦以外に、年老いた親子とか、兄弟姉妹、友人同士が同居することが多い時代になるのかもしれませんね。
経費の合理化ではそれでひとつの解決ができるかもしれませんが、また今までになかった様々な問題も起こるかもしれません。

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ついにダウンした次女

2006-01-11 23:14:57 | 未分類過去
数日前から体調を崩しぎみだった次女が、ついに本当にダウンして今日は一日寝ていました。
3日ほど前、お腹が痛いと言いながらバイトに行ったのですが、帰ってきたら気持ちが悪いと言ってそのままぶっ倒れました。その夜は何度かトイレに通っていたようですが、朝起きると治ったと言って、自分で風呂を沸かして入るといつもどおり出かけていきました。
食当たりだかゲボ風邪だかわからないのですが、そんなに簡単に治るものか、部活くらい休めばいいのにと思ったのですが、部活の後には、前からの約束とのことで遅くまで友達と遊び、その翌日もまた学校と部活でその後ファストフードでなんか食べてきたらしいです。
そしたら、またまた気持ち悪い、頭痛いなどと言って夕飯を一口も食べずに寝てしまい、今朝は起きられず意識がないかのように熟睡しており、私はそのまま会社に行ったのですが、一日ほとんど食べないで寝ていたようでした。今大分回復して食欲も出てきたようですが、体中の関節が痛いと言っています。

全く、この子どもといったら、一年中家でゆっくりしているという日が一日もないのです。今まで体を壊さなかったのが不思議なくらいです。
確か、去年も一回学校を休んだことがありましたが、前の晩に40度近い熱を出しても翌日は部活をするというような感じで、結局治りきらないでぶり返してついに完全にダウンしてしまうという経過をたどります。

部活休めばというと、休めるわけがないという返事が返ってきます。
部活というのは、そんなにしてまでやらなきゃいけないものなんでしょうか?
今日はちょっと体調が悪いから帰るなどということは、本当にできないものなのかなあと思います。完全に動けなくなって学校にたどり着くこともできないのだという状況になって初めて、大義名分休むことが許可されるという様子です。

若くて丈夫だった子が、ふとしたことをきっかけに、大病にかかってしまうというようなことに私はいつも不安を持っています。
「1リットルの涙」とか、「世界の中心で愛を叫ぶ」とか、テレビドラマの内容も思い出すからですが、それはドラマの世界だけではなく、現実にも起こっています。

実は次女の同級生は今まで二人亡くなっています。一人は小学校の低学年で亡くなり、もう一人は15歳でなくなりました。2人とももとは元気で健康なお子さんだったのに、あるとき急に不治の病を発病してしまったのでした。本当は今17歳になっているはずのその子たちは17歳になれなかったし、今17歳の子のお母さんであるはずの人が、今そのお子さんがいないんだと思うと、いたたまれない気持ちです。

うちの子は今年ちょうど誕生日の頃体調を崩して、辛い思いをしていたのですが、自分の力で数日で治る病気なんて、なんの問題もありません。
こんなときに体調を崩したのは、こうやって幸せに17歳を謳歌できることの引き換えに、多少なりとも与えられた試練か戒めなのではないかと思うくらいです。

子供の体調くずしの原因は食生活の乱れも関係しているように思います。
何かと外食や買食が多くて、体に悪いものばかり食べている感じがします。
生活習慣を改善しなければいけないと思いました。

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次女が生まれた日

2006-01-09 23:38:09 | 未分類過去
成人式の話題の中で、次女が誕生日を迎えたことも親はけっして忘れているわけではありません。長女の成人と次女の誕生日祝いを同時にして、家族でカニでも食べに行こうかと思っていたのですが、次女は誕生日が近い友達と一緒に部活仲間が祝ってくれるのだそうで、部活が終わると一旦家に戻ってきたものの、またどっかに出かけていってしまいました。
まったく、ニートよりはマシかと思いますが、すげない娘です。
それで、最近は夫と2人でさびしく老夫婦のような生活になっています。

夫は、早くもじいさんのように過去の思い出に浸り始め、子供たちが小さいときのビデオなどを見始めました。
そのビデオなんですが、最初に使っていたビデオカメラが、ハイエイトとかいうテープを使うもので、そのカメラがすでに壊れているため、そのビデオテープを再生できなくなってしまったとのことでした。VHSにダビングしてあるものもありますが、ないものもあるのだそうです。
それで、そのテープが再生できる中古のデッキを1万円台で買ってきて再生し、今度はDVDだかに保存するとか言っていました。

昔のビデオを見ていると、次女がビデオカメラを貸して貸してと何度も言っているのに、無視して自分が撮り続けている親の行為などが判明しました。こんなに子供の願いを無視していたら、子供はこの親には何を言ってもダメだと思うようになるんでしょうね。その結果がこれだよと思うばかりです。

昔飼っていたローラーカナリアのつがい映っていたりして、そのころあんまり大切に飼ってあげなかったなと悲しい気分になりました。ただ、死なないようにえさと水を与えていただけだったこともありました。きれいな声で鳴くオスのほうが先に死んでしまいました。その後、ベランダにねずみが出没した時期があり、ねずみの嫌うスプレーというのを夫が撒いたんですが、その匂いが強烈だったのか、玄関に非難させていたにも関わらず、当時一羽残っていたメスのカナリアがひっくり返って死んでしまいました。かわいそうでした。
スプレーと同時ではなかったんですが、翌日くらいだったのでやはりそのせいだったと思います。

子供たちの成長の年月は積み上げてきた日々のはずなのに、なぜか失なわれた日々のように感じてしまうこのごろです。
子育てが本当に終わったら、なんだか張り合いがなくてぼーっとしてしまうかもしれません。

今日は、東京も夜になってあられのようなものが降ってきました。
次女が生まれた日の朝も今にも何か降ってきそうな寒い日で、長女に黄色い合羽を着せて病院に行きました。長女は夫といっしょに次女が生まれるのを病院で待っていました。
午後には天気は回復したようですが、次女が生まれた日はいつも寒いんです。
退院した翌日から、へそきのこの処置のため3回くらい寒い中病院に通うことになりました。へそきのこって言うのは、へその緒がきれいにとれなかった場合、肉芽が形成されて臍が乾かないので、そこを焼いてもらうのです。
出産後は安静にしているものだと言っても、新生児を抱いてバスで病院を往復していました。出べそになるかと思ったらならないですみました。
一番寒い季節に生まれたということはその後は暖かくなるということです。首が座るころにはどんどん春の日差しになって行き、上の子と一緒に毎日公園通いをしていました。

次女と言うのは生まれたときから上の子を見て成長しているので、シビアというかたくましいと言うか、ずいぶん上の子とは違った要素があるなあと思います。
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