山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

成人式あれこれ

2006-01-09 19:26:32 | 未分類過去
また、成人式でバカなことをする若者のニュースで持ちきりになっている。
盛岡市では覆面をした議員が若者を止めようとしてさらに大騒ぎになったようで、逆効果ではなかろうかと思う。プロレスをするわけでもないのにどうしていつも覆面をしているのか納得できない。バカ者たちがかえって面白がってしまったのではないだろうか。
娘の区ではそのようなバカ者はいなかったようで、まともな成人式が行なわれたようでよかった。

高校の同級生で同じ区内の人というのはそうたくさんいるわけではなく、中学や小学校、さらには幼稚園のときの同級生に会ったりして、楽しかったようである。

幼児の頃、娘と一緒にプールに通っていた男の子がいる。児童館も一緒だったからお母さんとも親しい。その子は中学が一緒で、その後うちの子より偏差値の高い高校に行ったのだが、希望の大学に受からず浪人し、次の年も親は受かった大学でいいと思ったのに本人がどうしてももう一年かけて希望の大学をめざしたい言って2浪を決めた。浪人にはお金がかかることがわかっているので、本人自らバイトをしながら受験勉強をしているそうである。そしていよいよまた試験の季節がやってきた。これからちょうど試験を控えて大変な時であろうが、その子もネクタイにスーツ姿で友達と楽しそうにしている姿を見かけた。友達にも浪人生が多いと聞いているのでその仲間かもしれない。
その子とうちの子は、中学のときは同じくらいの成績だったようだ。
うちの子は迷った末にひとつランクの低い高校に行ったのだが、そこでは得意でもなかった数学なども楽に5が取れた。教科書自体が違うようだし、先生も難しい問題を試験に出さないのである。それで、どの学科も4以上の成績だったから指定校推薦でそれほど悪くない大学に入ることができた。
ところが、その子は高校では数学が非常に難しくて、ついていくのがやっとだったそうだ。他の生徒ができるので、成績も芳しくなく、思うような大学の推薦は無理だったそうである。
大学進学というのは決して純粋な学力が反映していないように思う。
うまくやるが勝ちみたいなところがある。大学に入ったら中学の時の同級生で3ランクくらい上の高校に行った子と同じクラスになったり、うちの子よりずっと偏差値の高い高校に行った子がそれほどでもない大学に進学したことを聞いたりして、申し訳ないようである。
うちの子の大学の場合、一般受験の偏差値を見るとそれほど低くはないのだが、一般受験で入った人数自体が非常に少ない。多くは付属から上がってきた内部生であり、その外にはうちの子のような指定校推薦の学生が多い。だから、受験雑誌に載っている偏差値と実際の学生全体の偏差値とは大きな開きがあると言える。
うちの子は自分のことを裏口入学みたいなもんだと言っている。2学期に高校から推薦する生徒として選ばれるまでは、一般受験を前提に必死の勉強をしていたが、その後は普通の受験生に比べたら勉強量は比べ物にならないほど少ないから、学力は足りないはずである。
そして、もともと自分があまりアタマがいいわけではないこともよくわかっていて、その分を補うために大学には真面目に通っているが、それでも授業で理解できないことがあるそうだ。しかし、一般入試で入ってきた人などは、ほとんど授業に出席しないまま良い成績をとったりしているらしく、もともとのアタマが違うのだろうとよく言っている。
人生、逆転はいくらでもある。高校や大学の一回の入試で将来が決まってしまうわけではないだろう。

現役で入るか浪人するか、長い目でみると2年なんか大した時間ではないが、2年間大学生活をすごし、今や後半に差し掛かろうという現役入学生にとっては、受験はすごい過去のことのように思える。この2年間、大学生活を楽しみながらそれなりの専門的な勉強をしてきたので、その間をすべて受験勉強に費やしていた同級生の生活など信じられないという。そして、大学3年になったら、もう就職準備のことなど考えているから、関心事もかなり違っているようである。
2年浪人してでも一流大学に入るほうが将来のためになるのかもしれないし、あるいはそうではないかもしれない。
娘の同級生には医学部を目指して2年浪人している人もいる。長い努力が実ることを祈りたい。

話が受験のことにそれてしまった。
今年、成人を迎えた人として上戸彩が振袖姿でテレビに出ていた。
彼女はちょっと前、金八先生で性同一性障害の生徒役を演じていたが、今や女優としての地位を固め、コマーシャルなどでも活躍している。大人になったなあと思う。
上戸彩は今年成人式を迎えると言うことで、ある会社の振袖カタログのモデルになっていて、一昨年あたりからそのダイレクトメールがうちにも送られてきたので、彼女がいろいろな振袖を着た写真を見ている。だから、今さら振袖を着たところで本人には大した感動はないだろうとも思った。また、どの写真もきれいで似合っていたが、本当に自分の着物を選ぶときにはどんなものを選んだのかなと興味がわいた。
そうしたら、お母さんがデザインしたものだそうで、やはり選り取りみどりの売り物の中から選ぶのではなく、特別な意味のあるものを独自に作ったのだった。
思ったより大人っぽい雰囲気の着物だったが、やはりきわだって豪華できれいなものだった。

そういえば、成人式にバカなことをする成人は、だいたい袴を着た男のように思うのだが、成人式でバカなことをする女のニュースは見たことがない。
男って言うのは愚かな習性なんだろうか。





コメント

華やかさの裏に必要な忍耐

2006-01-09 15:00:53 | 未分類過去
振袖を着るって言うのも楽じゃないなあと思いました。
うちの子は8時に美容院と着付けを予約して10時に出来上がり、その後腹ごしらえしてちょっとスナップ写真でもとり、12時半に会場前で友達と待ち合わせという日程だったのですが、それでも朝7時過ぎに家を出て、極寒の中を歩いて美容院に向うのは、大変だったようです。
予約がいっぱいで式に間に合わなくなりそうな人たちは、今度は早朝へと予約を入れていくようで、朝の6時に美容院入りなどと言う人もいたようです。

当日の3日ほど前には着物一式を着付け会場に持ち込みました。そして当日には着付けの人が半襟を縫い付けたり襟芯を入れたりなどして、下準備がされていました。
うちでは、着物を前以て届けることや、美容院で髪型の打ち合わせをしなければならないことを知った時点で、なんと面倒くさいことか、などと親子でうんざりしてしまったほどです。

ところで、私自身が着物のことなどには無知なため、何も考えていなかったのですが、着物と言うのはずいぶんと寒そうな気がします。写真の前撮りのときは秋だったし、スタジオ内で着てすぐ脱いだのですが、こんな真冬に外を出歩くのに着物だけでは寒いだろうと思いました。私の友人は下にババシャツを着せたほうがいいのではないかと言いました。

説明書きにはスリップかキャミソールと書いてあったのですが、電話をして聞いてみると襟ぐりのひろい5分袖くらいの下着を着てもいいということで、前日にそれを買いに行きました。
それを着ていったところ、脱げと言われてぬいだそうです。着物の襟がかなり反り返って舞妓のような着せ方をしているので、下着の後ろの襟ぐりが見えてしまうのでしょう。それで、髪はすでに結ってあるので、下から脱げたからいいのですが、娘は裸に肌襦袢という形になってしまいました。体型補正のタオルやガーゼを巻いてもらったので少しは暖かかったかもしれませんが、着物と言うのは袖もぴったりしていないから、かなり寒いと思います。
洋服なら分厚いコートを着てマフラーや手袋をしているのに、いくらショールを載せているとは言え、これは忍耐ですね。車で建物の入り口まで送り迎えされるような状況ならいいでしょうが、寒空の下を歩幅も開かずコマコマ歩いているから容易じゃありません。
そこら辺にジベタリアンもできないどころか、ちょっと寄りかかったりもできないわけで、寒さに耐えつつ、姿勢も保ちつつといろいろ苦労があるようです。
だから、日本伝統の美しい着物を着るためにはすごい忍耐が必要とされるものなんだなと思いました。足袋の履き方も家で練習してくるようにとも言われていました。

そんなことでも思ったんですが、お金持ちの人というか家柄がいい人って、しょっちゅう着物を着たり、様々な場に出かけたりしていますが、忍耐強くならざるを得ないんだろうなということです。
お金のない貧乏人って言うのは、どこにも出かけず何もしないで家で布団をかぶって寝ていればいいわけです。私はそういう部類の育ち方をしてきました。だから、スキーに行ったこともないし、雪の山を歩いたこともないんです。楽しみもしませんが、体力も技術もいらないし、苦労もないですね。
しかし、お金持ちの人はもちろんお金もあるからいろいろなことができるわけですが、そのためにこまめに準備したり出歩かなければならないでしょう。そうするとそれなりに耐えたり挑戦したり頑張らなければいけないことが出て来て、そして様々なことを経験します。

無駄なお金をかけて振袖なんか着せる必要はない、みんなそろって着慣れない着物を着て、猫も杓子も白いショールを肩にかけてバカじゃないか、大切なのは中身だ、質素にスーツでいいじゃない、という考えも一般にありますが、振袖を着たことによる知識と忍耐は経験しなきゃ得られないことですね。
そういう意味では、娘がみんなと同じことをして人並みの人生経験と苦労ができたのはよかったのではないかと思いました。



コメント

振袖について

2006-01-09 13:25:17 | 未分類過去
娘が成人式を迎えた。
成人式に振袖を着るか着ないか、着るとすればどこで借りるか、借りるとしても結構な値段がするようだからどうしようか、というのは、様々な振袖のダイレクトメールが送られ始めてからの検討課題だった。

成人式を迎える知人に聞くと、以前から家にあるものを着るとか、祖母が用意してくれているなど、たまたまそういう人ばかりで全然参考にならなかった。
考えてみれば、お金持ちの家などには代々伝わる振袖が何枚かあったりするし、かわいい孫のために懇意の呉服屋で早々と着物を買っているおばあさんなどがいるようだ。

姉と私の成人式のときは、母が実兄の娘の物を借りてきて、二人とも同じ借り物で済ませているので、実家には振袖などというものは所有していない。
そのとき買っていれば、それを着られたんだろうなと思った。
姉にも娘がいて2年前に成人している。その娘は着物が似合いそうなモデルのような容姿の娘なのであるが、姉とレンタル着物を捜し歩くうちに面倒くさくなってついにやめてしまったそうである。
姉のうちにはお金はあるはずだが、もともと育ちが貧乏性だから、どっちが得だとか損だとか延々と悩むのが姉の性分であり、娘は娘でおそろしくファッションにうるさい性分だから、親子でどれだけ探し回ったかが想像できるようである。
一番似合うものを探すとなるときりがないが、家にあれば必然的にそれを着ることになるから、面倒はない。

うちの娘の場合、ダイレクトメールが送られてきて、電話でも誘いがあったレンタルの会社にとりあえず見に行ってみることにした。そこで気に入った着物が、たまたまレンタルではなく売り物だった。値段は約30万円で、着物一式と写真、着付け、髪結いなどすべてセットになっている。店の人の話では、卒業式にはその着物に袴をはけばいいとのことだった。レンタルの場合、17~8万円というのが平均的な金額だったから、2回借りれば買ったのと同じような金額だとも思えた。うちにはもう一人娘がいるので、二人着ればレンタルより安いのではとも思い、買うことにした。

一発で決めてしまったのは、私も娘も毎日忙しく、親子で振袖を見に行く日などはそう簡単に作り出せるものではない。さっさと決めてしまえばあとの面倒がないということで、買った時点で写真の前撮りや当日の着付け、美容院の予約まで済ませられた。その判断は適切であり、着物はなかなかいいものだったと満足している。

しかし、卒業式に袴をレンタルする場合、袴のセットにする袴用の着物というものがあるので、それをセットで借りるのが手っ取り早いようである。
それから、妹とは体型も顔立ちも違うので、上の子に合わせて用意したこの振袖が、妹にもちょうどいいとは限らない。
妹は妹で、レンタルでもいいから本人の好きな本人に似合うものを用意してやりたいとも思っている。

ところで、着物の費用については、私の貯金を解約して払ったのであるが、着物を買ったと聞いた後で、実家の母が着物代を出してくれると言い出し、お金を振り込んでくれた。
それで、孫の着物は私が買ってやったものだからそのことを忘れるな、などと事あるごとに言うのである。私が出してやったからこそあんたたちは貧乏なのに人並みのことができるので感謝しろと言わんばかりだ。
確かに後でお金を出してくれたのはありがたく、その分、お金が浮いたはずなのだが、正直言って着物を買ってもらったという実感がない。

母のやり方というのはいつもそうなのである。着物を買う前には、何の関心も示さず、そんなものにお金をかけるのはバカらしいという態度をしている。
母の考えなど関係ないから、私が自分のお金で自分の勝手にすると、後になってそんなことにそんな大金を使ったのかと驚嘆しつつ、その出費はたいへんだっただろうから祖母として出してやるということになるわけだ。
そして、そのひとつの理由は私自身に昔お金をかけてやれなかったからその代わりだという意味がある。私も人並みに成人式に振袖を着たし、母が近所の美容院を予約して当日ついてきてくれたのを覚えている。でも、ぎりぎりまで着物は着れないと思っていたので、髪の毛も伸ばしていなかったし、直前になって急遽親戚に借りることに決まり、写真屋での写真もお金がかかるから撮らなかった。その記憶が母にもあるのだろう。

私自身には、自分がしたようなそういう中途半端な思いを子供にはさせたくないと言う気持ちがある。
振袖のお金はおばあちゃんが出してくれたんだよ、と娘には言っているが、私も娘も最初に私が意を決してお金を奮発して買ったという記憶ばかりが鮮明に残っている。
その後、母が振り込んでくれたお金は生活費として消えてしまった。
母のやり方は、人へのプレゼントとして非常に非効果的である。
そのほかにも孫の誕生日に貯金をしてくれているそうだが、母が管理している孫名義の通帳に入金しているとのことで、こっちとしては全く貰っているという意識がない。名義を貸しているくらいな感じである。

姉も家を買ったときに、すべて自分の力で買う予定をたて、支払いを始めた。買う前には頭金を援助するとかいうことは母からは一切なかったようだ。しかし、その後、ものすごい金利でローンを払う形になっていることを知った母は、それは損だから早く払ってしまえと言って援助した。それで、結果として姉たちは早くローンを返し終わることができたわけなのであるが、これが買う時点での援助だったら母が一部お金を出してくれた家という形でもっと実感があったのではいかと思う。

振袖の話が変な方向になってしまった。
振袖を買ったら、それに防水加工料とかを追加して、髪飾りなどは別料金で、さらに帯にポイントとして飾りヒモをなどということでいろいろ追加があり、写真もCD-ROMが3万、すべてに消費税ということで、どんどん加算されていった。全部で40万円近くなったのではなかろうか。

家も買うとなると、本体以外にカーテンだの家具だのをそろえなければ暮らせないし、税金もかかるし、引越し費用もかかる。最初の本体価格よりもどんどん出費が加算されていくようである。

レンタルにするか、購入するか。
それを購入することは、ある程度の大きな金額であるだけに大変なことである。
金額のみならず、その品質の見分け方もわからない。
私には、反物や帯を見てもいいものかどうかなどまったくわからないのだった。
だから、もう、その会社を信じるしかないのだ。
できあがった着物を見ても仕立てがどうだかわからない。
ただ、手縫いで細かく縫ってあることは見て判る。
しつけ糸をはずすだけでも容易ではないから、作る手間を考えたら、着物が高いのは当たりまえだなと思った。

買ったはいいけど、和箪笥などがない我が家、かさばる着物一式に今度はしまうスペースがなくて、また苦労している。



コメント

届けられた定期券

2006-01-09 00:16:28 | 未分類過去
クリスマスの頃、夫がなくした通勤定期券(12月26日ブログ記)が最近届けられたと駅から連絡を受けました。
よかったです。とどけてくださった方、本当にありがとうございます。

夫の定期券はJRと私鉄を乗り継ぐもので、夫はJRに乗っている間に落としたようだといっていました。定期は夫が電車に乗っている圏内から30分以上も離れた別の線のJRの駅に27日に届けられたのだそうですが、それが定期購入元の私鉄の駅に届いたのが1月7日くらいでした。
誰かによって届けられたのも落とした日の2日後で、その後、年末年始をはさんだからか、10日以上もたって戻ってきたのは、ちょっと遅いなと思うのですが、とにかくよかったです。

夫は、落とした後の2~3日後くらいまでは何度も電話をして問い合わせていたのですが、3日でなければダメだろうと聞いて、ついにあきらめていました。
夫の仕事は年末年始も関係なく、正月休みもないために、1月の始めには1ヶ月分の新しい定期を買って通勤していました。なので、それを払い戻して、元の定期券を使って2月いっぱいまで通えることになりました。3月からはまた会社で3か月分の定期を買って渡してくれるようになっています。

定期が出てきた日、夫はビールのロング缶とマグロの中トロを買って帰ってきました。いつもは発泡酒350ml缶と中落ちかネギトロ程度です。
本当ならなかったはずのお金が戻ってきたからお金が浮いたし、祝いだなどと言っています。
それは違うでしょう。もともと落とさなければ使うこともなかったんだから、払い戻して帰ってきたお金を臨時収入のように考えるのは間違っています。他にもなんか無駄使いをしそうな勢いなので釘をさしておきました。

そんなことをしているからお金がたまらないんですよね。

JRのスイカ定期券なら、紛失しても申告すれば再発行してくれるのだそうです。
しかし、夫のは私鉄との乗り継ぎになっていて、会社で買って渡してくれるものなので、再発行はできないものでした。
めったに落とすものでもないと思いますが、JRのように再発行できればいいですね。

コメント

面接授業断念

2006-01-08 00:54:44 | 放送大学
放送大学の面接授業の時間割表が送られてきたので、何を受けようかなと物色しておりました。
今まで秋に一度だけ毎週型の面接授業を受けたことがあります。
週に一コマ、135分(2時間15分)の授業を受けに5週通い、それはよかったなと思います。
そのときは、単に学習センターに通う癖をつけるためだったのですが、面接授業でかなり理解が深まることがわかったので、今度はそのためにこれから受講する放送授業に関した科目を受けようと思い立ちました。

それで、文化人類学でもとってみようかと思って、土日集中型の科目を見たところ、なんと3コマと2コマを二日連続で受けるわけです。
集中型はそういう形であることは前から知っていたんですが、あらためて時間を確認すると、たとえば土曜日が2限から4限の場合、1時から始まって夜の8時半までかかります。そして、日曜が2~3限ならば、1時から6時までかかります。
この日程は、働く主婦にはかなり厳しいものです。せめて週に1日なら3コマかけても大丈夫ですが、土日連続で家を空けるというのは、家事もできないし、体力も続きそうにありません。躊躇してしまいました。

英語か韓国語でもやろうかと思ったんですが、これも集中型は3コマと2コマという形です。たとえば1日目が10時から6時、2日目が10時から3時半くらいまでです。時間帯としては夜遅いのよりいいですが、こんなに長い授業を集中して受講できるものなんだろうかというのが、第一の疑問です。そして、受講するほうも大変ですが、一人の先生がこんな長時間を継続して教えることも大変だろうなと思います。
もともと語学は苦手なので、このような日程の場合、一旦落ちこぼれたら挽回のしようがありません。毎週1時間ずつなら家で勉強して追いつくことができるでしょうけど・・・。なんかついていく自信もないし、集中力も持ちそうにない気がして、こっちも躊躇してしまいました。

そのほかに、土日を使って5回通う形もあるんですが、これはこれで、一回に要する授業時間は少ないものの、やはり土日の外出が連続して2週続くのは通学時間のロスもあるために、全体の時間の損失が大きいです。

また、公営住宅の掃除の日が毎月決まった日曜の午前にあります。掃除は帰省や他の私用などで休ませてもらうことがあるため、普段は極力休まないで出る必要があり、掃除の日に当たっている面接授業はやはり躊躇せざるを得ません。

そんなわけで、残念ながら、来期は適当な面接授業が見つかりませんでした。

コメント (3)

親から受け継ぐもの

2006-01-07 18:20:39 | 未分類過去
私は、学歴や美貌というものは、ある程度お金で買えるものだと思っている。

学歴に関しては、よほどのバカでないかぎり、小さいときからそれなりの教育をしておけば、ある程度の大学には行けると思う。
むしろ、たとえば一流大学に行くのは当然であるというような意識を小さいときから持たせるという洗脳教育こそが、その人間の進む道を決めるような気がする。
それで、代々のお金持ちや様々なことに優れた家庭を見ていると、物事の最低基準が高いわけである。
そういう家庭では、子供がスキー教室に行った時には、すでにある程度滑れなければまともな人間ではないとか、書初めを書くとなれば、最低銅賞はとらなければいけないという意識になっている。だから塾には行かせるし、英会話や習字やピアノなども習わせている。そうやっていろいろなことを身につけている。
そういう子供が結婚すると、当然相手は様々な点で基準を満たしていなければいけないし、新居はあらかじめまともな家や家具を準備しなければいけないということになっている。
多くは、そうやって高い水準を維持しつつ代々続いていくことになる。

美貌については、私はよく姉から服のセンスが悪いと言われる。そのバッグは服に合わないとか、そのスカートは足が太く見えるなどと文句をつけるのである。そんなことは判っているよ。しかし、それしかないんだから合うも合わないもないわけである。
店などを見ていると、それはそれはセンスのいい服や小物がたくさん売っている。お金があれば、この服にはこのバッグ、これにはこの靴というように、よりどりみどりの選択ができるわけである。いろいろ買って着てみて研究するうちに自分に似合うものを見つけることもでき、さらにセンスを磨くことができる。化粧品だって質のいいものが買えるはずだし、エステなんかにもいけるはずだ。お金と時間があれば、美容院にもこまめに行くことができるだろう。お金さえあればいくらでも美しくなれると思う。そういう家庭に育てば、そういうことが自由にできて美しくなれるわけである。

残念ながら、そのような富と意識を私は親から引き継がなかった。親自体が貧乏な農家の生まれであり、家を建てられただけでもマシなほうだ。

もちろん教養もないし、それだけでなく作法や家の中の整え方さえ引き継ぐものさえない。

私と姉はどうも片づけが下手なのであるが、たしかに掃除の手順とか片付けの仕方を親から教わったことはない。家族の中では母の家が一番きれいには片付いているが、よそのお宅で比べ物にならないくらいセンスよくきれいな家がいくらでもあるのは知っている。

母の話によると、母が子供の頃は家の中にはものが何もなかったから、今のように片付ける必要もないくらいすっきりしていたのだそうだ。今はとにかく物が多すぎる。かたづけられない人間が増えたといっても、昔の人間が片付け術が優れていたというわけではないだろうという。それで、母自体片づけを習ったことがないから教えもしなかったそうだ。

考えてみると、私は姑もいないので、その家のやり方というのを伝授されたこともないし、高校を卒業するまでしか、実の親の教えも受けていないのである。そのまま20数年も自己流のいい加減なやり方で暮らしてきたから、子供に伝えるべきものもない。
そして、私の母は家のローンを払うために私が小学校のときから働いていたので、子供に接する時間はあまりなかった。母の主な仕事は娯楽施設で経理のようなことをしていたので、土日の勤務が多かったため、子供の休日に家にいないということが多く、すれ違いになっていたといえる。

物的にも精神的にも、自分には先祖からの土台がないということを私はよく感じる。

母は主な仕事のほかに物の配達や公共料金の集金などもしていた。そういうところは私はそのまま受け継いでいるようだ。体が丈夫でまじめに働くということだけは先祖から受け継いでいる。子供たちも無遅刻無欠席でまじめに学校に通うところだけは先祖から受け継いだ基準を維持しているようである。

コメント

離婚に至ったいとこたち

2006-01-07 01:22:03 | 未分類過去
前回、離婚したいとこが多いと書きましたが、その理由を考えてみました。

ある従兄弟は、妻が出産し、退院の日に何かの理由で迎えに行かなかったとか行けなかったとかいうことなんですけど、妻は怒ってそのまま赤ちゃんをつれて実家に帰ったまま2度と戻らず、そのまま離婚したのだそうです。妻の親が怒ってそうなったという印象も多分に受けました。

ある従姉妹は、自営業の家に嫁いで、経理など担当しよく働き頼りにされていたのですが、夫が働かず女を作ったとかで、いくらなんでも労働力のために嫁いだわけではないので、実家に戻ったのだとのことです。夫婦のことはわかりませんが、夫の親との同居も大変だったのではないかと思います。

ある従兄弟は、共稼ぎで暮らしており、妻の実家の近くに家を買ったところ、毎日のように妻の親がやってきて子供の面倒などを見て、塾や習い事の送り迎えまですべてやっていたのだそうです。そのうち、妻と子供は、妻の実家に寝泊りすることが多くなり、新しい家には戻らなくなったそうです。妻の収入はかなりあり、親がいれば夫はいらないと思ったのでしょう。結局新しい家に従兄弟が一人で暮らしているような状態が続き、ついにバカらしくなって従兄弟は自分の母親が離れて一人暮らしをしていたので、実家で自分の母親と暮らすことにしたそうです。

ある従兄弟は、妻が男を作って出て行ったそうです。
この妻って、日曜日9時にやっていたテレビドラマ「恋する時間」の妹みたいなことだと思うんですけど、本人にはそれなりの事情があったのかもしれませんが、外から見ると、夫に何の落ち度もないのに男と不倫して子供も捨てて出て行った最低の女としか言いようがないんですよね。だから、私はあのドラマの妹の生き方には同感できず、複雑な気持ちで見ていましたが・・・。私は、従兄弟の妻がひどい女だったという噂を従兄弟の親=私の叔母から聞いているので、必然的に従兄弟の味方になります。

私と姉は全然理想の夫婦ではありませんが、離婚の危機までは行ったことがありません。なぜかと考えると、お互いの親が遠くに住んでいて、夫婦のことに口出ししたり、どちらかの肩をもつというようなことがなかったからではないかと思います。
どちらかの親が、よけいな口出ししてくるような環境では、絶対にうまく行かないと思います。


コメント

真冬の結婚式

2006-01-07 00:23:18 | 未分類過去
いとこが今月結婚するそうです。
とはいってもこのいとこ、一度も会ったことがありません。
この結婚する子は、長女である私の母より20歳近くも年の離れた一番下の弟の末子なので、私が短大のころに生まれたんじゃないかと思います。
私はもう東京に出てきていたので、その子を見たことがないのです。

その子が東京で結婚式をあげるとのことで、母が招待されているのですが、最近母は膝が痛いといって、遠出するのを嫌います。特に階段を下りるのが辛いので、電車に乗って東京に出てくるのがいやなのだそうです。
確かに、お正月に帰ったとき、立ったり座ったりするたびに大変な様子でした。膝を曲げるのがかなり辛いようです。暖かくなれば治るというものでもないかもしれませんが、冷えると余計に悪化する感じがするようで、寒い中はなおさら出歩きたくないようです。

それで、母は代わりに姉に出席を頼んだとのことです。
その姉から先日電話がかかってきて、私に代わりに出ないかと言ってきました。
招待状を見たら、午前中の集合で、朝早く家を出るのが大変だとかで、
御祝儀は母から預かっているし、ただでおいしいものが食べられるから、行くといいよ、と私に勧めてきました。
私は行きたくないので断りました。

面倒くさいです。
週末くらい家でゆっくりしたい。
放送大学の試験も迫っているしさ。

それで、「着ていくものもないし・・・」と適当な理由をつけると、
服はいくらでもあるからどれでも貸してあげるよ、みたいなことを言います。
貸すってったって、
それじゃあ、私はそれを借りに行くのかい?
いつ行くんだい? 
と思います。
姉の家までは2時間はかかりますからね。
そんな暇あるわけないだろ、ばかやろう!

この姉が私の家まで服を見繕ってもってくるわけじゃなし。
だいたい、雨が降ったら傘をさすのが面倒だから外出はしないというような
いつも車に乗って移動している人間が
駐車禁止の我が家に来るわけがありません。
まあ、こんな汚い家に来られるのもまっぴらなんですが。

うちに来るより、結婚式場に行くほうがどんなに楽か知れません。

行く気がないなら初めから安請け合いしなければいいのにと思います。
母も代理を探すくらいなら、欠席で出せばよかったじゃないかと思います。

結婚式が真冬になってしまったのは、
この結婚式場は結構有名で、多くの人の憧れの結婚式場なのだそうです。
それで、秋の大安吉日をとろうとしたら、ずっと満員でとれなかったのだそうです。
じゃあ、春にすればいいじゃんと思ったら、
花嫁さんが花粉症なんだそうです。
そりゃあ、鼻水だらだら、顔ぐちゃぐちゃの花嫁さんってわけには行かないでしょう。

普通の招待客にとっては、真冬に出かけるのは確かに寒いけど、会場に入っちゃえば関係ないから、どうということはないですけどね。
母も年をとったなあと思います。

そんなわけで、私は結婚式には行きませんが、
今日、冬のバーゲンをしている駅ビルの中をたまたま歩きながら、
ふと、もし結婚式なんかに出るとしたら何着るんだろう?と思いました。
確かに、家には結婚式に出られるようなフォーマルな服は一着もないなと思いました。
買うとしたら、いくらかかるんだろう?
靴もバッグもないし、コートもないし・・・

適当に、服がないし・・なんていってみたんですが、
本当に仮にそんなところに行くとしたら
困るなあと思いました。

なっさけねえ~

ところで、私のいとこたちは父方母方あわせて40人くらいいるんですが、
離婚率がすごく高いんですよ。
中には2人の子供が2人とも離婚して孫にも会えない叔父叔母がいます。
そこにいくと、私と姉は離婚もしないで一応円満な家庭を築いている点で、上出来といえます。

会ったことのないいとこへ
真冬に親戚をかりだして、有名結婚式場で式揚げて、離婚なんかするなよ!
とにかくおめでとう!
子供が成長するまでは円満な家庭を築いてくださいね~!

コメント

年始の挨拶について

2006-01-06 18:14:05 | 未分類過去
今日は私の初仕事だったのですが、会社でどのように挨拶をしたものかと迷って、なんだか中途半端なものになってしまいました。

社員の人は昨日から仕事をしているのですが、私は一日遅れての出勤でした。また、パートタイマーは朝、社員より一時間遅れで出勤するので、社員の方たちは、私が出社した時にはすでに仕事に没頭している時間帯です。
だから、仕事を中断させて、ご丁寧に挨拶をするのもよくないだろうなあと思って、出勤したときは一番近くにいる上司だけに簡単な挨拶をしました。
昼休みに同じ部署にいる人に簡単に今年もよろしくなどと言っておきましたが、すでに席をはずしている人もいて、挨拶をしないままになった人も居ました。

また、同じフロアの他の部署の上司のところまで行こうかどうしようかと思っていたのですが、そこを通りかかったときに見ると、人と打ち合わせ中であったり席をはずしていたりして、そのままとなってしまいました。

今年私が喪中であるというのも、どのように挨拶をするか迷う一因です。
年賀状は出せないものの、口では、おめでとうございますというのが普通ではないでしょうか。
以前、同僚が会う人会う人に、喪中だから言えませんと答えていたのを見たことがありますが、なんだかそこまで徹するのも変な感じでした。

だいたい、喪中であることとは無関係に、新年は新年でめでたいことに変わりにはないのではないかと思うのですが、喪中のときは玄関のお飾りも飾らないのが普通らしいので、今年は本当に何も正月らしいことをしていません。

年賀状は日本語ボランティアのグループの人と、会社の人から何枚か来ました。その人たちに喪中欠礼を送っていなかったからです。ボランティアは母のお葬式などで休んだりしたので、みんな知っていると思ったのですが、他人の家族が亡くなったことなどは意外と記憶にないもののようです。確かに、何ヶ月もたつと、今年だったか去年だったかよくわからなくなったりするでしょう。当の家族でさえ、去年の3月はずいぶん前のような気がします。

それにしても、年末年始なんて、たった数日間の休みで別に何がどうなるわけでもないのに、最後と最初のけじめをつけてかしこまった挨拶をするのは不思議でもあります。
でも、しないと何か落ち着かないものですね。

コメント

援助金の貰い方

2006-01-05 10:34:02 | 未分類過去
私の住んでいるところは東京23区内ですが、小中学校時は就学援助金をもらう手続きが非常に簡易であるということがいえると思います。要するに自治体が親切であり、学校もそういう人のことを考えて、誰にもわからないように拾い上げてくれるやり方をしてくれます。

申し込み書類は生徒全員に配り、全員から回収する形をとる。
内側に希望するかしないかを記入して提出するために、外からは誰にもわからない。
住所・名前などを書くだけで複雑な事項の記入は不要で、収入の調査などは、役所のほうでしてくれる。
支給対象であれば、自動的に銀行や郵便局に入金してくれるので、他人には知られずに受け取ることができる。

義務教育で援助を受けていた我が家は、都立高校でも減免が受けられるくらいの低収入であったかもしれませんが、高校では自ら申し出て手続きをするシステムであったため、学費が払えないような状況でもないので、長女は3年間普通に払って卒業しました。

下の子が高校になってから夫がリストラに合い、失業したため、都立高校の学費を半額免除してもらいました。このときは、さすがに家計に不安を感じました。
高校では、小中学校より手続きがたいへんでした。

まず、希望者は自分で高校まで行って用紙をもらわなければならないことです。子供は毎日通っているので、子供がもらいに行くことはできるのですが、同級生などにそんなことを知られたくはないはずです。ですから、私がパートの合間に時間を作ってとりに行きました。

それから、収入を証明できる書類を家族全員分そろえました。
夫は失業給付を受けているという証明。
私は1月から転職していたので、2~4月分の給料証明を会社に書いてもらうようにとのことでしたが、これには困りました。前年の11月頃試験を受けて入った会社ですが、そこの雰囲気としては、夫がちゃんとした仕事をしていて夫の収入で食べていける素性のあやしくない主婦を雇いたいという感じだったのです。
試用期間3ヶ月が終わってすぐに、夫が失業中で子どもの学費を免除してもらうための書類を書いてくれなどとはとても頼めないと思いました。その書類には「都立高校授業料減免願い」とかいう書類名がついていて、そこに会社で記入してもらう形になっています。用途を隠して書いてもらうことはできないのです。
そのことを高校に伝えると給料明細書のコピーでもいいということでそれで済ませました。

つぎの問題は大学生の長女の収入でした。18歳を過ぎている場合、大人と同様に収入額を証明しなければいけないそうなのです。
長女はバイトをしていますが、学校の授業がない期間は収入が多くなり、試験期間中などはほとんど収入がなくなります。また、数ヶ月置きにバイト先を変わったり掛け持ちしたりで、決まった職場で安定した収入を得ているわけではありません。
3月でやめたところから給料証明をもらったりするのも大変だし、そのような証明で今後の収入予測をするのはほとんど意味がないといえます。

学生バイトの雇い方の特徴としては、店などは余剰人員を抱えておく方針が多いです。だから希望者がいればどんどん新人を入れて行き、一人当たりの勤務時間数を減らします。そのようにして人数を確保しておくわけです。だから、バイトは一定金額の収入が保証されないのです。週に3日入っていたバイトが、新人が増えて月に2日しか入れなかったなどということになり、新たに別の仕事を探すなどということをしているわけです。

そんな状況でどう考えても長女のバイト収入が次女の学費に関係するような額ではないことは明らかなのですが、働いている限りは証明が必要なのだそうです。
逆に働いていなければ妻であろうと18歳以上の兄弟であろうと、なんら証明する必要はないのだそうです。たしかに職場がないんだから証明のしようはないわけですが、これでは怠け者のほうが簡単に援助してもらえるということになります。

でも、普通、夫が失業して家族が働かないなどということがあるわけがないではありませんか。
そして、微々たる収入の証明をするための苦労がはじまりました。

結局、長女のバイトの状況を話したところ、非課税証明書でいいということになりました。ところで、それが5月のはじめころだったのですが、非課税証明書は6月にならないと前年度のものができないので、結局提出するのは前々年度のもので、長女が高校のときのものとなりました。なんか変ですね。
まあ、それでいいというわけですからいいでしょう。
非課税証明書を役所にとりに行くと、我が子のものながら個人情報保護のために本人か又は本人の委任状がないと取れないのだそうです。
もう容易じゃありません。

でも、なんとか収入証明をそろえて提出し、めでたく?学費の減免を受けました。

私は給料明細書をコンビニでコピーして、現物をコピー機にはさんだまま忘れて来てしまい、後で取りに行ったのですがなかったです。店の人にも聞いたのですが、わからないそうです。誰かが持ち去ったということです。これこそ個人情報の流出だけど、どうなっちゃったんだろう・・・。

さまざまなことがありました。
書類を届けて、また不足書類を届けて何度か高校に足を運びました。
手続きだけでも楽じゃありません。

だから、親によってはそんな面倒なことをしないであきらめる人もいます。

学校に鉛筆を持ってこない子供、いつも上履きを履いていない子供など、小学校のとき、子供の同級生にいました。
それは、お金があるかないかじゃないと思います。
親の意識の問題です。
そんな子が、アタマを茶髪にしていたりします。

親が一日パチンコをするお金があっても、幼稚園の子供にメロンパンひとつの弁当しか持たせられない家庭があるのです。

就学援助を受けている子と、見た目が貧乏な子が意外に一致していない場合も多いんじゃないんでしょうか?

うちの子は就学援助を受けていましたが、そんなことは多くの人は知りません。
こつこつためたお金で海外旅行に行ったりしていたので、お金持ちだと思われていました。


コメント (2)

二つの考え方

2006-01-05 02:44:28 | 未分類過去
就学援助のことを書いていて、なんだか頭が支離滅裂になっています。

ひとつは、
確かに収入格差が大きくなっている社会は問題かもしれないということ。
もうひとつは、
しかし、貧しいといっても死ぬほど貧しいわけではない人が大部分であるということ。
実際に援助をもらっている人が援助をもらわなくても生きていける場合がほとんどであるといえるでしょう。

そして、そのことから、考え方が両極端に分かれるのです。

つまり、
一方に収入を我が物にして裕福な人間がいるから他方に貧乏人が生まれるので、そんな格差がおきる社会をなんとかしなくてはいけない
ともいえるし
大して困っているわけでもないのに、援助なんかをもらえるから、甘えて頑張らない人がふえるのだ
ともいえるわけです。

いったい、どっちの考えが適切なんでしょうか?

援助を受けている人が多いのは、援助をしすぎであるからとも取れるし、それだけ援助が必要な人が多くなったことを素直にとれば、多くの人の貧しさが問題となります。

じゃあ、貧しいか貧しくないか、生活が苦しいか苦しくないか、人間らしい生活かそうではないか、は、何を基準にするのでしょうか?

援助を受ける状況になるのが不平等で間違っている社会だというなら、援助という制度があって、それをうけることによって格差が埋まればそれでいいんじゃないかともいえるでしょう。

アタマ混乱です。



コメント

就学援助について

2006-01-05 00:24:33 | 未分類過去
いつも愛読しているブログの中のいくつかに、就学援助についてのニュ-スに関して書いてあるものがありました。それは朝日新聞に載った記事らしく、東京大阪の児童で4人に1人が援助を受けているとのことです。そのことから、収入格差が激しくなり、貧しい子供が増えているという現象が見られるという結論に達するようです。

この援助、うちも受けていたものかなあと思います。
毎年、年度初めに学校で全員に書類が配られ、該当しないことがあきらかな人は「希望しない」のところにマルをつけ、希望者は必要事項を記入して、外からは中が見えない状態で提出するものがあるのですが、出すと収入の審査があって、審査が通れば援助金がいただけるという仕組みになっているものだと思います。

うちは、学用品を買うのに困るほどの低収入ではないと思ったので、最初は関係ないと思っていたのです。
しかし、近所の同級生のお母さんで、お子さんが3人いる普通の家庭の方から支給を受けていると聞き、ためにし出してみるといいと言われました。もし収入が超過していたら支給されないだけのことだからとのことです。
でも、健全な親が2人そろっている家庭で、そんな援助をしてもらうのは格好が悪いと思ったので、上の子が小学生のころはずっと「希望しない」にマルをつけて出していました。
しかし、他にももらえるものなら当然もらうわよという友人がいて、その人は審査ではずされるらしいですが、毎年「希望する」と書いて出しているとのことでした。
それで、私もやはりもらえればうれしいかなあと思い、あるとき記入してみることにしました。
うちの場合、子供は2人ですが、夫の母が特別身体障害者で扶養家族になっていました。母を扶養家族にしていて、現金が出ていくことはほとんどなかったのですが、それによって控除額が多くなるために収入が低い状況と同様になります。
それで、希望を出してみたら、就学援助がされ、いくらかの援助金が定期的に銀行口座に入金されて、それらはあっという間に生活費の足しにされ、ありがたく利用させていただくことになりました。
修学旅行費の援助もあるとのことで、おそらく申請すればいただけたのではないかと思うのですが、実際低収入とは言え、貯金をおろせば修学旅行費が払える状況でしたので遠慮しました。

この援助を受けている家庭が、学用品が買えないとか給食費が払えないとか、それほどの貧乏だと思うのは極端だと思いますが、確かにこの援助がないと苦しいと言えば苦しいです。余裕で子供を育てることはできないでしょう。援助があったからといって生活水準が上がるわけではないし、それで余裕ができるわけでもありませんが・・・。

お金持ちの人が、あたりまえに子供にかけるほどのお金はもともとかけていません。
塾や家庭教師にもお金は使いません。お年玉もほとんどあげないし、豪華な冬休みもありません。
最近、驚いたのですが、中学生が学校でスキー教室に行くのですが、そのための予習として冬休みに親が子どもをスキーに連れて行き、ある程度できるようにさせておく家庭が多いのだそうです。お金持ちの人が考える物事の最低基準というのは、貧乏人には驚くようなことばかりです。

そういうことが普通だと考える人たちから見れば、就学援助を受けている家庭は信じられないくらい貧乏だと思うかもしれませんが、援助を受けている当人たちは自分を普通の人間だと思っているわけです。

やっぱり、4人に1人のビンボーだったのか!

東京大阪という都会に支給を受けている人の割合が多いということについてですが、地域による財源と支給基準の違いにもよると思いますが、もうひとつは、都会の人間というのは面子よりも合理性を重視するからではないでしょうか。
だから、貧乏人と思われようが、とりあえずもらえるものはもらったほうがいいという考えです。地方の人は対面を気にするので、援助なんかもらわないで頑張るんじゃないでしょうか?
せっかくある介護保険制度も田舎の人は利用しない人が多いみたいです。
私の身近には大学の奨学金なんかもけっこう利用している人が多いです。
うちは今は利用していないんですが、今後利用しようと思っています。

この新聞記事で問題としていることは、援助を受ける家庭が近年急速に増えたということですね。
確かに、それは問題かもしれません。
うちの状況も以前よりさらに苦しくなっていることは確かです。
しかし、貧乏人からしてみると、生活が苦しいのはむしろ普通であり、裕福すぎる人が存在していることのほうが不自然だと思うんですよね。

コメント

お犬様

2006-01-04 14:13:08 | 未分類過去
戌年にちなんで犬について書いてみます

私の田舎の実家では、私が生まれたときからずっと犬を飼っていたのですが、
昔は野良犬を拾ったり近所でもらったりの雑種犬で、人間の食べ残しを与え、
外において番犬にするというのが犬の主な役割みたいなものでした。
もちろん一緒に遊んだり散歩に行ったり、親にしかられて外に飛び出したときに
庭の犬が慰めてくれたりなど、心の友、家族の一員でもありました。
そのころは、そのような飼い方が普通でした。

今、都会に住んでいると、雑種犬を飼っている家は数少なくなりました。
そして、犬を飼うということ=ある程度の「お金持ち」というイメージがあります。
犬を飼うにはまず一軒家が必要、もしくはペット許可のそれなりのマンションが必要です。
そして、犬は買うときには10万円以上もする。
その後、予防注射・避妊去勢手術・ペットフードなど様々な維持費がかかる。
毛が長いものは美容院にも連れて行かなくてはならない。

そして、昔の田舎では放し飼いにしていたり、一日一回鎖から離して散歩に行って来いと
勝手に遊ばせたりしていましたが、
現在の都会では、ちゃんと人間が散歩に連れて行って糞の始末などもしなければなりません。
そうなると、金銭的な余裕があるだけではなく、時間的な余裕のある人でなければ
犬など飼えない状況であるといえます。
今まで、外に出歩く仕事をしていたことがありますが、仕事中に犬の散歩をしている奥様方などに出会うと、
なんと優雅な生活だなあ思ったものです。

ところで、今年の年末年始に姉家族が実家に犬を連れてきていました。
ちょうど私たちとは入れ違いになったのですが、それが昔風に言うと「座敷犬」なわけです。
今は、わざわざ「座敷犬」などとは言わないようですね。
家の作りも洋風になっているのでゴールデンレトリバーみたいな大型の犬でも
部屋の中で人間と同居していることも多いようです。

姉たちが飼っているのはシーズーです。
いつも室内で人間と一緒にいて、一晩たりとも外には置くことはできない犬ということで、
やはりこれは「座敷犬」というものでしょう。

で、実家の居間は洋間なのですが、母は昔の人ですからそこにコタツを置き、和風に使っています。
ごはんもダイニングキッチンのテーブルを使わないでコタツで食べます。
そこで姉一家がつれてきた犬も年末年始を人間とともに過ごしていたそうです。
姉たちが帰ったあと、老眼の母には見えなかったのですが、
その周りが10センチ以上もある長い犬の毛だらけになっていました。
母は周囲に掃除機をかけたそうですが、布団近辺についた毛が取れていなかったようです。

姉がストーブの前で、念入りにブラッシングなどしていたそうですが、
それでも自然に抜ける毛がたくさんあるようです。
母は毛の短い猫を飼っていますが、実家に行って今まで猫の毛が気になったことはありません。

しかし、今回は、ご飯を食べていると、ここに毛が、そこにも毛がという感じで、
つまんではゴミ箱にのくりかえしなんです。
この猫の毛でも人間の毛でもない白いふわふわとした長い毛にはちょっとまいりました。

そして、母があきれていたのですが、姉たちはもう犬が赤ちゃんのように生活の中心になっているそうです。
姉は犬のとりこになってお手入れとお世話に明け暮れているらしいです。

たとえば、家族がコーヒーを飲むときに一回分ずつになっているミルクを入れますが、
そのミルクの残りをなめるのがその犬の楽しみになっているのだそうです。
しかし、その犬にはそのミルクの成分構成に好き嫌いがあって、
なめたくないメーカーのがあるそうなのです。
たまたま母が買ってあったのが、そのお犬様の気に入らない商品だったそうで、
「これは○○ちゃんがなめないミルクなのよ」と姉が母に文句をつけたのだそうです。

そのほかにも生活のすべてが犬中心であり、
犬を基準に商品を選んだり物事を進行したりで、飼い主以外にはかなり難しいことです。
久しぶりに来た姉たちに喜んでもらうには、その犬を喜ばせなければならないということになり、
どれだけ人間が犬に尽くさなければならないんだということになります。

この犬は人とともに居間や寝室など家中を我が物顔に動き回るため、
母が飼っている猫が恐がって家を飛び出したまま、よりつかず、
二晩外で野宿したとのことで、母は猫がかわいそうだったと気に病んでいました。
この猫はもともと野良猫だったので、たくましくできていて、自分で勝手に外に出たのですが、
やはり外は寒いでしょう。

今や、犬の接待も大変なものですね。
犬はたしかにかわいいものですが、犬が主役というのもどうなのかなあと思います。
コメント (4)

里見八犬伝

2006-01-03 23:52:34 | テレビドラマ・映画

昨日と今日、里見八犬伝を見ました。
すばらしいドラマでした。
日本文学史の中で滝沢馬琴の作品として題名だけ覚えていたようなものですが、こんなに面白い物語だったとは驚きです。
もちろんテレビドラマとしての映像や脚色のすごさがあって、原作とは多少違うでしょうが、やはり、もともとがすごい構想の作品だったのだろうと思います。
こういう日本の古典作品をどんどん発掘してもらいたいです。

南総里見八犬伝は、私が子供のころ、NHKで夕方連続の人形浄瑠璃風の人形劇でやっていて、それを見ていて、登場人物やあらすじにいくらか記憶があります。たしか、語りは日航機の事故で亡くなられた坂本九さんだったと思います。もう一度見てみたいなと思いました。
あのころもやはり面白かったから見ていたんだろうと思います。

当時の人形浄瑠璃風里見八犬伝では、玉梓の霊は一際大きい恐ろしい姿の女の人形を使っていて、それはけっして美しいものではなかったのですが、今回、玉梓の霊の菅野美穂は若く美しく世にも恐ろしい怨霊で、すごい演技力でした。

滝沢君は乗馬や立ち回りのシーンなどすごいなあと思いました。その他の俳優さんたちすべてすばらしかったです。

ちょっと前に制作現場の番組を見ましたが、たとえば衣装とかカメラ撮影とかも工夫を凝らし、あらゆる面において、全力で取り組んで作られていました。

とにかく、感動と夢を与え、楽しませてくれたドラマでした。



コメント

あいにくの天気

2006-01-02 19:10:32 | 未分類過去
 
   お正月にはめずらしく雨でした。
  
   でも思ったほど寒くはなかったです。
  
   今日は街に出ておみやげのお菓子など買ってきました。
コメント